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幇助員篠崎

case1

 誰もが希死念慮を抱える現代。しかしながら急速に増加する「死にたがり」達に法整備は全くといっていいほど追いつかず、自死を選択する権利についての議論は延々と平行線を描くのみです。

 そんな情勢にあって、一人の酔狂な人間がそういった方々を救済するための組織を立ち上げました。それが「自殺幇助委員会」、通称ASC(Assisted Suicide Committee)です。ご依頼を承りましたら、依頼者様へ担当の者を一名派遣いたしますので、何なりとご相談ください。依頼者様の望むかたちの死をご提供差し上げます。ご依頼の際は以下の宛先へ──




 ──ここまで読んだところで、華紗凛は先週届いた薄気味悪いハガキから顔を上げた。向かいに座わる黒いスーツを纏った女性と目が合う。


「で、あんたがその担当者なわけ?」

「はい、私、今回渡辺様の担当を仰せつかいました篠崎と申します。この度は私共ASCへのご依頼、誠にありがとうございます。短い間ではございますが、依頼者様の理想の死へ向けて尽力させていただきますので、何卒よろしくお願い申し上げます」


 篠崎と名乗った女は、柔和な笑顔で名刺を差し出してきた。一介の女子高生である華紗凛は、特に返せるものもないので黙ってそれを受け取る。


「……それで、こんな人目のある場所で物騒な話なんて出来るの?」


 ここは華紗凛の家の近所にある何の変哲もない喫茶店である。平日の昼下がりではあるが、それなりに衆目がある。今から死のうとしている人間がその相談をするには少々具合が悪いのではないだろうか。


「ご心配ありません。私共は特殊な技術を有していますので、この席周辺の音を外に漏らさないように細工を施すことも可能でございます」


 篠崎は試しに何度か手を打って見せる。しかしその音が華紗凛の耳に入ることは無かった。


「……なるほどね」

「他にも何か懸念がございましたら何なりとお答えしますが……」


 どうやら思ったよりとんでもないものを呼び出してしまったのかもしれない。華紗凛の背筋に冷や汗が走った。だが冷静に考えると、元々死ぬつもりで依頼をしたのだ。開き直ってしまって構わないだろう。


「わかった。信じることにするわ、篠崎さん。話を進めましょう」

「ご理解いただき感謝します。では、まずは簡単な聞き取りからさせていただきますね」


 内容はさして難しいものもなく、至ってシンプルだった。氏名や年齢、生年月日の確認、本人確認といった程度だ。ただ、ひとつだけ華紗凛の琴線に触れた質問があった。


「では、今回自殺を決断するに至った経緯をお聞かせ願えますか?」

「……たいしたことじゃないわ。いじめよ、いじめ。学校でいじめられてるの。無視とか、暴力とかね」


 篠崎はしばらく押し黙った後、


「……それはさぞお辛かったことでしょうね」


 俯いて一言、そう漏らした。そんな篠崎の言葉と態度が、何故か引っかかる。華紗凛は思わず、


「それは同情? いらないわよ、そんなの。あたしの事はあたしが一番良くわかってる。勝手にあたしの心を想像して辛くなられても迷惑なのよ」


 とまくし立ててしまった。明らかに先程あった見ず知らずの相手に、それもこちらを慮ってくれている相手に言うような台詞ではない。


「……失礼いたしました。私共は、依頼者様の事情に深く立ち入ることはございません。依頼者様お一人お一人が私如きには計り知れないほどの経緯をお持ちであることは、重々承知しております。ただ形式上、伺わなくてはならない事項であるため、何卒ご容赦ください。ご気分を害しましたのでしたら、お詫び申し上げます」


 篠崎は深く頭を下げ、微動だにしなくなった。なんだか自分だけ熱くなっているのが馬鹿らしくなった華紗凛は、溜息をひとつして、


「はぁ、別にいいわよ。そんな仰々しくしなくても。話を続けて」

「かしこまりました。では続けさせていただきます」


 その先の話し合いは恙無く進行していった。決行は長引かせる理由もないのでこの後すぐ。方法は最も苦痛の少ない薬剤投与。死後、自室で睡眠薬を過剰に摂取したかのようにカモフラージュする。遺書は無し。……自分のことなのにまるで他人事のようにスムーズに詳細が詰められていくので、華紗凛はどこまでいってもいまいち実感が湧かなかった。




「お疲れ様でございました。以上で聞き取りは完了となります。引き続き、最終意思確認に移らせていただきます」


 眼前、空になったマグカップの横に一枚の紙が置かれた。「誓約書」と書かれている。


「こちらに署名を行った後は、如何なる場合であっても中止することは出来ませんのでご了承ください」


 篠崎はどこまでも事務的に話す。そこに感情の類は見られない。結局彼女は最後まで華紗凛の事情に深入りしてくることは無かった。なら、ここまでやって手の込んだドッキリということもないだろう。しばらく逡巡して、ペンを手に取る。

 思えば、確かにいじめは辛く、何度も死にたいと願ったが、自分で死のうという気は最後まで起きなかった。そんな日々を漫然と過ごしていたが、突然送られてきた一通のハガキによって事態は一変した。それに背中を押されるがままここまで進めてきたが、果たして本当にこれでいいのか。本当にこれが自分の心からの望みなのだろうか──




「──確かに受理いたしました」


 篠崎のその声で我に返る。気づけば華紗凛の手はサインを終えていた。考え込んでいる間に、無意識に名前を書き込んでいたのだろうか。漠然としないが、確かに名前を書き記した感触はある。筆跡も華紗凛自身のものだ。


「渡辺様? どうかなさいましたか?」


 篠崎が声を発した直後、突然、周りの喧騒が蘇る。思わず華紗凛は息を呑んだ。


「……ぁ、いえ……大丈夫……よ……」


 左隣の子どもが騒ぐ声と、それを窘める母親の声。窓の外で単調なメロディを奏でる歩行者信号。先刻まで気にもならなかった雑音たちが、華紗凛の耳を冒涜し、まるで彼女の選択を糾弾しているようだった。


「では、早速参りましょうか。表に車を用意しておりますので」


 再び篠崎が言葉を紡ぐと、華紗凛を責め立てていた喧騒はたちまちその矛を収め、環境音へと戻っていった。思考にまとまりがついていない華紗凛は篠崎に促されるまま、馴染みの店を後にした。




 華紗凛は自分が普段使っているベッドより数段グレートが高いであろうものに寝かされた。山奥の少し開いた場所にある真っ白な建物。その中の一室、病室のような部屋のベッドに、華紗凛はいる。少しの緊張と高揚、それから沢山の恐怖。ここに達するまでに彼女が抱えてきた感情だ。結局、車中で折り合いをつけることは出来ず、ここまでそれを引きずってきてしまった。

 まだいじめが行われる以前、数人の友人と呼べる同級生たちと取り留めのないことを話しながら家路を急いだ記憶がフラッシュバックし、何故か急に死ぬのが怖くなった。

 いじめの最中、そんな元友人たちが踵を返して足蹴にされた華紗凛から離れていく記憶が蘇ったときは、さっさと死にたいと思った。彼女の心境は、そんな山と谷の繰り返しであった。




「お待たせいたしました」


 ややあって、篠崎の声がした。華紗凛が横を見ると、彼女はベッドの脇に侍っていた。相変わらず柔らかな笑みを崩さない。


「準備が整いましたので、契約に則り、薬剤投与を履行させていただきます」


 篠崎の合図で白衣の女性が室内へ入ってくる。篠崎同様、貼り付けたような柔和な微笑をたたえている。衣装はしみひとつない純白であるのに、華紗凛はこの女性からも真っ黒な印象が拭えなかった。


「それでは、お疲れ様でございました。ごゆっくり、お休みくださいませ」


 白衣の女性が四粒の錠剤を手渡してきた。受け取った華紗凛はしばし停滞する。頭の中は、相も変わらず結論の出ない問いに埋め尽くされ、もはやどうしたら良いのか分からくなってさえいた。


(これを、飲んだら、死ぬ。もう、苦しい思いをしなくて済む。なのに、どうして、あたしは死ぬことを怖がっているの? 早く死にたいのに、でも、死ぬのが怖い……死んだら、それまでのあたしは? その先のあたしは? ……今更になって怖気付くなんてあたしの覚悟なんてそんな程度だったってことかしら。やっぱり、やめようかな。きっと、もっと苦しくなってからでも遅くない。だから)

「渡辺様」

「……ぇ?」


 完全に思考の渦に飲み込まれていた華紗凛の不意をつくように、篠崎の声が耳に入る。


「もう、お休みになってよろしいのですよ。貴方様は、十分、頑張りました」


 優しい声だ。もつれきった思考は霞んでもやがかかったようになり、そのおかげかあんなに硬直していた左手は、ごく自然に、口元へ運ばれて行った。一度口内へ侵入した錠剤は、そのまま流れるように喉奥へ吸い込まれる。


(…………眠い)


 飲み込んだ錠剤の効果か、身体を起こしているのが段々と辛くなっていく。そのまま崩れ落ちるように、華紗凛はその身体をベッドに沈めていった。


(パパと……ママは……悲しむ……かな)


 薄れゆく意識の中で、最期に思い出したのは、元友人たちでも、いじめにいじめ抜いた忌まわしいあの女でもなく、最後まで優しかった両親の顔だった。




case2

「お疲れ様。それにしても今回はまた随分と急いだわね」


 白衣の女性、不破は事務所へ戻ってきた篠崎に声をかける。


「……そうかな」

「ええそうよ。当日中の決行なんてよっぽど緊急性がない限り推奨されないじゃないの」

「……なら緊急性があったってことだよ」

「ならって……あなた、同期のよしみで言わせてもらうけど、」


 さして気にした様子のない篠崎の様子に、不破は一度嘆息をはさんでから、


「……この仕事に、私情を持ち込むんじゃないわよ」


 それは今まで聞いたことのない声色で、怒りすら籠っているようだった。


「……わかってる」

「はぁ、もう」


 恐らくこんなことは一度や二度では無いのだろう。嘆息を繰り返す不破の態度からもそれが見て取れる。


「……で、死後工作は終わったの?」

「もちろん。問題なく」

「そ、ならいいわ」


 今頃、華紗凛の両親が膝から崩れ落ちているであろうことは、想像に難くない。だが、ASCとしての仕事はここまで。その先には関与しないことになっている。


「じゃ、仕事ひとつ押し付けていい?」


 悪戯な笑みを浮かべた不破は、篠崎に書類の束を押し付ける。


「……なんで」

「わたしが担当してる依頼者様なんだけどね、ちょうど面談が会議とバッティングしちゃったのよ。流石に会議は外せないから、面談、代わりに行ってきてちょうだい」

「……なんでお前のミスの尻拭いしなきゃなんないの」

「いーじゃなの、それくらい。わたしたちの仲でしょ。それに面談って言ったって、もうほとんどお喋りしに行くだけみたいなものよ。誓約書にもサイン済みだしね。じゃ、そうゆうことでよろしく」


 そう言うが早いか、不破は篠崎に反論の余地を与える前に事務所の扉を開け、手を振りながら立ち去ってしまった。ポツンと一人、篠崎だけが取り残される。


「はぁぁぁぁ、しょうがないな」


 特大の溜息は、寒々とした空気の中に溶けて消え、何事も無かったように元の静寂に立ち戻った。




「よくきたねぇ、さぁさ、座んなさいな」


 人好きのする笑顔で篠崎を迎え入れたのは、ほっそりとやつれた老人だった。


「……失礼いたします」


 ASC直系の病院の一室、ここに短期入院しているのが、件の依頼人、山本美佐子である。


「あら、今日はいつもの方とは違うのねぇ」

「本日不破は所用で外しておりまして、代わりに私が担当させていただきます。ご挨拶が送れました、篠崎と申します」

「あらあら、そうだったのねぇ。そんなにかしこまらなくていいのよ、くつろいでくださいな」


 美佐子は篠崎に椅子を勧めた。篠崎はそれに応じる。


「さぁさ、今日はなんのお話をしようかね」

「……お話ですか?」

「そうよ、決めなきゃならないことは全部決めちゃったからねぇ。不破さんには退屈な老人のおしゃべり相手になってもらってたのよ」


 その言葉に篠崎は目を見張る。彼女の価値観からすれば、死ぬと決断してからあえて時間を置くのは、意思の揺らぎが生じるため好ましく思えない。


「……差し支え無ければ、実行日をお伺いしても?」

「もちろんよ。六月の十八日に逝く予定だわ」


 まだ数ヶ月先のことである。いや、実際決行日まである程度期間を置き、身の回りの整理をする依頼者は少なくないが、美佐子ほど長期間先に決行日を設定するのは非常に稀である。少なくとも篠崎の経験上では最も長い。


「なんで、って顔してるわねぇ。じゃ、せっかくだしそのことについておしゃべりしましょうか」


 余程怪訝な顔をしていたのだろう。篠崎は慌てて顔に手を当て、眉間に深いしわができているのに気づくと、


「し、失礼いたしました……!」


 深く頭を下げた。


「いーえ、いいのよ。可愛らしいお嬢さんねぇ」


 ASCでは研修で真っ先に習う項目として「職員が感情を悟らせてはならない」というものがある。あくまで我々は依頼者様の理想的な死を差し上げる存在であり、そこに職員の意思や情が介入してはならない。最も基本的な事項である。


(おかしい、こんなことは今まで無かったのに)


 今までは問題なく職務を全う出来ていたのに、最も許されざる振る舞いをしてしまった。


「そんなに自分を責めないで。うーん、そうしたら、少し私の昔話をさせてもらおうかしら。きっとそれで貴方の疑問も解けると思うわ」


 訥々と美佐子は語り始めた。


「凄く仲良しなお友達がいてね。女学院自体に知り合ったのだけど、とにかく馬が合ったのよ。何をするにも一緒で、家もご近所だったからもしかしたら家族よりも長い時間顔を合わせていたかも」


 優しい目でふふふ、と笑う美佐子。


「お互い嫁に入ってからも交友は続いていてね。結局私も彼女も地元で結婚したものだからそのまま家族ぐるみでお付き合いしていたわ。家事とか、子育てとか、主人の小言とか、大変なことは多かったけれど、でもすごく充実していた」

「そう、なのですね。さぞ良いご友人をお持ちになられたようで……」

「そうよぉ、本当に仲良しだったんだから。向こうの家に遊びに行きすぎて、主人に『向こうの旦那と密通しているのか!?』なんて怒鳴られたこともあるのよ。どちらかというと、密通していたのは向こうの嫁となんですけどね」


 今度はあはは、と声高に笑う。思わず篠崎も少し頬が緩んでしまった。先程反省したばかりなのに、と慌てて表情を引き締める。


「それで、その方とは今も交友が?」

「…………亡くなったわ」

「……ぁ」


 美佐子の表情が抜け落ちた。そのあまりの変わりように、篠崎はナイフを心臓に突きつけられたような錯覚を覚える。


「……脳梗塞だったそうよ。本当にびっくりしたわ。ずっと病気ひとつしないで元気だったのに。病気がちだった私の方が先に逝くと思っていたのに」


 だんだん言葉が詰まり始める。


「も……申し訳、ございません……」


 本当に、自分はどうしてしまったのか。美佐子と話していると、普段絶対にしないようなミスを繰り返してしまう。篠崎は指先がじわじわと冷えていく感覚を、鮮明に感じていた。


「……いいのよ。ごめんなさいね、暗くなっちゃって。それでね、その後私も体調を崩しがちになって、先月、大きな病をしたの。まさかの余命宣告よ。ドラマではよく見てたけど、まさか自分がされる日が来るとは思ってなかったわ」


 美佐子はまた表情を取り戻し、笑ってみせるが、篠崎にはそれが無理をして作っていると容易に見て取れた。


「まあでも、入院費や治療費も馬鹿にならないし、家族にも心労をかけてしまうでしょうしね、この際ぽっくり逝っちゃおうって考えたの」


 やや駆け足気味に美佐子は身の上を説明し終えた。ふう、と一息つく。篠崎はろくに相槌も打てずに聞き入ってしまっていた。どう言葉を返すべきか、答えあぐねていたが、


「では、決行日を詳細に定めたのは……?」


 また、思考が漏れ出てしまった。今日何度目かわからない。今日は全く感情をコントロール出来ない。美佐子の人の良さがそうさせるのか、あるいは不破が何か仕込んだのか。


「今の時期だと季節柄行事とかが多いでしょう。だからそのあたりが落ち着いた頃にしようと思ってね」

「ご家族へ配慮なさったのですね」


 どこまでも周囲への気遣いを怠らない、素敵な方だと篠崎は思った。果たして自分が歳をとっても、ここまで高尚な人間になれるだろうか。


「……っていうのが建前でね……これは不破さんには内緒よ」


 無邪気な子どものように声を潜める美佐子。先程の高徳な印象は薄まり、むしろ俗っぽく感じる。


「……あの子の命日なのよ」


 頬を赤らめて美佐子はそう言った。その恋する少女のような仕草は、篠崎の目には微笑ましく映った。


「ふふふ、素敵な理由でございますね」


 本心から、そう思った。


「……さぁさ、私の話はこれでおしまいよ。今度は貴方の話を聞かせてちょうだい」


 照れを隠して、仕切り直すように美佐子は話を振る。


「ええと……」


 篠崎は彼女の話を聞いて、一つ思い出した話があったが、それを話すべきか迷った。だが、もうこの場では幾度も失敗を重ねているのだ。諦念して、篠崎は話し始めた。


「私が学生のとき────」


 会議の終わった不破が来訪するまで、二人のおしゃべりは止まなかった。




case3

「ねぇ、まみちゃん」


 親友の声を聞いたのはいつ以来だろうか。その声は真実を責め立てる。


「なんで先生に言いふらしたの?」


 ……ちがう、ちがうの。まさかあんなことになると思わなくて


「なんで私を無理やり学校へ連れていったの?」


 ……だって、その方がきいちゃんのためになると思って


「なんで『守ってあげる』なんて嘘ついたの?」


 ……嘘をつくつもりじゃなかった。気づけなかったからどうしようもなくて

 言葉を紡ごうとしても、声帯は死んでしまったかのように役割を果たそうとしない。


「ねぇ、まみちゃん」




「なんで私を死なせてくれなかったの?」




 ガバッと毛布を弾き飛ばして上体を起こす。


「……きいちゃん」


 紀伊のぞみ。真実の親友。いじめにより不登校気味だった彼女を無理やり学校へ引っ張って行ったのは真実である。のぞみが屋上から飛び降りようとするのを阻害したのも真実である。彼女はそんな世界に耐えられなくなり、魂のみが俗世を捨てた。つまり、虚ろな目でただ呼吸をするだけの有機物と成り果ててしまったのだ。誰が正しくて、誰が間違っていたのか。真実には分からない。ただ一つ、親友が廃人と化したという事実だけは絶対であった。

 時刻は六時半。真実はモソモソと支度を始めた。




「桑原梨々花、十六です!生年月日は──」


 篠崎は今日も新しい依頼者と面談を行っていた。ハキハキと喋る少女、梨々花は一見すると自殺志願者とは分からない。だが篠崎の経験上、依頼者の外的な印象は全く当てにならないことが多いため、手は抜かず、入念に聞き取りを行っていく。それは恙無く進行していった。件の質問までは。


「では、今回自殺を決断するに至った経緯をお聞かせ願えますか?」

「経緯ですか?うーん……」


 梨々花は唇に指を当てて、首を傾げ考え始めた。篠崎が過去に担当した事例で言うと、「いじめ」が最多の原因である。次点は「将来への不安」、次いで「家庭内問題」といったところだ。学生が自死を思い悩む場合、おおよそはこれらのいずれかに該当する。恐らく梨々花もその例に漏れないだろう。篠崎はゆっくり、梨々花が言葉を発するのを待った。


「そうですね、特に経緯とかは無いです!」

「…………はい?」


 思わず素っ頓狂な声を上げてしまう篠崎。


「うーんと、色々考えたんですけど、何にもなかったです!強いて言うなら、ただ何となく死にたいなって思ったからですかね」


 元気に答える梨々花と対照的に未だに理解が追いついていない篠崎。


「お、お待ちください!死にたいと思った理由が、ないのですか!?いじめや、将来への不安など……」


 信じられないといった様子で、篠崎は問う。


「全くないです!友達はみんないい子だし、パパもママも好きな仕事に就けっていつも言ってます!将来は丸の内でOLとかやってみたいかも!」

「で、では何か他に原因が……?」

「ですから、特にないですってば。友達や家族に恵まれて、将来やりたいことがあって、っていうのと、死にたいっていうのって全然別じゃないです?」

「……理解しかねます」

「えーなんでー?うーん、なんて言ったらいいかな。あ、じゃあ逆にお姉さんに聞きたいんですけど、なんで死にたいと思うのに理由が必要なんですか?」

「それ、は……」

「あたし思うんですけど、死ってそんなに難しいものじゃないでしょ。何となく死にたくなることって誰でもあるじゃないですか。突然タピりたくなるのと同じで。そうゆうことですよ。タピりたくなったらタピればいいし、死にたくなったら死ねばいいんです。『なんで?』なんてどうでもいいんですよ」


 梨々花は力強く説いていく。篠崎は初め黙ってそれを聞いていたが、沸々と何某かの感情が湧き上がってきていることに直前まで気づくことが出来なかった。その「怒り」を知覚したのは完全に噴火してしまった直後である。


「…………いい加減にしなさい!なぜそんなに命を粗末に扱おうとするのですか!」


 梨々花の考え方は、あまりに乱暴だ。死を最高の救済装置という立場に据える篠崎の思想からしてみれば、到底許せるものでは無かった。


「なんでお姉さんが怒ってるんですか?」


 梨々花はそれに怪訝な表情を以て応じる。


「……死は、救いなのです……どうしようもなく辛いこの世界から、解放される、唯一の手段なのですよ……それを、そんな軽薄な動機で決断して良いはずがない!」

「……さっきから、なんでそんなしんどそうな顔してるんです?」


 梨々花に指摘されて初めて、篠崎は自分が涙を流していることに気が付いた。


「……はぁ、なんでこんな面倒な地雷持ちに当たっちゃったかなぁ。あ、じゃあお姉さんに一つだけアドバイスあげますよ」


 そう言うと、梨々花はテーブル越しに身を乗り出し、篠崎に腕を絡める。そして耳元で


「もし、お姉さんやあたしが死んでも、誰の救いにもならないし、もし生きてても誰の罰にもならないと思いますよ」


 その言葉は残酷で、それでいて甘美で、反論の余地もないほどすとんと篠崎の胸中に落ちた。


「だから、ね? 生きるも死ぬもその人の勝手。やりたいようにやりましょ?」


 そこから先は、語るべくもない。ただ、世界から無数にある命のひとつが潰えたというだけである。それでも日常に大きな変容はなく、明日も、そのまた明日も、命は多く潰えていく。その中の幾ばくかは人為的に失われているのかも知れないが、それが世界に何らかの影響を与えることはない。




case4

「面倒だからさっさと済ませるわよ。じゃあ自殺を決めた経緯は?」


 気怠そうに不破は尋ねる。この頃は気温も上がって、正しく春の気候を感じられるようになってきた。事実不破はトレードマークの白衣を今日は着用しておらず、依頼者の女性も暖かなベージュのカーディガンを椅子に掛け、薄手のシャツ一枚で過ごしている。直に桜も蕾を付け始めるだろう。すべての始まりを予感させる季節である。

 その陽気ゆえか四拍ほど間を置いて、答えが帰ってくる。


「うーん、なんか疲れちゃったし、どうでも良くなったから、かな。あと、今年は暖かそうだしね」


 依頼者、篠崎真実は眼を細めた。

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