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第二章 異界に潜む魔物

 時刻は午後の六時半、見事な夕焼けに、町は(あか)に染まる。電信柱や家々、塀や人が持っている色など小さいとでもいうように、その圧倒的な光の前に全てが同じ色に統一されている。

 六時半という時間だが、八月頭のこの時期では、まだこんなにも明るい。小学校では五時までにはお(うち)へ帰りましょうと注意されるだろうが、こんなに明るいのに遊びを止めにする子どもなんて、一体どれくらいいるのだろうか。

 だが、ここ白見(しらみ)の町においては、例外だ。こんなにも明るいのに、外を歩く人間の姿は(まば)ら。誤ってまだ外にいる人間は、まるで夜の接近を恐れるように、足早に自宅へと帰っていく。

 神隠しという名の事件が人々の口に上がるのは、もう二カ月も前に終わったはずだった。それがここ数日、連日その存在が人々の中で思い出されている。新聞のような場所では「神隠し」なんて名前では書かれないが、白見の人間には、すでにその名前が刷り込まれている。

 人が忽然と姿を消す、現場には鞄や衣類しか残っていない。そんな事件の異常性が、人々の感情的なところ、神経的な部分にはしっかりと刻まれている。

 公園の傍を通ると、夕日に照らされてそのポスターがいやでも目につく。もう大分前に張られて、すでに一部は()げているというのに「早くお(うち)へ帰りましょう。夜遅くまでお外にいるとさらわれちゃうぞ」なんて軽薄なポスターは、十分に怪談の一幕を演じられる。

 多くの人々が、そんな恐怖に対する警戒心を持っているというのに、それでも夜になって外を出歩く人は皆無にはならない。そんな恐怖は思い込みに過ぎないと、そもそもに警戒という言葉を持ち合わせない人間。レジャーから帰ってきて、町の中でここ最近起こっている異常をそもそも知らない、無知な人間。

 ――あるいは。

 彼女のように、その異常を知りつつ、その恐怖を認識しながら、牙を()く狂人――。

 町を()く夕焼けを全身に浴び、人のいない細い道を選んで歩く影が二つ。一人は着物を身につけて、頭には猫のような可愛らしい帽子を被った女性。もう一人は、黒いドレスのようなスカートとトップをまとった少女。お揃いの黒のレースのリボンで結んだポニーテールを揺らして、その姿は貴婦人の美しさと同時に刃のような危うさを孕んでいる。不用意に手を伸ばせば手首から切られてしまいそうな、そんな魅惑の薔薇の華。

 少女は人気のない町の様子に冷たい視線を向けたまま、短く息を吐く。

「今の状況って、他の人から見たらどういうふうに見えるのかしらね」

 唐突に話を振られて、潤々(うるる)はきょとんと目を(またた)かせる。

「それはこの町のこと?それとも、今日一日のこと?」

 一瞬考えるふりをして、栖鳳楼(せいほうろう)は即座に薄く嗤う。

「どっちでもいいわ」

 潤々は返事に(きゅう)したように、しばらく前を見据えたまま歩みを続ける。栖鳳楼のほうも、歩く速度を変えぬままに、ただ彼女からの言葉を待つ。

天蓋(てんがい)は元気そうで良かったね」

「そうね」

「でも、やっぱり仕事をしてもらうには、ちょっと抵抗があるかな」

「……そうね」

 自然、今日一日のことを思い出す。朝は、名継路貴(なつぎろき)(きん)を呼んで今後の話をする予定が、そこに雪火夏弥(ゆきびかや)が加わって、神隠しの話にまで広がった。その後、栖鳳楼には神隠しの現場を周る予定があったなんて、どんな嫌がらせだろう。結局、夏弥に口にした通りに、栖鳳楼は何の手掛かりも得られぬまま、改めて現場を見るだけに終わってしまった。

 午後になってから、天蓋の家も訪れた。天蓋は血族(けつぞく)である栖鳳楼家を支える家の一つで、全部で四つあることから、四家(しけ)と呼ばれている。四家の中でも、天蓋家は栖鳳楼家の守護を司る、謂わば、最後の砦のような存在。

 だが、本来は後ろに控えているだけの天蓋を、栖鳳楼は動かさざるを得なかった。楽園(エデン)争奪戦の影響で人手不足なのが、その要因。町に広がった異常への対処、そのために動いた天蓋家では、次期当主である天蓋(まもる)含めて数人、一週間近い入院を余儀なくされた。すでに全員退院できているものの、その傷は深く、再び前に出て動いてもらうことはできそうにない。

 今日、栖鳳楼はここ数日に起きた神隠しの現場を全て周ったが、その場所の見張りに立っている人間は、誰もいない。この絶望的なまでの人手不足の状況が、腹立たしくて仕方がない。

「明日は、どうするの?」

鬼道(きどう)の様子でも見に行こうかと思ってる」

 栖鳳楼の返事に、潤々はわずかに目を開く。

「鬼道を動かすの?」

 四家の一つの鬼道家。その魔術としての特性は、鬼を宿すことで人の道を外れること。世界の起源への到達のため、魔術師としての力を高めるために、鬼道家は人の条理を外れることを選んだ。

 確かに鬼の力は強力だ。だが、その代償として人間(ヒト)という形を失う。発狂なんて当たり前で、現代の科学では明らかにできないような不審死、異常死、なんて末路も、鬼道家では当然とされる。

 そういう危険を孕んでいる一族だから、潤々の危惧もよくわかる。だが、栖鳳楼は冷たい()のままで、潤々を見返す。

「天蓋の次に動かせそうなのが、今のところ鬼道(そこ)でしょ」

「…………まあ、ね」

 頷きながらも、潤々の表情は暗い。

 以前の栖鳳楼ならそれを甘いと断じ、迷うことなく鬼道家を訪れるだろう。いや、そもそもこんなやり飽きた問答を掘り返すことなく、それこそ今日の内にでも、鬼道家を訪れたはずだ。天蓋なんて使えない駒なんかに一瞥(いちべつ)もくれずに――。

水鏡(みかがみ)が動かせれば、大分違うのに」

「そもそも、こういう場面で動かせるのが、本来水鏡でしょ。天蓋に期待している時点で、いろいろと狂ってる」

 ――そう。

 狂ってる――。

 栖鳳楼は自身の言葉を噛みしめる。

 水鏡もまた四家の一つで、その役割は魔術が世間に広がりそうになると、その問題を隠蔽(いんぺい)、蓋をして回ること。まさしく、いまの神隠しの痕跡を消し、世間に知られないようにするための存在なのだが、いまの水鏡家は動かせる人員がいない。

 水鏡家の跡取りになるはずだった水鏡竜次(りゅうじ)は、神託者(しんたくしゃ)の一人で、すでに敗北している。その彼の命を断ったのは、他でもない栖鳳楼(あや)だ。

 それが、魔術師というものの在り方。魔術師として戦い、敗れた者はこの世に存在するべきではない。それ以前に、竜次は魔術師としての禁を破り、一般人から魔力を奪おうと画策した。魔術師を管理する血族としては、そんな彼を生かしておく理由などない。

 次に水鏡家の担い手となる可能性があるのは、水鏡(あき)。栖鳳楼とは同い年で、小さい頃から付き合いがあるが、いま水鏡言は病院のベッドで意識不明の重体。自らの魔術によって意識を閉ざした彼女は、いつ目覚めるかもわからない。

 いまの水鏡家は、空っぽに等しい。本来なら、次の跡取りをどうするかで他の四家も交えて話し合いの場を設けるところだが、楽園(エデン)争奪戦が進行中の間は、そんな余裕すらない。

 改めて、栖鳳楼の口から溜め息が漏れる。それでも、栖鳳楼は嘆き留まるわけにはいかない。栖鳳楼は軽い気持ちで、隣に並ぶ長寿の式神へと訊ねた。

「百年くらい前だと、そんなことはなかった?」

「百年前は、そこまで大きなことがなかったからわからないけど。五百年くらい前なら、分家の人たちも結構動かせて、大分様子が違うかな。栖鳳楼のお屋敷にいろんな家の人たちが出入りしてたもの。いまは完全に、栖鳳楼の中だけで話が終わってる」

 百年前……五百年前……。

 栖鳳楼礼も、栖鳳楼家に眠る歴史書を読んだことでしか知らない話。

 隣に並ぶ潤々は、外見こそ栖鳳楼の姉の落葉(おちは)と変わらないが、その中身は高度な魔術の結晶たる式神。栖鳳楼家が朝廷からこの国の支配を任された千年前からすでに存在していたという。潤々から見れば、ここ二カ月の騒ぎも、一瞬の出来事でしかないのだろう。

 栖鳳楼は自身の知る過去を振り返りながら呟く。

「お父様の頃なんて、人の出入りが多くてうんざりしていたのに。現代(いま)は甘い、ってことかしら」

「うーん……。そう単純に比べられないかな。魔術(こっち)側も一般社会(あっち)側も、現代(いま)過去(むかし)じゃ情勢が違っていて、そんな一つのことで()い悪いなんて、言えないよ」

「……なるほど」

 現代(いま)過去(むかし)は違う――。

 だから、昔にうまくいっていたことをそのまま今に当てはめようとしても、うまくいくとは限らない。昔だけではダメなのだ、今のことも考えにいれなければ、解決策なんて見えてこない。

「じゃあ、潤々から見て、いまはどうかしら?」

「どう、って?」

 そうね、と栖鳳楼は思考する。

 潤々は式神、つまり人ではない。人の機微なんてものを期待しているようでは、望んだようには動いてくれない。はっきりと、迷いなく、その意思を示さなければ、式神(うるる)はどうしていいかわからない。

「もっと他の人手を使うべき?それともいまの可能な範囲でやりくりするべき?」

 潤々は表情を微妙に歪める。

「あんまり、そういう助言はしたくないんだけどな。あたしが口にしてもし間違っちゃったら、責任取り切れないよ」

「わかってる。責任を取るのはあたしの役目だから、感じている通りに口にすればいいの」

 それを採用するかどうかはあたしの問題なんだから、と栖鳳楼は気楽そうに笑う。高校生ではあるけれど、栖鳳楼は自身が栖鳳楼家当主であることを知っている。それが決まったときから、幼い頃から、禁忌を犯した魔術師を裁く者として駆けた彼女は、断罪者としての自身をよく自覚している。自分が動かした腕一つで人の命がどう動くかなんて、覚悟できなければ、この立ち位置にはいない。 

 うーん、と潤々はしばし迷った末に口を開く。

「じゃあ、言うけど。……いまの範囲でやるしかないと思う。もともと、天蓋を動かすことも通例を見ればやりすぎな気がする。動くのは水鏡と栖鳳楼だけ。あとの家は、尋常の領域なら、動かしちゃいけない」

楽園(エデン)争奪戦は、尋常の領域なんだ」

 軽い気持ちで漏らすと、潤々もまた微笑(わら)って応える。

「アーちゃんは魔術師相手しかしたことないから、尋常の外側ってわからないんだよ。魔物とか化物とか、鬼とか魔とか、アヤカシやモノノケとも言われてるかな、とにかくそういうモノ。その存在が、すでに人ではないモノ。そういうものが、怪異の領域かな。そういうのって、存在自体があやふやなことが多いから、現象に発展することが多いの。そうなると、物語にあるような化物退治じゃコトが済まなくなる。だから、お祓いとか祈祷とかあって、(やしろ)を建てるのも、一つの手段になる」

 確かに、それは栖鳳楼礼の知らない領域だ。栖鳳楼が今まで立ち向かってきた相手など、所詮は禁を破った魔術師でしかない。それがいくら制御の外れた人間であっても、潤々に言わせれば、それは人の領域なのだ。

「だから、魔狩(まがり)は手段を選ばない。そういった怪異は、すでに人の領域を外れているから。人が選択できる方法なんて取ってたら、とても潰し切れない。そういうわけで、魔狩を動かそう、っていうのは、あたしは反対かな」

「……結局、そういう話?」

 栖鳳楼は正直に不貞腐(ふてくさ)れる。

 四家の一つの魔狩は、魔を狩る一族。それは怪異の領域が尋常の領域に流れ込まないようにするための抑止力。その家の名が示す通り、それは猟犬に等しい。敵は魔であり、それを狩り尽くすのが魔狩の役目。……だから、人の生きる社会に解き放つのは、かなりの危険(リスク)を伴う。

 うん、と潤々は頷く。

「鬼道は、半獣人かな。鬼にも人にも、どっちにも転ぶ。でも、転ぶ方向を選べる人なんて、そんなに多くない。数代に一人、って割合。でもいまの鬼道にはそんな人はいないし、鬼道家そのものの抑止力もなくなっちゃったから、下手に動かしたら収集がつかなくなる」

「最悪の場合、魔狩で蓋をする?」

「そうなるかな。そうなったら、本当の最悪を想定しないといけない」

「鬼道も魔狩も、全滅する……」

 魔を宿して人外になった一族と、魔を滅ぼすことを使命とする一族。お互いが調整役を担うが、何も考えずに放し飼いにしてしまったら、互いを喰い尽くしてしまう。

 潤々は訂正するように言葉を補う。

「もちろん、それはあたしの今まで見てきたものから言っていることだから。この時代に一番詳しいのは、アーちゃんでもあるんだよ」

 そう――。最終的な判断は、栖鳳楼礼に委ねられる。高校生でも、栖鳳楼家の当主である以上、その決断は、どんなものよりも上位にくる。

「人手はほしい、でもその人手の集め方がわからない……」

 うわ言のように呟く栖鳳楼。

 栖鳳楼が直接動かせる人材は、限られる。本来動かせるはずの水鏡は機能せず、本来動かしてはいけないはずの天蓋も、もはや動かすこともできない。鬼道も魔狩も、潤々の(げん)によれば、動かすべきではない。栖鳳楼も、そのくらいの理解はある。だが、状況はなりふりをかまっていられる場合ではない。鬼道くらいなら、とも考えるが、やはりその一歩には抵抗がある。

 ――では、どこから?誰の手を借りればいい?

 現代において、魔術を生業(なりわい)とする一族は年々減少傾向にある。もともと人前では使えないうえに、死と隣り合わせという危険(リスク)も伴う。今でも魔術師を続けていられるなど、生粋の一族でもなければ、続かない。

 だから、栖鳳楼が当てにできるものも、もはやほとんど残っていない。

「どこかで、決断するべきだったのかな」

 なんて呟いた言葉の、なんと軽薄なことか。どこかとは、それはいつだったのか。決断とは、そもそもなにか。

 だから、栖鳳楼は自嘲をその口元に浮かべて、小さく(かぶり)を振る。

「――でも、もう遅い」

 口にして、少しだけ体が軽くなった気がした。その気分に任せて、栖鳳楼は、はあ、と宙に向かって息を吐く。

「結局、あたしが何とかするしかないのかな」

 栖鳳楼がこうして町の様子を見て歩くのは、別段夏休みだからというわけではない。問題があれば現場に急行し、問題がなくても路地裏などに足が向く。それは、小さい頃からの栖鳳楼の習慣。

 栖鳳楼が一つ、決意を刻もうとした瞬間に、すぐ隣から優しい声がかけられる。

「だから、あたしがアーちゃんを支えるんだよ」

 振り向けば、栖鳳楼の半身が笑顔で応えてくれる。栖鳳楼はなんて返したらいいのかわからなくて、ただ曖昧に笑い返す。

 それに、と潤々はさらに言葉を続ける。

「今回は、アーちゃんだけじゃない。夏弥くんが、いまはアーちゃんのパートナーだよ」

 全く予期していなかった名前に、今度こそ栖鳳楼は面食らう。それでも、潤々は迷いなく断言してくるから、栖鳳楼は皮肉っぽく唇を吊り上げる。

「あたしのほうが、おまけ、って感じだけど」

 栖鳳楼も神託者(しんたくしゃ)の一人だったが、それは夏弥に敗れたことで、その資格を失った。……栖鳳楼家次期当主、血族の(おさ)、なんて呼ばれていた栖鳳楼が、魔術のことなんて全然知らない、半人前の夏弥に、だ。

 もう、栖鳳楼は楽園(エデン)争奪戦には関われない。あくまで、白見の町を守護する血族として、世間に魔術の痕跡が残らないように、そんな禁忌を犯す魔術師を見つけ出すために、こうして動いているに過ぎない。

 ううん、と潤々は首を横に振る。

「それは、夏弥くんから見たらでしょ。でも、アーちゃんの立場から見たら、夏弥くんとアーちゃんは同じ場所(トコロ)に立ってるの」

 潤々の言いようが少しだけおもしろかったから、栖鳳楼は正直に吹き出した。

「まあ、そういうふうに考えておくわ」

 改めて、栖鳳楼は空を見上げる。美しい夕焼け、どこまでもどこまでも続くこの色は真紅に燃えている。日が傾き、色はより濃さを、強さを増している。こんなに穏やかで温かいのに、この町を歩くのは栖鳳楼と潤々だけなんて、なんて寂しい。

 ――ああ。

 なんて。

 この町は、こんなにも、真紅(あかい)――。

 栖鳳楼は足を止めた。

「…………」

 彼女たちは、一体どれくらい歩いたか。いや、そもそもどこに向かおうとしていたのか。栖鳳楼は、改めるように周囲を眺め見る。

 強い夕焼け空、陽の輝きに、辺りはどこも同じ色に染まっている。……いや、これは陽の色だろうか?

 その色は、真紅。夕日と夕闇が混ざろうとする、強い(あか)。しかし、その光と闇はあまりにも強く、そして歪んでいる。

 ――そう。

 それは、混沌と呼ぶべき――。

 その疑念に応えるように、潤々の呼ぶ声が耳に届く。

「アーちゃん――」

 なに、と振り向くことなく栖鳳楼は返す。その真剣な声が何を告げるかなんて、栖鳳楼はすでに予感している。

「――集中力の欠如ね。いま気づくなんて」

 自然、吐き出された声は自嘲を帯びている。それでも、自嘲だけでは終わらない。栖鳳楼の意識は、もはや集中を欠くことなどない。

「あたしのせい。もう少し早く気づけたはずなのに……」

 言葉のわりに、潤々の声に揺らぎはない。それも、当然。彼女は式神であって、人ではない。こういう空気には、何よりも適応する。

「――それが、この神託者の欠片なんでしょ?」

 それは、栖鳳楼も同じこと。禁を破った魔術師を狩り続けてきた血族の長が、この空気に揺れるはずもない。

 ――そこは、異界。

 〝神隠し〟と呼ばれる、それは幕が降りたままの舞台――。


 そこにいるのは観客ではない。用意された舞台には幕が下ろされ、いまここは誰にも気づかれない異界と化している。

 だから、栖鳳楼はその男の姿を目にしても、少しも動じることはなかった。

「――なんだ、もうバレたのか。もう少し俺を(たの)しませろ」

 下は黒のジーンズ、上は周囲の真紅にさえ染まらない、強い(アカ)。その袖口は逆十字の形に切り取られている。顔つきや服装を見る限りでは、二〇代ほどの若者だが、髪は染め上げたような白のショート。瞳は硝子玉(がらすだま)のような灰色をしている。

「折角の娯しみが、これでは半減だ」

 にやり、と男は口元に強い笑みを浮かべる。不満そうな物言いに反して、その顔つきは悦に浸っている。

 その理由を、栖鳳楼は理解しない。ただ、体中を舐め回されているような、そんな不快が背筋を這う。

「――あなた、名は?」

 短く詰問する栖鳳楼に、男は呵々(かか)と大笑する。

「貴様などに応える必要はない。刻印を持たない者になど語ったところで、無意味だろう」

 あっさりと、男はその単語を口にする。栖鳳楼もわかりきっていたことだから、特に驚かない。返礼とばかりに、栖鳳楼は試すように男に問い直す。

「で、あたしに何か用かしら?それとも、あたしだということを知らなかった、とでも言うのかしら?」

 ふん、と失笑を漏らし、男はさらに絡みつくような視線を栖鳳楼へと向ける。

「そんな戯言、吐く必要もない。――単純な話だ、筋書き通りに楽園(エデン)争奪戦を終えるのに、血族などという存在は、正直目障りでしかない」

 なんて口にはしておきながら、男の目に嫌悪などまるで感じられない。その、絡みつくような視線は、ただの好奇ではない。それはあまりにも淫靡(いんび)で、ただただ不快。無遠慮に肌を、敏感な部分を欲求のままに(まさぐ)ってくるような、そんなふしだら。

 そのおぞましいほどの不快に、栖鳳楼は純粋な殺意をもって男を見返す。

「へえ…………」

 自然、口からは息が漏れる。その音はどこまでも低く、どこまでも抑えがたい。そう、栖鳳楼はこの男を前にして嫌悪と、なにより殺意を抑えることができない。

 そんな栖鳳楼の様を目にして、なお、男の愉悦に濡れた眼差しは解けない。さらに舐め回すように、男はただただ栖鳳楼というその姿を凝視する。

「狂犬、か……。貴様は見込みがある。好戦的なヤツは好きだ。女というのがなお、俺好みだ」

 もはや(はばか)りなくそう口にする男に対し、栖鳳楼は言葉を返す気も失せた。一歩踏み出そうとして、しかし男は察したようにまくし立てる。

「だが、まあ。もう少し喋らせろ。ヤる前にじっくり堪能させてもらわないと、俺は燃えないんだ。……いい眼をしている。闘争より殺人に焦がれる眼だ。その眼から零れる(なみだ)は、さぞ甘いだろうな」

「…………悪趣味」

 あまりの怖気(おぞけ)に、つい栖鳳楼は悪態を漏らす。だが、目の前の男はそんな栖鳳楼の態度にこそ(たの)しみを見出すように、唇を濡らす。

「声もいい。低く抑えた怒り。相手を見下すことで絶対的な強者だと自身を鼓舞する。そんな強気な女ほど、絶望の悲鳴は、悦だ」

 怒りは、すでに臨界点を超えている。こんな男が神託者なのだと、楽園(エデン)に選ばれたのかと思うと、なお(はらわた)が煮えくりかえる。

 だが、栖鳳楼の冷静な部分は深刻にその事実を受け止めている。楽園(エデン)に選ばれるということは、それだけの実力があるということ。同時に、この男が神隠しを起こした張本人であるなら、その身に宿した魔力量はいかほどか、冷静に見極める必要がある。

 ――なのに。

 栖鳳楼は内心で歯噛みする。

 こんなときまで、気配が読めないなんて――。

 今朝の金の話から、最後の神託者のもつ欠片が魔力の気配を断つものだということは予想していた。だが、実際にその効果を感じて、この欠片がより致命的なものであることを栖鳳楼は理解する。

 すでに、栖鳳楼は欠片の中だ。その中にあっても、栖鳳楼は男の魔力を感じ取ることができない。どんなにうまく隠していても、普通は隠しきれるものではない。それをゼロに等しいまでに隠蔽できるというのは、それだけで脅威だ。

 ああ、と男は途端に面倒そうに目を細める。

「時間潰しに教えてやろう。ここから出ることはできない。この欠片は中に迷宮を作る。身体(からだ)も魔力も、これの境界を超えることはできない」

「知っています。そのくらいのこと」

 この欠片に取り込まれてから、一体どれほど経過したのか。まるで気配なく、気づいたら栖鳳楼と潤々はこの真紅の異界に迷い込んでいた。

 見た限りでは、この場所は町の中と変わらない。だが、きっとどこまで歩いても同じ場所を歩くことになるだろうと、栖鳳楼は予感している。方向感覚を狂わせるわけではない。すでに、空間そのものが閉じているのだ。それは、メビウスの輪のように、どこまでいっても出口なんて見えない。

 それは、魔力についても言える。外から何の気配も感じ取れない、そして異界が晴れてもその痕跡が残らないように。この閉じた異界で起こったことは、もう誰にも観測されない。

 にやり、と男は再びあの不愉快な笑みを浮かべる。

「そういうわけだ、助けなど期待するな。ここから出たかったら、俺を押し倒していけ」

「お断りします」

 きっぱりと、栖鳳楼は断じる。

「――あなたを、処断します」

 呵々と、男は再び大笑する。

「いいぞ。それくらいの威勢があるほうが、俺は娯しい」

「あたしは、ただ不快なだけです」

 心底、栖鳳楼には理解できない。もとより、理解する気などないが。目の前の男が何に対して悦を感じるかなど、栖鳳楼の知ったことではない。

 不気味な笑い声を最後に残して、男はふいに視線を上げる。もう、あの不愉快な淫靡な視線ではない。もはや栖鳳楼を鑑賞することに飽いたのか、男は試すように目を(すが)める。

「で、貴様はヤれるのか?口先だけの初心(うぶ)幼女(ガキ)じゃないだろうな。そんな不感症みたいな女とヤったって、娯しくない」

 その問いの意味を、栖鳳楼はたちどころに理解する。

 ――もう、お喋りは終わりだ。

 後は、互いの実力のみがモノをいう――。

 軽薄な言葉とは裏腹に、男の灰色の目はただ栖鳳楼を試す。――この女は、俺の遊興に値するか否か。

 その価値基準は、栖鳳楼には度しがたい。しかし、男が放っている雰囲気からは、決して巫山戯(ふざけ)てなどいないことがわかる。

 栖鳳楼は内心を見透かされないように、ただ冷たく、そして決然と言い放つ。

「あなたはあたしには届かない。血族に刃を向けたことを悔やむがいいわ」

 男の視線から隠すように、潤々が栖鳳楼の前に立つ。

 生憎(あいにく)、栖鳳楼は男と戦えない。三週間近く前、栖鳳楼は水鏡言によって魂を抜かれかけた。幸いにも、完全に魂が肉体から分離することはなく、しかもすぐに元に戻せたので、簡単な魔術くらいだったら使うこともできる。

 しかし、戦闘となると身体(からだ)の保証はできない。魂は魔力にとってとても近い位置にあり、魔力の流れは魂の在り方に影響される。魂を抜かれて、正常に肉体に戻ったからといって、それで完全に安定したとは限らない。しばらく様子を見て、定着したのか、見定める必要がある。

 天蓋が動かせないのは、そういうこと。日常生活を送る分には問題ないが、魔術の行使は禁じる必要がある。栖鳳楼はまだ軽度だが、だが戦闘を許せるほど、彼女もまた完全ではない。

 だからこそ、潤々は栖鳳楼の傍から離れない。栖鳳楼の身に何かあれば、真っ先に動くのは潤々だ。

 男は、まるで初めて気づいたように潤々の身体(からだ)を隅々まで観察する。しかし、栖鳳楼以上の興味はないのか、簡潔に問う。

「――貴様は(いぬ)か、女か、それとも化物か?」

 その不可解な問いに対し、栖鳳楼家の式神は微笑()みをもって返す。

「応える必要が、ありますか――?」

 潤々の周囲で、気配が一つ励起する。すぐ後ろに立つ栖鳳楼にはその式神としての雰囲気を感じ取ることができるが、果たして正面に立つ男には理解できているのか。

 男は小さく口笛を吹くと、その視線に再び淫靡な色を浮かべる。濡れた瞳、濡れた唇、男が浮かべる笑みは、捕食者のそれだ。

「いいぞ。ヤらせろ」

 男は許可する。栖鳳楼の前に割り込んできた潤々を、男は悦の対象として認めたのだ。潤々は笑みを消さぬまま、その気配に相応しい術式を、自身の魔力に重ねる。


 潤々は栖鳳楼家に千年も仕える式神だ。

 魔術師おいて年月とは、一つのステータスになる。事実、魔術において魔具と呼ばれるものがある。本来魔術とは一度きりの使い捨てで、魔具はその問題を克服するために、物質に魔術を定着させて半永久的に使えるようにした代物だ。半永久が意味するように、魔力が枯渇すれば、魔具であろうとその意味を失う。そのため、魔術師は魔具を維持するために魔力を補給し続ける。結果、エネルギーである魔力と駆動装置たる術式は物質に()みつき、年月とともに魔術に適した物質に変容する。さらに新しい術式を組み込めば、それは効率だけでなく効果の面でも一段上のものに変質していく。そうやって、ある一定の期間を過ぎ、魔具として完成されたものを神具と呼ぶ。

 式神とて、同じことが言える。式神は、魔具などよりも遥かに高度な存在だ。もとより、人間以上に魔術というものに最適化されている。人のように動き、人と会話しても違和感がないものほど、それは高度な術式が組まれていることの証拠。そこに千年の年月が加算されれば、その存在自体がすでに大魔術の領域だ。

 潤々の姿が、途端に歪む。まるですり硝子で覆われたかのように、潤々の姿がぼやけ、霞む。

 その異変に、男は気づいた。しかし、決して動かない。いや、動く余裕さえ、潤々は与えない。

 潤々の周囲を歪めたもの、それは魔術によって構築された水滴だ。それは、濃霧に匹敵する濃さ。いや、急速に生成された水は、瞬時に弾丸となって射出される。標的は、もちろん、正面に立つ白髪の男。

 ただの水鉄砲などではない。潤々が放つ水流弾は、その一撃で容易くコンクリート壁を破砕する。その破滅的な弾丸を、潤々は容赦することなく、連射する。

 着弾するたびに、轟音があがる。断続的なその音は、すでに雪崩と化している。飛び散った水滴が周囲を覆い、視界は白く遮られる。

 潤々は攻撃を止める。それは、ほんの一〇秒ほどしかなかったはずだ。しかし、その圧倒的な破壊力を前に、実際には一分も続いていたかのように感じられる。

 水の膜が晴れるのに、さらに二〇秒近い時間を要した。果たして、男はどうなっているのか。気配が断たれたこの異界の中では、その是非を測るのは、もはや肉眼を以ってしてのみによるしかない。

 ――霧が晴れる。

 白髪の若者は平然と、その場に立つ――。

 潤々は驚愕とともに身を硬直させる。

「――――ッ」

 一歩も、男は最初の場所から動いていない。加えて奇怪なことに、男の周囲、半径一〇メートルほどが空白だ。それより外側は、まるで爆撃されたように路面が割れ、破砕し、めくれあがっている。にもかかわらず、その境界より内側は傷一つない。まるで防空シェルターにでも守られていたかのように。

「どうした?まだ休むには早いぞ。まさか前戯もヤりきらないうちにバテたのか?そのていどでは俺を娯しませることなんてできやしない。もう少し気合い入れろ」

 あの一方的な攻撃をいかにして(しの)いだのか、男は欠片も疲労を見せない。余裕の笑みさえ口元に浮かべ、男は軽く手招きする。

「――――――――」

 潤々は即座に魔力を構築する。先ほどの攻撃も、決して潤々は手を抜いたわけではない。安い挑発だとは知りつつも、潤々はより強力な一撃を放つ。

 それは、先の水流弾よりも遥かに大きい、半径五メートルに達する巨大な水の塊。その速度は、直径でさえ一メートルに満たなかった弾丸と同等。その威力は、百倍まで跳ね上がる。

 その一撃が男に下される手前、潤々はその異変に気づいた。

 ――そして。

 その圧倒的な異常を、彼女たちは目撃する――。

 男を守ったのは、確かに防空シェルターと呼ぶにふさわしい。黒い、球状の防壁。それが(またた)く間に男の姿を隠してしまう。コンマ数秒のうちに展開されたその防壁は、確かに半径一〇メートル。

 水の塊がその黒い壁に阻まれ、無残に散る。対して、ただ攻撃を受けただけの黒い球体は、ぴくりともしない。歪みも、傷つくこともなく、男を完全に守り切った。

「そんな――ッ」

 驚愕する潤々の前で、黒い球体は現れたときと同様に、瞬時にその存在を消失させた。だが、潤々はその球体がどこに消えたのか、見逃さなかった。

「――どうやら、俺がリードしてやらないと無理そうだな」

 さも(いと)わしげに、男は首を鳴らす。ついでとばかりに、右手で自分の髪を(いじ)る。

「手伝ってやるから、早く燃えろよ。こんなものはまだまだ、本番前のウォーミングアップにすぎないのだから」

 にやり、と。男はその口元を歪める。あまりの不気味さに、潤々の背筋に怖気が走る。

 男の右腕が破裂した――そう、潤々には見えた。しかし、男の右腕が無事であるのを、潤々はとうに知っている。

 それは、黒い濁流。ヘドロのように黒々としたそれは、決して底など見えない。どこまでも黒く、一条の光すら受け付けないその暗さは、まるで深淵を覗きこんでいるかのよう――。

「……っ」

 反射的に、潤々は後ろに飛んだ。迫りくるその脅威に、そんなものでは回避できないことは重々に承知している。しかし潤々がこのまま避ければ、後ろで潤々の戦いを見守っている栖鳳楼に被害が直撃するということ。

 潤々は栖鳳楼を斜め後方に押しやり、自身は反対の前方へと弾け飛んだ。

「潤々……!」

 栖鳳楼の叫びには応えず、潤々は地面スレスレを飛ぶ。潤々の急速な方向転換にも、黒い濁流は平然と追跡してくる。

 距離は、五メートル。しかし、直進で追う分には、黒い濁流のほうがわずかに速いらしい。じりじりと、潤々までの距離を縮めていく。

「…………っ」

 魔力の気配は感じず、ただ空を切る音だけで、潤々はその事実を把握する。理解したうえで、だから潤々は地面とは垂直に急上昇する。

 距離は、一体どのくらい離れただろうか。まるで、離れていく感じがしない。一秒も()たないうちに、またその音が近づいてくる。

「……!」

 急速に、潤々は蛇行を開始する。遊園地のジェットコースターですら、こんなに器用に身を(ひね)りはしないだろう。上昇と見せかけて急速落下をかけ、斜めに体を持ち上げた直後に、不規則な螺旋を描く。それでも、潤々は黒い濁流を引き離すことができない。接近は遥かに遅くなっているようだが、それでも潤々を見逃すことはない。

「…………」

 飛翔しながら、潤々は地上の男の姿を確認する。男の右腕から、その黒いモノは溢れ続けている。状態は水だが、潤々の放つソレとは明らかに異質だ。その禍々(まがまが)しさ、その瘴気(しょうき)は、潤々のまとうものとは決定的に相容れない。存在だけでも不吉なのに、もしも接触を許してしまったらどれほど危険なのか、潤々は必死で逃げ惑う。

「………………ハ……ッ」

 耐えきれなくなったように、潤々が大きく息を吐く。潤々の額には、すでに玉のような汗が浮かんでいる。

 潤々は式神だ、人間のような自然な生体機能など持たない。つまり、潤々の発汗は彼女自身の意思によるもの。

 生物が汗をかく機能(メカニズム)が体温上昇を抑えるというものであるなら、潤々の場合も同じことが言えるはずだ。すでに潤々の魔術は暴走状態に近く、その余波で加熱した自身を冷やそうとしている、ということ。それでも、潤々は止まることができない。潤々の周囲は魔力の残滓(ざんし)でサウナ状態に近い。

 膨大な魔力と、水。

 ――そう。

 潤々の周囲には、魔力と水が満ちている――。

 潤々は男の周囲を旋回するように飛行し、そして宙空(ちゅうくう)で浮遊している黒いヘドロの残骸の末端に差し掛かる。

 その、潤々の接近に反応したように、目の前のヘドロが沸き立つ。どうやら潤々のすぐ背後に迫る濁流のみならず、すでに宙に留まるだけとなったヘドロも別に動けるらしい。

 だが、潤々はそんなことに頓着しない。――すでに、潤々の魔術はこの瞬間に成立したのだから。

 ……潤々の残した魔力が宙空で円を結ぶ。そこに新たな術式を通せば、水はたちまち意思をもつ。

 大気が震撼する。

 瞬く間に膨張した魔力が、水という構成物質を押し広げていく。

 魔力から造られた水も、もともと大気に溶け込んでいた水も、彼女の魔術に呼応し、咆哮を上げる。

 一瞬にして黒い濁流を飲み込み、あるいはヘドロの塊を内側から破裂せしめ、潤々が司る水の怪異が暗黒の物質をこの世から抹消する。

 さらに、潤々が放った大魔術は演舞を続ける。

 それは、雨なんて生温いものではない。台風や(ひょう)でさえ、この光景を前にしたら穏やかに見えるだろう。

 ――(そら)から海が降ってくる。

 宙に満ちた水は、そのまま地上に降り注ぐ。決して、重力に引かれて落下するなどという優しいものではない。魔術によって意思をもったそれは、自然の猛威すら嘲笑う脅威。

 海が雪崩れ込んでくる。頭上から、その尋常から外れた大いなる腕が叩きつけられる。それは海だ、嵐をまとった津波だ。男が水流弾に耐えきれたといっても、流石にこの威力の前には耐えられまい。すでに、回避は不可能――。

 ――潤々の頭蓋に衝撃が走る。

 脳震盪を起こしたように、潤々の体勢が乱れる。しかし潤々は式神だ、意識を失うことはない。例え普通の人間なら身体(からだ)が麻痺して動けないような震えに襲われようとも、強烈な吐き気や寒気に襲われようとも、彼女は意識を失わない。痛みだけは、しかし、通常の人間と同じように組み込まれている。それは、生命の危機を(しら)せる重要な機能だから。だから潤々は、そのあまりの苦痛に悲鳴を漏らした。

「……あぁッ…………!」

 その黒い一撃に、潤々の身体(からだ)は容易く宙を舞った。津波を防ぎ切り、さらには海を割った黒い塊は、まったくの無傷だ。その黒いモノに守られて、男はやはり、微動すらしない。

 辺りで、波の引く音が聞こえる。海は大地に降り注ぎ、空気中に溶け込んでいた水は大地に染み込むか、あるいは大気に戻っていく。魔術によって造られた水は、潤々との繋がりが切れた瞬間、魔力に戻って消失する。

「潤々…………ッ!」

 栖鳳楼の叫びが、ただ虚しく異界に響き、すぐに消える。その空虚を嘲笑うかのように、男は呵々と声を上げる。

「いい(テク)を持っているではないか。期待はずれにならなくて良かったよ」

 撃墜した相手に向けて、男はあっさりと言ってのける。まるで、まだ勝負は始まってすらいないと語るように。

 霧は晴れ、潤々の横たわる姿は何物にも阻まれることなく、曝されている。まるで反応を示さない彼女に向けて、男は一つ、鼻で嗤った。

「おいおい、前戯が終わっただけだぞ。インターバルを挟むにはまだ早すぎる。さっさと本番――、お娯しみに移ろうか」

 そう、愉悦に口元を歪める。

 果たして、潤々はゆるりと立ち上がる。満身創痍、という表現がぴたりと当てはまるであろう。ただの一撃で、潤々はすでに立っているのも辛いのか、姿勢は安定しない。それでも、潤々は男に応えるように立ち上がった。だが、その虚ろな瞳が男の姿を捉えているかは、わからない。


「潤々…………」

 栖鳳楼はただ、呟きを漏らす。

 なんとか立ち上がった潤々だが、まさしく、立っているのもやっとの状態だろう。遠目に見る栖鳳楼からも、そんな印象を受ける。

 ――だが。

 栖鳳楼はより致命的な理由で、言葉を失っていた。

 潤々の帽子が、外れた――。

 彼女がいつも被っていた猫のような帽子は、男の一撃によって宙に舞った。その帽子は、潤々からも栖鳳楼からも遠い位置に落ちている。

 帽子に隠れていたものが、いま栖鳳楼の視界にある。

 ――金の髪と。

 そして。

 鹿のような、二本の角――。

 その、人とは明らかに違う姿を目にしても、しかし栖鳳楼は驚かない。栖鳳楼とて、潤々のこんな姿は初めて見た。だが、栖鳳楼家当主として、自身の半身たる式神がどういう存在なのか、知らないはずもない。

 潤々は、式神。

 本来望まれた姿(カタチ)は人ではなく、それは、より神聖なモノ。

 それは、魔術師たちを支配する恐怖の存在ではない。その姿を見た者は全て、たちどころに膝をつき、自然と叩頭するような、そんな畏怖の象徴。

 絶対の強者であり、その神々しさに誰もが尊崇の念を(いだ)く。

 それが、栖鳳楼の式に求められたもの。――いや、託された願い。

 ――ゆえに。

 人々はその存在を〝神獣〟と呼ぶ――。

 栖鳳楼は改めて決意し、潤々を凝視する。

 ……潤々。

 心中でその名を呼び、栖鳳楼はその口上を唱え上げる。

「我が式に命じる――」

 潤々はぴたりと静止する。

 彼女は単に、ダメージを受けただけの理由でふらついていたのではない。唐突に溢れた自身の魔力を持て余し、制御できなかったからだ。

 潤々の帽子は、ただの飾りではない。もちろん、人には存在しえない角を隠す意味もあったが、その真意は別のところにある。

 潤々は、千年を生きる式神だ。蓄積された魔力と術式は、すでに人の姿(カタチ)では保てない。ゆえに、潤々は本来の力のほとんどを封印し、日々の容姿を保っている。

 その封印の役割を果たしていたのが、彼女の帽子。もはや隠すことのできない、彼女本来の力の象徴たる角を直接封じていたモノ。ゆえにその帽子は本来、そう簡単に外れるものではない。

 ――それが。

 いま、解き放たれる――。

 最後の封印を取り除くため、栖鳳楼はさらに声を張り上げる。

(なんじ)の身は我が(もと)にあり、その誓約に従い、我が声に応えよ」

 栖鳳楼礼は栖鳳楼家当主であり、式神の潤々は当主に忠誠を誓う。その繋がりは、次の当主が立つまで、決して切れることはない。

「我、栖鳳楼が式。この身は永久(とわ)に、汝に捧ぐ」

 潤々の声が、確かに栖鳳楼の声に応じる。それは、潤々が栖鳳楼と結んだ契約の言葉。その言葉が生きている限り、潤々は栖鳳楼の命に従う。

「汝を縛る戒めを取り払う。()の力を(ことごと)く解き放ち、我がために尽くせ」

 潤々の身体(からだ)から、魔力が立ち上る。混沌と暴れていた魔力が、ついに一つの意思となって束ねられる。その気配は、一つの大いなる流れ。潤々の周囲を渦巻く魔力は、天まで届けと、その高さと濃さを増していく。

「――汝、水を司る者。真の姿をもって、我が求めに応えよ。栖鳳楼が式、潤々。青龍よ――――!」

 その膨大な魔力が、千年の年月をかけて蓄積し、極点に至った術式と融合する。

 その大魔術の余波に、異界に嵐が満ちる。(ゴオ)、と吹き荒れる風に、破砕されたコンクリート片が巻き上げられる。渦の中心は、呑み込んだ瓦礫と水滴のために窺い知ることはできない。しかし、その渦のあまりに巨大なこと。民家はおろか、一〇階分のビルに相当する大きさだろうか。

 栖鳳楼も男も、ただその渦の中心を凝視していた。栖鳳楼は強い意思を込めて、男は期待するような情欲を抑えもせず。

 嵐は、唐突に終わりを告げる。

 それは、新たな幕が開いたことの(きざ)し。

「――――」

 その神々しい姿に、栖鳳楼は忘我のままに彼女を見上げた。

 真紅の異界に浮かぶ、それは晴天の青。皮膚は大蛇の鱗で覆われ、だがその胴周りは大樹にも匹敵しよう。全長は一〇階相当のビルにも負けず劣らず、それが遥か頭上から男を見下ろしている。その瞳は、薄い(アオ)猛禽(もうきん)のように細い瞳孔は、ただ獲物を見据えている。

 その青い龍に絡みつくように、水流が浮かぶ。その二重螺旋はまるで、自身の似姿を従えているかのよう。

 その畏怖すべき存在を目にしてなお、男は傲然(ごうぜん)と笑みを返す。口元を喜色に歪め、瞳はただ悦を求める。

「改めて、問う。――貴様は狗か、女か、それとも化物か?」


 青龍が咆哮を上げる。大気が震え、ビリビリと空気中を漂う水滴が音を立てる。

 男はその肌の上の震えを感じる。しかし、恐怖は感じない。代わりに、淡い昂揚が競り上がってくるだけ。

 男は少しだけ目を見開く。それは驚愕ではなく、愉悦。濡れた唇は相変わらず喜色に歪み、絶頂の瞬間が訪れるのを待ちわびる。

 青龍が口を閉じる。膨張していた空気が、途端に(しぼ)んだよう。辺りは、真空に突き落とされたように、一瞬の静寂。

「アアアアアアアアァァァァッ!」

 再度、青龍の口が開かれる。その咆哮に応えるように、青龍にまとわりついていた水流の塊が地上の男に向かって突進する。その圧倒的な質量、そして絶対の速度に、(ゴオ)、と大気が(うな)り声を上げる。

 男の右腕から、黒い濁流が溢れる。濁流と水流が衝突し、お互いの力は拮抗して止まる。鼻で嗤う男は、しかしその次の一手を目にして、口笛を吹く。

 青龍本体が、水流に続く。水流だけでも、それは人や建物を平然と呑み込む津波だ。青龍が水流と融合し、その勢いは加速する。それはすでに、山をも押し流してしまいそうな、超常の領域。

「……ッ」

 男の愉悦が高まる。男の左腕からも、黒い汚濁が溢れた。巨大な翼を畳むように二つの濁流は融合し、その常軌を逸脱した津波を防ぐ。

 大気が震撼する。その破滅的な水流と、青龍の咆哮。

 だが、黒い濁流を突き破ることは叶わない。衝撃を受けている面は波打つように揺らいでいるが、男が立つ領域までは踏み込めていない。

 黒い塊が、一層波打つ。しかし、それは青龍の攻撃に押されているからではない。排水溝に汚水が吸い込まれるように、濁流はその渦の中心に集まる。堆積した泥は、直後、一条の槍と化して青龍の眉間を狙う。

 大気がうねる。高い水圧を誇っていた水流が一瞬で破裂し、周囲はスコールが直撃したように水浸しになる。

 青龍はギリギリのところで黒い槍をかわす。体勢を低くし、槍の下に体を潜り込ませる。青龍はぐるりと汚濁の膜を周り込み、そして男の背面へと回り込む。

「アアアアァァッ!」

 開口と同時に、水流の弾丸が放たれる。ガラ空きの背中に、今度こそ命中するかに見えた。男の両の腕は、いま完全に塞がれているのだから。

「ハッ、温い!」

 しかし、男の歪んだ笑みは少しも崩れない。

 ドォン、という強い衝突音。その余波は、しかし男の背面一〇メートルより内側には届かない。

 男の背中からも、あの黒い濁流が溢れ、彼を守った。まるで、隙なんてありはしない。男は自身の身体(からだ)のどこからでも、その奇怪な黒い塊を吐き出せるのだろう。

 一瞬速く、青龍はその長い胴体をくねらせながら回避に移る。男の背後から溢れた濁流はそのまま槍状になり、青龍を襲う。が、あとわずかのところで狙いを外した。

「おいおい、もうギブなんて言うなよ」

 青龍が距離を置く様を肩越しで見ながら、男は口元をさらに歪に吊り上げる。その視線は底抜けに淫靡で、情欲の(ただ)れを隠しもしない。

「まだ腰を引くには早い。もっと乱れた姿を、この俺に見せてみろッ」

 男をただ守っていただけの濁流が、突如牙を剥く。濁流の膜は厚みのある刃となり、その剣は瞬時に百近くまで数を増やし、青龍に襲いかかる。

 高い、鋭い悲鳴が異界に響き渡る。

 青龍とて距離を離してかわそうと試みたが、その黒い刃はあまりに早く、そして的確に青い胴体を切り刻む。

 それ以上の傷を避けようと、青龍は自身の身体(からだ)に水流をまとう。水流のあまりの速さに、黒い刃は流され、最後まで青龍の肉体まで入り込むことができない。

 さらに、青龍は水の魔力に術式を投じる。その求めに応じるように、(ゴオ)、という唸りとともに大魔術が出現する。

 大地が鳴動する。

 波打つように、ひび割れたコンクリートが悲鳴を上げる。

 直後、路面から天に向かって雨が降る。まるでスコールのようなその豪雨に、男は足元から張り出した黒い幕を傘にして自身を守る。

「ほォ……」

 空を見上げ、男は感嘆の息を漏らす。

 まるで、天地が逆転したかのような光景。男が見上げるそこでは、海が揺れている。

 だが、空ばかりではない。すでに、男の周囲をぐるりと海が取り囲み、硝子越しに海底を透かし見ているかのように錯覚する。

 ――しかし。

 そんな余裕など、青龍は与えない。

 海原(うなばら)が、男を圧搾する――。

 全方位から、意思を持った水が男を襲う。頭上から、前方、後方、左右はもちろん、男の足場になっているコンクリートも、溢れた水で震えている。

 半径百メートルもあろうか、その水の球体は、しかし次の瞬間、その半径を一〇分の一にまで縮める。それだけの圧力をかけられて、今度こそ男は無事なものか。その極限まで達した収縮に、周囲の空気が巻き込まれて嵐を引き起こす。これ以上ないほどに、コンクリート塊が崩れ、粉々になっていく。

 その球体の周囲から、青龍は容赦なく圧を加える。とぐろを巻くように内へ内へと水の塊を締め上げ、さらにそこに魔力と術式を投じる。溺死するまでもなく、(なか)生命(いのち)など、圧死してしまう。砕かれた残骸は、もはや原形すら残さない。

 ――そのはずだった。

 黒い槍が、青龍を串刺しにする。まるで鋼でできたウニを握りしめてしまったように、青龍の胴から無数の棘が突き出ている。

 青龍は悲鳴を上げる。が、その悲鳴は長くは続かない。

「――()くのなら、もっといい声で啼けよ」

 一振りの刃が、青龍の(あご)を貫く。さらに喉を、そして真横から頭蓋を。計、三本の黒い刃が、青龍の悲鳴を封殺する。

 海が弾けた。水風船が破裂したように、(なか)の水が溢れ出す。ほとんどは魔術によって構築されたモノらしく、溢れるそばから消失した。だが、残りの一割ていどは大地に向けてぶちまけられた。男は黒い幕を傘にして、濡れることはない。……加えて、男は終始、一歩足りと動いていない。

 青龍の口から、傷口から、青い液体が決壊したように溢れ出た。青龍の鱗の色よりもさらに濃い青。だが、その液体を浴びたコンクリートは少しも変色しない。まるで水のように、その青い血は流れて消えていく。

 青い血を全て吐き出したように、青龍の姿は消え、代わりに潤々が黒い刃に貫かれ、宙に掲げられている。

「…………ぁ……っ……」

 ずぶ濡れの潤々は弱々しく呻いて、しかしそれ以上の動きはない。痙攣(けいれん)したように両腕が震えている。まるで何かを求めるように、しかし彼女の手は虚空さえ掴めない。

「もうイったか――」

 ぶん、と刃が振られ、潤々の身体(からだ)はあっさりとコンクリートの上に投げ出される。受け身も取ることなく、彼女は路面に転がった。

 しばし男は潤々が立ち上がるのを待ったが、まるで動く気配がないために興味を失い、次の獲物へと淫靡な視線を向ける。


 栖鳳楼は事態を把握することに努めていた。しかし、その光景は栖鳳楼の許容できる範囲から逸脱していた。

 ――潤々が、(やら)れた?

 潤々との付き合いは、栖鳳楼がまだ小学生になったばかりの頃から続いている。それは、栖鳳楼が次期当主に決まり、魔術師たちを粛清していた頃から、ずっと。

 だから、栖鳳楼は潤々の実力を知っている。まだ栖鳳楼が幼い頃から魔術師の闘争に駆り出され、それでもなお生き残っているのは、一重(ひとえ)に潤々のおかげだ。

 戦う者としてまだまだ未熟な栖鳳楼を、何度潤々が救ったことか。潤々とともにいたからこそ、栖鳳楼は常勝にして不敗だった。

 その、自身の半身が――。

 栖鳳楼の動揺は、しかし長くは続かない。その不愉快な視線を肌で感じ、栖鳳楼は即座に意識を切り替える。

 艶めいた、肌を舐め回すような悪寒を誘う声が、栖鳳楼の鼓膜を不快に揺らす。

「――で、貴様はヤれるのか?」

 対峙は、しかしその刹那だけだった。

 黒い汚濁が、翼を広げたように展開される。その様は、コウモリが飛び立つ瞬間を想像させる。

 その翼の表面から、何百もの槍が栖鳳楼に向かって突き出される。

「……ッ」

 栖鳳楼は自身の内の魔力の流れを急加速させ、男に向かって駆け出した。途中、何度も黒い槍に阻まれたが、栖鳳楼はその隙間を縫って前進を続ける。

 ――ダンッ。

 と。

 栖鳳楼は跳躍する。真正面から、男の顔面に向けて蹴りを放つ。

 ――ギンッ。

 と。

 黒い盾が栖鳳楼の攻撃を阻む。

 栖鳳楼はその盾に足の甲を引っ掛けて、強引に体を男の背後へとねじ込む。その勢いのままに、男の後頭部めがけて再度蹴りを放つ。

 ――ギンッ。

 男の背面から生じた盾が、再び男を守る。

「……!」

 蹴り抜きの反動を利用して、栖鳳楼は男との距離を置く。が、その刹那を見逃す相手ではない。黒い翼の背面から無数の槍が伸びてきて、栖鳳楼を襲う。

「っ……!」

 舌打ちを漏らしつつ、栖鳳楼は右に左に跳んで回避する。距離を離したところで無意味だと察し、栖鳳楼は回り込むように男の左側面へと移動する。そして、男の真横に正確に立つと、方向を変えて男に向かって突進する。男が放った槍は、そのあまりの速さに追いつけず、路面を穿(うが)つ。

 栖鳳楼は、魔力の流れを利用して肉体を操作する。その延長で、あとは術式を投じるだけで魔術に繋げる。長年、魔術師たちと死闘を繰り広げてきた栖鳳楼にとって、そこにはどんな隙も遅れも生まない。

 ――ダンッ。

 と。

 栖鳳楼は強く地面を蹴る。男までの三メートルの距離を、栖鳳楼は跳躍をもって詰める。

 黒い盾が男を守るのを、栖鳳楼は先読みする。もう何度もその様を見ているのだ、栖鳳楼が見誤るはずもない。

 栖鳳楼は左手を伸ばす。左腕にかけた魔術によって、彼女の左手は黒い汚濁の中に潜り込む。そこに、重ねて魔力を投じることで、栖鳳楼は強引に盾の守りを引き剥がす。

 ぐん、と。盾を剥いだ力を利用して、男までの距離をさらに詰める。右の拳は、すでに魔術の一撃を放つために控えている。

 栖鳳楼は即座に男の姿を把握する。左腕には黒い塊がまとわりついているが、しかし盾のような硬質さはない。このまま強引に一撃を捻じ込もうと、栖鳳楼はかまわず右の拳を突き入れた。

 ――ドォン。

 と。

 確かな手応え。

 盾に阻まれたわけではない。人の腕の柔らかさと、骨のように硬い感触。

 ――決まった。

 と。

 栖鳳楼はさらに術式を投じようとして――。

 黒い濁流が栖鳳楼を取り囲む。

 栖鳳楼は慌てて回避に移ろうとするが、間に合わない。

 黒い縄が栖鳳楼を縛り上げ、その上から巨大な腕のような黒い塊が彼女を締め上げる。ぎり、と強く握りしめられ、栖鳳楼は身動きを奪われる。

「――浅いな」

 その不快な音が、かすかに聞こえる。あまりの圧迫に視界は霞み、意識を保つのも、そう長くは()ちそうにない。

「俺を貫こうとするなら、もっと深く突かないとな。……まあ、その努力は誉めてやる。あの狗よりは、ずっと娯しめそうだ」

 ぎりぎり、と圧迫はさらに強くなる。堪らず、栖鳳楼は悲鳴を漏らすが、その声すら、もう栖鳳楼の耳には届かない。

「いい声だ。それに、その眼もいい。もうイきそうなギリギリだっていうのに、なお、そんな眼を俺に向けてくる。本当に、これで(しま)いにするには惜しい女だよ、貴様は」

 一段と、圧力が強くなる。途端、霞んだ視界が暗転する。ふつりと、意識が切れたように全てが遠のく。その失墜する意識の中で、栖鳳楼は最後にその音を聴く。

「――またいつか、次は最後までヤろうか」


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