8.アラタと百合の関係
「ただいま」
自宅のリビングのドアを開けると、柴犬の玄白が出迎えてくれる。大理石の床では爪がカツカツと音を立てる。
「朝帰りなんて珍しいわね。まぁ、時間的には昼帰りだけどさ」
医療ドラマの再放送を見ながら母が言う。看護師で毎日病院にいるのに、なぜ休日までそんなものを見ているのか。理由はこれだ。
「あ、またミス発見。こんなの、現実にありえないわ」
医療ドラマの粗捜しをして喜んでいるのだ。こういった性格の悪さは、克哉とそっくり。
「お父さんは?」
「医師会のゴルフ。よかったわね。娘の朝帰りなんて知ったら気絶しちゃうから、内緒にしてあげるわ」
「克哉には言ったクセに」
「怒られた?」
私を見ると、ニヤリと笑う。
「朝イチに連絡があったのよ。愛香が帰ってるか?ってね。もう大人だから何しても構わないけど、同じ家に住むなら連絡くらいしなさいよ」
「はーーい」
25才、実家暮らし。母の言う通り、最低限のルールは守らなくては。
自分の部屋に入ると、どっと疲れが出た。展開の早さに頭が追い付いていかない。
ベッドに倒れると、いつの間にか眠りに落ちた。
◆◆◆
「かわいいよ」
ーー誰?それって私のこと?
「もっと、もっと聞かせて」
ーー恥ずかしい声は、誰の声?
「どこ?どこがいいかちゃんと言って」
ーーもっと奥の方だなんて、言えないよ。
「ここが気持ちいいんだね」
ーーうん、そう。そこが疼くの。
「こら、まだダメだよ」
ーーだめ、そんなに強くしないで。
「あーーあ、もうイッちゃった」
目が覚めたときには顔が火照っているのがわかった。覚えていないと思っていたのに、ちゃんと脳と身体に残っているなんて。
快楽に溺れていく様が、今さら脳裏に甦る。
◆◆◆
月曜日、午前の診療が終わり休憩室に入ると、百合さんに声をかけられた。他のスタッフは外にランチに行ったらしい。2人で向かい合って食べることにする。
「なんか、肌がいい感じね」
百合さんは、じっと私の顔を見ている。
「さては、抱かれたわね。しかも、最上級の男と見た」
「え!」
「ふふん。だから言ったでしょう。女性が美しくなるには、ヒアルロン酸もプラセンタ注射も必要ないのよ。好きな男に燃え尽きるまで抱かれてこそ、女は花咲くものなのよ」
そう言われて、またアラタに抱かれたことを思い出し、朝から職場で赤面してしまう。
「顔に出てるわよ」
「百合さん、私どうすればいいでしょう」
「なになに?」
楽しそうな表情。恋話も恋愛ドラマも大好きなんだから。
「実は、その、相手の名前は伏せるのですが。ちょっと、いえ。わりと有名な方と致してしまったのです」
そこまで言うと、ポンと手を叩く。
「なんだ、愛香ちゃんの相手ってアラタなの?」
「え!なんでわかったんですか?」
「弟だもの」
「誰がです?」
「だから、dulcis〈ドゥルキス〉のアラタ、本名は長谷川新だけど、彼の姉は私よ。両親が離婚して新は父親に引き取られたから、苗字は違うけどね」
「ええーーーー!」
ここに来て、また新情報が加わり、脳内整理できません。
「なるほど、そっか。うんうん」
「百合さん、なにをそんなに納得してるんですか?置いていかないでください」
「あらあら、喜んでるのよ」
「なにに?」
「弟の女性不信を治してくれたのが、職場の可愛い後輩だったなんて、嬉しいじゃない。いつまでも、男の克哉相手に満足してるようじゃ、姉としては心配だったのよ」
ぶっ、思わずお茶を吐きそうになる。
「え!百合さん、知ってるんですか?」
「だって、克哉と新を引き合わせたのは私だからね。まさか、セフレみたいな関係になるとは、流石に思わなかったけど」
百合さんはお弁当を食べ終わると、どこまで知ってるのか分からないけど、そう前置きをして話してくれた。
アラタは大学時代に当時の彼女に裏切られ、ベッド画像が流出し活動停止になった。それがトラウマになったのか、その気はあっても、肝心な所で男性として機能しなくなった。
医師で姉の百合さんに相談したところ、アラタも知っている、大学の先輩であり、その手の知識もある克哉を紹介された。
「医師と患者のはずが、変な関係になったと聞いたときは驚いたけどね」
「そんな話まで姉と弟でするなんて仲良しですね」
おっぴろげに話せる内容ではない、よね。
「母親の考えでね。性に対してはオープンな家庭で育ったの。セックスは悪いことではない、真剣に向き合えば絶対必要だってね」
「なるほど。すごいお母様ですね」
「恋人を作っては何度も家を出た人だから、子供からしたら大迷惑な女よ。それを何度か許していた父も、相当な変わり者だけだね」
なるほど。変わっているのは家族総出だと。
「克哉とアラタが真剣な交際ならともかく、そうではない以上、他に心を許せるパートナーが現れてほしいと、姉は願っていたわけよ」
「パートナー、ですか」
「それ、私なんかでいいんしょうか」
「精神的なEDを無意識に治しちゃうなんて、すごいじゃない。今度うちの実家にも遊びに来てよ。母も喜ぶわ」
お母様も、きっと美人なんでしょうね。
外にランチに行っていたスタッフが戻ってきたので、百合さんが「この話は内緒よ」と、囁いて終わった。