7.翌朝の後悔
気がついたときには、もう後悔なんて、してもしきれない状況だった。
「うそだ」
まずは、現実を否定してみよう。なんなら、目をつぶって、まだ寝ていましたアピールをしてみる。
いや、誰に??っていう話ではあるけれど。
「おはよーー」
ああ、だめだ。その声はすぐ耳元から聞こえる。夢とは思えないリアルさで、ちゃんと鼓膜に響いていますから。
「アラタさん、私、あの、その……」
なんで、素っ裸なんでしょうか。とは、聞けない。
そしてなぜ、あなたも素肌を晒しながら、私のとなりで寝ているのでしょうか?
「今日は日曜日だから、クリニックは休みだよね。俺も夕方までは仕事がないから、ゆっくりしていって」
「ここ、アラタさんのご自宅ですか?」
「うん」
そう言うと、布団から出る。え、まさか下は?パンツはいてないの?思わず両手で目を隠す。
クローゼットを開ける音が聞こえる。服を着ているのだろう、気配で伝わる。
「これ、とりあえず適当だけど着てね。昨日、着ていた服は、さっき洗濯して乾燥機に突っ込んだから」
そう言って部屋から出て行った。
ベッドからそろりと抜け出す。
アラタが出してくれたスウェットに袖を通す。下着が無いので、かなり違和感というか、心許ない感じはするが、ワガママは言えない。
ベッドのシーツが乱れているのは、見なかったことにしたい。
◆◆◆
「コーヒー入れるね。座って」
そーっとのぞいたリビングは、観葉植物があちこちに置かれて、ナチュラルなカフェのような雰囲気だった。明るい日差しが部屋に差し込んでいる。
「砂糖とミルクはいる?」
「ミルクだけで、お願いします」
ピピッ!
高い鳴き声に驚く。
窓際に鳥籠が置かれていた。黄色とグレーのオカメインコが仲良く並んで私を見ている。オレンジのほっぺが愛らしい。
「わぁ、可愛い!」
「ふふん、そうでしょ?」
でも、ちょっと意外だ。
芸能人はテレビや雑誌のインタビューなどで、ペットの話題を出したり、Instagramにも、ペットの写真を投稿することが多いが、アラタがとりを飼ってるというのは、聞いたことがない。
「はい、コーヒー」
マグカップを2つ持ってキッチンから出てくると、ダイニングテーブルに置いた。
「ありがとうございます。あの、ご迷惑をおかけして、すみません」
「食事に誘ったのも、お酒を飲ませたのも俺だから、迷惑だなんて思ってないよ。むしろ、いい思いをさせてもらったし」
「それって、その、そういうことでしょうか?」
「愛香ちゃんは着痩せするんだね。それとも豊胸手術じゃないよね?」
キレイな顔でなんてことを言うのか。
「未加工です」
「柔らかいもんね」
「う!」
コーヒーこぼしそうになる。
「お店で白ワインこぼしたよ、白ワインだからシミにはならないと思うけどね」
「え?」
「グラス倒して、パンツまで濡れた~~!って騒いだの覚えてない?」
「すみません、お酒、弱くて」
「そうみたいだね。でも、困ったことがひとつあってさ」
「はい、なんでしょう」
テーブルに置かれたスマホが震えだす。
「克哉からの、着信履歴がえげつないんだ」
◆◆◆
「酒を飲むなと、飲ませるなと、言ったはずだが?」
克哉は私とアラタを順に見ると、そう言ってソファにドスンと座った。勝手知ったる部屋なのだろうか。
「ごめんね」
「ごめんなさい」
克哉は普段は優しいけど怒ると怖い。それも、とても。
さっきまで、2羽のオカメインコが楽しくピヨピヨお話していたのに、今はピッタリと寄り添い静かにこちらを伺っている。
「いやぁ、克哉の血縁だからお酒には強いのかと思ったら、ちょっと飲んだら、上機嫌に笑いだすからビックリしたよ」
「だから飲ませるなと言ったんだ」
「でも、酔ったところも可愛かったよ」
「だ、か、ら。飲ませるなと言ったんだ」
「飲ませたあとに、克哉の心配する意味がわかったよね」
克哉の怒りオーラに動じず、飄々としている。
「愛香、家まで送るから支度しろ」
「支度って?」
「いかにも彼氏の部屋着を借りました、みたいな格好じゃ帰れないだろうが。着替えてこい」
彼氏だなんて、おこがまし過ぎる。
「洗濯した服は乾燥機ね。もう乾いたはず。苺柄のブラジャーは、ちゃんとネットに入れて洗ったからね」
「お気遣いいただいて、スミマセン」
ジロリと克哉がアラタを睨む。わざと?わざと地雷を踏んで楽しんでいるのか?
これ以上は刺激しないでほしい。このあと、説教されるのは私だけなんだから。
手早く着替えを済ませてリビングに戻ると、アラタと克哉が話を止める。
「ねぇ、愛香ちゃん」
「はい」
「俺と、付き合ってくれる?」
「え?」
「いいよね、克哉」
付き合うって、どこに?
聞かれた克哉は天井を見上げると、目を閉じて眉間を指でつまんだ。考え事をするときに、昔からよくやるクセだ。
「あの、アラタさん」
「やだな、また『アラタさん』に戻ってる。ベッドの中では何度も呼び捨てで『アラタ』って呼んでくれたのに」
「ひぃぃ!やめてください!」
覚えてない!覚えてないのが悔やまれる!
「わかった」
克哉が口を開く。
「愛香は大人だし、俺は保護者でもない。そもそも口出しできる、立場でもないから」
「そうだったね、愛香ちゃんのパパと間違えた」
いや、私のお父さんも、克哉と同じくらい過保護ではあるけれど。
「ずっと、大事にしてきたんだ」
「その役、俺が引き受けるよ」
克哉はソファから立ち上がると、1人掛の椅子に座るアラタの前に立った。
私からアラタの身体を覆い隠すような立ち位置だ。
「お前がいいオトコなのは、知ってるさ。身体も心もね」
「光栄です」
「ただし」
克哉はゆっくりと手を伸ばし、アラタの首筋に触れた。その指が、皮膚の上を滑るように動く。
「傷つけたら、殺す」
今まで聞いたことのない克哉の声。低く、冷たい。
「はは、怖いね」
対象的なアラタの明るい声。
「じゃあ、そういうことで」
アラタは克哉の手を払うと、立ち上がり、わたしの方を見た。克哉も同じように振り向く。
「愛香ちゃん、これからよろしくね」
はい?
「よかったな、愛香。推しが彼氏になったぞ」
克哉の声には、祝福ともあきらめとも取れる響きが混じっていた。
この2人、何を言っているんだろうか?私の頭は、もうとっくに限界を超えていた。