叔母の葬儀で元カレと再会したので、今度こそ後悔しない恋を選びました
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この作品は生成aiを用いて執筆を行なっています
あらかじめご了承の上、お楽しみください
「本日はお悔やみ申し上げます」
その声を聞いた瞬間、私の心臓が凍りついた。
葬儀場の静謐な空気の中、棺の傍らに立つ男の横顔。三年前、何の説明もなく私の前から消えた元恋人——柊真司が、完璧な喪服姿で遺族に深々と頭を下げていた。
(嘘でしょ)
足が床に縫い付けられたように動かない。逃げたい。今すぐ踵を返して、この場所から走り去りたい。なのに私の視線は、まるで磁石に引き寄せられるように彼から離れない。
「真琴、大丈夫? 顔色悪いよ」
隣で従姉の声がする。
大丈夫なわけがない。叔母の葬儀で、よりにもよって元カレと再会するなんて、どこの三文ドラマの脚本だ。
真司が顔を上げた。
目が合う。
一瞬——本当に一瞬だけ、彼の瞳が揺れた気がした。でもそれは瞬きほどの時間で消え去り、次の瞬間には完璧なプロフェッショナルの仮面が戻っていた。
「藤宮様のご親族でいらっしゃいますか」
知らない人に話しかけるような、丁寧で、冷たくて、距離のある声。
かつて私の名前を呼んだ唇が、他人行儀な敬語を紡ぐ。
(ああ、そう。そういう態度を取るわけね)
胸の奥で、三年分の怒りがゆっくりと鎌首をもたげる。
「ええ。故人の姪です」
私も負けじと、ビジネスライクに答えた。感情を出すものか。この男の前で取り乱すなんて、絶対に嫌だ。
「本日の式の進行を担当いたします、柊と申します。何かございましたらお気軽にお申し付けください」
名刺を差し出す所作は洗練されていて、私の知っている真司とはまるで別人のようだった。かつての軽やかな笑顔も、少年のような無邪気さも、どこにもない。
代わりにあるのは、死者を送ることに静かな使命感を宿した男の眼差し。
「……頂戴します」
名刺を受け取る指先が、かすかに触れ合う。
その瞬間、電流が走ったように心臓が跳ねた。三年経っても、この反応は変わらないらしい。自分の体が恨めしい。
「真琴ちゃん、こっち座って」
親戚に呼ばれ、私は足早に彼の前を離れた。背中に視線を感じる。振り返らない。絶対に振り返らない。
(叔母さん、あなた最期まで私に試練を与えてくるのね)
祭壇に飾られた叔母の遺影が、どこか意地悪く微笑んでいるように見えた。
葬儀が始まっても、私の意識は半分以上、会場の隅で静かに佇む真司に向いていた。
読経の間も、焼香の間も、彼は完璧だった。遺族の動きを先読みし、必要なものをさりげなく差し出し、悲しみに暮れる人々を穏やかに導く。
三年前の彼には、こんな落ち着きはなかった。
あの頃の真司は、どこか子供っぽくて、感情が顔に出やすくて、私の前ではいつもふざけてばかりいた。「真琴は俺がいないとダメだろ」なんて偉そうに言いながら、実際に頼りなかったのは彼の方で——
(やめろ、思い出すな)
私は唇を噛んだ。今は叔母を送る時間だ。過去の恋愛のことなど考えている場合じゃない。
「藤宮様」
低い声が、すぐ後ろから聞こえた。
振り返ると、真司が控えめな距離を保って立っていた。
「お焼香の順番でございます」
「……ありがとうございます」
立ち上がる時、少しふらついた。昨夜からほとんど眠れていない。叔母の突然の訃報と、今日の再会のダブルパンチで、体が限界を訴えていた。
その瞬間、腕を支える手があった。
「——っ」
真司の手だ。
「大丈夫ですか」
変わらず丁寧な口調。でもその目が、一瞬だけ「ご遺族様」ではなく「真琴」を見ていた。
私は乱暴にその手を振り払った。
「結構です」
冷たく言い放ち、祭壇へと歩く。背筋を伸ばして、一歩一歩、しっかりと。
(触らないで。優しくしないで。今更そんな顔されても、困るのよ)
焼香台の前で手を合わせながら、目を閉じる。
叔母の顔を思い浮かべようとした。厳しくて、でも誰よりも私のことを考えてくれていた叔母。「真琴は甘いわね」が口癖だった叔母。
なのに浮かんでくるのは、三年前の記憶ばかり。
突然連絡が途絶えた日。何度電話しても繋がらなかった夜。やっと届いた『もう会わない方がいい』という一行だけのメッセージ。
理由も説明もなく、私は捨てられた。
「……叔母さん」
小さく呟く。
(なんでこのタイミングなの。私、まだ全然吹っ切れてなかったみたい)
目を開けると、遺影の叔母と目が合った。
『しっかりしなさい、真琴』
そう言われた気がして、私は静かに息を吐いた。
「今後の打ち合わせについてですが」
葬儀後、控室で真司が書類を広げた。向かいに座る私と、隣には父。
「明日、ご自宅にお伺いして、遺品の整理や各種手続きについてご説明させていただければと思います」
「ああ、よろしくお願いします。私は仕事があるので、真琴、お前が対応してくれ」
「え」
思わず声が出た。
「叔母さんのこと、一番よく知ってるのはお前だろう。俺は昔から疎遠だったし」
父の言葉に反論できない。確かに私は叔母に可愛がられていた。進路に迷った時も、失恋した時も——そう、三年前も——いつも叔母が話を聞いてくれた。
「……わかりました」
答えながら、真司の方は見ない。
「では明日、十時にお伺いいたします」
彼の声は変わらず淡々としていた。
(これから何度も顔を合わせるってこと? 最悪すぎる)
立ち上がり、控室を出ようとした時。
「藤宮様」
真司の声に、足が止まる。
振り返らないまま、「何ですか」と答えた。
「……本日は、お疲れ様でございました」
それだけだった。
何を期待したんだろう、私は。謝罪? 説明? そんなもの、今更欲しくもない。
「どうも」
素っ気なく返して、私は足早にその場を離れた。
夜。自宅のベッドに倒れ込み、天井を見つめる。
スマホが震えた。親友の沙也加からのLINE。
『葬儀どうだった? 大丈夫?』
指が勝手に動く。
『最悪。元カレが葬儀屋だった』
送信してから、やっぱり消せばよかったと後悔する。
即座に既読がつき、電話が鳴った。
「ちょっと待って、どういうこと!?」
沙也加の絶叫が響く。
「そのまんまの意味。柊真司、葬儀社に勤めてた。叔母の担当が、よりにもよって——」
「嘘でしょ。葬儀で元カレと再会とか、ドラマの脚本家もびっくりでしょ」
「だから最悪だって言ってるの」
私は目を覆った。
「どうだった? 向こうの態度」
「完璧なプロ。私のこと『ご遺族様』扱い。三年前の彼女だったなんて微塵も感じさせない」
「……それ、逆にキツくない?」
沙也加の言葉が、核心を突く。
「キツいよ。めちゃくちゃキツい」
声が震えそうになるのを、必死で堪えた。
「なんで消えたのか、聞けそう?」
「聞いてどうするの。三年も経ってるのに」
「真琴、私知ってるよ。あんた、まだ引きずってる」
「……うるさいな」
否定できなかった。
「明日から打ち合わせで何度も会うの。どうしよう、沙也加」
「どうしようって……ちゃんと話しなよ。三年前のこと」
「話したって——」
「あんたがモヤモヤしたまま生きてくの、見てられないの。叔母さんの葬儀なんでしょ? ちゃんと送り出すためにも、自分の中のこと整理しなよ」
沙也加の声は、珍しく真剣だった。
「……考えとく」
「うん。無理しないでね」
電話を切って、私は再び天井を見つめた。
叔母の顔が浮かぶ。そして、真司の顔。
(なんで、今更なんだろう)
答えの出ない問いを抱えたまま、私はいつの間にか眠りに落ちていた。
翌朝十時。チャイムが鳴った。
ドアを開けると、真司が立っていた。昨日と同じ黒いスーツ。でも今日は葬儀場ではなく、叔母のマンションの玄関先。私と二人きりになる空間。
「おはようございます。本日もよろしくお願いいたします」
丁寧に頭を下げる真司を、私は無言で中に通した。
「失礼します」
叔母の部屋は、生前のまま整理されていた。本棚には教育関係の本がぎっしり。窓際には、私がプレゼントした観葉植物。
「まず、遺品の分類についてご説明いたします」
真司が書類を取り出す。その手つきは淀みなく、声も安定していた。
(本当に、別人みたい)
私は黙って説明を聞いた。遺品の仕分け方、処分の手続き、行政への届け出。必要な情報を、彼は過不足なく伝える。
「ご質問はありますか」
「……特にないです」
「では、実際の作業に入りましょう。まずは貴重品から確認していきます」
立ち上がった真司が、本棚の方へ向かう。
その後ろ姿を見ながら、私は口を開いた。
「ねえ」
彼の動きが止まる。
「……なんでしょうか」
「その敬語、やめない?」
振り返った真司の目が、わずかに見開かれた。
「私のこと、知らない人みたいに扱うの、やめてよ。気持ち悪いから」
言ってしまってから、少し後悔した。感情的になるなと自分に言い聞かせていたのに。
真司は数秒黙っていた。それから、静かに言った。
「……すみません。でも、これが俺の仕事なので」
「仕事」
「はい。ご遺族様に——」
「私は『ご遺族様』じゃないでしょ」
声が大きくなる。抑えられない。
「三年前まで付き合ってたのに、何も言わずに消えておいて、今更『ご遺族様』? 笑わせないでよ」
真司の表情が強張る。
「……真琴」
初めて、私の名前を呼んだ。
それだけで胸が締め付けられるのが、悔しくて仕方ない。
「俺は——」
「聞きたくない」
遮った。
「今更言い訳されても困るから。仕事、続けて」
矛盾している。自分から敬語をやめろと言っておいて、説明は聞きたくないなんて。支離滅裂だ。わかってる。でも感情が追いつかない。
真司は唇を引き結び、再び本棚に向き合った。
「……わかった」
その声は、さっきまでの「葬儀社のディレクター」ではなく、私の知っている「柊真司」の声だった。
二時間ほどかけて、遺品の確認を進めた。
会話は最小限。必要なことだけを言葉にして、それ以外は沈黙。
気まずいはずなのに、不思議と嫌じゃなかった。真司の仕事は丁寧で、叔母の持ち物を大切に扱っていた。写真を分類する手つきにも、書類を整理する姿勢にも、敬意が感じられた。
「これは?」
真司が、引き出しの奥から小さな箱を取り出した。
「見せて」
受け取って開けると、古い日記帳が入っていた。表紙には『私の記録』と、叔母の几帳面な字。
「叔母さんの日記……」
「読むか?」
私は迷った。故人のプライベートを覗き見るようで、少し気が引ける。
でも叔母のことを知りたかった。なぜ生涯独身を貫いたのか。何を考えて生きてきたのか。
「……うん」
ページを開く。
最初の日付は、四十年以上前だった。
『今日、青木先生と話をした。春の陽気のせいか、少し胸がざわついた』
青木先生。聞いたことのない名前だ。
読み進めると、その人物が何度も登場した。同じ高校で働いていた同僚教師。叔母より五歳年上の男性。既婚者。
「……そうだったんだ」
思わず声が漏れた。
「何か?」
真司が訊く。
「叔母さん、好きな人がいたみたい。結婚してる人」
「……そうか」
敬語が外れている。でも今は気にならなかった。日記の内容に、意識を持っていかれていたから。
『青木先生の奥様が亡くなられたと聞いた。お悔やみを伝えるべきか、迷っている』
『結局、何も言えないまま先生は退職された。私は臆病だ』
『青木先生が亡くなったと、元同僚から連絡があった。葬儀に行きたい。でも行けない。行く資格がない。私は何年も、ただ遠くから見ているだけだったのだから』
ページを捲る手が震えた。
叔母は——ずっと一人の人を想い続けていた。そして、その人の死に際して、傍にいることすらできなかった。
「後悔……」
呟くと、真司が顔を上げた。
「叔母さん、後悔してたんだ。想いを伝えなかったこと」
真司の目が、複雑な色を帯びる。
「……そうか」
「知らなかった。叔母さんがそんな過去を持ってたなんて」
私は日記を胸に抱いた。
叔母はいつも強くて、凛としていて、一人で生きていくことを選んだ人だと思っていた。でも本当は、選べなかっただけかもしれない。
「真琴」
真司の声に顔を上げる。
「その日記、最後まで読んだ方がいい」
「え?」
「何か、入ってる」
言われて日記の最後のページを開くと、封筒が挟まっていた。
宛名は——『真琴へ』。
「叔母さんからの手紙……?」
封を切る手が震える。
『真琴へ
これを読んでいるということは、私はもうそちらにいないのでしょう。
あなたには伝えていませんでしたが、私には生涯忘れられない人がいました。その人のことは日記に書いてあるから、もし興味があれば読んでください。
私は臆病でした。想いを伝えることも、傍にいることも、選べなかった。そしてその人が亡くなった時、私は何もできませんでした。
あの時ほど後悔したことはありません。
真琴。あなたには私のような思いをしてほしくない。
好きな人がいるなら、ちゃんと傍にいなさい。
たとえ傷つくことがあっても、逃げないで。
死ぬ時に後悔しない生き方を、選んでね。
愛してるわ。
芳江 』
視界が滲んだ。
「叔母、さん……」
涙が頬を伝う。止められない。
叔母は知っていた。三年前、私が真司に捨てられて、どれだけ泣いたか。どれだけ苦しんだか。全部話を聞いてくれた。何も言わずに、ただ傍にいてくれた。
その叔母が、最期にこんなメッセージを残していた。
「真琴」
真司の声が、すぐ近くで聞こえた。
顔を上げると、彼が私の前にしゃがみ込んでいた。
「ティッシュ」
差し出された箱を受け取り、乱暴に涙を拭く。
「……ごめん、仕事中なのに」
「いい。気にするな」
「でも——」
「俺の前で泣いてくれて、少し嬉しい」
思わず真司を見た。
彼の目は、昨日の「プロフェッショナル」ではなかった。三年前と同じ、私を見つめる柔らかな眼差し。
「三年前、お前を傷つけたこと——」
「聞きたくないって言った」
「聞いてくれ」
真司の声は、静かだけれど強かった。
「俺の母親が、三年前に死んだ」
「……え?」
「お前と付き合ってる時、ずっと闘病してた。お前には言えなかった。心配かけたくなくて」
真司は目を伏せた。
「看取ったんだ。母親の最期を。でもその時——」
声が詰まる。
「母親は、最期まで俺の名前を呼ばなかった。ずっと、先に死んだ親父の名前を呼んでた」
「……」
「死ぬ時に傍にいてほしい人を、自分で選べなかったんだ。母親は」
真司は顔を上げ、私を見た。
「それを見て、俺は怖くなった。お前を好きだった。でも、お前の傍で死にたいとか、お前に看取ってほしいとか——そこまで覚悟できる自信がなかった」
「だから、逃げたの」
「ああ」
真司は頷いた。
「最低だと思う。言い訳にもならない。でも、あの時の俺は壊れかけてた」
「……」
「ずっと謝りたかった。でも資格がないと思ってた。お前を傷つけておいて、今更何を言えばいいかわからなくて」
真司の手が、膝の上で固く握られている。
「この仕事を選んだのは、母親の死がきっかけだ。死と向き合うことから逃げたくなかったから。ちゃんと、人の最期に寄り添える人間になりたかったから」
私は何も言えなかった。
三年間、ずっと彼を恨んでいた。説明もなく消えた彼を、卑怯だと思っていた。
でも彼は——彼なりに、壊れないように必死だったのだ。
「勝手な話だってわかってる。お前を置いてきぼりにして、自分だけ立ち直ろうとした。許してもらえるとも思ってない」
「……」
「でも今日、お前の叔母さんの手紙を聞いて——俺も逃げちゃいけないと思った。お前に、ちゃんと話さなきゃいけないと」
真司は深く頭を下げた。
「三年前は、本当にごめん」
私は天井を見上げた。涙がまた溢れそうになる。
叔母の言葉が蘇る。
『好きな人がいるなら、ちゃんと傍にいなさい』
『たとえ傷つくことがあっても、逃げないで』
「……頭、上げて」
真司がゆっくりと顔を上げる。
「許すとか許さないとか、今は言えない。三年分の怒りは、簡単に消えないから」
「……わかってる」
「でも——」
私は息を吸った。
「話してくれて、ありがとう」
真司の目が見開かれる。
「三年間、ずっとモヤモヤしてた。なんで何も言わないで消えたんだろうって。理由がわかって——まだ整理できないけど、少しだけ楽になった」
「真琴……」
「叔母さんの葬儀、ちゃんと最後まで見届けさせて。それまでは、お互いやることやろう」
真司は静かに頷いた。
「ああ。ちゃんと送り届ける。お前の叔母さんを」
その言葉には、プロとしての矜持と、私への誠意が込められていた。
叔母の告別式当日。
秋晴れの空の下、たくさんの参列者が集まっていた。叔母が長年教師を務めていたことを思い出す。教え子たちも、かつての同僚たちも、皆が叔母を見送りに来ていた。
私は喪主席に座り、式の進行を見守っていた。
真司は、いつも通り完璧だった。でもどこか、彼の動きには温かみが増していた。遺族への気遣いも、参列者への配慮も、形式的ではなく心がこもっていた。
(あの日以来、少し変わった気がする)
日記を見つけた日。彼が過去を話してくれた日。あれから私たちの間の空気は、少しだけ柔らかくなっていた。
許したわけじゃない。まだ怒りも悲しみも残っている。でも、敵意を向け続ける気力がなくなったのも事実だった。
「これより、ご弔電を拝読いたします」
式が粛々と進む。叔母への言葉が、いくつも読み上げられていく。
『藤宮先生には、人生の岐路で何度も助けていただきました——』
『厳しくも温かいご指導、今も心の支えです——』
叔母がどれだけ多くの人に影響を与えてきたか、改めて実感する。
「続いて、喪主様からのご挨拶をお願いいたします」
促されて立ち上がる。原稿は用意していない。叔母なら、用意された言葉より本音を言えと言うだろうから。
「本日はお集まりいただき、ありがとうございます」
参列者の顔を見渡す。知っている顔、知らない顔。皆が叔母のために時間を割いてくれている。
「叔母は——藤宮芳江は、私にとって第二の母のような存在でした」
声が震えそうになるのを堪える。
「厳しい人でした。『真琴は甘いわね』が口癖で、私が泣くと『泣いても何も解決しない』と叱られました」
会場から小さな笑いが漏れる。叔母を知る人には、想像がつく光景だったのだろう。
「でも、私が本当に辛い時は、何も言わずに傍にいてくれました。話を聞いてくれました。自分の弱さを隠さずに見せてくれました」
叔母の日記を思い出す。あの日記を読んでから、叔母のことが前よりずっと近く感じられるようになった。
「叔母は私に、最期の手紙を残してくれました。その中に、こんな言葉がありました」
息を吸う。
「『好きな人がいるなら、ちゃんと傍にいなさい。たとえ傷つくことがあっても、逃げないで。死ぬ時に後悔しない生き方を、選んでね』」
真司の方を見た。彼は微動だにせず、私を見つめていた。
「叔母自身は、その生き方ができなかったと悔いていました。だからこそ私に、同じ後悔をしてほしくなかったんだと思います」
「私は——」
言葉を探す。
「叔母の想いを、無駄にしたくありません。臆病にならず、逃げずに、ちゃんと向き合っていきたいと思います」
真司の目が、一瞬だけ潤んだ気がした。
「叔母さん、ありがとうございました。安らかに、お眠りください」
頭を下げる。会場から、すすり泣きの声が聞こえた。
告別式が終わり、出棺の時間になった。
霊柩車が見えなくなるまで見送った後、参列者が次々と挨拶をして帰っていく。
「真琴さん」
声をかけてきたのは、知らない女性だった。七十代くらいだろうか。
「あなたが真琴さんね。芳江から話を聞いていたわ」
「叔母をご存知で——」
「同じ学校で働いていたの。もう三十年以上前だけれど」
女性は懐かしそうに目を細めた。
「芳江はね、いつもあなたの話をしていたわ。姪っ子が可愛くて仕方ないって」
「そう、でしたか」
「あの子、本当は寂しかったと思うの。でも弱さを見せられない人だったから」
女性は私の手を取った。
「あなたがいてくれて、芳江は幸せだったと思うわ。どうか、お元気でね」
「……ありがとうございます」
女性が去った後、私はしばらくその場に立ち尽くしていた。
(叔母さん。私、少しは親孝行できてたかな)
答えは返ってこない。当たり前だ。
「真琴」
真司の声に振り返る。
彼の手には、一通の封筒があった。
「これは?」
「芳江様から預かっていたものだ。生前整理の際に、『告別式が終わったら姪に渡してほしい』と」
「叔母さんから……?」
受け取って封を開ける。
中から出てきたのは、短い手紙だった。
『真琴へ
葬儀は無事に終わったかしら。泣きすぎて目が腫れていないといいけれど。
私の日記は読んだ? 読んだわよね。あなたのことだから、絶対見つけると思った。
私の後悔を知った上で、もう一度言うわ。
逃げないで。
あの男のこと、まだ好きでしょう?
三年前、あなたが泣きながら話してくれた時、私は何も言えなかった。でも本当は言いたかったの。「追いかけなさい」って。
でも言えなかった。自分ができなかったことを、あなたに押し付ける勇気がなかった。
今なら言える。私はもう、何も失うものがないから。
真琴。好きなら、ちゃんと好きだと言いなさい。
傷つくのが怖いなら、その怖さごと抱えて生きなさい。
後悔だけは、しないで。
叔母より
P.S. あの葬儀社の人、悪くない顔してるわね。』
思わず笑いが漏れた。泣きながら、笑った。
「真琴?」
真司が心配そうに覗き込む。
「叔母さんったら……最後まで私に小言を言うのね」
手紙を胸に抱きしめる。
叔母は、全部知っていた。私が真司のことをまだ好きなことも。踏み出せずにいることも。
だから最期に、背中を押してくれた。
「真司」
名前を呼ぶ。彼が真っ直ぐに私を見た。
「私、後悔したくないの」
「……」
「三年前、何も聞けないまま終わったこと。ずっと後悔してた。でも今は——」
言葉を探す。震える声を必死で押さえる。
「今は、ちゃんと話せた。あなたが何を考えてたか、わかった」
「真琴」
「許せるかは、まだわからない。でも——」
目を見る。三年前と同じ、私を見つめる眼差し。
「また、やり直せない?」
沈黙が落ちた。
長い数秒の後、真司が口を開いた。
「俺は——」
声が詰まる。
「俺も、もう逃げない」
その言葉を聞いた瞬間、涙が溢れた。
「三年前、お前を置いて逃げた。それをずっと後悔してた。許してもらえなくても仕方ないと思ってた。でも——」
真司の手が、私の頬に触れた。涙を拭う、温かい指先。
「もう一度チャンスをくれるなら、今度は絶対に離さない」
「……嘘ついたら許さないから」
「嘘なんかつかない」
「また逃げたら——」
「逃げない。約束する」
真司の額が、私の額に触れる。
「お前の傍で死にたい。お前に看取ってほしい。三年かけて、やっとそう思えるようになった」
「……重いプロポーズね」
「葬儀屋だからな」
笑った。二人で笑った。
涙と笑いが混ざり合う、変な感情だった。でも、悪くなかった。
「叔母さんが見てるかもね」
「……怒られそうだな。姪っ子を泣かせたって」
「多分、笑ってると思う。『やっとか』って」
見上げた空は、秋晴れのまま青く広がっていた。
叔母の魂が、その空のどこかにいる気がした。
『後悔しないように生きなさい』
その言葉を胸に、私は真司の手を握り返した。
叔母の死が、私たちに生き直す機会をくれた。死者を送る場所で、私たちは再び歩み始めることを選んだ。
今度は、最期まで傍にいる覚悟を持って。
叔母の四十九日が終わった頃、私は沙也加に報告した。
「真司と、また付き合うことになった」
電話の向こうで、盛大な悲鳴が上がった。
「ちょっと待って! 葬儀で再会して、そのまま復縁!?」
「そのまま、ではないけど」
「いやいやいや、展開早すぎでしょ!」
「叔母さんの遺言みたいなものだから」
「叔母さんすごいな!? 最強の恋のキューピッドじゃん!」
沙也加の言葉に、笑いが漏れた。
「ねえ真琴、幸せ?」
「……まだわかんない。でも——」
窓の外を見る。夕焼けが、空を赤く染めていた。
「後悔は、してない」
叔母の写真に目をやる。リビングに飾った遺影が、穏やかに微笑んでいた。
(叔母さん、ありがとう)
心の中で呟く。
(私、ちゃんと前に進むからね)
返事は、もちろん返ってこない。
でも、なんとなくわかった。
叔母は、きっと満足していると。
——完——




