第4話
暗い中、わずかに見えるかどうかという程度の、草が生えていない地面が露出した道を見分けて奥へ進む。夜の森は昼間とは打って変わり、木の葉のすれる音だけが聞こえる以外音はしない。不気味な静寂が辺りを包んでいた。
じいさんの体が何故か青白く発光していたおかげで、途中から自分で道を見分けるのをやめて、じいさんの背中を追うようになっていた。その方が疲れないし、何より俺以外に誰かがそばにいてくれるという安心感を得ることができて好都合だった。
「な~、まだ~?」
「もう少しだ」
ため息をつきながら森の奥へ進む。もう俺が入ったことのない領域に入っていた。見渡す限り木、木、木......どこまで続いているのか分からない。はたして家に無事に帰れるのだろうか、不安だけが募る一方である。
歩き始めて数分後、前方に月光が差している空間が見えてきた。
「あれか!」
ようやく目的地に見えたと思い、走り出す。
『走るな!』
その瞬間、じいさんの怒号が頭の中に響き渡った。ビクッと体が震え、俺は思わず足を止める。
今、口を開かないで俺の頭に直接話しかけたのか? 何かのスキルだろうか?
『走ってはならぬ。そして声も出すな。隠れるぞ』
じいさんが人差し指を口に当て、静かにしろと合図を送る。俺が言うとおりにした。池を目の前に暫くの間、近くの藪の中に身を潜める。
すると、俺たちが来た方向から、ジャリジャリと石を踏み鳴らす音が聞こえてきた。
『人⁉』
『うむ、村を出た辺りからつけられていた』
『いや、初耳なんだけど⁉』
『あの時お主に言っていたら、帰ると言われそうだったからな。黙っておった』
何言ってんだこのじいさん、と思いながらも音をたてないように身を潜め続ける。足音が大きくなるにつれて、話し声もはっきりと、より鮮明に聞こえるようになってきた。
「こっちに来てたよな」
「あぁ、間違いねえ。さっきまではこの辺にいたはずだ」
男の声が二つ。一人は極端に背が高く、もう一人は背が極端に低い。多分180と155という感じだろうか。チビの方が、「クソ! 見失ってんじゃねえか!」と愚痴を言いながら石を拾って池に向かって投げる。
「焦るな馬鹿。見失いはしたが、あれは間違いなくあのギルドマスターの女の息子だった。一人で黒い森に来るとは驚いたが、帰りには確実にまた入口を通るはずだ。そこで待ってりゃいずれ出てくるさ」
ノッポがケラケラと気持ちの悪い笑い声をあげる。腰に差していた剣の鞘が笑いで震える体と共にカチャカチャと音を立てる。森の静寂が離れている男達の声をとても鮮明に俺の耳に届けていた。まるで男たちがとても近くにいるように感じられるほどに。
「でもよ、あの女の息子だぜ? あまり手荒なことやるとこの村に居れなくなるんじゃ......」
とノッポ。
「はっ! 俺たちはもうDランクだ。Fの雑魚どもが集まるこんな小さな村なんかこっちから願い下げだぜ。それより、あのガキを人質に金と交換して、とっととトンズラした方が賢い選択ってもんだ」
「だがよ~、あの女に痛い目にあわされるんじゃねえかと思うと俺やめた方が良いと......」
「馬鹿言うな! 最近じゃ低難度クエストをギルドマスターの女が初心者に斡旋してやがるせいでまともに金稼げてないだろうが! あのガキは高くつくぜ、そうだな、100ゴールドは取れる」
「ひゃ! 100ゴールド!?」
―――100ゴールド。ルピに換算すると10000ルピだ。マリナさんから買ったこの剣が1000本も買える。少なくとも、派手に使わなければ一生働かなくて良くなるほどの大金だ。
そんな大金をいくら母さんと言えども払えるはずがない。
「い、いや。だけど、キースよ~、流石に100は無理なんじゃ? せめて10が関の山だと思うぞ」
「ふん、お前知らねえのか? あの女、元王都近衛兵第6番隊隊長で引退してからも、ギルドマスターとこの村の軍の軍隊長を兼任してるんだぜ? 金が無いわけねえだろ」
―――母さんが、近衛兵の隊長?
衝撃的事実に、俺は飛び上がりそうになった。
『近衛兵とはなんだ』
『お、王都の王直属の10個の護衛隊の事だよ! 選りすぐりの人間しかなれないし、その隊長なんて冒険者のランクで言ったらSかSSだよ!』
『なんだ、それはそんなに凄いのか?』
『凄いも何も、近衛兵隊長なんてほぼ英雄みたいな感じだよ! まさか母さんが元近衛兵隊長だったなんて......信じらんねえ、改めて母さんの凄さが分かったよ』
『ほぉ、それは面白そうじゃ、一度手合わせ願いたいものだな』
衝撃的事実とこの最悪な状況で頭がパンクしそうな俺を他所に、じいさんはやけに楽しそうに髭をさすっている。
何というか、母さんもそんなところがあるが、戦い好きの人間って皆こうなのかだろうか。
気づけば、二人の男はどこかに姿を消してしまっていた。恐らく俺を捕らえる為に入口の方へ引き返していったのだろう。
『なぁ、もう近くにアイツら居ない?』
『うむ、気配は消えたな』
『ケハイ』、という言葉が良く分からなかったが、取り合えずこの場からは去ったのだろう。
ようやく一息つくことができた。母さんが近衛兵隊長だったというカミングアウトを唐突に食らった俺はしばらく池の淵に立ち尽くす。母さんもなぜ今まで俺に黙っていたのだろうか。マリナさんは知っているのだろうか。様々な疑問が頭の中を駆け巡る。先ほどの二人組が自分を狙っている事を一瞬ではあったが、忘れてしまうほどに。
しかし、困ったことにあの二人組が言ったように、帰りは必ず待ち伏せされているであろう場所を横切る必要があった。夜の森を道を外れて散策するのは、流石の俺でもやってはいけない事だと分かる。
「どうする? アイツら多分入口で待ち伏せしてるぜ?」
「そうじゃの~、う~む、まあ、取り合えずお主は目の前にいるそのスライムを何とかしたらどうじゃ」
「え?」
視線を落とすと、水の塊が俺の足元をうねうねと動いている―――スライムだ。
HPはほぼ無いに等しく、また攻撃力も無いに等しい。つまり無害。倒すと普通の水のような液体になるのだが、井戸水などとは違い、風邪や病気の初期症状を抑えたり、熱を下げたりする効用を持つ薬としての効果を持っている特別な液体なのだ。
そのため、倒す際は、桶などのような液体を漏らさないような入れ物の中に入れて倒すのが望ましい、とされている。
だが、それは昼間の話。黒い森の夜のスライムは昼間とは違い凶暴性が増しており、HPと攻撃力共に上がっている。おまけに、先ほどの男たちが池に水を投げた事に腹を立てているようだった。
「うわっ!」
足元のスライムが急に液体を飛ばしてきた。間一髪でそれを仰け反って躱す。俺の後方に飛んで行った液体はそのまま地面に着地し、まるでビールの泡が弾けるような音を立てながら地面に浸透していった。
「え、ナニコレ」
「どうやら物を溶かす効果があるようだな」
唖然とする。あんなもの直撃したらただでは済まない。俺は即座に踵を返し、先ほどまで隠れていた藪の中に飛び込む。昼間のスライムには備わっていない攻撃方法だった。
「あ、あんなのどうすれば良いってんだ!」
藪の中から弱音を吐く。傍から見ればなんと情けない姿だろうか。分かってはいたのだが、体の震えが止まらない。スライムだから、と甘く見ていた。下手すれば命を落とす可能性すらあった。先ほどまでの余裕が嘘のように自分の心から消えていくのが分かった。今俺の心を支配している巨大な感情。
『恐怖』
この森に入る前に確かに俺は決心した。強くなって周りを見返すと。自分がこんなにも弱い人間だったのだと、スライムに気づかされた。
そう、スライムにだ。最弱魔物に分からされたのだ。心のどこかで自分には何か才能が有って、じいさんの言う通り修行を続ければ強くなれると、そう思っていた。
違ったのだ
じいさんの言った『恐怖を克服する心』が今ではどれだけ大切なのかを身に染みて感じていた。こんな状態で満足のいく戦闘などできるわけがなかった。
「く、くそ......こんな! こんなはずじゃなかったんだ!」
心の声を思わず吐露する。俺には修行をするという簡単な事すら出来ずに、冒険者になるという夢を諦めなくてはならないという事が、たまらなく悔しかった。
「帰ろう、じいさん......」
先ほどから無言で俺の様子を見ていたじいさんに声をかける。心に渦巻く自分自身への落胆を抱えて、俺は帰路に着こうとする。
「ノエル、お主は何か勘違いをしておる」
背中にじいさんが声を投げかける。
「最初から全てが上手く行くと思っているのか、貴様は」
じいさんの静かな言葉に俺は返事をすることができなかった。
「わしは、ここまで一人で来るという事だけでも相当の勇気がいると思う。その点で言えば、お主を高く評価しておる」
じいさんの言葉を聞き、良く母さんが言っていた言葉が思い出された。何かをしようと思い行動に移す、これができない人間は世の中に五万といる。だが、たとえその結果が如何なるものであったとしても、行動したものは一段、また一段と成長の階段を上る。そうして自分の目標に近づく、と。
当時はうっすらとしか意味が分からなかったが、今、はっきりと理解した。
「最初から上手く行かなくともよい。失敗も成功のうちだ」
「失敗も......成功のうち」
「そう、ここで夢を諦めてみろ。一生後悔するぞ。わしはな、夢を諦めずに追いかけている時こそが生きがいであると思っている。失敗したら終わりではない、諦めた時こそ終わりが来るのだ」
俺は......俺は、冒険者になれるのだろうか。小さい頃からの憧れであった、母さんのように......
母さん、俺は、あなたのようになれるんでしょうか? 皆を導き、助け、感謝されるような、そんな人間に......
「諦めるな、失敗しろ、それでもどうにかなるのが人生なのだ」
じいさんの声を胸に仕舞う。俺は剣を再び握りしめ、大きく息を吸い込み、吐き出した。それまでのマイナスな感情をこの一息で全て体外に出してしまう様に。
魔力を体に巡らせる。大丈夫だ、いつも通り身体強化魔法は使えている。いや、寧ろいつもよりも調子が良い気がする。魔力の流れがはっきりと感じられる。弱さを克服したからだろうか。本当にそうなら良いな、そう思い剣を握りしめる。ここで泣いていたって仕様がない。
1.1、1.2、1.3......自分の身体能力が徐々に上がっていく。今なら何でも出来る、そう思えるくらい心地良い気分だった。じいさんと母さんの声がまた重なる。
『『行動に移した人間だけが成長できる。自分と戦え、抗え、そうすれば人間はどこまでも強くなれる』』
意を決して、俺は藪の中から飛び出し、池の淵でうごめいているスライムに飛び掛かった。
「うおおおぉぉおらあああ‼‼‼」
俺が飛び出すと同時に、スライムがうねるように身をくねらせた。体内には泡が発生し、まるで沸騰する水のように激しく揺れている。
―――来る!
直感でそう確信した。先ほど俺を襲った、あの溶解液だ。あと何秒の猶予がある、切りかかるまでに間に合うか、それとも一度躱すべきか――空中を舞っていた俺は、その凝縮されたかのような短時間で様々な考えを巡らせた。
いける!
そう思った瞬間、すべての事象が一気に加速した。
スライムが溶解液を発射する刹那の差で、俺の剣の刃がスライムの柔らかいその身体に届いた。ズブリと、スライムに剣が沈み込む手応えを感じる。同時に、スライムが多数の触手を伸ばし、俺の体に巻き付けてきた。触手と触れている皮膚が焼けるように熱い。ダメージを受けているのが肌身で感じる。
魔物には『核』というものがある。これを破壊すればどんな魔物も死ぬ。スライムは初級魔物という事もあり、核が非常に大きい。通常なら容易に倒せるのだが俺の剣が中々核まで届かない。
恐らく夜の黒い森の効果により、スライムの防御力が強化されていたことが原因なのだろう。
――なら力をもっと加えるだけだ!
俺は剣にすべての腕の力と体重を込めて、さらに深く押し込もうとした。
「うあああぁぁぁあああ!!!!!」
最後の抵抗とでも言う様に、スライムの触手の締め付けが強くなる。
あともう少し、あともう少しで! 必死に力を込めて、剣を押し込む。
パキッ......!
何かが割れる音がしたかと思うと、急にそれまで締め付けていた触手がドロドロと溶け落ちた。呼吸が荒い。胸が苦しい。
ふと顔を上げると、じいさんが微笑みながらこちらを見ていた。
「かっ......た.....?」
目前の光景に、俺は呆然と立ち尽くす。
半分に割れた赤い球体が、風に撫でられて揺らいでいる。間違いなくスライムの核だった。先ほどまで争っていたスライムの影は見当たらない。
「う、うっ......!」
緊張の糸が切れて、大粒の涙が目から零れ落ちる。不思議なことに、泣いているにも関わらず笑いが込み上げてきた。
この涙は今までのそれとは違う。うれし涙というやつだ。
「勝った......!」
今度ははっきりと言葉にして言えた。勝ったのだ。間違いなく。俺一人の力で魔物を倒した。
その事実に俺は震え、夜空を仰ぐ。星が散りばめられた空の下、俺の雄叫びが響き渡る。
俺の、見習い冒険者ノエルの―――“オリジン”
ちょっと書きすぎました。楽しんでいただけると幸いです。また、恥ずかしながら、私の文章力が未熟で(改)が並びに並んでおりますが、何卒ご寛容賜りますよう、お願い申し上げます。