闇に葬られた物語
地球から遠く離れた別世界。
そこに住まう獣人の物語。
その世界は闇に包まれており、一滴の光も差し込まず、彩りがなかった。
視覚を知らないその世界で生まれた者たちは、"感じる"ことで世界や自分の存在を認識していた。
耳を伸ばして多くの音を聞き、鼻を大きくして匂いを強く感じる。あるいは尻尾や首、鼻を伸ばして多くのものに触れる。自らの"動き"を強く感じたくて翼や強い脚を得て世界を飛び回り、駆け回る。
そうして住民たちは、各々が自分なりの"感じる"を渇望していた。
そしてそのうち、彼らは自分と同じことをしている"他者"がいることに気づく。
彼らは他者を強く感じる方法を求めて、コミュニケーションの道具である言葉を作り出した。
対話を重ねることで、愛することや憎むことを覚えた彼らは他者とのつながりが最も"自分や世界の存在"を感じるものとなった。
その事実はバラバラだった彼らを集め、一つのまとまりとして形成していく。
結果、"社会"という概念ができた。
彼らは多くのものを感じて幸せを得た。
しかし、彼らの渇望の行く先は決していいものだけではなかった。ある日、彼らは気づいてしまう。
「足りない」
"何か"が足りない。
それが一体何なのかは分からないが、心に満たされない空洞がある。
これほど多くのものを感じているというのに、まだ見ぬ何かがある。
その発見は彼らを駆り立て、空洞を埋める"何か"に手を伸ばさせた。
もっと耳を伸ばして、鼻をもっと大きくして、もっと沢山食べて、もっと沢山動いて、もっと会話をして。
しかし、何をしようともどれだけ時間が過ぎても、その何かを感じることはできなかった。
渇望したものを全て得てきた彼らは、止まることを知らなかった。
次第にそれは、狂気へと変わり社会を飲み込む。
ある者は他者の悲鳴がその"何か"であると思い込み、言葉と自我を捨てて手当たり次第に殺した。
ある者は今まで得てきた全ての感覚を手放せばそれが得られると思い、自らの命を絶った。
"何か"に対して興味を持たない者たちもいたが、異端者として忌み嫌われた。
何も選択できない者は死ぬまで泣き叫ぶばかりだった。
感じられるものはもはや絶望のみ。そんな地獄が続いたある日、ある二人の少女が"何か"を授かった。
【これがあなたたちの求めるものよ】
どこからかそんな言葉が届き、二つの光が闇の中で生まれた。
光の持ち主たちは戸惑うが、体の奥底から熱が湧き上がってくるのを感じ、それは泣き叫ぶだけだった二人の絶望を瞬く間に消し去った。何が起きているのかを理解はできていないが、少女たちは絶望を感じなくなったことに喜び、周りで泣き叫ぶ者たちにもそれを分けようと手を伸ばした。
その時、光は一層強くなり、闇に包まれた世界を照らし出して"それ"をあらわにした。
「「......え?」」
少女も、泣き叫んでいた人たちも放心する。
今まで感じなかった"何か"がある。
いっぱいで、変で、散らかっていて。言葉と思考が追いつかない。
少女や周りの人間を感じる場所には、それぞれ似ているけど違う何かがある。
それに向かって手を伸ばすと何かが下から生えてきて、手が触れるといつもの感覚が返ってくる。
触れられた側も、いつもの感覚を感じ、それが他人と自分であるということを理解した。
ついに求めていた"何か"を手に入れたと皆が喜び、それをもたらした少女に畏敬の念を抱いた。
二人の少女は「声をかけてくれた誰かのおかげ」と話すも、周りはそれを『少女たちが世界に選ばれた』と解釈して大いに盛り上がった。
バラバラだった彼らは、少女たちを中心として再び一つのまとまりを形成した。
再建した社会の中で二人の少女は女王として崇められ、平和と安寧の日々が再び訪れることとなった。
しかし、やはり渇望というものには限りがないようだ。それもある日崩れ去ることとなる。
「足りない」
また、"何か"を民衆は求めるようになった。
二人の女王は世界に願うも、あの謎の声が再び聞こえることはなかった。
問題はそれだけでなく、減った人数を取り戻そうと子を産み続け、見えるもの全てを開拓しようとした結果、食料も土地も全く足りない状況となっていた。
「傷つけあうのはやめなさい!またお前たちから光を奪うぞ!」
「もう少し時間をください...どうにかしますから...」
民衆に縋られた女王達は、それぞれ脅しと同情で暴動寸前の国民を制御して時間を稼ごうとした。
しかし、偶然力を授かり、成り行きで持ち上げられた少女たちには良い方法を思いつくことが出来ず、どうすることもできなかった。
そして何も解決策を見いだせないまま月日は過ぎて、残された食料と土地を奪い合う、そして渇望に狂わされた者たちによる惨劇が起こった。
感じるものが増えた分、苦痛や狂気の度合いも大きくなって歯止めが効かない。
闇一色の時とは比べ物にならないほどの絶望が世界を満たした。
そんなある日、惨劇の中心地に一人の女が現れる。
「色が増え過ぎましたね」
どういう理屈なのか、悲鳴と怒号が止まない中でもその声は誰の耳にもはっきりと届き、その場の全員が動きを止めて女の方を向いた。
頭からつま先まで、黒一色で染められている服装。
惨劇の中心地であるにもかかわらず柔和な笑みを浮かべており、目隠しをつけているのに、なぜかその場の一人一人と目を合わせることができた。
その尋常ならざる雰囲気に、民衆はこの女も『選ばれた』のだと考えた。
「闇に包まれたあの頃に戻りましょう。目を閉じて、欲をこらえる時が来た。
彩られた世界ではなく、闇一色のあの世界こそが求められるべきものだったのです」
女の言葉を聞いた民衆は続々と目を閉じる。
狂った者も、泣き叫ぶだけの者も、静かになって耳だけを傾ける。
飽くなき渇望や絶望に疲れたのか疑うこともせず、その闇一色の世界で起きたことも知らぬふりをして、女の言葉に都合のいい夢想を思い描く。
今までのことを忘れて、光をもたらした二人の少女に怒りを向ける。
そうして皆が目を閉じた瞬間、女はニヤリと嗤って宣言した。
「光を断ちましょう」
盲目となった民衆は、煩わしい光を消すために動き始めた。
女王を守る兵士たちを皆殺しにして、臣下の命も一つ残らず消そうと試みる。
今までと違い、ゴールが可視化された状況ではまとまり方もやる気も桁違いであった。
あっという間に女王達への道が見え始め、女はその道を歩いてゆく。
女王達は、少女たちはその光景に絶望して昔のように泣き叫ぶばかりだった。
「あとは私が引き継ぎます。もう、肩の荷を下ろしてゆっくり休んでください」
優しい口調と声音とは裏腹に、邪悪な笑みを浮かべる女を目に焼き付けながら女王達は死んだ。
それと同時に光も消え去って世界は再び闇に包まれた。
振り出しに戻った世界で、民衆は過去も未来も見ることをやめて、ただ安寧に浸った。
今ではこの話を語る者は誰もいない。
物語は闇へと葬り去られた。