第8章 ふたりの間にあるもの
「ねえ、ユキってさ、怒ると眉間にしわ寄るよね」
「……は? いきなり何よ」
午後の光が園内にゆっくりと差し込むころ、ユキは日陰で休んでいた。そこに、いつの間にかやってきたシロが、のんきに話しかけてきたのだ。
「いや、なんか最近は前ほどしわ寄らないなって思ってさ」
「ふん。見てたの?」
「うん、毎日見てるよ。お見合い相手だからさ。観察は大事でしょ?」
「……あんたねぇ」
呆れながらも、ユキは思わず口元をゆるめていた。以前の自分なら、こんな言葉にもすぐムッとしたはず。でも、今はちょっと違う。むしろ、肩の力が抜けて、素直に笑えている自分がいる。
「それにさ、最近のユキ、前より楽しそうだよね」
シロのその言葉に、ユキはふと立ち止まった。
「……楽しそうに、見える?」
「うん。前はずっと、遠くを見てるような顔してた。でも今はこっちに目が向いてる」
「それ、いい意味で言ってるのよね?」
「もちろん」
シロはそう言って、まっすぐにユキを見つめた。その瞳には、なんの打算もない。まるで子どもみたいな純粋さで、ユキの中にあるものをじっと見つめてくる。
「……なんかさ」
ユキは、ぽつりとつぶやいた。
「ずっと、誰かの“期待に応える”ことが大事だと思ってたの。でもね、こっちに来て、泳げないシロに会って、いろんな動物と話して……。気づいたの。期待に応えなくても、ちゃんとここにいていいってことに」
「それって、すごく大事なことじゃん」
「そうね。でも……そんなこと、あたし、一人じゃ気づけなかった」
ユキはそっとシロの方を見た。
「ありがと。あんたのおかげよ」
「えっ、ぼく? なにかしたっけ?」
「そういうとこよ」
ふたりは、見つめ合って笑った。風が吹いて、木の葉がやさしく揺れる。どこか遠くで子どもたちの笑い声が聞こえた。
ふたりの間にあった“壁”は、いつの間にか、少しずつ溶けていた。