俺の人生に女子が......
大きな行事は二学期以降なので、それから夏休みまでは比較的ゆっくりと過ごせる期間だ。
俺はすっかり気が楽になっていた。
そんなある日、家庭科の授業で調理グループが一緒になった女子と、俺は少し親しくなれたんだ。
調理実習は、名前の番号順で四人グループになる。
同じグループになった瀬木洋子、それが彼女の名前だ。
「今日作るのは、ハンバーグと付け合わせ、サラダに、カップケーキです。班内で 分担して、時間内に終わるように考えてね」
この時、俺と瀬木さんがハンバーグの係になった。
全く初挑戦の俺は、家で時々作るという彼女に指示をお願いした。
「じゃあ、玉ねぎを炒めるのと、お肉を捏ねるのをお願いします。私が材料を計って用意しますから」
瀬木さんは、はにかみながら言った。
小柄で細身、チワワを連想させる女の子だ。大きな目がウルウルと揺れている。
日頃、自分より強い女子二人に振り回されているので、彼女の遠慮がちな物言いが、すごく新鮮に聞こえる。
そのせいか、ちょっとだけドキッとした。
この感覚は腹黒女子以来、久しぶりだった。
それを思い出したせいで、待てよ、とストップがかかった。
この子も先輩たちとのパイプが欲しいだけかも。
そう思う気持ちと、まさかこんなか弱げな子が、と思う気持ちが同時にせりあがってくる。
「まずは玉ねぎをみじん切りにします。田中君はフライパンを用意してください」
彼女のほんわかとした声に、俺は心の中で叫んだ。
(はい、喜んで!)
うん、そんな可能性は限りなく低い。
だけど一応、様子を見よう。
自分に言い聞かせた俺は、フライパンを持ち上げ、洗い始めた。
瀬木さんは器用に玉ねぎを刻んでいる。
本当にいつも料理しているんだ。俺は感心して彼女の手元を覗き込んだ。
その途端、玉ねぎが目にツンときた。
「痛っ!」
慌てて手で目をこすろうとしたら、その手を誰かが抑えた。
「こすらないで、これで拭いてください」
俺の手に濡らしたハンカチが手渡される。それで目を拭うと、痛みが引いて行った。
「ありがとう。このハンカチ、洗って後で返すよ」
「気にしなくていいですよ。私もう一枚持っているので」
彼女は俺を見上げて柔らかくにっこりと微笑んだ。
今度はもっとドキッとした。
そして自分がさっき、少しでも彼女を疑ったことを、申し訳なく思った。
刻んだ玉ねぎを、教わった通りに弱火でグルグルかき混ぜる。この作業は単調で退屈だ。それで暇つぶしに周囲を見回した。
カップケーキ係の二人は、交代で必死に泡立てをしている。
他の班は結構バタバタしていてトラブルが多そうだ。何かこぼして掃除中の班もいた。
瀬木さんは俺の隣で、パン粉や牛乳や、その他何やかやを、手際よく準備していく。
そこに調理の進み具合を見回っていた先生がやって来た。
「あら、この班はスムーズね。瀬木さんが慣れているようね」
「はい。ハンバーグとカップケーキは作った事があるんです。弟が好きなので」
「そう。それならこの班は大丈夫かな」
そう言い置いて、先生は他の班へ向かった。
少しして、「この玉ねぎ、ハンバーグからはみ出すでしょ。刻むって言うのはね、もっと小さく……」 という先生の声が聞こえてきた。
どこかの班は、玉ねぎをぶつ切りにしているらしい。俺だって、自分で刻んだら、 今の三倍くらいになっていたはずだ。
玉ねぎを冷まし、ボウルに移すと、やっと捏ねる仕事が始まる。
俺は良いところを見せたくて、全力でボウルの中身を捏ねた。ひき肉の柔らかい感触が、気持ちいいんだか悪いんだか微妙だ。
「わあ、さすが男子。捏ね終わるのが早いですね」
瀬木さんに褒められた。
「いやあ、大したことじゃないし」
「じゃあ、一緒に成形しましょうか。四つに分けて小判型にしましょう」
二人で一緒にハンバーグの種を丸め、形作って行く。なんだか新婚カップルみたいなシチュエーションだなと、落ち着かない気分になった。
この日の実習は大成功で、俺の班は美味しいハンバーグとカップケーキにありつけた。
焦がした班、生焼けで焼き直した班、材料の量を間違えて、ひき肉の炒め物になった班などと比べると、大成功だ。
それから俺は、瀬木さんと時々話をするようになった。授業の話や、お気に入りのユーチューバーの話なんかの、他愛ないものだ。
だけど、俺にとって、これは一大事件。
俺の生活に、女子の友人らしきものが現れた。
おかげで、忙しいだけのスクールライフに彩が加わった。今までがグレイとしたら、きっとほんのりピンク色だ。
「ねえ、ヒロシ。最近ちょっとそわそわしていない? なんとなく浮かれているというか」
勘の鋭い井上先輩に突っ込まれたが、このことは絶対秘密にしようと決めている。
嗅ぎ付けたら、きっと彼女の事を探り始める。
か弱い彼女は怯えてしまうだろう。
そのうち瀬木さんとは、一緒に昼飯を食うようになった。
「気持ちのいい天気だから、外で食べながら話さない?」
瀬木さんに言われて、ごく自然にそうなった。
話題は俺の毎日の日課や、バイトのことや、生徒会での仕事のことなんかにも広がって行った。
「田中君は里見先輩とモデルのバイトをしているのでしょ。緒方先輩は文句を言わないの?」
「特には気にしていない感じかな」
「えーっ。それはおかしいわ。普通自分の彼女が、別の男と一緒にモデルの仕事とかしていたら、気にしない?」
「さあ、どうだろう」
「気を付けたほうがいいかもしれないよ。焼きもち妬かれたりして」
彼女から俺の事を色々と聞かれると、何ともくすぐったい気分になる。
通り過ぎる男子生徒が、うらやましげな表情を一瞬見せ、目を背けて通り過ぎた。
アイツの気持ちは俺もよく知っている。
だって、俺はずっとあっち側にいたのだから。
彼女が俺に話しかけてきたので、そちらに意識を戻した。
「ところで今井先輩や緒方先輩が、女子と二人でいるのを見たことがないんだけど。田中君はある?」
「そういえば……無い、かも。生徒会の仕事以外では、見たことないな。気になるの?」
ふうんと言った後、瀬木さんは卵焼きを一切れ、俺の口元に差し出した。
え、何?
「自信作なの。食べてみて」
キラキラの目に見入ったまま少し口を開けると、卵焼きが口に押し込まれた。
彼女の細い指が目の前で動く。
これ、あーん、ってやつか!
「有名人の私生活、気になっちゃうな」
そう言って無邪気に笑う。
俺の心臓はバクバクで、彼女の笑顔はキラキラだ。
彼女との『ランチデート』はそうやって少しずつ親密さを増していく。
これはもう付き合っている、と言って良いのかな。




