6話 アラタの告白
グラスを手にしたまま、しばらく時が止まってしまった。
その間に、たくさんの料理が運ばれて来た。アラタは店員と親しげに話をしていた。常連客なんだろう。
「愛香ちゃん、ごめん、そんなに固まらないで」
目を細めて笑う。
アラタはワインのボトルに手を伸ばし、自分のグラスに注いだ。ひと口飲んだ。私が注げば良かったけど、今はそこまで気が回らない。
「克哉に怒られたよ。そんな女じゃないってね。ごめんね、疑ったりして」
「あの、いえ。私こそ、すみません」
のぞき見をする気なんてなかった。
というより、決して知りたくない、見たくなかった光景だった。
アイドルだろうが、男性同士だろうが、恋愛は自由。差別する気もない。
ただ、ちょっと、情報過多で気持ちの整理がつかないだけ。
「克哉は酔うと、ときどき愛香ちゃんの話をするんだよ。だからかな。初対面なのに、そんな気がしない。君はとても大事にされているね」
「そうですね。親より過保護ではありますが」
「きっといい子なんだろなって、分かってはいたんだ。でもね、俺は自分の目で見たものと、自分の耳で聞いたこと以外は、あんまり信じないようにしてるんだ」
それは、職業柄なのだろうか。勝手な想像だけど、芸能界は色々ありそうだもの。
「たくさん食べてね」
生ハムサラダ、殻付の牡蠣のグリル、鴨肉のローストなどが並んでいる。確かにどれも美味しそう。アラタが取り分けてくれた料理をいただく。うん、美味しい。
「アラタさん」
「呼び捨てでいいのに。いつもは、俺のことなんて呼んでるの?」
「え、それは」
だって、本人が目の前にいないなら、誰をどう呼んでも、気にする必要はないけれど。
「ここにスマホかテレビか、なんらかのフィルターがあると想像して、それから呼んでみて」
左右の親指と人差し指で四角作ると、まるでフレームみたいに、その枠に収まった。
「ア、アラタ」
直視できないのは、もう勘弁してください。
「うん、合格。それで?」
「克哉とは、恋人関係ではないんですよね」
「違うよ」
あら、あっさりと否定。
「克哉もそう言ったでしょ?」
「ええ。今日は恋人とデートだと言ってました。その、男性とでしょうけど」
「克哉の恋人から見たら、俺は浮気相手になっちゃうのかな」
あっけらかんと話しているが、週刊誌のネタだとしたら、ものすごいスクープではなかろうか。
「さっきの話だけど、ベッド写真の流出は俺も経験がある」
「え!」
ガチャンッと、牡蠣の殻を手から滑らせてしまった。
「大学に通いながら研修生としてアイドル見習いしてた、売れる前のこと」
「知りません、ファン歴は短い方なので」
「ネットに女の子と裸でいる画像が出ちゃった。探せば出てくるんじゃないかな。怖いよね、デジタル社会」
古参のファンなら知っていることだろうか。
「本気で付き合ってるつもりだったけど、売られちゃったみたい。俺は事務所からしこたま怒られ、デビューは遠退き、しばら活動自粛。悔しいし悲しいし、しばらく立ち直れなかったな」
アラタはワインをひとくち飲み、小さくため息を吐いた。
そうだよね、信じた彼女らに裏切られたら悲しい。辛いよね。なんだか、私までしょんぼりしてしまう。
少しの沈黙。
「だからね、抱くのも抱かれるのも、後腐れの無い男にしたら、いいのかなぁって。ほら、性欲は無くせないからさ」
「ええ?」
それは、飛躍し過ぎな発想ではないでしょうか?
「克哉は俺にとって、ヒアルロン酸みたいなものかな」
「はい?」
「いや、漢方薬とも言えるのかな」
まったく意味が分かりません。
「克哉とすると、肌ツヤがよくなるんだよ、ものすごく」
「えっと、それは、なんとも反応しずらいです。身内の話なので」
「はは、だよね」
アラタは、白ワインのボトルを手にすると、仕草だけで『飲む?』と、聞いた。
以前、お酒のCMに出ていたときのポーズと同じだ。
バーテンダーの姿がとても似合っていて、『一杯どう?』っていう、決めセリフは鼻血がでるほど色気たっぷりだった。
「やっぱり、少し、いただいてもいいですか?」
なんだか、もう、シラフでは聞いていられない。
「克哉には内緒にしよう」
心地よい音を立ててグラスが満たされる。注ぐ姿もカッコいいな。
品良くフワッと鼻から抜ける甘い香り。軽くて飲みやすいものを、選んでくれたのだろうか。
「愛香ちゃんは、最後にセックスしたのはいつ?」
直球過ぎる質問に、ワインを吹き出しそうになる。
「この先ずっと誰ともセックスできなかったらどう?」
「それは、嫌かも。でも、だからって、誰とでもいいわけではないです。男性とは違うかもしれませんが」
寂しくて、人肌恋しい夜もある。
「抱いたり、抱かれたり。つまり、誰かに求められることは大切だよ。とくに、アイドルなんて人に見られる仕事をしていたら余計にね」
飲むペースが早いな。いつも通りなのか、もうすぐボトルが空になりそうだ。
「できなくなったんだ」
「なにをですか?」
「セックスだよ」
つまり、その、そういうこと?
「いい雰囲気になって、その気は満々なのに、肝心な時に役に立たなくてね」
「それは、お察しします」
「克哉が大手の美容クリ二ックに努めたことは知っていたから、最初はごく普通に治療の相談しに行ったんだ」
「最初は、ですか」
「気付いたら、抱かれてた。あはは」
あははって。私も笑ったほうがいいのでしょうか。
「克哉からしたら、荒治療のつもりだったのか。単に面倒臭いから、さっさと抜いてやれって思ったのかもね」
「待って、話が生々しいです」
「いやぁ、克哉が上手すぎるからね。愛香ちゃんに伝わらないのが残念」
そこまで話すと、急に真面目な顔になった。
「あ、この話は秘密だよ。バレたら画像流出どころじゃないからね。あはは」
もしかしたら、アラタは酔ってるのではないだろうか。