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第一章 神隠し

 目を開けてぼんやりと天井を見上げる。まだ目覚ましの音が聞こえない。しばらくぼうっとしてから、枕元の目覚ましを掴む。目覚ましを見るとアラームまで後一分を切っていて、秒数まで確認すると後一秒だった。

 目の前で目覚ましが鳴り響き、夏弥(かや)は慌てて目覚ましを止めた。音を止めた目覚ましを元の位置に置いて、不意打ちから立ち直るために頭を振った。

「……よし」

 夏弥は起き上がり、カーテンを開けた。日が長くなったせいか、外はすでに昼間のように明るい。

 つい数日前に八月に入り、夏の猛暑は日増しに強くなっていく。朝だからまだいいが、正午を過ぎれば外を出歩くのも躊躇(ためら)ってしまう。

 夏弥は私服に着替える。夏休みでも、夏弥が起きる時間は変わらない。学校があるときの平日と同じように下に降り、朝食の準備を始める。今日の雪火(ゆきび)家の朝食、鮭のホイル焼きにアスパラとベーコンの炒め物、コンソメスープと白米。できあがった料理をテーブルに載せて、夏弥は隣の客室に向かって声をかける。

「ローズ。朝飯できたぞ」

「わかった。もう少しでそちらへ行く」

 夏弥はフライパンなどの洗い物を済ませ、玄関で新聞を取る。夏弥が自分の定位置に座るのとほぼ等しく、客室の(ふすま)が開いた。

「待たせた。……今朝もいい香りだ」

 居間に姿を現したローズの恰好は、赤と黒のチェックのプリーツスカートに、ノースリーブの白いシャツ。銀の髪を揺らしながら、ローズは自分の席に着く。

「いただきます」

「いただく」

 二人で食事の挨拶を交わし、目の前の料理へと(はし)を伸ばす。

 まるで当たり前のようなこの光景も、二カ月前にはなかった。夏弥が寝起きするここ雪火家は、しばらく夏弥一人しか住んでいなかった。夏弥にとって親と呼べるのは、夏弥を拾った雪火玄果(げんか)ただ一人。本当の両親が誰で、その両親がいまどうしているのか、夏弥は知らない。

 八年前、ここ白見(しらみ)町の近くにあった海原(あまはら)という町が地図の上から消えた。大規模な災害により、町の人のほとんどが行方不明となった。その海原の町で、夏弥はほとんど唯一の生き残りだ。何もかもを失った夏弥を、どういう経緯があったのかは知らないが、玄果が拾ってくれた。

 その玄果も、夏弥が中学に上がる前に亡くなった。以降、夏弥は一人では広すぎるこの家で暮らしている。生活費は、玄果が残してくれたものや知り合いからの援助で(まかな)っている。玄果と暮らしていた頃から家の手伝いは頻繁にしていたから、高校生になっても夏弥は一人で十分に生活ができている。

 そんな夏弥が、ローズと一緒に生活するようになったのは二カ月ほど前。夏弥がある戦いに関わるようになってからだ。

 その戦いは、楽園(エデン)争奪戦と呼ばれている。楽園(エデン)に選ばれた六人の魔術師たちが、互いの技の全てを()して優劣を競う。最後まで勝ち残った一人にのみ、楽園(エデン)へと到る鍵が与えられる。

 魔術は科学の発展よりも以前に存在していた。その魔術が科学に変わってしまったのは、ひとえに、科学の安定性によるところが大きい。魔術も科学同様、理論だった学問ではあるが、その効能は個人によるところが大きく、誰でも同じ結果、そして常に同じ効果、というものが科学よりは期待できない。

 それでも、魔術師という人種は存在する。魔術師は代々、研究と実践を積み重ね、一つの成果を生み出すたびに次代へと引き継いでいく。そのため、魔術師は家の名を重視する。そのせいか、魔術師同士の決闘ともなると、敗北は家の名に傷をつけると考え、死を望む傾向が強い。

 そんな魔術師たちがもっとも熱心に取り組んでいるのが、世界の起源への到達だ。

 この世界はどこから生まれ、そしてどこへ向かうのか。この世の全て、全知全能を得るために、世界の起源を目指す。あるいは、世界の起源が全知全能と同義なのかもしれない。

 魔術師の間では、楽園(エデン)は世界に最も近い場所とされている。世界、すなわち世界の起源、真理へと到る可能性が、つまりは楽園(エデン)だ。

 ローズは、その楽園(エデン)の一部から現れた存在。その存在は人ではなく、魔術師には式神という名で知られている。それは魔術師によって作られた存在であり、魔術という在り様に特化した存在だ。見た目は人間と変わりなくても、中身は人のものとは異なり、腕を失おうが、頭が吹き飛ぼうが、十分な魔力さえあればたちどころに再生し、人間なんかよりもずっと魔術に適した構造を持っている。

 普通は、魔力さえ十分にあれば存在できる肉体(からだ)だから、食事なんてものはそもそも必要ない。必要ないのだが、夏弥は魔術師として未熟であるがゆえに、ローズへの魔力供給が十分に行えない。それを補うために、ローズは少女という外見にも関わらず、高校生の夏弥なんかよりもずっと量を食べる。

 食卓に並ぶ料理の量は、二人分にしてはかなり多め。そのほとんどを平らげているのは、男の夏弥ではなく、向かいに座る少女だ。それぞれに用意された鮭のホイル焼きは残りわずかとなり、共通のアスパラとベーコンの炒め物の半分以上をローズが持っていく。ご飯のおかわりをしやすくするために、炊飯器は彼女のすぐ傍に置かれている。

 一方の夏弥は、もちろんそんな高速の勝負に対抗する気はない。自分のペースで食事を進めながら、新聞紙に目を通す。

「どうした、夏弥。新聞に何か気になるものでもあるのか?」

 ローズが気づいて、夏弥に声をかける。ああ、と夏弥は新聞に目を落としたままに答える。

「また、行方不明者が出た、って」

「――神隠し、か」

 ああ、と夏弥は再度、乾いた声で返す。

 夏弥が住む白見の町では、奇妙な事件が起きている。夜、人が消えるのだ。ただ消えるだけならそう異常なことではないが、現場にはバッグや財布、消えた人間が身に着けていたであろう衣類まで落ちている。

 その異常性から、白見の住人には神隠しという名で知られている事件。二カ月ほど前から起こったこの事件は、しかし六月の終わりから七月の終わりの一カ月の間は新聞には載らなかった。犯人は見つからないままだが、このまま町に安息の日々が戻るのかと思われた。が、それも三日前に終わった。再び、神隠しが起こり始めた。しかも、毎日一人は犠牲者が出ている。今朝に報道された分も含めると、一週間の内にすでに四人もの人たちが姿を消している。

 いまは八月、夏休みの盛りだというのに、この町の空気はどこか凍っている。夜中に人通りがないのはもちろん、日中も不自然な静けさがある。白見に暮らす人々の多くは、観光ももちろんだが、それ以上に避難という意味で、この町から出ているのだろう。

 しかし、夏弥は町から出ない。出るわけには、いかない。夏弥は、楽園(エデン)争奪戦の参加者だ。その戦いは、まさしくこの白見の町が舞台。途中で逃げ出すわけにはいかない。

 ――それに。

 楽園(エデン)争奪戦に関わる者たちの中では、参加者の誰かが神隠しの犯人だと考えられている。楽園(エデン)争奪戦は、魔術師最高峰の戦いだ。魔術を使うためには、それ相応の魔力が必要となる。普段の食事や鍛錬(たんれん)でも魔力を上げることができるが、より簡単な方法が、人から直接奪うことだ。しかも、魂をすり減らしてまで魔力を得るならば、それは膨大な量になる。ゆえに、楽園(エデン)争奪戦で優勝したいと切に願う者の中には、そういった非道に走る者もいるということ。

 そんな楽園(エデン)争奪戦も、いよいよ最終決戦。残るは夏弥と、まだ名前はおろか姿さえ見せない最後の一人。夏弥は、自分がそんな人殺しのような真似をしていないということを、よく知っている。

 ――なら。

 神隠しの犯人は、最後の神託者。

 俺が最後まで勝ち残るしかない――。

 それが、夏弥の決意。死闘を前にしておきながら、夏弥には自分の死に対する恐怖は、あまりない。それ以上に、無関係な人々が理不尽に死んでいくことのほうが、夏弥には耐えがたい。

「早く、決着をつけないとな」

 夏弥は新聞を置き、自然とその決意を口にする。それは、夏弥の中ではもう決まりきったこと。

 二カ月より前、楽園(エデン)争奪戦に参加するまでは、自分が魔術師だということさえ知らなかった夏弥。それが、この非日常の世界に巻き込まれてから、夏弥は確かに、戦いを前にした戦士だ。夏弥の、夏弥自身の決意のために、夏弥は最後の戦いに向けて日々、意識を研ぎ澄ましている。

「そうだな」

 ローズもまた、自然と頷く。二人がともに過ごした時間なんて、二カ月ほどしかない。この戦いにおける二人の意味なんて、魔術師と式神、主人と従者マスター・アンド・サーバントでしかない。けれど、夏弥にはそんなふうには、とても思えない。信頼、なんて言葉だとまだ物足りない気はするけれど、いまの夏弥にとっては、それでも十分だった。


 夏弥は一杯、ローズは四杯を食べ、食卓に並べた三人分のおかずでは少々足りなくなり、昼のためにとっておこうとした分も出す羽目になった。そんな朝食も終わり、夏弥は片付けた食器を水に浸けてからお茶の準備をする。冷やしたぶどうとともにテーブルに並べ、ローズとともに食後の時間を過ごす。

 ゆったりとした食後の時間も、しかし突然の来訪者によってかき乱される。

「はーい」

 チャイムの音に引きずられて、夏弥は玄関へと向かう。雪火家の玄関はすり硝子(がらす)なので、誰が来たかまではわからないが、ぼやけた姿だけで誰かが外にいるのだということはわかる。

「いま開けるよ」

 二度目のチャイムに、夏弥は反射的に声を返す。姿がはっきりと見えなくても、こんな早朝に雪火家を訪れる人間を、夏弥は一人しか知らない。

「おっはよー。夏弥」

 扉を引くと、予想通りの人間が夏弥に向かって手を振った。風上美琴(かざかみみこと)、夏弥が通う丘ノ上高校の教師で、夏弥の担任。別に、夏休み中にわざわざ家庭訪問しに来た、というわけではない。もっと純粋に、ご飯をたかりに来たのだ。

 そもそも美琴が教師になったのは、教師だった雪火玄果への憧れによるものだ。そのせいか、夏弥が小さい頃から美琴は雪火家に遊びに来ている。

 さらに言うなら、美琴は学校ではできる女、かっこいい英語教師だが、私生活については大分手抜きだ。できる料理はカップ麺がメインで、洗濯も掃除も滅多にしない。学校へ着ていくスーツはクリーニングに出しているから生徒たちにボロは出さないが、夏弥などはたまに美琴の部屋に行くと無性に掃除をしたくなる。

 そんな美琴が、こうして雪火家に食事を取りにくるのは、もはや習慣の域だ。夏休みでは毎日といっていい。

 美琴は目を閉じて、鼻を鳴らす。その顔が、実に幸せそうに緩む。

「今日もいい匂いだぁ」

 美琴は夏弥なんかよりも先に玄関を上がり、慣れた足取りで台所へ向かう。夏弥が台所へ向かったときには、すでにご飯とコンソメスープを茶碗によそい、お盆の上に載せていた。

「すぐにおかずも持って行くから」

「サンキュー」

 美琴が居間のほうへと消えてから、夏弥は鮭のホイル焼きの準備に取り掛かる。アスパラとベーコンの炒めものも、美琴の分を見越してちゃんと準備してある。

 追加のおかずを居間へ運ぶと、美琴はおあずけを許された犬のようにご飯をかき込み始めた。

「時間、大丈夫なの?」

 夏弥たち高校生は夏休みでも、教師である美琴は学校に行かないといけない。休み中だから普段の平日よりは遅くてもいいらしいが、今日の美琴はそれを考えても幾分遅れ気味だ。

 美琴はコンソメスープで無理矢理ご飯を飲み込んでから口を開く。

「まだまだ、このくらいじゃ大丈夫よー」

 すぐに食事を再開する。少なくとも、ゆっくり食事をするだけの余裕はないらしい。慌ただしい美琴の前でゆっくりお茶を飲む気は湧かないから、夏弥はぶどうに手を伸ばしながらからかい半分で訊いてみた。

「今日も部活?」

 夏休みの学校には、運動部の生徒たちが部活動に励んでいるらしい。夏弥は美術部で、夏の練習とか合宿なんてものはないから、美琴から聞いた話でしか知らない。

 美琴はかなり運動ができるほうで、まだ若いのに剣道五段という実力者。もちろん、剣道部の顧問で、急な仕事さえなければ一日中、生徒たちに交じって竹刀(しない)を振っていてもかまわない。

 ううん、と美琴は首を横に振る。

「今日から部活動は、当分お休み。昨日急に決まってね。夜になってたから、そこから急いで部活の子たちに連絡よ」

 いやー大変だった、と美琴は簡単に笑う。

 それも、当然だろう。町では、再び神隠しなんて事件が起きている。生徒たちの安全を考えるなら、学校側の対応は至極全うだ。

「でも、美琴姉さんは学校に行くんだ?」

 うん、と美琴は口のものを飲み込んでからまた口を開く。

「間違えて来ちゃう子がいるかもだからねー。三日くらいは、学校行くかな。その後は、他の先生たちとの話し合いによる。いま物騒だからね。個人的には、学校閉鎖まではしたくないけど、でも、万が一が起こったら、シャレになんないし」

 鮭を口に放り込み、最後のアスパラをかき込み、口の中のもの全てをコンソメスープで流し終えてから、美琴はこう締めくくった。

「というわけだから夏弥。夜に買い物なんてしちゃダメよ。買い物は陽が出ている間に済ませておきなさい」

「……その心配の仕方って、どうなの?」

 まあいいじゃん、と美琴は何事もなかったかのように笑う。

「じゃあ、行ってくるね」

 ぶどうを何粒か手に取って、美琴は足早に玄関へと向かう。夏弥も慌てて、美琴の後を追う。すでに扉の向こうへ出かけた美琴に、夏弥はここ最近の習慣通りに手を振る。

「行ってらっしゃい」

 口にぶどうをくわえながら、美琴も笑顔で手を振り返す。美琴の姿が見えなくなって、夏弥は扉を閉めた。

「……いろいろ、大変だな」

 表面的には、それはいつもの日常と変わらない。けれど、その裏に潜んでいる異常を、夏弥は知っている。

 よし、なんて一人で気合いを入れ直しながら、夏弥は居間へと戻る。そこにはローズが静かにお茶を飲んでいる。ティーカップに緑茶というミスマッチも、いつものこと。

 夏弥は美琴が食べ終わった食器をお盆に載せて、立ち上がる。ふいに柱時計に目が行った。美琴がいた時間は、たった五分。

「…………いくらなんでも早すぎだろ」


 食後のお茶の時間を終え、食器洗いを済ませて、夏弥はローズと一緒に外へ出る。夏弥が出かけると行ったら、自然、ローズもついてきた。

 ローズと外に出るという行為は、夏弥にとってある種の決断を()いる。夏弥は高校生だ、隣にいるローズは夏弥と同じくらいか、あるいは少し年上くらいの少女。髪は根元から先まで完璧な銀髪、瞳は薄い金、パッと見て外人のような彼女は、驚くくらい美人だ。もしも学校の知り合いになんてあったら、なんて説明すればいいだろうか。

 彼女、なんて大っぴらに口にできるほど、夏弥は度胸などない。だからといって、彼女は式神で、なんてことも、当然のように言えるわけがない。

 そういう諸々(もろもろ)の理由から、夏弥は彼女と出かけるときに、一瞬戸惑いを覚える。だが、今回の行き先はそういう事情を了承済みで、説明など不要な相手だから、夏弥も彼女の同伴に快く頷いた。

「――で、(あや)のところに何しに行くのだ?」

 彼女らしいボーイッシュな声が夏弥にかけられる。

「神隠しのことについて。栖鳳楼(せいほうろう)なら、何か知っているかもしれないから」

 栖鳳楼は夏弥と同じく丘ノ上高校に通う女子生徒だ。一学期の期末では学年トップの成績を出し、家はここ白見の町でもトップと言っても間違いがないほどの大豪邸。なにせ、膨大な敷地の中に雪火家くらい、あるいはそれ以上の屋敷を五つ近く抱えているのだ。それぞれの屋敷には毎日手入れの行き届いた庭が用意され、普通の高校生が暮らす場所ではない。

 そんな、明らかに不釣り合いな相手の元へ夏弥が向かうのは、魔術の関係で彼女に世話になっているからだ。

 栖鳳楼家は、魔術師の間では血族(けつぞく)と呼ばれている。簡単に言えば、ここ白見の町の全ての魔術師を管理・監視する存在のこと。

 魔術師とは代々その知識を受け継ぐ特性上、家に縛られる。家の名がわかれば、その魔術師がどういう魔術に突出しているのかすぐにわかる。栖鳳楼に語らせれば、きっとこの町の全ての魔術師の名前とその特徴がわかるだろう。

 魔術は、科学が表に出てからはすっかり聞かれなくなったが、現代においても存在はしている。魔術の家系は、栖鳳楼家のように歴史の古い家が多く、血族になればこの町の裏の支配者と言っても過言ではない。だから、この町のことを訊くなら栖鳳楼が一番いい。特に、魔術師関係の事件なら、栖鳳楼の専門分野だ。

 魔術師を管理・監視するとは、その実、問題を起こした魔術師を素早く処分し、問題そのものが世間に知られないように隠蔽(いんぺい)して周るということに他ならない。

 魔術師の間で特に禁じられていることが、一般人に対する魔術の行使。以前の夏弥がそうであったように、普通の人が魔術の存在を知らないのは、そのためだ。もっとも、雪火家は実際には魔術の家系だということが、楽園(エデン)争奪戦に巻き込まれてから夏弥も知った。

 今回の神隠しは、まさしくその禁忌に触れる。魔術なんてものとは縁も所縁(ゆかり)もない人々を襲い、その人たちから魔力を奪っているのだから。

 ふむ、とローズは思案するように口元に右手を当てる。

「礼に、か。どうだろう……」

「なんで?栖鳳楼が一番知ってるはずだろう」

 ローズはただ首を横に振る。

「なんとなくだがな。すでに礼の手に負える範囲から逸脱しているのだろう。そもそも、血族が万全であるなら、世間に報道されることすらないはずだ」

「そう言われると……」

 確かに、と頷けてしまう自分がいる。

 魔術のことは、世間に知られてはいけない。それでも、楽園(エデン)争奪戦のような大きな戦いになると、全てを隠蔽して周るのは難しい。実際、すでに二カ月近く続いているこの戦いによる被害は、神隠し以外にもすでに社会のほうに影響を出している。事後処理に奔走(ほんそう)する栖鳳楼の姿を思い出す。

 それでも――。

「――聞けば、何かが得られるかもしれない」

 夏弥の思考を読んだように、ローズが次の言葉を繋げる。ここ最近、二人の間には以心伝心なんてよくあることだから、夏弥も素直に頷きを返す。

「そういうこと」

 ただ止まって、家で新聞を眺めているよりはずっといい。いまの夏弥は、傍観者の位置にいない。ただ世の中の不幸や理不尽、不条理なんてものを嘆くだけでは、すまされない。

 夏弥が楽園(エデン)争奪戦で優勝すれば、神隠しなんてものは起こらない。夏弥しか、それを止められる存在はいない。なら、そんな夏弥が家でじっとしているなんて、おかしいだろう。可能性があるなら、夏弥はそれを求めに動く。

「なるほど」

 一つ、ローズが納得して頷く。お互い、もう了解がいったから、それ以上は語らずに、ただ目的の場所を目指した。

 栖鳳楼の家は、夏弥が通う丘ノ上高校から正面に上って行ったところにある。少し進むと私有地ばかりとなり、入り組んだ細い道が多い。それぞれの家が自分の色を主張し合い、綺麗だがどこか統一感のない雰囲気も、その場所に立つとそんな些細なことなど気にならなくなる。

 端から端まで塀で囲まれ、正面にはいつの時代からあるのだろうか、立派な門がそびえ立つ。チャイムだけは現代の香りが感じられるが、遠目に見たら時代錯誤なお屋敷でしかない。

 しばらく待つと、重い音を立てながら門が開く。

 ……そういえば。

 緊張しながら、夏弥は待つ。その感覚で、夏弥は思い出す。

 夏弥のほうから栖鳳楼の屋敷を訪れることなんて、今まで一度もなかった、と――。

 ほとんどが、栖鳳楼に呼ばれていくだけだ。だから、今日みたいにチャイムを押すことも、門がこんなに仰々しく開く様を眺めるのも、実は夏弥は初めてだ。

「……うわぁ」

 つい、そんな声が漏れる。

 こんなに緊張するのは、それはもっともだ。


 重い扉が完全に開き、中から出てきたのは一人の女性だった。右目の下の泣き黒子(ぼくろ)が印象的な彼女のことを、夏弥は知っている。

「いらっしゃい、夏弥くん」

「おはようございます、落葉(おちは)さん」

 栖鳳楼落葉は栖鳳楼礼のお姉さんで、大学生だ。以前、夏弥は栖鳳楼家に泊まり込んで、楽園(エデン)争奪戦のための特訓をしていたことがあり、そのときに度々お世話になった人だ。

「礼に御用かしら?」

 はい、と夏弥は頷く。落葉は思案するように下唇に右の人指し指を添える。

「うーん……。ちょっとね、いま礼のところにお客さんが来てるの。でも…………。うん、夏弥くんだったら、大丈夫だね」

 むしろ夏弥くんも一緒のほうが調度いいかな、なんて一人で納得する落葉。しかし、夏弥には何が大丈夫なのかさっぱりわからない。

 落葉に導かれるままに、夏弥とローズは栖鳳楼邸の中へと入る。外の門だけでも迫力があるのに、中に入ればまさしく別世界、という趣き。外の廊下を進んで、向かうのは栖鳳楼がいる本家の屋敷。最初に辿りついた屋敷は本家の屋敷ではなく、あくまで客人を迎えるための旅館のようなもの。そこから見えるのは隅々まで手の行き届いた見事な庭で、観光名所のどこかかと思ってしまうほど。

 そんな、雲の上の世界をたっぷり堪能してから、夏弥はようやく本家の屋敷に辿りついた。そこから栖鳳楼がいるという本家の間までまた時間をかけて歩き、夏弥たちは襖の前に立っている。

 落葉が薄く襖を開けて中に声をかけると、聞き覚えのある声が返ってきた。

「落葉ちゃん。あ、夏弥くんとローズさんも」

 桜色の着物を身につけ、頭には猫のような帽子というアンバランスな出で立ちの彼女は、その柔和な表情に相応しくとても愛らしい。彼女は潤々(うるる)といい、栖鳳楼家に古くから仕えている式神だ。栖鳳楼家の歴史が千年近くあるから、彼女の存在している年月もそのくらいになるのだろうか。潤々はそんな歴史を感じさせる厳粛めいた雰囲気などなく、むしろ柔和に笑って夏弥たちを迎えてくれる。

 落葉が潤々に対して二人のことを話す。

「二人が、礼に用がある、って。一緒でもかまわないかしら?」

「うん、大丈夫だよ。ねー、アーちゃん」

 潤々は中で座っている彼女へと振り返る。

「夏弥くんとローズさんが来てるけど、一緒でもいいよね」

 広大な本家の間、その奥に用意されたテーブルに栖鳳楼家当主、栖鳳楼礼が座っている。

「ええ、いいわ」

 潤々は頷いて、夏弥たちに道を開ける。

「さあ、どうぞどうぞ」

 夏弥とローズは潤々に案内されるままに中へと入る。二人をここまで案内してくれた落葉は、廊下のほうへと引っ込んでしまう。

「湯呑、二つ持ってきますね」

「お願いします」

 襖が閉まり、夏弥とローズは栖鳳楼のすぐ前まで来て止まる。

「おはよう、夏弥」

 栖鳳楼に声をかけられて、夏弥は生返事しか返せなかった。別段、当主という肩書に圧倒されているわけではない。栖鳳楼は夏弥と同じく高校生で、夏弥が一年三組、栖鳳楼が一年一組という違いしかない。加えて、楽園(エデン)争奪戦の関係で最近は話をすることも多く、むしろ気安い間柄と言える。

 ――それなのに、夏弥の言葉が詰まるわけ。

 その先客を見て、夏弥はもう一歩が踏み出せずに止まってしまう――。

 まるで意図せず、口から声が零れる。

「なんで、お前……?」

 夏弥が驚愕をもって眺めるのに対し、相手の少年は実に不快そうに口を曲げている。


 この辺りでは珍しく、さらにいえば夏休み中なのにも関わらず、その少年は学ランを身に着けていた。ボタンは全て外されて、シャツの上から羽織るように着ている。男なのに後ろで髪を束ねているその恰好で、夏弥が見間違えるわけがない。

「…………」

 声をかけられたにも関わらず、男は応えない。ただ、心底不快だというオーラばかりだして夏弥を見返すだけ。

「お前……」

 今度は意図して、夏弥は口を開く。

 対して。

「……………………」

 少年の反応は変わらない。その沈黙に違和感を覚えながらも、夏弥は今度こそ少年の名を呼ぶ。

路貴(ろき)……?」

 途端、路貴は大きく息を吐き出してから夏弥を見上げ直す。

「ああ、そうだよ」

 その不機嫌そうな視線は相変わらず。状況が理解できず、夏弥は突っ立ったまま路貴と栖鳳楼、そして路貴の隣に座っている小さな女の子へと順に目を向ける。

「なんで……?」

「それはあたしが説明してあげるから、まずは座ってちょうだい」

 栖鳳楼に促されて、夏弥はようやく座る。栖鳳楼を正面に、路貴のすぐ隣。その夏弥の隣に、ローズも腰を下ろす。改めて、夏弥は路貴と、その奥の少女に目を向ける。夏弥の困惑など無視して、栖鳳楼はさっさと口を開く。

「ちょうど話を始めようとしてたところだから、最初から話していいわね。名継(なつぎ)路貴と(きん)は、今日、あたしが呼んで来てもらったの。内容は、二人が白見で暮らすことについて。路貴には、王貴士(おうきし)からここで暮らすように言われたらしいけど、そのことについて改めて、栖鳳楼家の見解を言わしてもらう、ってのが趣旨」

 その説明で、夏弥はようやく事態を飲み込む。

 路貴はもともと、この町の人間ではない。そんな路貴がわざわざ白見の町にいるのは、ひとえに、楽園(エデン)争奪戦に参加するため。そして実際に、路貴は楽園(エデン)争奪戦に参加するための資格を得たわけだが、現在はその証たる刻印を失っている。ならば、路貴にはもう白見町に滞在する意味などない。

 それでも、路貴は自分の町に帰ろうとしない。家を見限る意味で飛び出してきたようなものだ、路貴本人はもとより帰るつもりなんてない。

 さらに、路貴には帰れない事情が発生した。それが、路貴の隣にいる金だ。金の身には、路貴の実家である名継家の秘術が施されていた。それは、魔術師たちの目指す世界の起源へ到達するための、強力な呪詛。その呪詛を、路貴は彼女の命を助けるために解いてしまった。おかげで金はこうして今も生きているが、もしも名継の家に戻ったなら、彼女は再び呪詛をかけられる可能性がある。あるいは、欠陥品として破棄されるか。どちらにせよ、路貴が金を連れて帰るわけにはいかない。

 そのため、路貴はここ白見の町に残ることとなった。それを決定した王貴士とは、名継家の主人の家である王家の人間だ。貴士もまた、路貴と同様に楽園(エデン)争奪戦の参加者の一人だった。しかし、一週間前に夏弥との勝負の末に、貴士は敗北、彼の刻印は、いま、夏弥の右腕の刻印と同化している。

 路貴が白見の町に残る、その決意は、きっと王家や名継家には受け入れがたいもの。名継家は跡取りである路貴と、代々受け継いできた秘術である金の呪詛を失った。その恩恵を搾取してきた王家もまた、路貴たちを失ったままにしておくわけにはいかない。

 王貴士だけが、そんな両家の思惑を覆すために、一人、王家に戻って行った。

 路貴は低い声で問う。

「で、どうなる?」

「そんなに警戒しなくていいわ。今回の件は王貴士個人の判断であって、王家からの正式なものじゃないから、慣習通りに運べなくてこっちとしては面倒なこともいろいろあるんだけど。――まあ、認めます。名継路貴と金の両名について、ここ白見の町で暮らすことを、栖鳳楼家当主、栖鳳楼礼が認めましょう」

 それは、ここ白見の町を支配する血族の(おさ)が認めたということ。この町にいる限り、路貴と金の身は保証される。

 金が安堵の息を漏らす隣で、路貴は両の目を見開いた後に、すぐ目を細める。

「それだけか?」

「もちろん、条件はあります。まず、路貴について。あなたは丘ノ上高校に通いなさい」

 はあ、なんて叫びながら路貴が立ち上がる。

「なんでだよ」

「あなたに関する白見の町での経歴がないから。いまは知り合いかなんかでバイトできてるみたいだけど、今後他のところで働くことになった場合、こちらでの全うな履歴があったほうが都合がいいでしょうというこちらの配慮によるものよ」

 感謝してほしいくらいだわ、なんて栖鳳楼は妙に優しく路貴を見上げる。対する路貴は何も言わない。いや、何か口にしたいのを必死に耐えている形相だ。

 一度声を平静に落として、栖鳳楼が真面目な声を出す。

「そっちにとっても都合がいいでしょう。現状、あなたたちは自分の国に帰れない。だからいっそのこと、二人はこの町の住人だってことにしたほうがいい。そのためには、まずは高校から始めなさい。最低限の経歴が手に入ってから、身の振り方はそっちで考える。いつまでも知り合いに頼ってばかりだと、王家や名継家に所在が知られるわよ」

 路貴たちがこの町で暮らすことは認めるが、それは(かくま)っているわけではない。王家と名継家の問題に決着がつくのが、果たして何年かかる話なのか、それを保護するなんて、他人の荷物を担いでやるようなものだ。そこまで、栖鳳楼家は慈悲深くない。

 だから、路貴が一人で生活できるための支援はする。そのための一歩が、路貴の高校編入というわけだ。少なくとも、元々の学校で在学しているのかどうかもわからないよりかは、ずっといい。

 不承不承に、路貴は腰を下ろす。

「………………感謝する」

「ええ、存分に感謝してちょうだい」

 あてつけるみたいに、栖鳳楼は微笑(わら)う。路貴の不満そうな表情など無視して、栖鳳楼は次の話題へと進む。

「――次は、金」

 呼ばれた金が、反射的に背筋を伸ばす。路貴もまた、居住まいを直して栖鳳楼を見る。

「路貴よりも金のほうが問題は深刻よ。戸籍がないから学校に行かせるわけにもいかないし。仕事をさせるにしても、そういう意味の信頼がおけるところじゃないとダメ」

 金にかけられていた呪詛は、輪廻を破壊するというもの。死んだ魂は再び同じ姿で現世に戻る。すなわち、金は何度死んでも、いまの金の外見、性格を繰り返す。魔術においては運命と呼ばれるものまで、彼女は何万回だろうと繰り返す。

 名継家はその呪詛を確かなものにするため、彼女に一〇年のサイクルを設定した。つまり、金は一〇歳までしか生きられない。一〇歳になったなら、彼女の魂は別の肉体に移し替えられる。

 そんな都合から、金には戸籍がない。もちろん、世間に出したらその異常性に気づかれるので、王家や名継家の中でもごく一部の人間しか、彼女の存在を知らない。

「彼女のことについては、少し待ってほしいわ。彼女の居場所はあたしが責任を持って用意するから、だから下手な行動はとらないでちょうだい。まあ、そういうわけで、金のことは栖鳳楼家でも区切りがつくまで面倒を見ます。もちろん、路貴のアパートで暮らして問題ないわ。最後には、人は自分で自身の居場所を見つけるものだから。でも、それが難しいってわかるから、途中まで手を貸しましょう、っていうこと。そのことは、納得してほしいわね」

「――わかった」

 よくよく栖鳳楼の言葉を噛みしめてから、路貴は頷く。それがどれほど重いことなのか、夏弥は想像でしか推し量ることができない。

 栖鳳楼は、今度は夏弥のほうへと顔を向ける。

「……っていうわけだから、夏弥。二人のことは今後もよろしくしてあげて」

 生返事をしながら、夏弥も頷く。それが精々、夏弥にできることだ。

 夏弥は栖鳳楼の気楽な表情を一瞥(いちべつ)してから、路貴たちのほうへと目を向ける。路貴は相変わらず硬いままで、その奥底に何を想っているのかは測れない。一方、当事者である金は、理解が追いついていないように小さく頷いている。それも、仕方がないのかもしれない。だって、金はまだ一〇歳でしかないのだから。

 おい、と路貴が口を開く。

「確認だ。夏の間は、俺はいままで通りにバイトをしてる。だが、学校なんてトコに行き始めたら、金はどうなる?」

 予期していたように、栖鳳楼は滑らかに答える。

「まだ考えのうちからでないけど、金にはどこかで働いてもらう予定。栖鳳楼家とかの関係じゃない、純粋に、そうね、路貴と同じように外で働いてもらおうと思ってる。できるなら、路貴みたいに話のわかる人のところがいいんだけどね」

 つまり、まだ確定はしていない。ただ、路貴が丘ノ上高校に通い始めるまでには、金の働き先を決めたいと、栖鳳楼は考えている。

 ああそうだ、と栖鳳楼は思い出したように声を上げる。

「はっきりさせておくけど、金銭問題はそっちで意識しなさい。路貴が自立できるだけの収入が得られるまでは、こっちでも貸しくらいはしてあげる。でも、寄生(パラサイト)は許さないから」

「……わかってる」

「それは、あなただけの問題じゃないわよ。あなたは今後、一人で二人の人間を生かしていく覚悟が必要なんだから」

「……当然だ」

 路貴は、確かに応えた。そのわずかな間は、決して迷いのためではない。決意とか決断とか、それらは実行するだけでも重いのだ。路貴はその重さを、確かに理解している。

 それを知って、栖鳳楼もだから、うん、と頷きを返す。

「わかっているなら、それでいいわ」

 路貴と金の問題は、まだ解決していない。それでも、動き始めていることは、確か。これから二人がどうなるのかは、二人に期待するしかないのだ。


「これで、路貴と金の話は終わり」

 そう締めくくり、栖鳳楼は湯呑に口をつける。夏弥と金は、栖鳳楼に倣うようにお茶を(すす)る。路貴とローズだけは手を伸ばすこともしない。

「それで、夏弥はあたしに何の用?」

 夏弥の背中に緊張が走る。

 ――何のために、ここに来たのか?

 緊張で固まってしまわないように、夏弥は口を動かす。

「――神隠し」

 その一言だけで、夏弥の喉はさらに締め上げられる。何のために、なんて、そんなことはもう、決まり切っているのに。

「最近、またニュースで報道されるようになった。犯人への手掛かりは、まだない。でも、俺はその犯人の近くにいる。――犯人は、最後の神託者(しんたくしゃ)

 神託者とは、楽園(エデン)争奪戦の参加者の呼称。楽園(エデン)に選ばれ、その証として体に刻印が刻まれる。夏弥と等しく、楽園(エデン)に最も近い場所にいるのが、その最後のもう一人。

「俺がそいつを倒せば、こんな事件もなくなる。だから俺は、早く楽園(エデン)争奪戦を終わらせたい。俺とそいつしか、もう楽園(エデン)に近づけるやつはいないんだ」

「それで、夏弥はあたしに何を求めるの?」

 冷やかな声が降ってくる。顔を上げると、栖鳳楼の()は氷のように凍っている。

 ――それで、夏弥は一体、栖鳳楼に何を求めるというのか?

 想いはある。意思だって、はっきりしている。なのに、それを形にしようとした途端、夏弥は逡巡(しゅんじゅん)する。

 なんて、彼女に言えばいいのか。どんな言葉なら、正解になるのか。

 ……何か、得られるかもしれない。

 しかし、夏弥は〝なに〟を得ようとしたのか。そんな、淡い期待だけでは何にも届きはしないのに。

 ――楽園争奪戦(このばしょ)に立っているのは、夏弥だ。

 なら、夏弥の言葉(カタチ)はもう、決まっている――。

 夏弥は薄く目を閉じ、小さく息を吐く。それであらゆる迷いが断てたように、夏弥は真っ直ぐに彼女を見返す。

「栖鳳楼が知っていることを教えてほしい。栖鳳楼なら、最後の神託者が誰かってこと、検討がついているんじゃないか?」

 栖鳳楼は静かに夏弥を見据えたままで、すぐには返答しない。そんな静寂に、しかし夏弥はもうふらつかない。決めたものは、決めた。決意とは、そうあるべきもの。

 だから、夏弥は待つ。なら、夏弥は待つしかない。夏弥が示したカタチに相手がどう応えるのか、それはもはや相手次第だから。

 不意に、栖鳳楼は肩の力を抜く。溜まったものを吐き出すようにして、わずかに目を伏せる。

「正解。でも、ちょっと気に入らないから二〇点減点」

 夏弥は面食らう。だって、夏弥には何が不足しているかなんて、わからないから。

 その問答を無視するように、栖鳳楼は即座に言葉を付け足す。

「さて、と。質問なんだっけ。『最後の神託者が誰か』――」

 その言葉の意味を吟味するように、栖鳳楼は天井を仰ぐ。まるで遠くを見るようなその素振りは、どこか儚げだ。よほどのことが語られるのかと身がまえていた夏弥に、予想していなかった声が返ってくる。

「そんなの、あたしが知るわけないでしょ!」

 ドンッ、とテーブルが音を鳴らす。上に乗った湯呑が震えて音を立てる。反射的に、夏弥と金は身を引いてしまったが、路貴とローズは少し目を細めただけだ。あちゃー、と奥で控えていた潤々が手で額を押さえる。

 栖鳳楼が爆発した。

「まったく、その誰かさんのおかげであたしがどれだけ苦労しているか。完全に後手、後手なの。このあたしが後手に回るなんて、許しがたいわ。ニュース?そんなもの知ったことじゃないわ。そんなものにかまっている暇はないの。報道?やりたきゃ勝手にしなさいよ。そんなものは二次的な問題であって、本質じゃないんだからどうせ。こっちがどれだけ目を光らせていても、気がついたらモノだけ落ちているんだもの。神隠し、ハッ、ふざけた話よ。やってくれる。手掛かりなし、手掛かりなし。何度行っても気配もなにもないんだから。報道とか、やりたきゃやればいいわ。そうやって騒いでいるのに夜中に出歩く人間がいて、そして確実にさらわれている。流石に自業自得だとは言わないわ、ええ本当に。だってその責任はあたしに降ってくるんだから。あたしは自分の首を絞める趣味はないの。だからさっさと解決してほしいわよ、というかしたいわよ。だけど、手掛かりがないの。気配がないの。一体どうしろっていうの?まったく、忌々(いまいま)しい……ッ」

 バンッ、と再び栖鳳楼の手がテーブルを叩く。長い長い吐息の後に、栖鳳楼は睨むように夏弥を見返す。

「以上があたしの知っていること。他に訊きたいことでもある?」

「いや、ないです…………」

 挑むように睨まれて、夏弥は何も言えずに小さくなる。

 栖鳳楼は夏弥の予想通りにすでに十分動いていて、そして夏弥の予想以上に限界がきているようだ。なんとかしたいと夏弥も思うが、そもそも、なんとかできるのなら栖鳳楼に会いに来てなどいない。

 なんて返したらいいのか、そもそもこれ以上会話を続けて大丈夫なのか、夏弥がまとまらない思考を巡らせていると、思わぬところから声が上がった。

「神隠し……?」

 その幼い声に、本家の間にいる全員が反応した。路貴の隣に座っている金が首を傾げながら夏弥のほうに顔を向ける。

「それ、金、貴士と一緒、捜した」

 舌足らずな喋り方だが、なんとなく意味は取れる。つまり金は、貴士と一緒に神隠しの犯人である神託者を捜したことがあるのだ。

「貴士の、欠片、気配読むの、得意」

 栖鳳楼の目がわずかに大きくなる。夏弥は魔術師としては半人前だから、それがどれくらい常軌を逸しているのかは、わからない。だが、幼い頃より魔術師としての教育を受けてきた栖鳳楼には、その異常さがわかるのだろう。

 その場の全員が、ただ次の金の言葉を待った。

「だから、貴士、その神託者、捜そう、した」

 栖鳳楼はわずかに目を伏せて首を振った。

「――でも、見つからなかった」

 金もそのことはわかっているのか、素直に頷く。

「そう――」

 それでも、金は少しも(くじ)けることなく、その次の言葉を続ける。

「金、魔術、気配、わからない。でも、貴士わかってた。だから、貴士言ってた。うーん……。魔力、周囲、溶けてる」

 路貴がその言葉を繰り返す。

「魔力が周囲に融けている――?」

 そう、と金は頷く。怪訝そうに、栖鳳楼は目を(すが)める。

「でも、それはどういう意味?」

「金、よくわからない……」

 金は申し訳なさそうに小さく首を横に振る。それでも、なんとか自分の考えを伝えようと、(つたな)いながらも言葉を紡ぎ出す。

「貴士、水の中いるみたい、言ってた。ええと、歪んだ、水の、中」

 その貴士の比喩を、金は自分で理解している範囲で言葉に置き換えていく。

「魔力、周りと同じになる。薄まる?だから、外から見る、わからない。気づいたとき、全部、終わってる。そのとき、も、周り、変わらない。ほとんど同じ」

 血が流れれば血の痕が残るように、魔術を使えば必ず魔力が残る。人間一人から魂を削って魔力を奪ったなら、それはかなりの量だ。気づかないなど、普通はありえない。

 それでも、栖鳳楼はその犯人を見つけることができない。どんなに捜し周っても気配はないし、見つけた衣服の前に立ってもやはり異常は見当たらないのだ。

 どれほど強力な魔術を使っても、傍目(はため)には周囲と変わらない、つまり何の異常も見せないなど、それはもはや異界のレベルだ。町の中に平然と異界を作るなど、尋常の(わざ)ではない。

「それが、そいつの欠片、ってことかしら?」

 欠片とは、楽園(エデン)の一部。神託者にはその欠片が与えられる。どんな魔術が欠片に内包されているかは、モノによって異なり、発現させなければわからない。だが、どんな願いでも叶えるといわれている楽園(エデン)の一部、それ一つで大魔術の域だ。

「…………厄介」

 栖鳳楼が漏らした声には、深刻な色が感じられた。夏弥には、その脅威がいまいちわからない。夏弥の理解では、その欠片は姿を隠すには向いている、ということだけ。それが直接の脅威になるなんて…………ああ、そうか。だからその神託者は、人から魔力を奪っているのか。

「……でも。相手は、俺なんかと違って、魔術のことを知っている魔術師だ。人を襲って魔力を奪っているってことは、そういうことだろ。なら、楽園(エデン)争奪戦の意味を忘れるわけがない。最後には、俺との勝負を無視できないはずだ」

 神隠しという名の誘拐事件、あるいは殺人事件は、永遠には続かない。どこかで、終わりがくる。夏弥の、そんな消極的な意見に、栖鳳楼は溜め息とともに噛みついた。

「でも、そいつは勝負を急ぐ必要がない。十分な魔力が得られるまで、いくらでも時間をかけられる。まあ、相手もそんな気長にかまえるつもりはないと思うけど。王貴士の目がなくなった途端、相手は連日魔力を補給しているわけでしょう」

 そして、と栖鳳楼はその決定的な意見を口に出す。

「自分の土俵が完成したら、きっとそいつは、夏弥を自分の領域(テリトリー)に引きずり込むわ。その膨大な魔力にものをいわせて、徹底的にやるでしょう。夏弥は、そんな不意打ちに対応できる?そんな奇襲に遭っても、そいつに勝つ自信はある?」

 誰にも見つからない、気づかれないとは、どんな奇襲もできるということ。町の中で簡単に異界を作れる相手なら、それこそ夏弥のすぐ隣まで近づくことができるのではないか。

 しかも、相手はすでに膨大な魔力を集めている。人一人分の命で、大魔術に届く。そして、すでにここ最近だけで四人、二カ月、三カ月前まで遡るなら、その魔力は一体どれほどか。

 決意を返そうとして、しかし夏弥はその絶望を理解して言葉が揺れる。

「…………わから、ない」

 負けるつもりなんて、ない。もとより、夏弥は最後まで勝ち残ると、そう決意したはずなのだ。それでも、そんな未知数の恐怖があるのだと知ったら、強がりも言えない。

 俯いた夏弥に、栖鳳楼の低く抑えた声が胸の奥まで()みた。

「――あたしは、そんなものを許さない」

 その宣言は、黒い炎のように鈍く光る。


 それからは、会話なんてものは成立しなかった。路貴が早々に帰ると言い出し、夏弥も続いて席を立った。栖鳳楼自身も話すことがないみたいで、四人を止めはしなかった。

 それでも、夏弥の胸の(なか)は鉛を飲み込んだみたいに、重い。このまま真っ直ぐ帰る気にはなれず、だから路貴の背中に訊ねた。

「本当に帰るのか?」

 ハッ、なんて小馬鹿にするように路貴は振り返る。

「当たり前だ。俺はもう神託者じゃない。いまの役割は傍観者であって当事者じゃない。楽園(エデン)争奪戦どうこうっていうのは、本来お前だけの役目だ。そもそも、あの女に頼りに来ていること自体おかしい」

「そうか……。だよな……」

 路貴の発言に、妙に納得できてしまう自分がいる。

 夏弥は、自分の手で楽園(エデン)争奪戦を終わらせると決めたはずだ。栖鳳楼に助けを求めたら、それが戦いに直接結びつくものでなくても、彼女を巻き込まないわけにはいかなくなる。もう誰も失いたくない、傷つけたくないとそう思うなら、夏弥は栖鳳楼に頼るべきではなかった。

 ふん、と路貴は鼻を鳴らしてすぐに夏弥に背を向ける。

「そういうわけだ。じゃあな」

 片手を上げて先を歩き始める路貴に、夏弥は反射的に声をかける。

「途中まで一緒だろ?」

 むしろ、夏弥の家を過ぎてさらに坂を上ったところに路貴のアパートがある。雪火家まで路貴と一緒だろうと考えていた夏弥は、だからそんな疑問が口から出た。

 対する路貴は、まるで吐き捨てるみたいに返す。

「誰が、テメーなんざと並んで歩くかよ。どんな道使って帰ろーが、そんなの俺の勝手だろ」

 そう言われてしまえば夏弥はもう何も言えないので、大人しく路貴を行かせる。

「……そういえば、路貴は――」

 代わりに、夏弥はふいに気になったことを路貴に訊ねる。

楽園(エデン)は、もういいのか――?」

 路貴の足が止まる。

 路貴はもともと、この町の人間ではない。それでも、楽園(エデン)争奪戦に参加するために、わざわざこの町までやって来た。家を捨てた、そもそも本当にこの町で楽園(エデン)争奪戦が行われるかもわからなかったのに、路貴は路貴の予感を信じて、この町に居座った。

 そして、刻印を失ってからも、路貴はこの町に滞在し続けた。戦いの結末を見届けるというのが当初の路貴の言い分だった。しかし、路貴は諦めていないはずだ。一週間前、雪火夏弥と王貴士の戦いに割って入った路貴。貴士の邪魔をして、再び神託者に返り咲こうと画策し、それも失敗した。

 ――そんな路貴が、いま、本当に楽園(エデン)を諦めたのか。

 そう、自他ともに偽ることなく、カタチにすることができるのか――。

 路貴は振り返りもせずに、吐き出す。

「――いらねーよ、そんなモン」

 あっさりと、路貴は姿を消してしまった。今度こそ、路貴は完全に楽園(エデン)を失ってしまった。そんな彼の隣には、代わりに金がつき従う。

 それで少しは楽になれたのか、夏弥は歩き出す。そのすぐ横を、銀髪の少女が追いかける。

「夏弥もこのまま帰るのか?」

 思案しながらも、夏弥の足は勝手に歩く。橋を渡り、いつもの帰路に入る手前で夏弥はローズの問いに答えた。

「まあ、そのつもり。一旦戻って、それから買い物」

「だったら、このまま買い物へ行ってもいいだろう」

 ぐい、とローズが夏弥の腕を引く。夏弥の慣れ親しんだ裏道ではなく、大通りへと向かうほうへ。

「いや、ローズは家に戻ってろよ」

「なぜだ」

「なぜ、って……」

 訊き返されて、夏弥は返す言葉がないことに気づく。一旦袋を取りに行きたいから、なんて理由は、理由にもならない。袋を貰って二円引きされないことを気にするなんて、あまりにもスケールが小さい。

 ……ようするに。

 夏弥は掴まれた腕に視線を落とす。彼女の白い腕が、直接夏弥の腕に絡みつく。式神だなんて知識では知っていても、その感触は細くて柔らかくて、そしてどこか壊れそうで儚げで。男の夏弥なんかとは違う、女性特有の感触に、夏弥は息がつまりそうになる。

「俺が一緒でもかまわないだろう」

 そう、間近で微笑まれたら、夏弥はもう何も言い返せない。ローズはいつになく上機嫌で、ぐいぐいと夏弥の腕を引っ張る。買い物なんて一度もしたことがないのに、ローズは迷いなく夏弥を導く。その先にあるのは夏弥がいつも行くスーパーではなく、ローズも二、三回くらいしか行ったことがないはずのデパートだ。

「それに、新しいお茶がほしい。今日は俺自身が選ぼう」

 自然、夏弥の口から笑みが零れる。

 ……ああ、確かに。

 なら、この道で間違いはない。スーパーよりもデパートのほうが大きくて、お茶の種類は豊富に揃っているのだから。


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