MTR
そういえば、君は「MTR」って知っているかい。君の事だからわからない言葉はすぐにググるんだろうね。でも残念、少なくとも「マルチトラックレコーダー」ではないんだ。ごめんね、順を追って話すよ。
いつだったかな、確か小学生の頃だったと記憶しているのだけれど、そのくらいの時に、一冊の小説を読んだんだ。タイトルも登場人物の名前もほとんど忘れてしまったけれどね。ストーリーでさえ概略程度しか覚えていないなぁ。確か、こんな話だったと思う。
世界を滅ぼす巨悪の魔王を討伐するために、国の英傑達が集い旅に出た。その道中で強大な敵と会敵し、危うくパーティ全滅の危機に瀕してしまった。しかし、パーティの一人、剣士が捨て身の攻勢で奇跡的に撃退することに成功したのさ。
ベタだよねぇ。どうしてこんなありきたりな展開に一喜一憂していたのか、理解に苦しむよ。まあいいや。そこはあんまり重要じゃないしね。問題はこの後なんだ。
強大な敵を切り伏せた後、剣士はその場に崩れ落ちた。主人公とパーティの仲間たちは、その場に駆け寄り、彼の体を抱きかかえる。
「おい、剣士! しっかりしろ!」
「奴は……奴は、死んだか……?」
「ああ、死んださ。お前が倒したんだ」
「そうか」
「ああ」
「……なぁ、ひとつ頼まれてくれないか?」
「何だよ……藪から棒に」
「妻と娘がいるんだ。辺境の寒村なんだがね。古くさい田舎なもんで、女一人子一人ってのがあまりよく思われないのさ。だから、ちょっとでいいんだ、気にかけてやって欲しい」
「は? どういう意味だ……?」
「あァ……それから、娘に俺の大活躍を伝えといてくれ。お前の父ちゃんは沢山敵を倒したんだぞ、ってな」
「そんな話は、私に頼まないで自分で伝えたら良いだろう! お前が生きて故郷に帰ればいいだけのことだ!」
「出来ることならそうしたいんだがな、どうにもさっきから身体は動かねぇんだ。それに、だんだん視界がぼやけてきた。アンタの顔ももうよく見えてねぇんだ。自分の事は自分が一番よくわかってるってもんさ」
「そんな……」
「わがままァ言ってるのは、百も承知だが、どうか……よろしく……たの……」
「……剣士……? しっかりしろ! まだ逝くな! この先の旅路にもお前の力が必要なんだ! 返事をしてくれ! 剣士‼」
しかし、剣士がその呼びかけに応えることはなかった、と。この展開が当時、ビビビっときてしまってね。まぁこれもベタっちゃベタなんだけれど、なぜだかこれを初めて読んだとき、言いようのない多幸感を感じてしまったんだ。この部分だけ軽く三桁は読み返したよ。そのくらいの衝撃だったのさ。
ええと、なんでこの話をしたんだっけ。ああそうだ、MTRの話だったね。つまり、このMTRとは「看取られ」という意味なんだ。大切な人と言葉を交わし、幸せに逝くこと。言ってしまえば、この「看取られ」にたまらなく魅了されてしまったんだ。
あ、気づいてしまったかい。まだそこそこ元気だった頃、病院で君とたくさん話をしたよね。お察しの通りあれは自らの欲望に従った行動だよ。
今だから言うけれどね、正直とても快感だった。「君に出会えて本当に幸せだった」とか「死ぬのは怖くないよ。だって君に会えて、君と一緒に過ごせて、もう何も未練は無いからさ」とか、今思い返したら歯が浮きそうになるような台詞を次から次へと吐き続けたからねぇ。
あれは楽しかったな。君も表情をころころ変えていたよね。ある日は病室が水浸しになるんじゃないかってくらいに泣いていたり、別の日は「アンタが弱音一つ言わずに頑張っているのに、アタシだけがめそめそ泣くわけにはいかない」って言ってずっと苦しそうに笑っていたり。君の辛そうな顔を見る度に、満ち足りた気持ちになったよ。こんなくだらない人間の為に苦しんでくれる、泣いてくれる友人がいるという事実が嬉しかった。人生に意味を見出す事が出来たからね。
今まで隠していてごめんよ。言い出せなかったんだ。君に否定されてしまったら、君に拒絶されてしまったら、孤独に死と向き合わなくてはならない。あの頃はそれが怖かった。だから言えなかったんだ。今更許しを請うつもりはないよ。好きなだけ罵倒してくれてかまわない。
じゃあなんで急にカミングアウトしたのかって? それは……君との間に生と死、という隔たりがあったから、かな。この言葉が君に届くことはないし、君の言葉をこちらが聞くことも出来ない。言ってしまえば、これはカミングアウトですら無いのさ。つまり、ただの独白だよ。……でも、ただの独白だとしても、自分が救われたくてやっていることには変わりないな。結局どう繕っても言い訳にしかならないね。やっぱり許されたいのかもしれない。でも生きている間に直接伝えるのは怖くて出来なかった。我ながらひどい矛盾だよ。
そんな感じで、心ゆくまでMTR欲求を満たした後、一つ手術をしたんだ。覚えてるかな。これは教えてなかったんだけど、実はあの時の手術、成功率一パーセント未満だって医者に言われていたんだ。九十九パーセント死ぬことが決まってるんなら、そりゃあ全力で君の心に傷跡を残しにいくさ。これは持論なんだけれどね、いざ死ぬって時に、それを一人でも看取ってくれる人がいるのなら、それはすごく幸せなことだと思うんだ。死んだ後もずっと故人の事を考え続けてくれるのなら、こんなに幸せな死はないと思うよ。君の心に寄生して、いつまでも君を蝕み続ける事で幸福を享受することが出来るのさ。あの頃はそれだけに縋って生きていた。
でも、世界はうまく出来ているよね。ただの人間が考えた稚拙な計画なんて、簡単に崩れ去るんだ。このときばかりは、神の存在を信じかけたよ。勧善懲悪、美しい物語さ。
まさか、一パーセントの方を引いてしまうとは、考えもしなかったよ。
綺麗に死ぬことが出来なかった。君は喜んでくれたけれど、僕の胸中は絶望で一杯だったよ。あそこで美しく死ぬべきだったんだ。そうすれば、自分自身の人生を肯定できた。
驚いたかい? まさかこんなことを考えていたとは思わなかっただろう。確かに褒められた考えでは無いとは思う。でも、君もなかなかひどいと思うよ。なんてったってMTR愛好者を差し置いて先に逝ってしまうんだからね。看取ってくれる人がいなくなってしまったじゃないか。それに、大型車に轢かれて即死だなんてされたせいで、君を看取ることも出来なかった。
君の最期の言葉は一体何だったんだろうね。いや、そんな余裕もなかったか。案外、「アンタが元気になってくれて良かった」が最期だったりしてね。病院から家に帰る途中だったらしいじゃないか。いや、でも友達が多い君の事だから、道中で誰かと話をしていたかな。うーんまぁ、今考えても詮無い事か。
ずいぶん長話をしてしまったね。日も暮れてきたし、そろそろお暇しようかな。あ、そうだ。一つ話し忘れていた事があったんだった。いや、たいした事じゃないから今の今まで完全に失念していたんだけれどね。癌の転移が見つかったんだ。場所は……えぇとね、一気に何箇所も言われたから忘れてしまったよ。それだけ。うん。じゃあ、帰るよ。あーあ、君の好きなお花とか、君の好きなお菓子とかジュースとか、もっと色々聞いておけば良かった。何を持ってきたらいいのか凄く悩んだんだからね。うん。それじゃ、またね。次に会えるのは、秋のお彼岸の時期かな。いや、もしかしたらその頃には、直接会えるかも。そしたら今日した話、改めてするからさ。沢山責めてよ。あぁ、君に会えるのが今から楽しみだなぁ。
あはは、帰るって言ったのに、いつまでも居座っててごめんね。今度こそ居なくなるよ。じゃあ、バイバイ。また今度ね。