スイッチとレバー
何よりもまず、これから去ろうとしている人へ。
そして、既に去ってしまった人へ。
次に立ち止まってしまった人へ。立ち止まって暫く経つ人へ。
最後にこのまま過ぎ去ってしまう人へ。
人生とはいったい何なのか。
羊水にまみれ、泣き叫ぶことからスタートした、辛く苦しく笑いに満ちた旅のなかで誰もが一度はふと考えたことがあると思う。
子供のころ、友達と別れ一人夕暮れの道を歩くときに漠然と。
あるいは思春期という大人と子供を隔てる空白のあいだに。
あるいは社会に出て幾年が経ってふと、突然に。
あるいは今、まさにこの瞬間に。
人生とは選択肢そのものだと思う。
「生きる」か「死ぬ」か。
この単純な二択の連続体が積もりに積もって、人生という物語を作り出す。
いささかシンプルすぎるだろうか。
しかし、あまりにも仰々しく語るのもどうかと思う。
結局、生まれ落ちてしまったのだ。賽は投げられた。
眼球は前にしかついておらず、後ろを見ることは叶わない。
前しか見えないのなら前にしか進むしかない。
望もうとも、望まずとも。
選択肢。
心臓ひとつの鼓動一回につき、一度現れる「生きる」か「死ぬ」かの二択。
お手元にはきっと決定ボタンがひとつと選択肢を操作するレバーが備え付けられている。
選択肢は予め「生きる」の項目にセットされていて、ただ決定ボタンを押しさえすればそれで完了となる。
ご利用ありがとうございました。記念すべき第八億回目の鼓動は、生きることを選択いたしました。
こんなテロップは多分流れない。
慣れてしまえばどうという問題もなく、一回の鼓動ごとにそんな手間を取らされるのは鬱陶しいので、たいていの人は決定ボタンを連打する。
連打することに集中し、選択肢は現れる間もなく瞬時に消え去る。
「生きる」「死ぬ」の選択肢の意味は失われ、傍らにあるレバーの存在もまた同様に忘れ去られる。
だが立ち止まってしまう人もいる。
ふと、ボタンを押し続ける指を離してしまう人がいる。
疲れ果て、思わず座り込んでしまったその人の目に見慣れないレバーが留まる。
おや、こんなもの今まであったかな。
ボタンを押し続けることに嫌気が差していたその人は、興味本位にレバーを動かす。
そこで、ようやくその人は自分の眼前に選択肢が張り出されているのに気が付く。
「生きる」か「死ぬ」か。
懐かしいような、真新しいような。
初めて目にしたような、もう随分と見慣れたような。
ああ、そういえば自分は生きていたんだっけ。
その人は選択肢を眺め、感慨に耽る。
初めて恋人と手を繋いだこと、どんなことも打ち明けられた友のこと。
会社での業績が認められそこそこの立場に出世できたこと。
肉親を失った悲しみ。初めて我が子に触れた温もり。
いろいろなことがあったなあ。
苦しくなかった。と言えば嘘になるが、充実した道のりだったように思える。
だがもういい。もう疲れてしまった。
その人は「死ぬ」にセットされたままの選択肢をもう一度見つめる。
そして、決定ボタンを深く押し込む。
いつものように。これまで続けてきたのと同じように。
これから去ろうとしている人へ。
貴方が何故去ろうとしているのかはわからない。
疲れ果ててしまったのか、誰かの手によってどん底へと突き落とされてしまったのか。
それとも単に飽きたのか。
なんにしても、あなたの選択にケチをつける権利は誰にもない。
貴方の選択肢は貴方のものだ。
貴方が去ることを迷っていないのであれば盛大に世界を呪うといい。
命の尊さがなんだ。愛がなんだ、絆がなんだ。
そんなものは便所の紙と一緒だ。
汚いものを覆い隠すものでしかない。
夢だの、希望だの、未来だの、人が疲れ果てるまで放っておいて今更どの口が言うのか。
貴方が変わらなければ何も変わらない。それはもっともだ。
だが、しかし、人間はそう簡単には変われない。
そう言うお前は変われるのか。
否定されつくした己を、最後に自分の手で否定することができるのか。
そう言って一息に去ってしまうのが良い。
胸につかえているものは、すべて吐き出してしまおう。
もう二度と訪れない世界なのだから。
貴方が去ることを迷っているならば。
もう少し試してみてはどうだろうか。
ほんの一刻の間でいい。貴方が去ることで泣き出してしまう人はいないかどうか探してほしい。
そんな人がいて、貴方がその人の泣き顔を見たくないのであれば、どうか去らないで欲しい。
その人はきっと自分を責めてしまうから、壊れてしまうから。
その人のところに行って、先手を打って泣いてしまおう。
恥や外聞を投げ捨てて。
貴方はきっと頑張りすぎている。
どうか頑張らないで。
そして、既に去ってしまった人へ。
既に去ってしまった人へ述べられる言葉はあまりにも少ない。
なにせもう既に去ってしまったあとなのだから。
けれどもし、伝わっているのだとしたら。
その時は、なぜ。と問うのはやめておこう。
彼らは去るという選択以外残っていなかったのだから。
我々が傍らにあるレバーに気づけないように、彼らもまた、ボタンの傍らにレバーがあることに気づけはしなかったのだから。
次に立ち止まってしまった人へ。立ち止まって暫く経つ人へ。
さっさと歩き出せ。という声が聞こえても無視してしまおう。
貴方には歩いている人には見えていないものが見えているのだから。
レバーを動かすか、動かさないかしっかり考えよう。
どっちを選んでも後悔するのだから。
せめて自分で選んだ選択に自覚的でいよう。
最後にこのまま過ぎ去ってしまう人へ。
過ぎ去ってしまう貴方へ向ける言葉はあまり多くない。
私は貴方の後姿をはるか前方に捉えている。
多分私の言葉は届かないだろう。
でも、伝えるとしたら無茶はしないように。
小声でそっと言う。
届けばいいなと思いながら。
休憩したって誰も責められない。
そんなのは不当な言いがかりだ。
第一、そんなに目一杯走らなくても、ゴールは同じなのだから。
どうだろうか。
あまりにも意味のない内容に落胆した方も多いと思う。
それでも、まあ、これから去っていこうとしている人の足をほんの少しでも止められたのならこれ以上の僥倖はない。