第7章 ユキの決意
昼下がりの静かな時間、ユキはひとり、プールの縁に立っていた。透明な水面に映る自分の姿をじっと見つめながら、心の中に去来する思いに耳を傾けていた。
ここで、かつての自分は何度も飛び込んだ。客席から歓声が上がるたび、嬉しくて胸がいっぱいになった。父と同じように、自分も誰かを笑顔にできることが誇らしかった。
でも今、その水面を見つめても、胸の奥は静かなままだ。
「……あたし、本当に飛びたいのかな?」
小さくつぶやいたその声は、水面に波紋のように広がって、自分の問いかけが空に溶けていく。
思い返すのは、あの時のシロの言葉。
――「子どもたちを楽しませるのが好きなんて良いお父さんだね。でもユキはユキだから。ユキのしたいことをしてもいいんじゃないかな?」
その言葉が、何度も心の奥に柔らかく響いた。シロはただのんびりしてるようでいて、大切なことをちゃんと見ているのかもしれない。シロ自身、自分が“シロクマらしくない”ことに悩みながらも、それを否定せずに受け入れていた。
それなのに、あたしはどうだっただろう。
泳げないシロかくを見て「そんなのシロクマじゃない」って決めつけていた。サービス精神のない自分を「ダメだ」と責めていた。ずっと、“シロクマはこうあるべき”という枠の中で、自分をはめようとしていた。
ユキはそっと目を閉じた。
――違う。もうやめよう。誰かの期待を生きるのは。
「わたしは、わたしでいいんだ」
はっきりと、心の中でそう思えた。
ふと顔を上げると、少し離れた場所にシロが立っていた。彼は高い岩の上からこちらを見て、ちょこんと首をかしげている。目が合うと、シロは照れたように笑って、そっと手を振った。
ユキは思わず笑ってしまった。
それは、昔みたいに誰かに見せるための笑顔じゃない。胸の奥からふわっとわきあがってきた、自分自身の笑顔だった。