兎の誘い
「味はどうだったのなー?」
「かなり辛かったです...コショウどんだけ使ったんですか」
「私の好きな味なんだけどなー」
「俺に同じもの出さないでくださいよ...」
扉を開けた瞬間に漂ってきた匂いのとおり、料理はコショウまみれだった。
タダで振る舞ってもらえたとはいえ、文句の一つや二つが出るくらいにはひどい味。
それでも遠慮して辛いと感想を述べたが、実際はほぼ不味いの域に達した黒いゲテモノのパレード。
肉を食べたのか野菜を食べたのかすら思い出せない。
「猫に連れられて怪しげなお店に入る危なっかしい子を、ちょっと揶揄ったのなー」
カウンター席で横並びに座る女性は、しかめっ面で水を飲みまくる姿が面白かったのか、八重歯を見せながらケラケラと笑う。
目を半開きにして口の端が頬まで届くその笑い方は、猫のいつものニヤニヤ笑いを連想させる。
ペットは飼い主に似るというが、どうやら本当のようだ。
ゲテモノ食わされて口直しをしているところでその顔をしてほしくはないが。
「もう子って年齢じゃないです。あと10年もしないうちにオッサン呼ばわりされる大学生です」
「まだ子供なのなー」
ムッとするも、否定できずに黙り込む。
大学生が子供であるのかはともかく、本当に大人になっているならこの時期に就活をサボっていたりはしない。
女性の言う通り、怪しげなお店にずるずると引き摺り込まれるなどもってのほかだ。
就活がうまくいくかどうか以前に、まともな社会人として成長できるかすら不安である。
「あと、猫に連れられるネズミとかけてそう言ったのなー」
「...ああ、そういう」
どうやら軽いジョークのつもりでもあったらしい。
分かりにく過ぎてあまり評価はしづらいが。というかほぼこじつけみたいなものだが。
微妙な顔をする自分を見ても、女性は楽しそうな顔を崩さない。
ポーカーフェイスか本心か、これが大人の余裕というものだろうか。
「さてと」
満腹になり、睡魔が襲ってきてやや馬鹿になった頭で思考を巡らせていると、女性は流れをリセットするようにぱんっと軽く手を打ち鳴らす。
それだけで空気がやや引き締まり、軽く背筋も伸びた。
「どうなのなー?お店の雰囲気は」
「え?」
「お腹を満たしたから質問に移るのなー」
そういえばそんな話だったっけ。
料理のインパクトが強すぎて頭からすっかり抜け落ちていた。
目の前にバニーガールの衣装をした人物がいるというのに。
(うーん...)
何はともあれ、質問に答えるべく店内に視線を巡らす。
色合いは全体的に黒を基調としている。
狭い空間の大部分を占有するキッチンとカウンター席、男女共用のマークが張られたトイレ、申し訳程度にオシャレを主張するアンティーク調のシャンデリア。
壁面にはメニュー表や旅行先で撮ったと思われる写真、本来の働きを成していない窓枠などが張り付いている。
扉とopen/closedの看板しか見えない店の外と合わせて秘密の隠れ家のように感じる。
「俺は結構好きです。この雰囲気」
「それはよかったのなー」
女性は先ほどとは違う柔らかい笑みを浮かべる。
何故かうさ耳カチューシャもぴょこぴょこと動いているが、どういう仕組みなのだろうか。
機械音も聞こえず、紐を引っ張っている感じもしないが。
まあ、それ含めて質問をすればいい。
「じゃあ次、名前を教えてほしいのなー。あと敬語はいらないのなー」
しかし、自分が口を開くより先に次の質問が飛んできた。
どうやらまだ、女性のターンのままらしい。
特に急いでいるわけでもないので、抗議することなく答える。
「下夜消。漢字は下らない夜を消す、でいいで...かな?」
「なるほどなのなー、下の名前は?」
「入人。人が入るを逆さにしてハイリで...だ」
「ハイリハイリ...よろしくなのなー、ハイリ」
苗字を一切呼ばず、下の名前だけを連呼する。
初対面の相手に対してジョークを言ったり敬語を不要と言ったり、もしかしてこの人は物凄く距離が近いのだろうか。
なんとなく見えた人物像を脳内で咀嚼しながら、差し出された手を握る。
再びぴょこぴょことうさ耳が動く。何なんだあの耳。
「次答えるのなー」
「おっ」
自分のターンが回ってきたらしい。
ようやく衣装のことや、この店のことについて聞けそうだ。
取り合えずは、一番気になるバニーガールの衣装について聞くかと決める。
「えっと...」
しかし口を開いた瞬間、女性はじっと自分の目をまっすぐ見つめてきた。
何かを訴えかけるように。期待するように。
出かかった言葉が喉の奥に引っ込み、そのまま出てこなくなる。
何だと思うが、表情の方は真顔で感情が読み取れない。
衣装について聞かれるのを嫌がっているのだろうか。
しかし、それならば語尾のように事前に断りを入れておいてもいいはずだ。
何を自分に期待しているのだろうか、この女性は。
(..."この女性")
「...名前は?」
もしかして、と聞いてみると待ってましたと言わんばかりに頷く。
これ自分のターン回ってきていないのではと思うが、確かに名前を聞かれたら聞き返すのは普通だ。
というか、互いの名前も知らないまま食事を振る舞われたり掛け合いをしていたと考えると、かなりおかしな話だ。
「拍夢。夢の拍子を逆さにしてハクムなのなー」
「苗字...いや、よろしくハクム」
聞いても苗字は教えてくれなさそうだったので素直に名前で呼ぶ。
ハクムはそれを確認すると床の方に視線を移した。
「あっ、忘れてた」
自分も床の方に視線をやり、この空間にはもう一匹いたことを思い出す。
目的を達成したからか、ずっと大人しくして存在感のなかった猫がそこにいた。
我関せずと言った風に猫は毛づくろいをしている。
視線に気づいたのか、すぐに止めてこちらを見返してきたが。
「それでこの猫は...」
「ん?ああ、そういやミーの名前まだ教えてなかったニャ。
ミーの名前は離頭ニャ。頭が離れるでリズだニャ」
「覚え方物騒だな」
というより、何故漢字なのだろうか。
猫の名前なのだからカタカナ表記でもいい気がする。
「いやあ、夢でよく断頭の瞬間を見るんニャけど、これがまた気持ちよくてニャ~。
あのスパッと斬れてポロッと頭が落ちる瞬間、たまらんニャ~」
思わずジト目で見ると、リズはニヤニヤと笑いながらおぞましい名前の由来を話す。
どうなってんだ飼い主とハクムの方を見ると、自分と同様にジト目になっている。
どうやらハクムの意向でつけられた名前ではないらしい。
7年間、こんなヤバい奴と自分は戯れていたのか。
「.........は?」
何だ?今何が起こった?喋った?猫が?
間抜けな声を出して目を丸くしていると、猫はニヤニヤ笑いを浮かべて太ももに乗ってきた。
そして心底楽し気にぺしぺしと腕を叩き、右手を差し出して握手を求める。
「よろしくニャ~、ハイリ」
何も分からないまま、ほぼ体が勝手に動いて握手する。
猫の手の感触が伝わってきて、間違いなくこいつは猫だと感じる。
ならさっきのは一体何だ。
理由を考えて、手品か腹話術かと推測してハクムの方を見ようとする。
「あー、じゃあこれで信じるニャ?」
しかし猫のその言葉と同時に、握った手に違和感を覚えて視線を戻す。
見ると猫の手がどんどん肥大化していき、色も形も大きく変わっていってる。
変化が止まったその時には、感触も見た目も完璧な人の手となっていた。
「..................................................................」
「もっとゆっくり、順を追って話していこうと思っていたのだけどなー」
「そんなことしたらこのビックリ顔見れないニャ」
「はあ...まったく、なのなー」
驚きすぎて動けない自分をよそに、ハクムと猫は会話をする。
近くにいるはずなのにその会話は、やけに遠くの方で聞こえた。
動揺している。落ち着きが無くなっている。
別のことを考えていったん現実逃避でもするか?
そうだ素数だ。素数を数えて落ち着こう。
(1,2,3、5、7、11...)
違う、1は素数じゃない。テンパりすぎだ。
それでも効果はあったのか、二人の会話のボリュームがやや上がる。
「せっかく店に連れてこれたのに、台無しになるかもしれないのなー!」
「大丈夫ニャ!どうせこいつはもう袋のネズミニャ!逃れることはできんニャ!!」
違う、二人がなんかヒートアップしているだけだ。
しかもなんか不吉なワードが聞こえた気がする。
動揺2回目。再び声が遠くになる。
(.........)
それからしばらくの間、素数を数えることもできずにギャーギャー騒ぐ二人の声を遠くに聴きながら、握られた手を呆然と見つめていた。
*
「落ち着いたたのなー?」
「ああ、うん、まあ」
「ミーがずっと手をつないであげていたおかげニャ~」
「「それに動揺したんだよ(のなー)」」
いけしゃあしゃあとカウンターに立って胸を張る猫、いやリズにジト目を向ける。
返ってきたのはいつものニヤニヤ笑いで、もはやため息しか出てこなかった。
「...それで、ハクムの方は普通の人間?」
「まあ、そんなわけないのなー」
「だよね」
質問に答えながらハクムは頭に手を伸ばす。
うさ耳のカチューシャだと思っていたそれは、本物のうさ耳にカバーを付けたものだった。
どおりで仕組みが見えないわけだ。
「はい、こっちも確かめるのなー」
言われた通りに、もみあげの後ろのあたりを触ってみるが、そこにあるべき二つの感触はない。
本当に非現実側の住人のようだ。
「なるほど...誤魔化すためのバニー衣装ね」
「こうでもしないと頭のそれを取れ、とか言われたときに困るのなー。
クソ寒いから今の時期はあんまり着たくないけどなー」
燕尾服も着ている上はともかく、タイツだけの下は確かに寒そうだ。
羽織っていたコートを差し出すと足布団に早変わりさせられた。
暖房が効いている屋内とはいえ、やはり薄い布一枚はきつかったようだ。
対照的にリズは平気そうにしている。
コイツに至ってはほぼ裸みたいなものなのに震えることすらしてない。
ハクムの様子を見てニヤニヤしているくらいだ。
「修業が足りんニャ~」
「裸で寒さに耐える特性なんかいらないのなー」
「裸って言うニャ!毛皮があるニャ!!」
「あーあー、結局俺を連れ込んだ理由って何?何が目的なわけ?」
またケンカが始まりそうになったので、大きめの声を出して無理やり割り込む。
これほど重大な秘密をカミングアウトしたのだ。
第三者にばらされるというリスクを背負ってでもやりたことがあるはずだ。
そして、リズの方とは7年間もの付き合いだ。
いつごろから自分に何かをしてもらおうと思ったかは定かではないが、最初からそれ目的で近づいてきたのならば、ただのお願い程度でそれほどの年月構うはずもない。
(知りたい)
自分でもう大人だと宣言したくせに子供のように好奇心に支配されて、後先考えずに踏み込もうとしてしまう。
さっきの動揺はどこへやら、状況を把握してすっかり乗り気になってしまった。
「ニャ~...」
そんな自分の心境を知ってか知らずか、言いにくそうな表情で頬を掻くリズ。
ハクムの方を見ると、同じような表情で髪の毛をクルクルといじっていた。
「どうかしたの?」
「いや、まあ...あーでもここまで明かしたしニャ~...」
「今更だし、もう進むしかないのなー」
どうやら何かをためらっているらしい。それもかなり。
何だ何だと若干身構える。それでも興味は尽きないが。
二人はしばらくうなっていたが、結局話すことにしたのか「「よし」」とつぶやいてこちらを向いた。
「質問に質問で返すようで悪いけど」
「うん?」
「私たちの下で働く気はないか?なのなー」
店の経営、ではないだろう。
二人の秘密に関する何かをさせようとしている。
ハクムの耳を眺めているとふと、今朝見た夢の内容を思い出す。
二人に似た特徴を持つ誰かが死んでいく夢を。
(...リズって、夢の内容聞いてからここに連れてきたよな?)
あの夢が何か関係しているのだろうか。
大学三年生11月下旬、大人になりかけていた自分は童話の少女のごとく不思議なウサギと猫に出会い、非現実への誘いを受けた。
「ちなみに人質はこのコートなのなー。その寒そうな恰好で帰りたくはないだろうなのなー?」
「もしOKしなかったらミーが爪でボタン取るニャ!」
「非現実的存在なのに脅しショボっ」