第三章 浸食する不吉
昨日に続いて、雪火夏弥はいつもより早く目を覚ました。今朝は目覚ましが鳴る直前などではなく、その時間よりもさらに一時間も早い。
「……」
ベッドの上で、静かに天井を見上げる。夏弥の一人部屋は、部屋というよりは物置に近いのかもしれない。本棚があり、机がありと、部屋としての様相を保っていながら、この場所はとても狭く、そしてなにより「雪火夏弥」という色を持たない。ベッド以外に、これといった乱れはない。机の上にはなにもなく、本棚はまるで本を並べてから一度も触れられたことがないかのように整頓されている。
「…………起きるか」
残りの一時間を眠って過ごす気には、どうしてもならなかった。夏弥は部屋に立てかけられた鉄の板を掴む。
これが、夏弥が楽園争奪戦に挑むための唯一の武器。巨大な剣のようにも見えるが、その刀身にあたる部分には刃がない。均一の厚みしかないそれは、まさしく鉄の板でしかない。刀身から柄まで同じ色で繋がっていて、剣と呼ぶにはあまりにも無骨だ。
それでも、これは正しく、夏弥の武器だ。夏弥が選び、夏弥が創った、唯一無二の、雪火夏弥が思い描いた形。
夏弥は楽園争奪戦に参加しているが、自身の腕に刻印を宿すまでは、夏弥は自分が魔術師だということを知らなかった。雪火家は魔術師の家系らしいが、育ての親である玄果はそんなことを一言も夏弥に伝えぬまま、この世を去った。そもそも夏弥は本来、雪火の血を引かないのだから、家の名前と夏弥が魔術師かどうかなんて、ちっとも関係性はない。
それでも、夏弥が魔術師だという事実は変わらない。そうでなければ、楽園は雪火夏弥を選びはしないのだから。
そういうわけで、夏弥は魔術師としての教育を受けていない。楽園争奪戦で生き残るためだけに、急ごしらえに詰め込んだ知識と死と隣り合わせの実戦経験だけが、今の夏弥を支える全て。
そのために、夏弥は魔術師の考え方を持たない。魔術師は家の名を背負い、それがゆえに、魔術師同士の闘争において敗者は生きていることを許されない、なんて考えは、夏弥の想いとは対極にある。
夏弥が持っているのは、八年前の記憶――。
その町は、海原と呼ばれていた。海が見えること以外に特筆すべき特徴のない、どこにでもある平凡な町だった。
――その町が、消えた。
それが、八年前の楽園争奪戦の結末。
ビルが崩れた。鉄橋が崩れた。民家が崩れた。町は灼け、人々は沈黙している。人の嘆きなど聞こえない。ただ、冷たい雨が降っていた。それは夏の夜だったはずだ。なのに、その損失を悼むように、あるいは人の死を嘆くように、雨は冷たかった。
夏弥の、最初の風景。町が消え、人々の理不尽な死を前にして、夏弥は無性に泣きたかった。
それは、衝動。理由は、後から推測することでしかわからない。きっと、夏弥はその光景に涙したんだ、と――。
そのせいか、夏弥は理不尽な死というものを許せない。平和に暮らしていたはずの人たちが、何も知らないまま、何も知らされないままに、それこそ何の謂れも罪もないのに、命を奪われる。そんな理不尽を、夏弥は許さない。そんな理不尽は見たくないと、そう願った夏弥の意思が、いま夏弥の手に握られている。
刃のない剣。それが、夏弥の意思。これは人を傷つけるものではなく、誰かを助けるためのもの。その刃は、夏弥だけの意思に応えてくれる。もう誰も、理不尽に夏弥の目の前から消えてしまわないように。
「…………」
剣を持ったまま、夏弥は階段を降りる。大きさの割に重さを感じさせない。それは夏弥の手の延長のように、よく馴染んでいる。
居間を横切り、縁側へと出る。そこは、ささやかな庭になっている。奥のほうへいけば植物が植えてあって、昔は玄果がよく水をやっていた。今では、夏弥が気の向いたときに水をまいている。
夏弥はサンダルを履き、庭に出る。夏のこの時期だと、玄果とともに花火を眺めたり、西瓜を食べたりしていたことが思い出として染みついている。そんな場所で、こうして剣をかまえているなんて、なんとなくチグハグに思えて、夏弥は自然、苦笑を漏らす。
「さて、特訓」
気を引き締めるように、夏弥は宣言する。
夏弥が始めたのは、ただの素振りだ。別に、いつもの日課というわけではない。なんとなく、今朝は早く目が覚めて、そのままじっとしていられないから、体を動かしているにすぎない。
大きさの割に、本当にこの剣は夏弥の手に馴染む。剣の上げ下げのときに、反動で体がもっていかれることもない。もう少し派手に振り回しても大丈夫な気がするが、雪火家の狭い庭では、素振りがやっとだ。
……不思議な感覚だ。
夏弥は美術部所属で、昔からそんなに熱心にスポーツに取り組むなんてことはなかった。剣を振るうなんて、楽園争奪戦に関わるまでは、考えもしなかっただろう。
最初に夏弥が剣をもったのは、もう二カ月も前。そのときはただの鉄の棒で、剣、なんてイメージはなかった。しかしその後、楽園争奪戦で少しは戦えるようにと、自ら美琴に頼み込んで、剣道を習った。その後、一カ月ほどして、栖鳳楼から実戦形式の猛特訓を受けた。
夏弥は剣を振ったまま、そのときのことを思い出す。本当に、栖鳳楼は容赦なかった。男の夏弥を一方的に押し切り、床に倒れたままでも竹刀を振り下ろしてきた。
――おかげで、すっかり慣れたけど。
剣を振るその夏弥の動きに、不自然な箇所は少しもない。こうして何もない空間に剣を振るときでさえ、夏弥は仮想の相手を意識する。振り下ろす瞬間にどこを狙うのか、振り上げるときに隙ができないように。そうして繰り返される一振り一振りは、十分に夏弥の意識を高める、特訓になる。
――気配を感じて、夏弥は振り下ろしかけた剣を急いで引き寄せる。
小さく息を吐き出してから、夏弥はその方向へと振り返る。
「…………珍しいことをしているな」
客間の襖が開き、ローズが興味深げに身を乗り出していた。夏弥は緊張を解き、ゆるく剣を下げる。
「おはよう」
「おはよう、夏弥。朝から鍛錬など、虫の知らせでも受けたか」
予想していなかったローズの言葉に、夏弥は眉を寄せる。
「……なんで、そういう反応?」
だってそうだろう、とローズはあっさりと返す。
「それが夏弥の日課ならば、何も思うまい。だが、何の前兆もなくそんなことを始めたら、誰だって訝しむだろう。まるで近々、死地に赴くかのようだ」
目覚めたばかりで本調子ではないのか、内容のわりにローズの口調も表情も緊迫感がない。それでも、すでに冴えきっている夏弥の頭には、その言葉は十分な重みがあった。
「…………ただ、なんとなく早く起きて。それで、じっとしているのもアレだから、ちょっとやってみただけさ」
なんて返している自分の口が、まるで他人のもののようだ。ふーん、と曖昧に頷くローズの表情は、やはりまだぼんやりしている。
夏弥はそれほど朝が得意ではない。それでも、最近はいつもより早く、夏弥の意図しないうちに目が覚める。神隠し、なんて異常が町に蔓延っている。そんな危機に、夏弥の身体は自然と臨戦態勢を取っているだけだと、夏弥はそう自身を納得させた。
今日の雪火家の朝食、揚げ豆腐の餡かけと、海藻サラダ、シジミのみそ汁に、そして白米。夏弥がテーブルに料理を並べ終え、席に座ろうとしたときとに、チャイムが鳴った。
「今日は時間ぴったりだな」
中腰の姿勢から立ち上がり、夏弥は玄関へと向かう。
「はいはい、いま開けるよ」
玄関が見える位置に来たところで、再びチャイムの音。いつもよりチャイムの間隔が短いから、夏弥はわずかに驚く。すり硝子越しに見える影も、どこか落ち着きがない。
時間は、今日は珍しく早いくらいだ。そんなに慌てる必要があるのか、訝しみながらも夏弥は扉を開ける。
「おはよっ」
「おはよう、美琴ね…………え?」
扉が開いた途端、美琴は全速力で玄関を駆け抜け、居間のほうへと消えてしまった。一人取り残された夏弥はぽかんと首を傾げる。
「なに?そんな急ぎなわけ?」
夏弥もまた駆け足で居間に戻る。その光景を見て、夏弥は再び頭の中に疑問符を浮かべる。いつもなら、美琴は台所へ行って自分の分の茶碗やコップを用意するのに。目の前の美琴は夏弥の席に座り、堂々と夏弥のご飯を平らげていく。
「あ、夏弥、ゴメン。今日、急ぐから」
それだけの事後報告を残して、美琴は物凄い勢いで料理を口へと運んでいく。
ここまで堂々とやられると、夏弥も怒る気すら起きない。仕方なく、普段は美琴の席になる場所に座って、美琴に訊ねる。
「なんでそんなに慌ててるの?」
「ふぉっふぉふぁっふぇ」
地球外言語で制止させられた。それで十分とばかりに、美琴は食事に専念する。どんなに急いでいてもきっちりおかわりする辺りは、流石だと思う。
「……はー。ご馳走様」
満足がいったのか、美琴は箸を置く。美琴が大食いなのは知っていたが、早食いをしているところなど、夏弥は久しぶりに目撃した。夏弥がまだ小さい頃、美琴が教師になりたての頃以来だろうか。
「…………で?」
夏弥は言葉少なに問う。美琴も了解しているせいか、すぐに応えてくれる。
「あー、ウェイウェイ。ちゃんと話すから、落ち着いて聞きなさいよ」
十分に、夏弥は落ち着いているつもりだ。美琴は五秒くらいうーんうーんと頭を左右に振った後、再び口を開いた。
「頭から順番に話すとね。――一年一組の栖鳳楼が入院したんだって。昨日の夜、誰かに襲われてね」
「――えっ?」
なんて、意図せず口を開く夏弥。
美琴が口にした内容は、あまりに唐突過ぎて、そして不意打ちだった。夏弥は自分が何を聞かされたのか、とても理解が追いつかない。
かまわず、美琴は話を続ける。
「意識はあるから、心配しないで。今朝あたしに連絡があったときの話だから、確実。それで、お姉さんは急いで学校に行かないといけないわけ」
ようやく、夏弥も理解が追いついた。その言葉の意味を、十分に吟味するだけの時間を得た
。だが、それが受け入れがたい内容であることには、変わりない。
「学校、って。栖鳳楼のことは……?」
「病院へ、ってこと?それは一組担任の柏葉先生が行くことになってる。大勢で押しかけても迷惑でしょ?まあ、心配っちゃー心配だけど。柏葉先生、休みで旅行行ってるみたいだから。こっちに戻ってくるのは、お昼かもね」
なんて返されて、はいそうですかと納得できる夏弥ではない。だが、夏弥もなんて言い返したらいいのかわからず、ただ美琴を見返すことしかできなかった。
ぱん、と美琴が両の手を打ち鳴らす。
「以上、お姉さんが急いでいる理由でしたー。質問とかは後日受け付けます。今朝はとりあえず、もう行かせて」
そして美琴は柱時計を確認して、軽い悲鳴とともに立ち上がる。
「わっ。もうこんな経ってる。じゃねー」
なんて残して、美琴はあっという間に居間を出ていった。遠くで、本当に遠くで、玄関の扉が閉まる音が聞こえた。
夏弥は改めて情報を整理することに努める。
――栖鳳楼が入院した。
――昨日の夜、誰かに襲われて。
ここ白見の町において、人が襲われるなんて、一つのことしか表さない。そして栖鳳楼が入院するほどの事態になるなんて、その状況は想像するまでもなく、明らかだ。
「――夏弥」
ローズは、すでに立っていた。朝食の途中だが、ローズはかまわず箸を置いている。夏弥もまた、一口も朝食を口にしていないが、そんなことにかまっている場合ではないと、了解していた。
「――行こう」
向かう先は、夏弥もローズも了解済みだ。足早に、二人は玄関へと向かっていた。
辺りはあまりにも静かだった。もちろん、部屋の外では人々が行き交う足音や話声が時折聞こえる。しかし、想像以上に病室を訪れる人間が少ないから、彼女はそんなふうに感じてしまった。
もちろん、その理由もなんとなくわかっている。自分の家の力が、彼女の知らないところで働いているのだろう。この病院だって、裏では栖鳳楼の影響が強い。魔術師に関係する諸々の問題も、ここで隠蔽することは多い。一般人への記憶操作など、隠蔽工作としては良くやる手段だ。
「…………」
栖鳳楼は身じろぎもせず、目だけで椅子に腰かけた女性を見る。潤々は眠っているように、目を閉じたままぴくりとも動かない。
いつものように着物を身につけているが、いつも被っているはずの帽子は、今日はない。そのせいか、彼女の金の髪が妙に目につく。その頭の上は、空白のように何もない。
それが何を意味するのか、栖鳳楼はその気配を感じ取ることができなくても、推測することはできる。
潤々は式神だ、人間ではない。もともと、栖鳳楼家の守護を司るがために造られた存在。人間の形や対人対応など、おまけでしかない。
――そう。
本来、式神は栖鳳楼家の守護神として存在している――。
人間の姿よりも、魔術に適した式神としての在り方のほうが、本来の潤々の姿だ。ゆえに、普段は日常に適した形に姿を変え、魔力の消費を抑えている。
そんな彼女が、いまは完全に人の姿で固定している。本来の姿のほうで損耗が激しく、維持できないのだ。普段は、その膨大な魔力を封印しているのに、いまはその封印すら必要ないほど、弱っている。帽子を被る必要がないのは、つまりはそういうこと。
……そう。
栖鳳楼はぼんやりと、潤々の姿を眺める。
静かな部屋。いつもなら、潤々の話声が聞こえてくるのに。怪我をした栖鳳楼を前にして、潤々が気遣いを見せないなんて、今までなかった。
「…………」
小さく、息を吐く。
……情けないな。
潤々は、式神だ。それは、栖鳳楼家を守護する存在。潤々が優先して護らなければならない存在は、栖鳳楼家当主、つまり今においては栖鳳楼礼だ。
栖鳳楼に何かがあってはならない。だから、潤々はこうして、自分の傷を癒すことに手一杯でも、ちゃんと栖鳳楼の傍にいる。静かに目を閉じているのも、それは回復を優先しているため。――全ては、栖鳳楼のために。
――だから、栖鳳楼がこれ以上を望むのは、傲慢。
――話声が聞こえなくて寂しいなんて、そんなのは小さい子どもの我がまま。
栖鳳楼は目を閉じる。周囲の音は遠く、この場所は、本当に静かだ。身体の痛みは、あまりない。きっと動かそうと思えば問題なく動くのだろうが、それは栖鳳楼礼だからでしかない。
肉体は、相当のダメージを負っている。それでも栖鳳楼が平気だと感じるのは、自身の魔術師としての才能。身体に適切に魔力を流し、その流れを維持する。そのおかげで、栖鳳楼は平気なのだ。
だが当然、無理に肉体を動かして、過剰に魔力を制御するようなことになれば、そう長く保つはずがない。だから、今の栖鳳楼は絶対安静。
痛みもなく、体を動かすこともできるなんて、故障寸前の機械が故障するまで止まらないのと同じこと。
「……」
小さな失笑を漏らして、栖鳳楼は目を開ける。その視界に最初に入るのは、やはり目を閉じた潤々の姿。自分の半身がこんなに無防備な姿を曝すなんて、栖鳳楼は初めて見た。こんなにも穏やかな寝顔なのに、しかし栖鳳楼の胸の内には不安が広がる。
しかし、その不安を理解していても、栖鳳楼の中で不思議と焦りは生まれない。
……まるで、その不安に沈んでいくよう。
そんな自分に、平生の彼女なら自身を叱咤していただろう。しかし、今はそんな気にもならない。
いま、栖鳳楼は動けない。それは、隣で休息を取る潤々もまた同じ。だから、不安はあっても焦りはない。こんな不吉な休息を、彼女たちは甘んじて受けるしかなかった。
ぴくり、と潤々は目を開けて姿勢を正した。その突然の変化に、栖鳳楼は妙な胸騒ぎを覚える。
「潤々……?」
気配を探ろうとして、栖鳳楼は鋭い痛みを覚えて顔を歪める。
……こんなことも、できないなんて。
栖鳳楼の身体は、本調子ではない。それどころか、ただ気配を探ろうと自身の魔力の流れを意識しただけで、この様だ。肉体を保つだけの魔力しか、今の栖鳳楼は使えないらしい。
そんな栖鳳楼に代わって、潤々はその気配を読み取って、栖鳳楼に知らせてくれる。
「大丈夫。お客さんみたい」
ほどなくして、病室の扉が開かれた。その向こうから現れた人物は硬直し、栖鳳楼もまたその姿に沈黙を返した。
「…………」
「…………」
しばらく、ともに声がでなかった。
相手のことは、互いによく知っているはずだった。相手の状況も、思っていることも、なんとなく想像ができる。それなのに、二人してかけるべき言葉は浮かばない。
「……やあ、栖鳳楼」
その沈黙を破ったのは、夏弥のほうが先だった。金縛りが解けたみたいに、夏弥はゆっくりと病室の中へと進んでいく。
「いらっしゃい、夏弥」
栖鳳楼もまた、夏弥に出迎えの言葉を返す。夏弥と、さらにローズが栖鳳楼のベッドの傍まで来て、座っている潤々にも二人の姿が見えるようになった。
「夏弥くん、ローズさん。来てくれてありがとう」
「潤々さん……」
夏弥は口を開いたが、それ以上の言葉が出なかった。当然だろう、と栖鳳楼は思った。いつもなら自分たちを迎えてくれるはずの潤々が、ずっと椅子に座ったまま動こうとしない。式神である潤々でさえ、今は自分のことで精一杯なのだ。
「二人とも、大丈夫……?」
そんな、栖鳳楼と潤々の状態を見て取って、夏弥はその言葉の通り、不安そうに問いかける。栖鳳楼は仕方なく、夏弥とローズに席を進めた。
「まあ、まずは座って」
夏弥は、しばらく躊躇った後に、潤々の隣の席に腰かけた。それ以上に席はないから、ローズは立ったまま栖鳳楼に向かう。
まずは何を話したらいいのか、しばらく迷った末に、栖鳳楼は失念していたことに思い至った。
「……よく、ここがわかったわね」
栖鳳楼が入院したのは、深夜だ。まだ半日も経っていない。栖鳳楼が入院したという情報自体はどこからか伝わるだろうが、部屋の場所まで特定するには、夏弥にしては早すぎだ。
その栖鳳楼の問いに応えたのは、ローズだった。
「二人の気配を頼りにした。正直、見つけるのに苦労したがな」
なるほど、と栖鳳楼は納得する。
夏弥は魔術師として半人前だ。しかし、式神であるローズならば、栖鳳楼か潤々の気配を見つけることができるだろう。もっとも、彼女の言葉通り、どちらかの気配を見つけるのも、苦労をしたのだろうが。
「それで……?」
焦れたように、そう夏弥が漏らす。それだけで、栖鳳楼も何をいうべきか、すぐに理解できた。これ以上話を先延ばしにしても無意味だろうと、栖鳳楼も思っている通りに伝える。
「こっちも正直なところを言うとね。御覧の通り。あんまり芳しくない」
夏弥が緊張に体を強張らせているのだろうと、栖鳳楼には容易に想像ができた。だが、そんなことを気遣っていられるほど、栖鳳楼にも余裕はない。とにかく、自身の感覚など無視して、淡々と事態を報告していく。
「あたしのほうは、体を動かすことはできるけど、でもしばらく動けない。体を動かすのに魔力を消費するような状況だから。魔術を使うのにも体を動かすのにも魔力を消耗するなんて、我ながらキてるわ」
まだ医者のほうから自分の肉体の具合を聞かされていないが、栖鳳楼は自身の状態をよくよく把握している。
普通の人間なら、こうして平然と話していることも、ましてや正常な意識を保っていることでさえ異常だろう。それを可能にしているのが、自身が魔術師であるということ。もっと正確にいえば、栖鳳楼家当主としての才能だろうか。
とりわけ、栖鳳楼礼は魔術の制御を得意とする。肉体の内の魔力の流れを操作して、その流れの通りに身体の動きを操るなんてことは、栖鳳楼にとってはごく自然なこと。走るのではなく、魔力の流れで身体を弾き出す、その延長で、常人には不可能な加速や跳躍をこなす。
その才能で、いまこうして口を開くことができるが、それ以上の動作は自重したほうがいい。
「あと、潤々のほうも良くない。むしろ、今回頑張ってくれたのは潤々だから、彼女のほうがダメージは深刻。しばらくは、あたしと一緒に回復に専念してもらうわ」
潤々は申し訳なさそうに俯くが、決して否定はしない。潤々は式神で、自身の状態は誰よりも把握している。嘘や誤魔化しすら、潤々はしない。
「そんなに――?」
夏弥の動揺を耳にして、しかし栖鳳楼はその不安には関わらない。
「まあ、夏弥が気にすることじゃないわ。二人とも、全く動けないわけじゃないし。いざってときは、自分たちで何とかするわ」
それ以上は無意味と、栖鳳楼はこの話を終える。
ここ二カ月で、夏弥のことは良く知っている。他人の痛みや辛さまで、夏弥は背負おうとする。自分が無関係なところまで手を伸ばすなんて、お人好しにもほどがある。だから栖鳳楼は、それ以上の同情を断ち切るように、話の流れを無理矢理変える。
「――まあ、あたしたちのことはいいわ。夏弥にとって重要なことは、相手のこと」
夏弥の顔が反応したように持ちあがる。それを確認したうえで、栖鳳楼は夏弥に問いを投げる。
「なんとなく、検討はついているかしら?」
夏弥の表情が引き締まる。直前までの単なる不安ではなく、もっと強く、意思のある瞳が栖鳳楼を見返している。
「――神隠し?」
緩やかに、栖鳳楼は口元を綻ばせる。
「ご明察。おかげで、欠片と正体がわかった」
夏弥だけでなく、ローズまでも栖鳳楼の言葉に聞き入っている。栖鳳楼はただ淡々と、自分が感じ取ったものを報告していく。
「欠片は、金の話通り。魔力の気配を無にする異界を作るモノ。外からはもちろん、異界の中でも魔力の気配を殺せるわ。しかも、異界に閉じ込められた瞬間も何の気配もないし、一度閉じ込められたら、自力で脱出するのは不可能。空間を閉ざされてしまうから」
その、自身が体験した異界に歯噛みしつつも、栖鳳楼は切り替えるように小さく頭を振る。
「もっとも、こんなのは補足的な話ね。夏弥にとって重要なのは、相手が何者なのか、だもの」
栖鳳楼は続ける。
「外見は、二〇代くらいの男だけど、髪は白髪のショート。すごい下品な口をきくヤツだから、すぐにわかるわ」
不愉快そうに口元を歪めるが、栖鳳楼はあくまで冷静にその相手のことを思い返す。
「魔術師としての実力は、まあ、確かね。異界の中で魔力の気配が断たれていたから、厳密なところまではわからないけど。……確かに、人を襲って魔力を得たいたせいで、相当な魔力を持っている。でもあいつの脅威は、それだけじゃない」
力ある者とは、ただ魔力の量で決まるのではない。魔力を魔術に繋げるための、術式との組み合わせ方。さらに、実戦で使えるだけの速度と、戦況に応じた柔軟な判断力と、なにより決断力を必要とする。
あの男には、それが十分すぎるくらい、備わっていた。
「魔術を現実に行使するまでに、無駄がない。どんな不意打ちでも、あいつは即座に反応してのけた。単に魔力が不足している未熟者じゃない。相応の実力を持ちながら、かなりの魔力も手にしている。――夏弥にわかる範囲で言えば、あいつは一歩も動かずに、あたしたちを相手にできた。こっちからの攻撃を全て受け切って、しかも無傷」
そう――。男はただの一歩も動くことはなかった。潤々の猛攻をかわすことなく、全て受け切り、そして破り返していた。
「それが、夏弥の相手をする最後の神託者。このまま魔力を喰わせていったら、もう手に負えない」
栖鳳楼の結論を、夏弥は重く受け止める。まだ見ぬ相手ではあったが、夏弥には十分に過ぎた。
栖鳳楼は、生粋の魔術師。夏弥がここ二カ月で急ごしらえしたのに対し、栖鳳楼は小さい頃から魔術師としての教育を受けている。しかも、血族の長として、禁を犯した魔術師たちを取り締まってきた。ここ白見の町において、相当の実力者。
そんな彼女が、これほどの傷を負っている。その姿を目にしただけで、夏弥は改めて自分が立っている場所を認識した。
夏弥とローズは雪火家に戻っていた。あれから何分も話は保たず、すぐに栖鳳楼の病室を出てきた。美琴から一組の担任が来るという話だったが、それらしい人とすれ違うことはなかった。そのほうが、今の栖鳳楼にはいいのかもしれない。栖鳳楼も傍にいた潤々も、一番必要としているのは休息なのだから。
「…………」
「…………」
夏弥もローズも帰るまで、そして帰ってからも、一言も口をきいていない。何を話したらいいのか、まるで見当がつかない。
居間の柱時計の音が聞こえる。遠くでは蝉の鳴き声が聞こえるが、そんなものは本当に遠い。世界から音が消えてしまったように、ここは静寂。
「……」
夏弥は口を開きかけて、何も言葉が浮かばずに結局閉ざす。
――思い返すのは、病室での栖鳳楼の姿。
まず目を惹いたのは、頬に貼りついていたガーゼ。次にぞっとしたのは、白い部屋着の下、時折覗く綺麗な包帯。栖鳳楼本人は気づいてただろうか、栖鳳楼が話をしている間、彼女は少しも動かなかった。身振りとか、そうでなくても話をしている間、人は動くものなのに、彼女は少しも体を動かさなかった。
……あんな姿を見せられて長居ができるほど、夏弥は無神経ではない。
それでも、どうしても思考は彼女の病室に戻ってしまう。栖鳳楼から簡単な説明があったが、しかし夏弥にはそれだけではわからない。
栖鳳楼が戦った相手とはどれほど危険なのか。そして彼女の傷は、実際にはどれだけ深いのか。残念ながら、夏弥にはそれを測ることができない。
「栖鳳楼は……」
夏弥の声に反応して、ローズが顔を上げる。途端、夏弥の口は急速に乾いて、そこから先の言葉がうまく続かない。自分は一体、何を口にしようとしているのか。頭の中では決まっていることでも、いざ形にしようとすると、こんなにも困難。
「本当に、大丈夫なのか……?」
呟いたセリフの、なんて軽薄なこと。夏弥自身でさえ、わかりきっていることなのに。あんなボロボロの栖鳳楼の姿を直に見ておきながら、こんなことしか言えないなんて。
そんな夏弥の不安に、しかしローズは律義に答えてくれる。
「礼は気にしなくていいだろう。もともと不調だったが、そこから酷くなっていない」
気になる言葉を耳にして、夏弥は反射的に訊き返していた。
「もともと?」
ああ、とローズはあっさり頷く。
「言が意識を失ったときからだ。話を聞いたわけではないが、おそらく強い呪を受けたのだろう。至極、礼の魔力は浮きやすかった。本来、礼が持っている流れから外れそうだということだが。まあ、流石は栖鳳楼家当主というべきか、結界くらいではそれほど危なげなところはなかった」
夏弥は衝撃を受けるとともに、俯く。……改めて自分の無知に嫌気がさす。
もう二週間以上前になるだろうか。夏弥のクラスメイトである水鏡言は、ここ白見の町全体を結界で覆った。結界を張ったのは、実際には彼女ではなかったのだが、事件の中心にいたことを、夏弥は知っている。
魔術師にとって、一般人に魔術を使うことは禁じられている。血族である栖鳳楼は、だから水鏡の行動を阻止するべく、動いた。結果、栖鳳楼は水鏡によって魂を剥がされかけた。
肉体から魂が離れるというのは、かなり危険なことだ。そのまま放っておけば、死に至るほどに。魔術師としては半人前の夏弥でも、栖鳳楼からその話は聞いているため、情報として認識している。しかし、確かな知識としてわかっていたかというと、実際には怪しい。事実、栖鳳楼が本調子ではないとは聞いていたが、それがどれほど深刻だったのか、夏弥は今まで知りもしなかったのだから。
かまわず、ローズは言葉を続ける。
「問題のていどで言えば、潤々のほうが深刻だ。……あれは、枯渇状態だ。それなのに、身体の修復に魔力が要る。それで無理矢理変化をして、魔力を極力消耗しない形態に落とし込んでいる」
「どういうことだ……?」
ローズは首を横に振る。
「詳しくは知らん。だが、無理がかかったことは想像できる。力を使いすぎたのか、あるいは相手の力が大きすぎたのか、それとも両方か……。まあ、治療が必須な状態で、事実、潤々は治療に専念している、ということだけはわかる」
変化は魔術の一つであり、その名が示すように、姿形を変えるものだ。単純に変装に用いるという利用方法もあるが、より熟達した魔術師はそれ以上に変化する対象の体格などを利用することもある。ネズミやトカゲのような小さいモノに変化することにより、小さな隙間に入り込んだり、身を隠したりするのに使うわけだ。
潤々の本来の姿は青龍だが、大半以上は人の姿を取ることが多い。その理由は、人間社会に溶け込むことと、魔力の消費を抑えること。より人に近い姿を取っていれば、魔力の消費もその姿に見合った量だけしか消費しなくて済む。
そうまでしなければならないということを、夏弥はどれくらい理解できただろうか。一方、ローズにはその異常性が痛いほどわかる。ローズもまた、魔力の消費を抑えるために、こうして人の姿に変化しているからだ。
――それに、と。
ローズは夏弥から視線を外す。
潤々の実力を、ローズも知っている。潤々が変化によって人の姿であったとしても、彼女が普段、どれほどの魔力を放っているか、ローズは知っている。その普段の状態に比べ、病室にいた潤々のそれは、あまりにも弱く、小さい。
あの潤々をしてそれほどのダメージを与えるほどの相手とはどれほどなのか、そのときばかりは、ローズも夏弥を守ることになるのか。夏弥と同じく、ローズもまた不安を胸の内に抱えていた。
陽が傾き始め、外が緩やかに夕焼け空に染まり始めた頃。雪火家のチャイムが鳴り響き、夏弥は首を傾げながらも立ち上がる。
「誰だろう?」
世間一般には、ここには高校生の夏弥しか住んでいないことになっている。もっとも、玄果がいた頃からあまり周囲との付き合いはなかった。あるとしたら、それはごく限られた人物だ。
「やっほー。夏弥」
その限られた知り合い、風上美琴が玄関の前に立っていた。
「なに、美琴姉さん。夕食もたかりに来たの?」
朝食は毎日のことだが、夕食については時々、雪火家にやって来る美琴。だから夏弥も、珍しいなくらいの反応で美琴を出迎える。
対する美琴は、急に歯切れ悪く、ぼそぼそと呟く。
「あー……うん。なんて言うのかな。…………まあ、そうね。うん。夕飯もいただきに来ちゃった、ってそんな感じ、なのかな?」
その、美琴らしくない反応に、夏弥も訝しむ。しかし、夏弥が問い質す前に美琴はさっさと家に上がって、居間のほうへ向かっていく。
「あっ、ちょっと……」
夏弥の呼び声にもかまわず、美琴は居間に入り、普段の定位置にすとんと腰を下ろす。
「はぁー……。やっと落ち着けるわ―」
なんて、伸びをする美琴。
「夏弥ー。夕飯前に、なんかお菓子ちょーだい」
来て早々、わがままな注文を投げてくる美琴。夏弥は「はいはい」と応えながら、台所のほうで適当な菓子とお茶を用意して居間に戻る。戻ってみると、いつの間にかカーテンが全部閉まっていた。夏弥に閉めた記憶はない、いつもなら、陽が沈むギリギリに閉めるはずだから。
「おー、流石。ちゃんと用意してあるのねー」
まるで期待していなかったように歓声を上げる美琴。ローズが食後に緑茶を飲むから、一応買い置きするようにしている。
「んー。美味しい」
美琴が栗饅頭を口にして、幸せそうに頬張っている。
「ほどほどにしときなよ」
「大丈夫大丈夫。ご飯は別腹だからー」
そっちが別腹なのか、と夏弥はつい苦笑を漏らす。別腹だと主張したように、美琴はまるで加減なく次々にお菓子の包みを破いていく。
「あれ?ローズちゃんは食べないの?」
緑茶だけ受け取って、目の前の菓子には少しも手を伸ばさないローズに、美琴は不思議そうに訊ねる。ローズはやんわりと首を振る。
「いい。こういうものは食事の締めに取るものだからな」
なんて応えるローズは、手にしたお茶もあまり運ばない。本当に、食事前の間食はするつもりがないらしい。大食らいの割にそういうところは律義だと、夏弥は珍しいものを見て感心する。
「うーん。そっか」
途端、美琴の手も緩やかになる。代わりに、まだ熱いお茶を何度も冷ましては少しずつ口に運ぶ。
新しいお茶を注いでから、美琴はテレビの電源を入れる。チャンネルを二週してから、結局見るものがないのか、すぐに電源を切ってしまう。
「この時間だと、ニュースもやってないか」
大きめに息を吐いてから、美琴は再び菓子袋に手を伸ばす。
そんな美琴の様子を、夏弥はただ物珍しく眺めていた。なんというか、いつもの美琴とは違う、ちょっとした違和感のようなものを覚える。
「…………」
しかし、夏弥は声をかけることができなかった。夏弥自身も正確なところはわからないが、まだ声をかけるには早いような気がする。どうせ夕食を食べに来たのだから、その後でも全然大丈夫だろうと、夏弥はその思考を即座に打ち切った。
「ところで美琴姉さん。夕食の希望はある?」
うーん、と美琴は天井を見上げる。
「何でもいーよー。あっ、まさか夏弥。今から買い物とか言うんじゃないでしょーねー」
「言わないよ。昨日の昼に買い物はすませてあるから」
いつもの、ちょっとすましたお姉さんの口調だったから、夏弥も気楽に返した。夏弥の返答に、美琴は満足そうに一つ頷く。
「なら良し。でも、それなら聞いても意味ないじゃん」
少し膨れてみせる美琴に、夏弥は笑い返す。
「なんとなく、聞いてみただけだよ。まあ、材料もあるていどあるし、無茶なものでなければ融通利くよ」
「流石、主夫。一家に一台はほしいわよねー」
「…………シェフの聞き間違いだよね」
グッと堪えながら、夏弥は笑顔で美琴の言葉を待つ。
「ほんと、何でもいーんだけどなー。…・…じゃあ。……天ぷらとか、オッケー?」
「全然、オッケー」
思いのほかシンプルな要望に、夏弥は台所へ向かうために立ち上がる。
「夏弥」
居間を出ようとしたところで呼びとめられて、夏弥は振り返る。ローズはすっかり冷めた緑茶を置いて、真っ直ぐ夏弥へと視線を送る。
「なら、白身魚としいたけの天ぷらを頼む」
「……オッケー」
少し遅れながらも返事をして、夏弥は台所へと向かう。冷蔵庫の中を見ると、白身魚もしいたけも入っている。ローズは夏弥と一緒に買い物に行ったので、当然と言えば当然なのだが。
……というわけで。
本日の雪火家の夕食、白身魚の天ぷらとしいたけの天ぷら、そしてニンジンとタマネギとナスの天ぷらも用意する。あと、少しピリ辛のミネストローネ。それに、冷奴とご飯。
「わー、美味しそう」
テーブルに料理を並べるたびに、美琴が歓声を上げる。料理を作る人間として、こんなに喜んでくれる人はありがたい。夏弥が茶碗を出すと、珍しく率先してご飯をよそってくれる。
「全部揃った?」
なんて、早く食べたくてうずうずしている美琴に、夏弥は笑って答えた。
「もういいよ」
「それじゃ、いっただきまーす」
「いただきます」
「いただく」
三者三様、それぞれができたての天ぷらに箸を伸ばす。それぞれが口に運び、夏弥はいつも通りの自分のできに満足し、ローズもまた味わうように目を閉じて頷く。美琴は、心底満たされたように今日何度目かの歓声を上げる。
「やっぱり、夏弥の料理は美味しいわぁー」
「うむ、いつも通りの素晴らしいできた」
そんな直球に賛辞を贈られると、夏弥も妙にくすぐったくて居心地が悪い。
「俺を褒めたって、出せるのは料理くらいだよ」
「いや、それで十分よ」
箸を持っていない手で親指を立て、すぐに美琴は天ぷらのほうへ向かい直す。
美琴もローズも、外見は女性のはずなのに、男の夏弥なんかよりもずっと量を食べる。二杯、三杯のおかわりは当たり前で、今夜は二人とも、妙に張り切って五杯目にまで突入した。天ぷらは明日に回すまでもなく、跡形もない。美琴は、ミネストローネが気に入ったのか、三杯も飲んでいた。夏弥もローズも追加で一杯飲んだので、こちらも空。
ローズの希望で食後のお茶を用意したが、夏弥も美琴も湯呑には手を伸ばさない。しばらく、胃が落ち着くまでこのままゆっくりしていたい。
「はぁー……。満足だわぁー」
美琴は後ろに両手をついて、天井を見上げる。夏弥もそのまま緩んでしまおうかと思考しかけたが、その誘惑に耐え、美琴に向かって口を開く。
「それでさ、美琴姉さん」
ん、なんて軽い声が返ってくる。美琴は天井を見つめたままだから、夏弥の声が届いているのか怪しい。それでも、夏弥は訊かずにはいられなかった。
「今日はどうしたのさ」
夕方にまで夏弥の家に来るというのは珍しいが、それだけなら、夏弥も別段気にしなかった。
しかし、普段は頼まないはずのお菓子を注文し、挙句、カーテンまで勝手に閉めていた。どこか落ち着きのない美琴に不審を抱けないほど、夏弥は無神経ではいられない。
うーん、と美琴は緩やかに視線を落とす。
「そうよね。やっぱ、話さないとよね」
今朝みたいに、しばらく躊躇してから、美琴はようやく口を開いた。
「まあ、内容としては、今朝の続きなんだけど」
なんとなく、夏弥もそんな予感があった。夏弥も聞きたかった内容だから、夏弥は黙って話の続きを待った。
「端的に言うと、学校、閉鎖になっちゃった」
なんて、簡単にそれを口にする美琴。しかし、美琴のまとう雰囲気は、それほど簡単には済ませられない。いつもより、一つも二つも沈んだ様子で、美琴は付け足す。
「お姉さん個人としては、閉鎖にだけはなってほしくなかったんだけど。仕方ないよね、うちの学校で事件に巻き込まれて怪我しちゃった子までいるのにさ」
「栖鳳楼は事件に巻き込まれた、ってことになったんだ?」
夏弥は直接栖鳳楼から聞いたから、そのことを納得している。しかし、丘ノ上高校にもそういう話がいったのだろうか。
美琴は複雑そうに眉を寄せる。
「いやー、まぁ。正確なところはわかってないよ。でも、それ以外に考えられることないし。他の先生たちも、そうなんじゃないかって、もうみんな不安なの」
そういうことは、夏弥にもわかる。確信がないとはいえ、これだけ状況が揃っている中、それを無視することなんて、できはしない。
ここ数日は毎日のように、人が消えたと報道されている。この町に住む人間なら、学生だけでなく教師陣、大人たちだって不安に感じる。そういう恐怖に、大人や子どもなんて、関係ない。
「それでね、さっき夏弥が料理作っている間に連絡網回って来たけど。しばらく、生徒は自宅にいなさい、ってことになりました。午後五時以降は家から出ないように、って小学生みたいだけど、それが決まったの。まあ、みんなわかってくれたと思いたいけど」
そう、不安を口にする美琴。美琴の不安も、なんとなくわかる。テスト空けで、学校が早く終わって、生徒たちはあまり羽目を外しすぎないようにと言われていても、町中で遊びすぎる生徒たちは、何人かいる。
「先生たちもさ、みんな怖がってて。夕方に見回りをしないと、っていう声も上がったんだ」
「美琴姉さんも、見回りに?」
反射的に、夏弥は美琴の話を遮っていた。
美琴は剣道五段という実力者だ、その能力を買われて、校内の見回り役を任されていた。今回は、そのときよりも遥かに状況が悪い。今までだってもしものことがあり得たのに、今度の状況は、それ以上だ。
「…………辞退させてもらった」
ぽつり、と美琴は漏らす。その顔は、本当に怯えているみたいに真っ青だ。
「流石に、怖くて。だから、今日も早めに帰らせてもらった。男の先生たちは今日から見回りをするみたいだけど。……お姉さんも、心配だよ。でも、怖い」
夏弥はホッとして身を引いた。見回りを引き受けてくれた他の先生たちには悪いが、美琴が少しでも安全なところにいるほうが、夏弥も安心できる。
美琴は、少しだけ顔に力を入れて、笑顔を作った。
「――そういうわけで、しばらく、ここに泊めてほしいな」
なんて軽い口調で話す美琴の口元は、とても硬い。いつになく気弱な彼女を見ていると、夏弥も胸が締め付けられるように言葉に詰まる。
けれど、夏弥の返事は決まっている。だから、これ以上美琴を不安にさせまいと、夏弥はただその一言を口にする。
「いいよ」
じわり、と美琴の表情が溶けていくのを夏弥は感じた。
「ありがとう、夏弥」
それが、美琴からの心からの言葉であると、夏弥も胸を突かれたみたいに、感じ取った。その苦しみから逃れようと、夏弥は息を吐き出してから続けた。
「で、着る服とか、どうするの?」
うん、と美琴も答える。
「今日はこのままかな。明日の昼間に一度部屋に戻って、必要なものを取って来るつもり」
「……オッケー」
夏弥は頷いた。一瞬、不安にも感じたが、陽の出ているうちなら大丈夫だろう。もしも心配だというのなら、夏弥も美琴についていけばいいだけのこと。
以前なら、夏弥がついていっても、何の役にも立たなかっただろう。剣道五段の美琴なら、逆に夏弥を守ろうとするのだろう。
でも、いまは違う。ここ二カ月の間に、夏弥は多くの危機を乗り越えてきた。それは、楽園争奪戦と呼ばれる、尋常の外側の戦い。夏弥は危険を知っている。そのうえで、その危険に向かい合うことができる。だからきっと、今なら夏弥は、足手まといにならないはずだ。きっと、誰かの役に立てるはずなんだ。
だから夏弥は、何の誇張でもなく、その気障なセリフを口にした。
「安心できるまで、ここにいたらいいさ」
誰かを守る――。
それを、今の夏弥なら、きっとできる。その自信があるから、夏弥は揺らがないし、恥じ入ることもない。
そんな自然な夏弥の言葉に、美琴も自然と、それを返してくれた。
「――ありがとう」
震える言葉。少しだけ、湿った音を聞く。昔から強くて、気丈な夏弥のお姉さんが。泣いているところなんて初めて見るから。夏弥も途方に暮れて、それ以上は何も言わなかった。
「また夏弥のところにお泊りか」
時刻は夜の一〇時。ローズも美琴も、いつもなら眠るには早い時間なのに、すでに布団の上に座っている。
二人がいるのは、居間の隣にある客間。普段、ローズが寝起きする場所だ。押入れには常に客人用の布団がしまってあり、美琴のものもそこから用意された。
美琴は伸びをするように両腕を上にあげる。
「やっぱり、なんか変な感じがするなー」
「そうなのか」
美琴は小さく笑う。
「ローズちゃんはずっとここで寝起きしているから、もう慣れているんだよ。……あたしにとっては、雪火先生の家、っていうのがあるのかな」
美琴が教師になったのは、夏弥の父親である雪火玄果に影響されたからだ。そのためか、玄果がまだ健在だった頃から、美琴は雪火家を訪れていた。いや、もともとは玄果に会いにこの家を訪れていた。それはまだ、夏弥が雪火家にいなかったときから続いていること。
「ローズちゃんには前、話したよね。あたしが雪火先生に憧れて教師になったってこと」
「ああ、美琴と初めて会ったときにな」
「そうそう。だから、あたしにとって、ここは雪火先生の家だったのよね。先生の家にお泊りなんて、考えもしなかったよ、流石に。きっと口にしようとしただけで、心臓バクバクだったろうな。だって雪火先生はここで寝起きしてたし。そのときあたしがお泊りになったら、先生と同室よ」
もしかしたら居間に布団敷いたかもね、なんて美琴は大笑する。
玄果の部屋は、玄関傍の階段から上った、二階にある。しかし、そこは書斎という雰囲気が強く、そして玄果もあまりその場所を使わなかった。日中は居間にいることが多く、寝る場所はこの客間。昔から客人を招き入れる、なんてことがなかったから、客間なんていっても、それは名前だけのようなもの。
美琴の話ぶりに引っかかるものを覚えて、ローズはつい訊き返していた。
「……だった?」
うーん、と美琴は首をひねる。
「比重の問題かな。雪火先生との思い出が詰まった家ではあるけど、今は夏弥の家、って感じのほうが強い気がする。出迎えてくれるのはいつも夏弥だし、話をするのもずっと夏弥。そうしてたらさ、だんだん夏弥に会いに来る、っていうふうに変わっちゃったんだよ。……だから、ここはもう、夏弥の家」
すっかり餌付けされちゃったかな、と美琴はまた笑う。
――そこは、誰の場所なのか。
思い出の量によるのか、あるいは質によるのか。より現実に近いほうなのか、それともより強い過去の記憶だろうか。
――ここは、誰の場所。
自分から見る、その誰かにとっての居場所――。
美琴にとって、ここはすでに雪火夏弥の場所だ。どんなに雪火玄果との思い出があろうとも、日々蓄積されたもの、あるいは毎日繰り返されていくものが、もう、雪火夏弥という存在を連想させる。
それが、風上美琴にとっての、この場所の在り方。
「夏弥の家、か……」
呟いたローズに、美琴はただ微笑で補足した。
「ローズちゃんには、この感覚わかんないよね。ローズちゃんがここに来たときには、もう夏弥しかいなかったんだから」
「…………そう、だな」
断言する美琴に、ローズはただ曖昧に頷きを返す。そんなローズの様子に、美琴は気づかず、だから納得したように、うんうんと頷いた。
「……それにしても」
途端、美琴は睨むようにローズを凝視する。
「ローズちゃん、それはいくらなんでもやりすぎなんじゃないかな?」
唐突にそんなことを言われて、しかしローズは何のことを言われているのかわからず、首を傾げる。
「どれのことだ?」
「だから、それ。それよ」
美琴は、今度は指を指してまで主張する。だが、やはりローズにはわからない。指先に何度も視線を送るが、何の違和感も覚えない。
ついに、美琴は焦れたように叫んだ。
「その恰好!」
もういつでも眠れるようにと、ローズは黒のネグリジェに着替えている。ローズが良く着る黒のドレスに似ているが、その雰囲気はやはり、ベッドに入る女の恰好だ。生地は薄く、ドレスに比べて露出も多い。女の美琴でさえ、そのローズの姿には惹かれる。
ああ、とローズは彼女らしいボーイッシュな口調で応えた。
「言が選んでくれたものだが。何か問題でもあるのか?」
どんなにさっぱりした口調でも、ローズの外見はやはり女の子。しかも、長い銀の髪に、透き通るような白い肌、色の薄い金の瞳、彼女の容姿は、異国の姫君のようだ。
「…………まだ若いつもりだったのに。…………なんだろう、ハートにグサグサくる」
対する美琴は、昼間の恰好のまま。動きやすさを重視した美琴の衣装は、何の色気も感じられない。
体を震わせていた美琴は、不意に小さく息を吐き出し、まるで意識まで切り替えたように満面の笑みを浮かべる。
「ローズちゃん。二学期になったら、またみんなで服を買いに行きましょう」
なんて、美琴はあっさりと提案する。ローズはただ、反射的に訊き返した。
「みんな?」
うん、と美琴は何でもないように付け足す。
「水鏡と栖鳳楼と。二人とも、二学期には流石に元気になっているでしょう」
一カ月ほど前、ローズと美琴と、水鏡と栖鳳楼は揃って服を買いにいった。目的はローズの服を調達するためだったのだが、水鏡も栖鳳楼も真剣にローズの服を選んでくれた。その夜、彼女たちは雪火家に泊まり、今夜のように他愛もないことで話し込んでいた。
美琴のそんな楽観的な提案に、ローズは溜め息をつきかけて、それを飲み込んだ。代わりに、ローズは至って自然になるようにと、頷く。
「――そうだな」
こんなに美琴が楽しそうに笑っているのだから、自分も笑って返すのが礼儀だろうと、ローズは珍しく、そんなことを思った。
――また、みんなで。
そう、思うことに。そう、信じることに。……きっと、悪いことなんてないのだから。
客間の電気を消したのは、午前零時になってからだ。それまで美琴もローズも時間を忘れたように話に熱中していたが、美琴がその時刻に気づいて布団に入ることになった。その宣言通り、美琴は電気を消してしばらくすると、もう静かに寝息を立て始めた。……対するローズは、明かりのない部屋の中、一人天井を見上げている。
ローズは式神だ、人のように眠らなければ存在できない、というわけではない。ないのだが、ローズはそういう点において、出来損ないの式神だ。有体に言えば、人間に近い。
ローズには、人間のように『睡眠』の工程が組み込まれている。ローズが食事をするのも、その不出来な工程に起因しているのかもしれない。今の主人である雪火夏弥から十分な魔力を得られないから代わりに食事で補う、なんて単純な仕掛けが、通常の式神にまかり通ることだろうか。
そんな、式神としては致命的な欠陥を敢えて入れ込んだ存在を、ローズはすっかり思い出していた。
――雪火玄果。
夏弥の育ての親にして、八年前の楽園争奪戦の優勝者――。
ローズが――いや――ローズマリーという名の式神が誕生したのは、今から八年ほど前のこと。その造り手は、雪火家最後の生き残りの雪火玄果。
雪火玄果の目的は、楽園争奪戦で勝ち残ること。そのために、ローズマリーは造られた。
……そのはずが。
八年前の楽園争奪戦、雪火玄果は最後の神託者になった。楽園への鍵を手に入れて、しかし玄果は楽園を手にすることはなかった。
何故、玄果は楽園の前で躊躇したのか――?
あれほど求めていたモノを、最後の最後になって何故放棄したのか――?
ローズは知らない。その最終決戦のとき、彼女は彼の傍にいなかったから。
だが、そのとき何が起こったのかは、彼女も知っている。
――あらゆるものが灼き払われた町。
――あらゆる命が一瞬にして奪われ、残ったのは焦土。
その後、彼女を襲ったのは、八年もの空白。
楽園から放たれた膨大な魔力は、潮が引いていくように、元の場所に還っていった。その流れに呑み込まれて、彼女は楽園の欠片の一部に漂流した。
そこでは、ローズマリーでも式神でもなかった。ただ、一つの命として、彼女は刻まれていた。
その欠片は〝無限回廊〟と呼ばれる、魂の牢獄。肉体はなく、意識すらない。そこにあるのはただ、魂という核のみ。
本来なら自身の名さえも壊れていただろうに、しかし彼女は自身の在り方まで失うことはなかった。それは、彼女に刻まれたモノが、その魂の牢獄をもっても砕けないほどに、強固に組まれた魔術構造体だったから、なのかもしれない。彼女という異物を、その欠片は最後まで消化することができなかった。
そして、八年の月日が流れ――。
彼女は、その時間を観測していない。そもそも自身の形すら失い、ただ魂に刻まれた名だけがあるのみだった彼女には、観測行為など不可能だった。
その彼女は『コエ』に呼ばれるままに、現界した。
その呼び手こそ、雪火夏弥。
……なんて、運命だろう。
雪火によって造られたこの身が。
八年もの歳月を経て、再び雪火の者に求められる。
「…………」
ローズは天井を見上げたまま、自身の記憶の断片を摘み上げていく。
今までは、欠けていた記憶。どこかにそれはあったはずなのに、それが脈絡あるものとして繋がっていなかった。
きっと、無限回廊に囚われていた影響。無限回廊の中では、ローズマリーの核しかなかったのだから。バラバラになった記憶があっただけでも、僥倖と呼ばれる種のものだろう。
――それを思い出したのは、三週間ほど前のこと。
鬼道喪叡という名の人形にあってから――。
三週間前、鬼道喪叡と水鏡言の手によって、ここ白見の町は結界に覆われた。結界内の人間から意識を奪う大規模な魔術行為。もちろん、魔術師やローズのような式神には効かず、意識を失っていたのは魔術の使えない一般人だけだ。
その内で、ローズは鬼道喪叡と対峙した。喪叡は四家の一つ、鬼道家の御隠居と呼ばれる存在。位でいうなら、栖鳳楼家の当主に相当する。謂わば、鬼道家の頂点だ。
その鬼道の長老は、八年前の楽園争奪戦のことを知っていた。ローズのことを知り、雪火玄果の存在も知っていた。その当時の全ての結末を、ローズは喪叡から聞き、そして彼女は全てを思い出すに至った。
「…………」
何かを口にしようとして、結局何も言わずに、口を閉ざす。隣では、楽園争奪戦も、ましてや魔術師のことも知らない美琴が眠っているのだ。不用意に口に出すことではない。
雪火玄果は当初、楽園を欲していた。しかし、いざ楽園への鍵が手に入ったときには、楽園を拒絶した。
――その結果、引き起こされたモノ。
八年前、海原の町を灼いた、大災害――。
いまだに、海原町は復興していない。当時の行方不明者は、行方不明のまま。瓦礫だけは取り除かれたようだが、それ以上に町が整備されることはない。いや、そこはまだ、町と呼べる形すら整っていない。建物はなく、人が住みつくことも寄りつくこともない。ただ、屍のような荒野が広がっているだけ……。
……楽園争奪戦に、いま、雪火夏弥は神託者として参加している。
夏弥は、魔術師としての教育を受けていない。だから、魔術に関する知識も、魔術師としての考え方も持たない。
そんな夏弥が、いまでも楽園争奪戦で戦い続けている。
それは、もう誰も、理不尽に死んでほしくないからだという。
夏弥自身に、望みはない。楽園に賭ける思いも、託す願いも持たず、ただこんな争いがなくなってほしいと、それだけを掲げて剣をもつ。もう誰も傷つけたくないと、そのために夏弥は最後まで勝ち残ろうとしている。
――最後まで勝ち残り、楽園への鍵が手に入ったとき、夏弥はきっと楽園を拒絶するだろう。
八年前、雪火玄果が楽園を拒絶したためにあの大災害が起こったのだと、知りもせずに――。
それで。
それで……。
……彼女は、どうする?
夏弥を死なせたくないなら、最後まで夏弥の戦いについていくべきだ。しかし、その果てに夏弥の望む結末などないと、ローズはすでに知っている。
夏弥が何も望まず、楽園を拒絶するのなら、楽園は再び、町を灼き、人々を呑み込むだろう。
「……」
ローズは耐えきれず、息を吐く。
どうすればいいのか、まるで見当がつかない。夏弥に話したところで、折角の夏弥の決意を乱すだけだ。戦闘中に集中力を欠けば、夏弥はあっさりと命を失うだろう。
どうすれば――。
――不意の気配に、ローズの思考は中断される。
すっ、と。物音を殺して、ローズは起き上がる。
「…………」
意識を集中させて、気配を捜す。
勘違いでは、ない。微弱ではあるが、いまもわずかな気配がある。まるで靄を相手にしているような、出所が掴めない。しかし、気配は確実に、ある。
「……っ」
じわり、と家全体に沁み込むような気配に、ローズは反射的に殺気を向ける。
途端、気配は動きを止め、直後、突風に流されたように離れていく。その離れていく気配に、ローズは意識を集中させる。
――追える。
結論を下し、ローズは物音も立てずに客間を抜けだし、宙に浮いたまま廊下を滑り抜け、玄関から外へと飛び出した。