一、学園よさらば！ 辺境伯令嬢、堂々退場す！
「ミシェル！ 俺は、貴様との婚約を破棄させてもらう！」
ここはバール王国の貴族学園。
その卒業記念パーティーにおいて、卒業生の中の一人の男が、私、辺境伯家令嬢ミシェル・スキンファクシに婚約破棄を突きつけてきた。
男の名前は、レイジ・バール。私の婚約者であり、この国の第一王子である。
美しい金髪を逆立てて、同じく美しい顔を東の国の猿の様に真っ赤にしながら、威圧する様に大声で叫ぶ姿は、滑稽でもあり、こんなのが私の婚約者だと思うと、頭が痛くなってくる。
「……唐突ですね。一体どうしました、殿下？ ……何かの余興ですよね？ そう言って下さいまし」
「余興ではない。俺は、本気でお前との婚約を破棄させてもらう！」
わざわざ私が逃げ道を用意してやったのに、このボンボンは速攻で潰しやがった。すぐカッとなる気質の上に、興奮状態になると周りが一切見えなくなり、話もいつも以上に聞かなくなる悪癖。これのせいで今までだいぶ苦労させられたが、何も、こんな時までそれを発症しなくても良いものを……。
ざわざわと他の卒業生や、来賓の貴族達も騒ぎ出した。まずいな。もうタチの悪いジョークでは済まなくなった。
「……理由は？」
「お前はこのアンゼリカ・メディア男爵令嬢に、有形無形の嫌がらせをしていたそうじゃないか！ そんな奴は我が妃に相応しくない！ 代わりに、このアンゼリカを我が新たなる婚約者とする」
「嫌がらせ？ 私が何をしたというのです？」
まったく心当たりの無い事を言われて、私はうんざりしながら、貴金属を思わせる金色の瞳で殿下を睨みつけつつ、サイドテールにした銀色の髪をいじる。私がイライラした時にする癖だった。
「とぼけないで下さい！」
突然話に割り込んで来たのは、ピンク色の髪をツインテールにした少女だった。彼女こそアンゼリカ・メディア。アホ王子の浮気相手である。
ピンク髪娘は、浮気相手の王子と同様に顔を真っ赤にしながら、私に噛みついてくる。
「私に酷い事言ったじゃないですか！ それに、私の物を壊したり、階段から突き落とそうとしたり！ 」
「私は、男爵令嬢の身分で、王子に容易く近づき、あまつさえ、側室候補でも無いのに恋人気取りになっていた事に警告しただけです。これでも、貴女に恥をかかさない様に、なるだけ、誰もいない所で、さとす様に話したはずですが……。それを誹謗中傷呼ばわりとは心外ですわね。傾国ちゃん 」
「その『傾国ちゃん』ってあだ名だって悪意があります！」
「傾国呼ばわりされるくらい、相応の事はしてたでしょ。あなた。あなたがしている事は、不貞まがいなのよ？ その辺り分かっていらっしゃる？ 」
傾国ちゃん、というのは彼女の、婚約者がいる男性に次々と粉をかけていく行動を揶揄したあだ名だ。明らかに悪意のあるあだ名だが、相応の事をしているのでそれ位は仕方ないだろう。
彼女はいわゆる、『いじめられる方にも問題のあるいじめられっ子』というタイプだった。まず、ぶりっ子めいた態度で殿方の気を引こうとする。更には婚約者のいる殿方に手を出そうとするわ、裏で複数の男から金品を貢がせているわ、この国の貴族のマナーやタブーを全く理解してないわ、好感を持てる要素が零に等しい。
私など、むしろ、闇討ちの襲撃計画を立てる令嬢達に、「相手は下級貴族令嬢なのだから少しくらい多めに見ましょ。いくら腹が立っても、暴力はいけないわ」とフォローして暴発を抑えていた側なんだが……。見事に、恩を仇で返してくれた。彼女はよりにもよって、私の婚約者の王子に手を出したのだ。
「それは……レイジ様が、日頃のストレスを強く感じているので、私がお話を聞いて癒して差し上げていたのです！ 不貞とは心外な！ 」
「あぁ……アンゼリカ。君のお陰で俺は今まで頑張ってこれたんだ」
「レイジ様……」
二人だけの世界に入って行きそうな、レイジ様と浮気相手に辟易しつつ、私は言葉を続けた。
「物を壊した？ 階段から突き落とされそうになった？ 私に器物損壊や、殺人未遂の心当たりは無いわ。私がそれらをしたという何か確固たる証拠でも？ それに、傾国ちゃん、色んな所から恨み妬みを買っていたじゃない。他の子にやられたんじゃないの？」
「証拠は……無いです。でも、動機的に、状況的に、貴女がやったとしか思えないんです」
「そういうのは証拠とは言わないの。まさか、前時代の異端審問官気取りで、魔女狩りめいた冤罪をふっかけようとでもしてる？」
こちとら、常在戦場、斬った張ったの地獄の一丁目の国境沿いの出身。辺境生まれ辺境育ちだから、頭に血が上ると、つい語気が荒くなる。彼女は威圧する様な私の言葉に、しばらく思考停止していたが、やがてポロポロと涙を流し始めた。
「酷いっ！ 酷い！ 私、私ぃ……」
「ミシェル！ 貴様ぁ！ 」
「あら殿下、私は正論を述べたまでですわ。それに、彼女を正規ルートで側室に……という事なら私も喜んで……とはいかないまでも受け入れましたのに、公衆の面前で婚約破棄とか、何を考えているんですの！」
「それは、お前の性根が腐っていて、俺の妃に相応しくないからだ！ 正室は、このアンゼリカこそ相応しいからだ！」
アンゼリカ嬢が泣いた事に、レイジ様はカンカンだった。しかも、ご丁寧に、側室に迎えるという軟着陸ルートも、自分自身の手で潰してくれやがりますし。
正直、泣きたいのはこっちなんだが。こんな派手に応酬したら、どうつくろっても、この婚姻に影響が出てしまう。
ギャーギャーと発狂しながら私を責めるレイジ様。
更にそこに、アンゼリカ嬢に骨抜きにされた、殿下のイエスマンな側近の殿方達が何人か加わり、援護射撃をする。……あんたら、全員婚約者いるはずでしょ。そんなんだから、傾国ちゃん闇討ち計画なんて立てられるのよ。
彼らは、やれ、お前は妃にふさわしくないだの、アンゼリカの方が妃にふさわしいだの、辺境生まれの田舎者軍国主義者だの……よくもまぁ、それだけ舌が動くものだと感心してしまう。
……なんかもう、限界。
このアホ王子のお守りをするのも。中央の貴族の人間関係というのも。平和ボケし過ぎな中央の貴族のボンボン共も。目の前の連中を愛用の剣で切り刻みたい衝動に襲われたが、それはまずい。今、剣を腰につけていなくて、本当に良かった。
「あほくさ」
「なっ？！」
突然、死んだ目でそんな事を言い出した私に、レイジ様は少し面食らったらしい。あんまり馬鹿っぽい顔をするな。唯一の取り柄の顔の良さが台無しだ。
「あーもう分かりました！ そこまで言うなら、婚約破棄、承知しました。私は故郷の田舎に帰らせて頂きます！」
「ミシェル、お前……」
心なしか、少し声が嬉しそうなのがイラっときたが、まぁ良い。この数年間、辺境の田舎から都に移って、王妃になる為の勉強やら、コネづくりやら、夜会やら、めんどくさい事を沢山してきた。最近はろくに乗馬や剣術の稽古すら出来てない。わざわざ田舎から愛馬を連れてきたのに、彼女にも都の屋敷の狭い厩舎で、窮屈で寂しい思いをさせている。
それなりに努力もしてきたし、成果も出した。全て、この目の前のアホ王子の為だった。だが、それをこいつは、最悪の形で裏切ってくれた。
卒業パーティーでの婚約破棄宣言も最悪だし。
浮気相手の男爵令嬢も、あまりおつむが良くないのか、言い分もガバガバのグダグダだし。
この数年間は一体何だったのだ。イライラが最高潮になり、私は銀色の髪のサイドテールの尖端を、ぐるぐるといじりまくっている。ここまで髪をいじるのは久しぶり……いや、初めてかもしれない。
なにもかもが、どうでも良くなった。王家がなんぼのもんじゃい！ 誰がなんと言おうと、私はもう田舎に帰らせてもらう。
「じゃ、殿下。その傾国殿とお幸せに！ あぁ、先程言っていた罪状に関しては、私は一切認めませんから、そこだけは忘れない様に。皆さま、ごきげんよう！ バイバイ！」
私の怒り具合に、流石にまずいと思ったのか、殿下の取り巻きが、会場から退場しようとする私の進路をふさぐ。
が、殺気を込めた目で睨むと、震えあがって道を開けた。……情けない。あいつらは確か武官志望のはずだったが……。
「ハンナ！」
「ここに」
私が名を呼ぶと、すぐに一人のメイドの少女が私の傍にかしずく。彼女はハンナ・フリームファクシ。私の侍女にして乳母の娘、いわゆる乳姉妹である。
「私はこのまま、家に帰るわよ！」
もう、取り繕う必要もない。ようやく慣れてきたお嬢様言葉を止めて、私の素の口調に戻った。
「すぐに路銀を用意いたします」
「それと、私の愛馬と馬上着を用意しなさい。その後、ハンナは寮の私の部屋の片付けを。有事に備えて剣は持ってきたから。貴重品とか、服とか、本とか、その他必要そうな物は実家に送って。後のものは適当に処分して良いから」
「御意」
「部屋を引き払ったら、ハンナも帰って来なさい。私はしばらく田舎でのんびりする」
「良いですね。久しぶりの帰郷です、ごきょうだいの皆様も歓迎してくれるでしょう。それに、兄も喜びます」
「仕事が片付いたら、ハンナにもしばらく休暇をあげるわ」
「ありがたき幸せ」
簡単にハンナに指示を出すと、私は堂々と会場を後にした。
学園よさらば！ 辺境伯令嬢の私、堂々退場す！
