5話
とある小学校の教室。
「グループは三から五名までで、それ以上は駄目だって。」
現在六人で集まったグループ。一人抜けなければいけない。もしくは三人抜けて他と合流するか。
そこに先生が一人の子を連れてきた。「この子も入れてあげて」とのことだ。これで、三人、四人で別れることが確定した。それは議論の種に肥料と水を与える行為だった。
終わらない話し合い。誰がこの貧乏くじを引き取るかということになった。
「まっ、いいわ。まなみんと一緒にこの子も引き取るわ。」
そう声を上げたのは小五の中でも一躍目立っていた奈良北希恵だった。
私――小蓬愛南と希恵――愛称、のえちゃん、そして先生が取り寄せた主張をしない大人しい中西玲という子。この三人でグループを組むことになった。
初めてくる山の中の家。三つのグループ合併した班でカレー作りを行う。
オドオドしく竈の前に立つ玲。そこに近づくのえちゃん。私は横目で見ながら米を研ぐ。
「まったく……。困ってるんなら言わなきゃ分からないのよ。貸して!」
「あ、あ、うん。」
玲が持っていたチャッカマンを掴む。ちゃっちゃかちゃっちゃかと茶色の薪の中に置かれた新聞紙を着火させた。ちゃっと火を生み出す。「はい。扇いで!」と団扇を渡す。それを受けて慌てふためきながらも団扇で風をおこして火を強めていく。
そうやって付けられた火でルーと具材をグツグツと煮ていく。米の方も研ぎ終えて火にかけていく。
完成したカレーライスはちょっぴり美味しいと思った。優しい味が口に広がった。
その後、各グループとなってゴールまで決められた道を進む活動。自然探索という活動名らしい。
さんざめく木。砂利道を踏みしめて進む。
決して険しくはない自然の道。ジャリジャリと鳴る音。少し斜面の道で玲が転けてしまう。
擦りむけた膝からは血が出ていく。
「全く、鈍臭いわね」なんて言いつつ、一目散に駆けつけては消毒液と綿で傷口を清め、絆創膏を貼る。そして、半ば強引な気もするけど、彼女は玲の荷物を代わりに持ってあげる。それを見て「私も手伝うよ」と持てそうなものを持つ。
小さくても確かに聞こえる「ありがとう」は悪い気がしなかった。
「じゃっ、行くわよ。着いてきなさい。」
彼女を先頭にして、鈍い足取りで進む。ふと振り向くと鳩が驚いて飛ぶ。湖の畔にて一人待っている担任。ほんとに良かった。ようやくゴールだ。
「中西さんの怪我を処置して、代わりに荷物も持ってあげたみたいですね。流石です。奈良北さん。」
満遍ない笑みは満更でも無さそうに見えた。
その時に目に映る静かに揺れる湖。とっても綺麗で、感動を覚えた。
夜。
就寝の時間を過ぎた。ここからが始まりである。
「じゃあ、恋バナの時間よ。それとも怪談話でもする?」
「怖い話だけはナシ!」こんな山奥の閉鎖された森の中で怖い話をされたらたまったもんじゃない。雰囲気的に会いすぎていてエヌジーだ。
「玲さんは誰か好きな人とかいるの?」
おどろおどろしい彼女はどこか違う方向を見ていた。
「いない。だって、玲は……人と、話すの……苦手。」
それなりに距離の縮まった関係となれど、本質は変わらない。「まあ、そういうタイプだものね」と納得していた。
「じゃあ今度はまなみんの番ね。まなみんは……乾君と仲良いわよね?」
「仲良いというか……なんか行う時になぜかよく一緒になっちゃうというか……。」とても困る間柄だ。不思議な腐れ縁でもあるのかと思う程。まあ、中学生とか高校生になれば消えていると思うと伝えた。
「じゃあ、最後はわたくしね――」
その時、物音がする。振り向くとそこには鬼の形相をした先生が立っていた。たまに見かける怖い先生だ。容赦なく雷を落とされる。
仕方なくベッドに潜った。
担任の先生だったらこんなことにならないのに。けど、担任の先生は男子の方にいるから仕方ないよ。なんて言う会話をしながら夜を更けていく。
――――――
「私は央君に恋してるの。秘密よ、これ。」
「大丈夫。みんな知ってるから。」
「まー、そうよねー。けど、昔からの幼なじみの関係だから、どうしても恋に発展させにくくて、告白する機会がないのよねー。」
私はのえちゃんの家で遊んでいた。両親はいない。一人暮らしののえちゃん。話しをしている間にふと現れる飲み物。誰もいないはずなのに、誰かがそれを用意して出したみたいだ。まるで幽霊みたいなのに不思議と当然の事だと思ってしまう。これ、私の感性がおかしいのだろうか。まぁ、いいか。
のえちゃんの隣の家に住む央君。二人は幼稚園からの関係で、ただの友達同士。でも、今となってはのえちゃんが一方的に好意を寄せる関係。
ずっと続いていた友達同士の関係。それを恋人同士の関係にしなければならない。近くにあり過ぎて逆に難しい関係のようで、のえちゃんは一向に恋に踏み出すことができていなかった。
もし好意を向けたのがそれ以外の相手ならきっと告白しているだろう。やはり告白できないのは近すぎる関係だからか。これはある意味灯台もと暗しではとも思った。最近習った諺だ。
「中学生になったら絶対いつか告白しようと思う。」
いつか……。またズルズルと引き伸ばされるパターンだ。
「ねぇ、それより玲ちゃんのシールブック作らない?」
百均のシールをずらっと並べられる。可愛い種類のものが沢山ある。ふと目に付いたこの推し文字シールは誰が使うのだろうか。チラつく『W不倫』『全米が泣いた』の文字。誰が使うのだろうか。他にもマッスルシールなんてある。チラつく『肩メロン』『筋肉本舗はいズドーン!』を初めてとする文字。なんでこんなシール買ったのだろうか。
何だかんだで楽しんで時間が過ぎる。
次の日、私達が渡したシールブックは、愛情を足した緻密に貼られたシールがお気に入りだ。
玲の喜ぶ姿。
林間学校の時から私達三人は急速に仲良くなった。お節介焼きでちょっと強引な時もあるのえちゃんと、引っ込み思案で言葉数や行動力が少ない玲ちゃんとの相性は頗る良かった。
もちろん私も二人と仲良く過ごした。
あっという間に時は過ぎて、私達仲良し三人組は小学校を卒業した。
◆
三人グループは四人グループになった。
「アズアズだけ校区が違くてさー、話せる友達みんなあっちに行っちゃたんだよねー。」
私達の小学校は全員繰り上がりでこの中学校に進学するが、アズアズの通っていた小学校では、中学校の校区が二つに別れていたらしい。それもアズアズのいる側、つまり私達の中学校側の方が珍しいらしい。それは話せる友達も最初はいないよなーって思う。
私と仲良くなったアズアズは必然的に私達のいるグループに加入したのだ。ただ、三クラスで全員バラバラに配置されてしまったのが痛手だった。まあ、それでも長い昼の休み時間は廊下に集まって井戸端会議をするので問題ないのだが。
相変わらずの日常が続いていく予感がする。
晴れやかな空の下、鳥が飛んでいく。
「ねぇねぇ、聞いて聞いて。アズアズはなんと、バースデーガチャで当てちゃいましたー!」
羨ましい。ズルい。「私なんか、大爆死したのに。」
ゲームのガチャを引くには石がいる。中学生の私達には簡単に課金なんてできないからログインボーナスでコツコツ集めて一気に引くしかない。必ず当たりが出る天井なんかまで集めてられない。そうしてようやく集まった石を引き換えにガチャをしてもハズレだったらどうしようもない。今、私、どうしようもない。
「自分は……今回のガチャはスルーかな……。」
「まあ、そうね。私も推しのバースデーまで引かないって決めてるからこれはスルーするわ。」
二人とも賢明な判断だ。
今回のガチャは引くべきではない。普通は大爆死するから。
「はー、また、地道に集めるしかないのかー」とため息を吐く。
「頑張って」と玲からの励まし。「頑張ますー」とやる気ない返事を返した。
それにしても「最近、玲ちゃん、変わったよね」と思う。
「それもそうよね。以前なんか、全く話せなかったのに……。」
アズアズはへー、そうなんだーみたいな顔で彼女の方向を見ている。
「うん。ちょっとだけ自分に自信が持てたから。」
彼女の成長がちょっぴり心をホカホカした気持ちにさせた。優しい笑みを浮かべた。
「そうだ。実はね、うち……告白を考えてるんだ。」
「へー、誰に? 誰?」
「ふふ……。内緒。」
秘密にされたその出来事に少しばかし盛り上がる。楽しい時間が過ぎていく。
――――――
「玲ちゃんって彼ピいるか聞いたことある?」
「私は聞いたことないかな。どうしてそんなこと聞いたの? もしかして……。」
「うん。その通り。仲良く歩く姿をスクープしちゃった。」
移動教室のために理科室までの廊下を歩きながらそんな会話をする。
「アズアズってさー、美化委員会じゃん? 玲ちゃんも美化じゃん? 同じクラスの子と楽しそうに話しててさー。あんなに楽しそうな玲ちゃんは初めて見たんだよ。」
玲ちゃんのデビューが近いのか。私達の中で、一番乗りがのえちゃんでもなく、私やアズアズでもなく、まさかの玲ちゃんになるかも知れないと言うことに驚きを隠せない。
しかし一体誰だろう。
玲ちゃんのクラスの美化委員会……。ふと嫌な予感が、点と点が、線で繋がった。
「もしかして……央君?」
のえちゃんが嘆いていたことを思い出したのだ。央君と同じ美化委員会にしとけば良かった、と。のえちゃんは央君と別のクラスが故に重ならなかった。それ自体仕方ないことだ、で終わった。
移動しながら窓の外を見た。廊下の窓の向こう側に見える曇天を見る。今日は何故だか胸騒ぎがするな、と心の中で呟いた。
――――――
今日の美術部は休み。同じく部活が休みであるのえちゃんと一緒に下駄箱へと辿り着いた。
突然、通り過ぎる一人の男子――央君だった。
のえちゃんを見かけるとドヤ顔を浮かべた。
「今日、部活はどうしたの? 男子は今日、部活じゃない?」
「部活どころじゃないからね。告白されるっぽいからさ。」
元気よく笑顔を振りまく姿。爽やかに通り過ぎていった。
隣を見る。少しだけ泣きかけの顔だ。悔しさが滲んでいる。もっと早くに告白すれば良かったという後悔を噛み締めているんだ。
瞼と呼ぶ名前のダムに液体が貯まる。そして、決壊して壊れて瞼の裏から液体が流れ出る。人気のない場所に移動して涙を流す彼女の背中を私は摩った。
少しして――。
通り過ぎる一つの影。玲ちゃんだった。
私達に気付いて立ち止まり笑顔を浮かべる。
「今日、告白するんだ」と優しく微笑んでいた。
ふと立ち上がり「誰に?」と笑顔で問いかけている。それに対して「同じクラスの央君」と照れながら言い放たれた。
隣を見る。もう涙を流していた時の表情はなく、目を逸らしたいようなソレになっていた。
スッと鞄から何かを取り出した。
パチャンッ。水筒の中の液体が玲ちゃんをびしょ濡れにさせる。
「そんな汚らしい状態じゃ、告白できないはずよね。」
どこか冷たく、そして恐ろしさすら感じる低いトーン。いつもの作られているような声色はそこにはない。
「なんで……そんなこと……するの?」
玲ちゃんはただ怯えていた。
「まだ、諦めてないなら、もっと酷いことするわよ――。」
私はただ事の顛末を見守ることしか出来なかった。
◆
最初は意地と意地のぶつかり合いだった。
告白の機会を奪うために友達を総動員して邪魔をしまくっていた。特に、玲ちゃんの同じクラスののえちゃんの友達は大活躍だ。二人きりにならないように飛び入るようなことをするなどの邪魔が行われていった。
それでも玲ちゃんは鈍感なのか諦めはしなかった。機会があれば告白しようとしていた。のえちゃんも引き下がる気がなかった。
徐々に意地の張り合いは小さな嫌がらせへと変わった。多分、きっかけはのえちゃんのお願いだと思う。けれども、元々玲ちゃんが言葉数少なく表現を滅多にしないタイプの人間であり、嫌がらせに嫌とも言えない体質ということが明白となるに連れて、玲ちゃんになら嫌がらせをしてもいいんだ的な雰囲気が広がったのだと思う。隣の玲ちゃんのいるクラスではそういう雰囲気が確かに出来上がっていた。もちろん、のえちゃんもその雰囲気の波に乗る。
いつからだろう。
ただただ娯楽のために嫌がらせを行うようになったのは。虫が平気な子に頼んで虫を靴に入れるなんて行為を目にした時はやり過ぎのように感じた。
けど、のえちゃんの「まなみんは私の方の味方よね?」との言葉に頷いていた。どちらも大切な友達だけど、幼なじみののえちゃんを裏切れなかった。
嫌がらせは段々とエスカレートする。
そこに央君への告白阻止の理由はない。ただ、楽しむための悪意。それしか残っていなかった。
だから――。
「もう央君のことは諦めたから、もう……やめて……。」
その苦痛の言葉は――風に消えた。
デフォルトと化した娯楽。もう止まらない悪意。
「ねぇねぇ、どうやって告白阻止したのー?」
「こうやったのよ!」
意味もなく水筒の水をかけられる彼女。それを見て笑う他の人達。私も空気を読んで、笑いを合わせる。理由も何となくその場の空気に合わせただけで傷つけるつもりは毛頭なかった。その場に笑いの渦ができていた。
それから玲の姿は見なくなった。
噂では夕方登校していると聞いた。
四人グループだった私達はいつしか三人グループに変わり、固定された。何事も無かったように楽しく話している。一人が抜けたことを気にも止めないで。
――――――
冬が積もるぐらいの寒さだった。
雪が身体の体温を冷やす。寒すぎて下ジャージを履きたいぐらいだ。それぐらい寒い。羨ましく横目で見ている所にのえちゃんが来た。彼女に至っては生足だ。それもだいぶスカートを追ってるから余計に寒かろう。ってか、校則違反じゃない?
今度はアズアズが来た。もう何もかも諦めてスカートに下にジャージを履いてる。もう他の人の目線よりも温かさを重視した結果だろう。
三人で楽しく話すことで気持ちによる暖を取る。
冬休み明けて、久しぶりの授業。教室の中の空気はどんよりしていた。精気が一切なかった。お通夜のような雰囲気だ。外が雪だからだろうか。いいえ、雪ならばはしゃいでいる人も多かろう。では何故こんな空気感なのだろうか。
答えはすぐに分かった。
隣のクラスの子が一人心中したと聞いた。雪山の中でこの世から消えていったらしい。
噂があるから気付けたこと。それがなければ当然のように、何事も無かったように見ていた空白の席。
そう、中西玲は命を絶った――。
その事実に私は胸を痛めた。
ずっと靄を抱えた心で過ごしていく。楽しく話せる時間が激減した。楽しく話していると、私だけ楽しく話していいのかなと思ってしまうからだ。
二年生に上がった。
「いじめが行われる際に四つの構造に別れます。いじめの"被害者"と"加害者"は分かりますよね? この加害者側に、それを見て囃し立てたり面白がって見たりする"観衆"、見て見ぬふりをする"傍観者"が加わります。私はいじめをする加害者を絶対に許しませんし、観衆や傍観者になってしまうのもよくないと思っています。みなさんには勇気を持っていじめを止める人になって欲しいのです。」
先生が言ったその言葉。早く言って欲しかったと心の中で叫んだ。
私とアズアズは傍観者だ。いや、私に関しては空気に溶け込んでそのまま観衆になっていた。私も悪に加担した悪なんだ。
自分自身を責めすぎて、耐えきれなくなって、他責してしまうようになって、そんな自分が嫌になって。なら、いっそ忘れてしまおうと私は少し目を逸らした。
三年生に上がった。
一学期か二学期に行った道徳の授業。『償い』というタイトル。事故を引き起こしたゆうちゃんのお話。永遠に許されない罪を償うため、仕送りを続けるお話。その授業は平坦な授業のはずなのに、あまりにも鮮烈で、脳裏に刻まれていった。
私は何も償ってなどいない。
本当にこのまま何もしないで過ごしていいのだろうか。自暴自棄になりかけになった。あまりにも辛すぎて、目を逸らしたくて、記憶に蓋をすることにした。
完全に忘れることなどはできない。思い出したくない記憶。私は目の前に迫りくる罪悪感から背けたのだ。
月日の経過が、全てを過去にしていく。
あの時の出来事は嫌な記憶として奥底に隠したまま、私達はいつもの生活へと戻っていったのだ。
何変哲もない日常へと――。
◆
これは罰だ。償わなかった罰なんだ。
ハッと目を覚ました。
真っ暗闇の中、手の感覚を使った目覚まし時計の位置を探って軽く叩く。薄い光で照らされた針はまだ四時を示していた。
二度寝するために目を瞑った。
ゆっくりと闇の中へ……。
ようやく祟られただけ。紛れもなくこれは罰。
眠れない。寝ようと思っても寝たくない。
肌寒い中、電気も付けずにリビングへと向かう。ダウンライトを付けて、ココアを作る。
何でもしますから、どうか許してください。慎二君を戻してください。そんなことをずっと願っている自分がいる。
ココアを飲み終えた。
静かに揺らぐ空気。ぼやけていく輪郭に身を任せて、椅子に座りながら夢の中へと落ちていった。
――――――
結局、学校に行けなかったな……。
一日中家にいた。家にいて、さらに何もしなかった。スマホすら触る気力が起きなかった。
ただ辛さだけが増していく。
夕飯の時間。しかし、食べる気力が湧かない。胃の中が圧迫されて食べようとすると吐き気がする。何も食べていないはずなのにお腹いっぱいだ。
何も口に付けれずごちそうさまと言い放つ。机から離れた途端、足の気力が途絶えその場に崩れ落ちてしまった。
「大丈夫……?」
「何か嫌なことでもあったのか。何かあれば言ってくれ。」
両親の言葉に耳を傾けた。
慎二君がこの世から消えたこと。その原因が玲で、きっとそれは玲の怨念であり、私が罪を償っていないからだと思っていること。その事を二人に伝えても信じて貰えるのだろうか。
藁にも縋る気持ちで打ち明けた。
「お父さんはいつだって愛南の味方だ。例え世界が敵に回ろうともな。」
「信じてくれるの?」
「もちろんだ。どれだけ嘘っぽくても、お父さんは愛南のことを信じてるからな。」
包み込まれるような温かさ。「お父さん……」と私は呟いて感謝した。
「お母さんもよ。辛いことがあったら逃げればいいの。いつだって私達がいるから。いつでも私達の所へ逃げてきなさい。」
優しい言葉。「お母さん……」と声を出す。
「愛南は大切な大切な我が子なの。一人になんてさせないわ。」
二人はその場に崩れ落ちている私の元へと来て、優しく抱いてくれた。
この時だけは暗い出来事を全て忘れることができる気がした。私には大切な親がいる。
感謝が尽きない。今まで生きてきて、これ程までに救われることがあっただろうが。きっとこの時が一番、親に感謝した時だ。そして、この二人の子どもとして産まれてきて本当に良かったと切に思った。
「ありがとね――。お父さん。お母さん。」
さっきまで失われていた希望が取り戻されていく。今なら絶望さえ押し退けていける高揚感さえ感じられる。どんな逆風でも進んでくれる。だって後ろでは大切な大切な両親が背中を押してくれるから。
「大好き――。」
目を見開くと現れる。
儚く舞う花びらと光の粉。
目の前にはまるで幻想的な景色が広がっている。二人の人間で作られたその光景はまるで夢景色。
たった数分間の出来事がまるで永遠に閉じ込められた絵画のように感じられる。きっとどれだけ一生を絵に費やしても描けはしない瞳に映る一枚だ。
時間は虚しく過ぎるので、悲しくも花びらも光の粉も瞬く間に消え去る。
大切な二人のいた証拠はもうそこにはない。
父と母の存在は一瞬にして消滅してしまった。
私は泣き崩れた。多分、近所迷惑になる程に泣いた。嗚咽を響かせた。
泣いた所で何か変わる訳ではない。何か起きる訳でもない。虚しく時間だけが過ぎるのみだ。涙が乾いてもうでなくなってしまう。泣くなんて何もかも無駄な行為だったとそこで気付く。
存在するはずの二組の皿もなぜか今は存在しない。まるでこの世から消えてしまったみたいだ。これはまるっきり慎二君と同じ状態だと言えよう。
私一人を残して消えたこの家では虚しい音が響く。もう誰かが慰めてくれることはない。誰かがそっと近くにいてくれることもない。もうここには親なんて存在しないのだから。
涙の貯水槽は空なので泣くことはもうできない。どれだけ悲しめども受け入れるしかない現実に声を失う。
ただ一縷の希望だけは捨てたくなかった。
慎二君もお父さんもお母さんも、消えたみんなが元通りに戻る可能性はゼロじゃない。実態が何も分からないからこそ、私はその希望に賭けたかった。
……。
……。
のえちゃんからの電話だ。
虚音の部屋に鳴り響いている。
『夜遅くにごめんね。霊媒師の方から連絡があったの……。あの後、仲間の霊媒師や祓魔師、除霊師などと一緒に呪いの状況を確認したみたいなの……。』
どこか力のない声。のえちゃんにしては珍しい弱々しい素の声。
『呪いの主は玲ちゃんで間違いないみたい。他の方でも除霊は不可能らしくて……。私達にかかった呪いは祓えないらしいわ。諦めて受け入れるしかないみたいなの。』
言葉が段々暗く悲哀がこもっていく。こちらまで辛くなるからその声音はやめて欲しかった。家の無音も相まって心に響く。
『私達にかかった呪いは"相手を消滅させる"呪い。その相手の条件は"深く愛した人"――』
慎二君の時もカップルになってファーストキスをする――深く愛した時に発動した。両親の時も、感謝と愛を込めた時に発動した。つまり私は、呪いにかかっているため、愛してはいけないのに、愛してしまったのだ。それによって私が三人を世界から消したのだ。
後悔の念ばかりが思い浮かばれる。早く私は後悔を払拭したい。どうにかして消えた人達を元に戻して上げたい。
『そして、一度消えた人はもう――二度とは戻らない。』




