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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

彼の最期と勇者の秘密

作者: 晦日 朔日

微グロ注意


 小気味よく燃える焚き火の音が、連日の戦争で疲れ切った冒険者たちの耳を癒し、野生の魔獣から彼らを守っている。


 いつこの不毛な戦争が終わるのか。どれだけの仲間が死ねばその犠牲が報われるのか。


 それは誰にも分からないまま、ただただ命だけが流れていた。


 ここは魔王国と人の国の国境沿い、人の国最後に残った要塞都市アルペドの、その更に前にある防衛陣地。


 元は一千人近くの冒険者が配備されていたが、相次ぐ脱走や死亡、再起不能の重傷等で数を減らし、今や三百人を切るのも目前というところまでになってしまった。


 焚き火の側で火の番をしながら、雑草の根で作られた代用茶を飲んでいる男、サミュエルはその残った貴重な冒険者の一人だった。


 闇に溶け込む深い紺色の髪を持つ彼が、すっかり脚が悪くなってしまった椅子を軽く揺らしながら焚き火の火に目を落としていると、ふと何かに気づいて顔を上げた。


「よお、今夜だったのか」


 サミュエルが暗がりに声をかけると、身体から夜を払い落としながら、苦笑した若い人物が突如として現れた。


「こんばんは、サムさん。やっぱり貴方にはすぐにバレちゃいますね。自信無くしちゃうなぁ」


「いや、何度も言ってるが俺がアレックスのソレを看破できるのは必然と言うか、この眼のせいだから仕方ないぞ」


 アレックスと呼ばれた若人は細い腰に手を当て、頬を膨らませて突っかかる。


「そう、その眼! いい加減その眼に何が見えてるのか僕に教えてくれても良くないですか? だって最後かもしれないんだし」


 サミュエルはその藍色の、何の変哲もない両目を惑わせた様に宙に向けた。


「まあそうか。最後、だしな」


 溜め息を吐きながら、今までのらりくらりと追求をかわしてきたサミュエルはとうとう観念してそう言うと、アレックスは深緑の短髪を跳ねさせて、やった! と喜色を滲ませた。そして、その痩身に似合わない大剣を背中から下ろして近くにあったボロ椅子に座った。


 言っとくけどなんの面白みもない昔話だからな、とサミュエルは前置きして話し始める。






 俺の眼はな、人の寿命が見えるんだ。


 それが見えるようになったのはガキの頃でな……まあその話はいいか。


 え? 聞きたい? 仕方ねぇなあ。


 俺が十歳かそこらの頃だから、もう三十年も前になるのか。


 俺には三個下の妹がいてな。そいつが俺の目の前で魔獣に喰われて、死んだ。無力なチビだった俺は何もできずに命が流れていくのを見てたんだ。


 思えばそれがおれが冒険者になったきっかけだったのかもな。まあどうでもいいか。


 あー、こうなった原因は知らねえ。気まぐれな神の悪戯か、何考えてるか分からねえ精霊の児戯か、はたまたクソッタレの悪魔の嫌がらせかもな。


 魔獣に腹から喰われてる妹の頭の上に砂時計が現れたんだ。


 落ちた砂はひっくり返さない限りは戻らない。そんで、俺たち人間にはそれに抗う力が無い。


 どんなに抵抗したって、砂が少なくなったやつは絶対すぐに死ぬんだ。


 危険から遠ざけてもって? ああ、そうさ。世界一安全な場所に隠れさせても、箱庭みたいな場所で守っても死ぬんだ。


 それが運命ってものなんだよな。






 昔、好きな女がいたんだ。


 そいつを守るためならなんだってやった。使えるもんならなんでも使った。


 結局、そいつの砂も俺の目の前で尽きたさ。ほんの少しだけ砂が落ちる速度が遅くなった気もしたが、まあ多分そうであって欲しかった俺の幻覚だろうな。


 運命には抗っても意味がない。どれだけ頑張っても死ぬ時期が変わらないのなら、抗う努力は無駄なんだよ。







「それで俺の話は終わりだ。どうだ、気が済んだか?」


 ねぇ、とアレックスは重苦しく口を開いた。


「僕と、僕の仲間たちがいつ死ぬかも分かるの?」


 サミュエルは軽く息を吐き出した。


「分かるさ、分かるとも」


「じゃあさ、教えてくれないかな?」


「知ったところでどうすんだ。今日死ぬとしても明日死ぬとしても、お前たちは最期まで全力で抗うだろ、運命とかいうどうしようもないクソに」


「まあ、それもそっか。ごめんね。他にいくつか質問いい?」


「いいとも、最後の大盤振る舞いだ。何でも良いぞ」


 その言葉にアレックスは困ったように首を傾げたが、意を決して訊ねる。


「サムさんが恋人を作らないのはその人のことを引きずってるから?」


 サミュエルは眠っている戦士たちに気を遣って抑えようとしたが、それでも堪えきれずに吹き出した。


「次に訊くのがそれかよ! ……まあ、そうだな。そうかもしれねえ。太陽みたいな笑顔の、世界で一番いい女だったからな。忘れることなんてできねえよ」


 そっか、とアレックスは寂しく微笑んだ。


「そういえばお前はどうなんだよ、お前みたいないい男なら女なんてより取り見取りだろうに、浮いた話の一つも聞きやしない」


「ぼ、僕は良いんだよ、別に。じゃあ次は……」


「アレックス、そろそろ時間だ。行くぞ」


 焦った顔のアレックスの言葉は、自身の仲間の声によって遮られた。


「ラーン、ちょっとだけ待ってて。すぐに行くから」


 懇願するようなアレックスの声に、ラーンと呼ばれた男は憐憫を見せて、


「少しだけだぞ」


 そう言ってラーンは去っていった。その背中を見送ったアレックスは躊躇いつつ、それでも意を決して訊ねる。


「サムさんは自分の砂時計も見えてるの?」


 サミュエルはまるで昨日の夕飯でも答えるような、何でもない口調で答える。


「ああ、見えるよ」


 その答えにアレックスはどう返して良いか分からず、場には火の粉の爆ぜる音だけが響く。


 耐えかねたアレックスが口を開こうとした瞬間に、サミュエルは手でアレックスを止め、


「そろそろ行ってこい、お仲間が待ってるぞ、勇者サマ」


 その呼び名を聞いたアレックスは儚げな表情を見せた。


「うん、行ってくるよ」


 アレックスは立ち上がって、身の丈に似合わない、身体の半分以上もある大剣を軽々と背負った。


 しかし、その背中にのし掛かっている期待という名の重圧と比べれば、どうということはない。


 人類最後の希望、最後の勇者。それがアレックスことアレクサンドラ・レヴェジェフの今の肩書きだ。


 サミュエルに背を向けたアレックスは、しかし歩き始める前に振り返った。


「ねえ、サムさん。僕はずっと隠してたことがあるんだ。サムさんが秘密を教えてくれたから、僕が帰ってきたら教えるね。僕は絶対に帰ってくるから、死んでも死ぬ前に帰ってくるから。だから。絶対生きて待っててね」


 サミュエルは明日もまた会えるじゃないかと言うように、中途半端に右手を挙げた。約束の言葉も、見送りの言葉も彼は口にしなかった。


 サミュエルが何も言わないことを悟ったアレックスは何度目とも分からない寂しげな表情を見せかけたが、それを覆い隠すように、雲を吹き飛ばす太陽のような笑顔で言った。


「行ってきます!」






 ふと、去り際の彼の顔に彼女の面影が見えた。


 気のせいだ、と頭からそんな考えを振り落とす。


 あちらこちらで雑魚寝している冒険者たちを見渡す。彼らの頭上には例外なく砂時計が浮かんでおり、そしてその九割以上があと三日分程度の砂しか残していない。残りの一割未満はあと数時間から二日分程度だ。


 この防衛陣地はあと三日で壊滅する。大規模な侵攻が来るのだろう。それも、これまでとは比べ物にならないほどの。


 自分の頭の上を見ると、忌々しい砂時計が浮かんでいる。そこに残された砂は、あと三日分。


 アレックスたち勇者一行が出発したのは片道十日ほどと見られる、魔王が滞在する要塞。


「すまんな。できない約束はもう懲り懲りなんだ」


 絶対に守ると誓った女は自分の腕の中で息絶えた。死ぬ直前、もはや声も出せなくなった彼女の口の動きが今でも昨日のことのように思い出せる。


 アレックス。最初に出会ったのは確か、そう。女を守るためにやらかした無茶のツケを払っている最中だったか。


 出会った当初は小生意気で、面倒なガキだったってのに。


「大きくなっちまったなあ」


 今や人類の未来を背負うまでになったあいつは、最初に戦い方を教えただけの俺を慕ってくれて。本当にいいやつだった。


「俺も歳だな、随分感傷的になったもんだ」


 こみ上げる熱いモノを、カップに残った一口分の代用茶ごと勢いよく飲み込む。


「アリア、俺ももうすぐそっちにいくから。だからもう少しだけ待っててくれ」


 空を見上げて、一際明るい星の一つに目を付けた。


 その星が揺らいでいるのはきっと、滲んで見えるのはきっと、自然なことなんだろう。







 近くで待っていたラーンの元へ行くと、彼は軽く閉じていた瞼を開けて、


「もういいのか?」


「うん、行こっか。他のみんなも待たせちゃってるでしょ?」


「……ちゃんと言えたのか?」


 何を、とは訊かなかった。だってそれは、僕が一番わかっているのだから。


「ううん、言えなかった」


「彼と会えるのは最後かもしれなかったんだぞ? 今からでも」


 彼の言葉を遮って僕は言う。


「いいんだ。帰ってきた時に言うよ。言うために、絶対に帰ってくる」


 ラーンはそうか、と言ったきり、仲間と合流するまで喋ることはなかった。


 彼のそういう寡黙さが、今は本当にありがたかった。






 アレックスたち勇者一行が出発してから三回夜が明けた。


 頭上の砂は減り続け、あと数時間で尽きるのは確実だった。


 クソ並に不味い夕飯をかき込んで、一人静かにその時を待つ……といきたかったが、ここ二日で魔王軍の活性化が報告されており、大規模攻勢の兆候が見られているため、ついに三百人を切った冒険者たちがいつでも臨戦体制に移行できるよう準備を整えていて、到底静かに待てそうにない。


 今までは自分が死ぬ時期がずっと先だと分かっていたから、どんな激しい戦いにも落ち着いて臨むことができた。


 自分はこれから死ぬのだ、と思うと、もちろん恐ろしい気持ちもあるが、それ以上に晴々とした気持ちになった。


 もう、他人の砂時計の砂が減っていくのを見なくて良いのだという安堵。


 やっとアリアの元へ行けるのだという感動。


 そして、アレックスに二度と会えないという申し訳なさ。


 彼のことを考えると晴れていた心が少し翳る。


 目を閉じて何も考えないようにする。





 そして、その時が来た。


 腹の底に響くような地響きが近づいて来る。眠っていた鳥の群れは泡を食ったように羽ばたき、逃げ去っていく。野生の魔獣も異変を察知し、されど本能に従って近くの生物に攻撃を始めた。


 俺はゆっくりと眼を開き、震える脚を黙らせるようにドンと足踏みをして立った。


 自分の持つ剣と盾を見た。どちらも十年以上前、アリアを守るために大量の借りを作って金をかき集め、脅す勢いで最高の鍛治士に作らせたものだ。その時の借りは未だに返し切れずに、だから俺はこんな末期の戦場にいる。


 数多の敵を斬り、幾多の攻撃から命を守ってきたこれらは、それでもまるで劣化することなく使い続けられている。


 冒険者たちに号令がかかった。


 さて、最後の戦場だ。どれだけの敵を屠れるだろうか。どれだけの時間生き延びられるだろうか。


 地響きのする地平線に対して、右手に持つ剣の先を向けて言い放つ。


「せいぜい抗ってやるよ、クソったれの運命が」







 魔王軍の大規模侵攻から二週間以上が経った。


 要塞都市アルペドは陥落し、当然その前方にあった防衛陣地はもはや消滅と言って良いほど跡形も無くなっていた。


 積み重なっている魔獣の死骸に混ざった、最後まで戦いぬいた冒険者たちの遺体も腐り始めている。蝿が集り、腐臭が辺りを包む中、一人の女が歩いていた。


 女は血塗れで、元は戦士であったことを示す胸当てなどの装備は半分以上が脱落し、左腕は肘から先が消え失せている。背中に背負った大剣も中程から砕け散っていて、随分と軽くなってしまっていた。また右目が潰れてしまっていて、残った左目も血と汗で瞼が張り付きかけていて、おそらく視界は元の一割も保たれていないだろう。美しかった深緑の短髪は、泥と血の混ざった色になっている。


 歩くのすらやっとのはずの彼女は、それでも何かを探し求めて陣地の跡地を彷徨う。


 そしてようやく。日が傾き始めた頃に彼女は足を止めた。


 地面に突き立った一本の名剣と、ヒビが入った盾。どちらも血糊に被さられてなお、存在感を示していた。


 そして、その近くに倒れていた一人の冒険者。


 彼を見つけて、彼女は膝をついた。


 彼女は一本だけになってしまった腕で、すっかり冷たくなってしまった冒険者の頭を抱えた。


 彼女は左目から一筋の雫を垂らし、両目を閉じている冒険者に語りかける。しばらく水も飲んでいないひび割れた声で、それでも力強く。


「僕は、本当は、女で。貴方のことが、ずっと、好きだったんだ」


 顎まで伝った涙が、ポツリと冒険者の顔に落ちた。


「僕は、ちゃんと、帰ってきたよ。なのに、なんで……」


 彼女は咽せる感情を抑えることなく、吐き出していた。


 何滴も何滴も涙が零れ落ち、


 男が藍色の目を微かに開いた。


 虚ろな眼孔は、それでも確かに泣いている女を見つけて、


「お……か、え……り」


 その言葉を、目の前の光景が信じられないように目を見開きながら聴いた女は、顔をくしゃくしゃにして、世界で一番明るい笑顔で笑った。



「ただいま!」

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[良い点] 簡単に死の運命が覆らず、僅かに伸ばせただけだという結末 ここでさらっと生き延びて勇者を迎えていたら主人公の今までの人生や足掻きが薄っぺらくなるので [気になる点] 呼び名がアレックスとアル…
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