第5章 ユキの記憶、ぼくの気持ち
夕暮れの動物園は、昼間のにぎわいがうそのように静かになっていた。
赤く染まった空の下、シロはプールの近くに腰をおろして、ぼんやり空を見上げていた。
水面が風にゆれて、ゆらゆらと光を反射している。
そこへ、静かな足音が近づいてきた。
「シロ。……ちょっと、いい?」
ユキだった。いつもより、声がやわらかい。
「うん。もちろん。」
シロは少し身体をずらして、ユキのすわる場所をあけた。
ユキは隣に腰をおろし、しばらく黙って空を見ていた。やがて、小さな声で話し始めた。
「……わたし、小さいころから“お客様に楽しんでもらうこと”が、シロクマの大事な役目だって言われてきたの。
家族みんな、そう思ってた。とくにパパは……」
ユキは、どこか遠くを見るような目をしていた。
「パパがプールに飛び込むと、子どもたちが大喜びして、拍手して……それがうれしかった。
わたしもパパみたいになりたくて、一生けんめいだったの。お客様が笑ってくれると、ちゃんとできたって思えた。」
「うん……すごいなあ、ユキのお父さん。」
シロがうなずくと、ユキは少しだけ笑った。
「ある日パパに聞いたの。『なんでそんなに楽しませるの?』って。そしたら、パパはこう言った。
“自分にできることをして、誰かが笑顔になるなら、それでいいんだよ”って。」
「子どもたちを楽しませるのが好きなんて、いいお父さんだね。」
そう言ってから、シロはゆっくりと言葉を続けた。
「でもさ……ユキはユキだから。ユキのしたいことをしても、いいんじゃないかな?」
ユキは、びっくりしたようにシロを見た。
「えっ……?」
「ユキがやりたいこと、ユキが楽しいって思えることを選んでもいいと思う。
お父さんがすごいのは、その人らしく生きてたからでしょ? ユキもユキらしくいれば、きっとすごいよ。」
ユキは目を伏せて、少しだけ黙った。
「……あなたって、ほんと、不思議なクマね。」
「よく言われる。」
「わたし、自分がちゃんとしてないといけないって思ってた。お父さんみたいに、って。
でも……あなたを見てると、ちょっとだけ気が楽になる。」
「そっか。それなら、ぼく、役に立ててるのかな。」
「うん、ちょっとだけね。」
ふたりは、風にゆれる水面を見つめながら、しばらく黙って座っていた。
空には、夕暮れの光がまだやさしく残っていた。




