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第二十八集:勇気

 それは一瞬だった。

 銀色の鈍い光を放ち、目の前を横切っていく。

 気付くと身体が勝手にそれに向かって動き、右手から流れ出る鮮血は装束を赤く染めていった。

 叫ぶというよりは、凛とよく通る声で素早く指示を出す禪貴妃。

「わたしは大丈夫です。護らせてください」

 脳内の興奮物質が身体に力を与える。

 武器はいらない。

 ただ一つ、勇気があれば。





 いよいよ、本日。様々な商品を取り扱う商人たちとの商談会。

 妊娠中の妃の代わりに、いつもより多くの太監が参加しているという。

 妃嬪(ひひん)たちのお目当ての大部分は美しい布地や装飾品、珍しい色の化粧品など。

 朱草(しゅそう)は前日に禪貴妃から尚食(しょうしょく)局の薬司(やくし)を務める女官たちと相談することを勧められたが、遠慮した。

(この胸騒ぎは何?)

 朝、いつも髪を縛るのに使っている絹の紐が切れた。

 品質を確かめて買ったはずの、日干し中の薬草が一枚、腐っていた。

 些細なことかもしれないが、今までこんなことはなかったために、朱草(しゅそう)は警戒心を覚えた。

 禪貴妃に朝の挨拶をするために部屋へと向かうと、ごく薄い黒い靄が視界を掠めた。

 驚いた朱草(しゅそう)は、入室の許可を得る前に扉を開けてしまい、侍女頭の桜蓮(おうれん)に怒られてしまった。

 ただ、禪貴妃も桜蓮も普段の朱草(しゅそう)とは違う行動を心配に思ったのか、「どうしたの?」と理由を問うた。

「すみません。勘違いだったならいいのですが、嫌な予感がするのです」

 隠せば余計に悪いことになるのではと案じた朱草(しゅそう)は、正直に話した。

 すると、禪貴妃は桜蓮と顔を見合わせ、言った。

「療養から帰ってきてから、前よりもさらに素晴らしい女性になったと思っていたけれど、どうやらそれは間違っていなかったようね」

 禪貴妃に促され、桜蓮が一通の書簡を朱草(しゅそう)に手渡した。

「これは……?」

「脅迫状よ」

「え!」

 朱草(しゅそう)が禪貴妃を見つめると、頷かれたので、書簡を開いて中を見た。

――妃の分際で軍を持つなど笑止千万。その傲慢で浅ましい命、頂戴に参る。

「これはいつ?」

「昨夜よ。多分、賑わう商談会で狙うつもりなんじゃないかしら」

「では、参加は見送った方が……」

 朱草(しゅそう)は言ってから気づいた。

 禪貴妃は、逃げるような人ではない。

 姿勢を正し、包拳礼(ほうけんれい)の形をとった。

「わたしが御守りいたします」

「そう言ってくれると思っていたわ」

 微笑む禪貴妃は、桜蓮にあるものを手渡した。

 桜蓮もふっと口元を緩め嬉しそうな顔をしながらそれを受け取り、朱草(しゅそう)と向き合った。

()氏が次女、朱草(しゅそう)。我らが春雷隊への入隊を許可する」

 突然のことで、反応できなかった。

 手渡されたのは、銀の腕輪。

 『春雷』と刻印されたそれはあまりに美しく、重かった。

「本当はもっと早く渡したかったのだけれど、話し合いが上手く進まなくて。私の女官が宮正と春雷隊の隊員を兼任するのは他の妃嬪との権力の差が広がるとかなんとか……。うるさいわよねぇ。一蹴してやったわ」

 喜びと緊張で呆けている朱草(しゅそう)に近づき、その手を握った禪貴妃は、まっすぐに視線を合わせながら告げた。

「おめでとう、朱草(しゅそう)。これまでも、そして、これからも、私と一緒に、戦いましょう」

 涙が流れた。

「あらあら。これからどんどん武功を立てていく予定の女の子が泣いてしまったわ。ふふ。そのまま、可愛い朱草(しゅそう)でいて頂戴ね」

 禪貴妃に涙を拭われた朱草(しゅそう)は、顔を真っ赤にして強く頷いた。

「必ず、立派な武人になってみせます」

「その意気よ。さぁ、準備をするわよ! たくさん良いものを見極めて買い付けなくちゃね」

 朱草(しゅそう)は再び頷くと、桜蓮に腕を掴まれた。

「さすがに、今日はお化粧をちゃんとするのよ」

「え……」

 商人とはいえ、皇宮までやってくる彼らの地位は賓客と変わらない。

「そろそろ覚えないとね」

 朱草(しゅそう)はそのまま桜蓮と禪貴妃に「こっちのほうが可愛くない?」「貴妃様、あまり(かんざし)をさしすぎると、朱草(しゅそう)の首が折れます」などと言われながら、着飾られた。

「あら! 完璧じゃないの!」

「素晴らしい出来です」

 二人は感慨深く頷きながら完成した着せ替え人形の出来に歓喜した。

 朱草(しゅそう)は鏡を渡され、それを恐る恐る覗くと、そこには自分の知らない自分が映っていた。

「わ、わあ……」

「幼い顔立ちだと、あまり濃くできないから、ふんわりさせてみたのよ。御伽噺に出てくる天女みたいになったわね」

「ええ、その通りです」

 桃色の頬。

 木苺のような甘い色の唇。

 爽やかな黄色が白い肌に良く似合う瞼に引かれた色紅(いろべに)

 髪は高い位置でお団子に結われ、黄金の四本の簪と幅の広い薄荷色の絹の紐で飾られている。

「あ、ありがとうございます!」

素采(そさい)先生にも見せたいわね」

 朱草(しゅそう)は一瞬息が止まった。

「え、え⁉」

「気づいていないとでも思ったの? 少なくとも、うちの女官たちはみんな知っているわよ」

 朱草(しゅそう)が桜蓮を見ると、ゆっくりと頷かれた。

「で、でも、そんな、別に」

「うんうん。わかるわ。恋と叶えたい夢の間で揺れる乙女心。いいのよ。いつか、その揺れに負けないほど、優雅に舞えるようになるわ」

 朱草(しゅそう)はまるで雷にうたれたように世界がはっきりと鮮明に見えた気がした。

 目の前に座るこの麗しく聡明で高貴な女性は、まさに、朱草(しゅそう)が思い描く強い武人(ひと)

 恋も、愛も、強さも、力も、全てを上手く描き続けている。

「わたし、貴妃様のような女性になりたいです」

 口にしてすぐに恥ずかしくなった。

 この世界の頂点ともいえるような人物に対して、同じようになりたいなどと、烏滸(おこ)がましいにもほどがある。

 それなのに、禪貴妃も、桜蓮も、朱草(しゅそう)の言葉を心から嬉しいといった様子で受け取ってくれた。

「ふふ。嬉しい。私も、私を手助けしてくれる女官全員を幸せにしたいと思っているの。だから、朱草(しゅそう)のことも、ずっと応援しているのよ」

 よく女性は月に例えられるけれど、朱草(しゅそう)にとって、禪貴妃はまさに太陽そのもの。

「頑張ります!」

 勢い良く返事をして、気合を入れた。


 数十分後、禪貴妃の準備も終わり、(ぐう)の守備の要として桜蓮と複数名の春雷隊の女官を残し、朱草(しゅそう)たちは出発した。

 商談の場ということで、帯刀は許されていない。

 禪貴妃が選んでくれたのは、そのための(かんざし)

 いざとなれば、短刀くらいの使い方は可能だ。

 あとは口紅。

 試飲や試食する物の中に毒が混ぜられていた場合に備え、解毒剤が含まれている。

 春雷隊の腕輪は、拳にはめれば殴った時の威力を増すことが出来る。

 髪に結んでいる絹の紐は、敵を捕縛した後、手足を結んで水をかければそう簡単には解けない縄となる。

 身に着けているものすべてに意味があるのだ。

 会場へ着くと、禪貴妃は皇帝の隣に設けられた席へと着く。

 反対側には皇后と英宰相が座っている。

 その後ろには、護衛の為の禁軍大統領が立ち、とても怖い顔をしている。

 朱草(しゅそう)は禪貴妃の斜め後ろに用意された席に座り、自分と、禪貴妃の膳に並べられている容器を確かめた。

(不審なものはない。末端の宦官に暗殺をさせるほど愚かではないってことか)

 一応、自分の膳におかれている茶の香りと味を確かめ、飲むふりをしながら誰にも露見しない(バレない)ように仙術を使い、禪貴妃の茶器の中身から数滴手元に呼び寄せた。

 そっと口に含んだが、これにも毒はない。

 色々と警戒していると、商人たちがやってきた。

 次々に素晴らしい商品が並べられ、商談会が始まった。

 部屋に持ち込めない物品は隣室に並べられ、みな思い思いに歩いて品定めを始めた。

「どう? 何か珍しい薬草はあったかしら」

「はい。これとこれは遥か西方の国でした採れず、こちらにあるものはすべて東の島国特有のものです。すごいですね……。かなりお金を使ってしまいそうなのですが……」

「大丈夫よ。どんどん購入しましょう」

 朱草(しゅそう)は興奮を抑えながら値段交渉に入った。

 薬草の商人は思っていたよりも温和で、知識もとてもある人物だったので、交渉は楽に終えることが出来た。

 品質の保証と定期的な入荷交渉も込みで、なかなかいい金額で契約することが出来た。

「貴妃様、お付き合いいただきありがとうございました」

「楽しかったわ。知らない世界を垣間見た気がして、わくわくしちゃった」

「ふふ。嬉しいです」

 禪貴妃の誘いで「次は家具を見ましょう。装束が増えたから、大きい箪笥が必要ね」と、二つ隣の部屋へとやってきた朱草(しゅそう)

 様々な家具が並ぶ中、突然、背後の箪笥が開いた。

「貴妃様!」

 銀色の閃光。

 朱草(しゅそう)は左手で禪貴妃を自身の背後に引き寄せ、右手でそれを掴んだ。

朱草(しゅそう)!」

 刃を掴んだ手のひらは切れ、血が流れ出す。

 それでもかまわず剣を奪うと、相手の胸に深く突き刺した。

「包囲なさい!」

 しかし、春雷隊は出てこない。

 その時だった。

 天井が抜け、春雷隊複数名と、刺客が同じ数、もつれながら落ちてきたのは。

「貴妃様、皇帝陛下と皇后陛下を連れてお逃げください!」

 禪貴妃は頷くと、「朱草(しゅそう)、行くわよ」と、自身の髪から二本の簪を引き抜き、すぐに皇帝たちの元へと向かった。

「あの手紙は(おとり)だったのね。本当の狙いは、陛下たちだわ」

 最初の部屋へ戻ると、商人の何人かが気絶しており、太監がすでに息絶えていた。

 武央は皇帝と皇后を護るように立ちはだかっている。

 腕からは血が流れ、装束が切れている。

 禁軍大統領は攻撃を一身に受けてしまったのだろう。

 口から血を吐きながらも、懸命に立ち続けている。

 刺客は十八人。

 全員、商人の付き人だった者たちだ。

「貴妃様!」

 禪貴妃は簪を持ち、舞うように流麗な動きで刺客の首を二つ切り裂いた。

「これを使え!」

 皇帝が扇を投げた。

 それを受け取った禪貴妃は、跳躍し、刺客たちの頭上を跳び越すと、武央の横に降り立った。

朱草(しゅそう)、怪我は平気?」

「もちろんです」

「じゃぁ、一緒に舞いましょう」

 挟み撃ち。

 朱草(しゅそう)は「せっかく頂いた春雷隊の証を汚したくはありませんので」と、素手で刺客に対峙した。

 刺客の間を攪乱(かくらん)するように動き回りながら、足をかけ、転倒させる。

 手に持っている武器を奪い、足で掬い上げ、武央の方へ蹴る。

「わ、私にも、頼む」

 禁軍大統領はまだ戦う気のようだ。

 朱草(しゅそう)は刺客の腹に肘を討ち、そのまま懐に入り、後頭部で刺客の鼻を打つ。

 血で溺れる刺客の手から双剣を奪うと、禁軍大統領に投げて渡した。

 自身も、振り下ろされる剣を躱し、刺客の腕から叩き落とすと、それを蹴り上げ、手におさめた。

「貴妃様もご入用ですか?」

「私は(これ)があるからいいわ」

 二人は視線を合わせ不敵に微笑むと、特別打ち合わせしたわけでもないのに、同時にまったく同じ動きで刺客の腕を叩き折った。

 鎖鎌を剣で受け、巻き付いた鎖を引っ張り、よろけるように引き寄せられた刺客の首に簪を刺す。

 そうこうしているうちに、刺客を片付けた春雷隊が戻ってきた。

 次々と倒されていく刺客たち。

 怯える皇后を抱きしめながらも、皇帝の目は禪貴妃に釘付けだった。

 そして、最後の一人。

 朱草(しゅそう)は剣で足の腱を斬り、(ひざまず)かせた。

「何か言い残すことは?」

 皇帝が問う。

(そう)国万歳!」

 朱草(しゅそう)は皇帝が頷くのを見て、刺客の首を斬り落とした。


 凄惨な光景だった。

 禁軍と協力し、宦官たちが片付け始めるも、なかなか血が落ちない。

「貴妃様、本当に、助かりました」

 武央は腕の治療を受けながら、深く頭を下げた。

「陛下たちに何もなくて本当に良かったわ。頑張ってくれて、こちらこそ感謝しているのよ」

「もったいないお言葉です」

 弱々しい笑顔。

 武央は手当てを受けるも、血を流しすぎているため、顔が青い。

 心配した皇后に諭され、太医と共に診療所へと向かった。

 皇后は精神的苦痛(ショック)のあまり眩暈が収まらず、春雷隊に護られながら自室へと戻って行った。

朱草(しゅそう)、そなた、本当に強いのだな」

「へ、陛下!」

 禁軍大統領の手当てを手伝っていたところを、禪貴妃を連れだった皇帝に突然話しかけられた。

「そうでしょう? 陛下。私の自慢の仲間よ」

 朱草(しゅそう)は顔を真っ赤にしながら心が熱くなるのを感じた。

 『仲間』という言葉が、とても嬉しかったのだ。

「是非、禁軍に欲しい逸材です」

「あら、大統領。だめよ。ただ、禁軍の演習にお呼ばれするのは考えておいてあげますわ」

「ははははは。朱草(しゅそう)殿は貴妃様に愛されておいでですな」

 朱草(しゅそう)は嬉し涙をこらえながら、大統領の腕に包帯を巻き終えた。

「遅れたが、朱草(しゅそう)。春雷隊への入隊、おめでとう。さっそく活躍してくれたな」

「ありがとうございます、陛下」

「数日以内に一級品の武具を贈るよ。君が挙げた、最初の武功に報いるためにね」

「さ、最初の……、武功⁉」

 朱草(しゅそう)は驚きのあまり、声が上ずってしまった。

朱草(しゅそう)ったら、本当に自分の功績に無頓着よね」

「少しは野心を持った方が良いぞ、朱草(しゅそう)

 脳に何か甘い液体が流れたような不思議な浮遊感。

 朱草(しゅそう)は慌てて「あ、ありがたき幸せにございます!」と包拳礼(ほうけんれい)をした。

 初々しい武人の姿に、その場にいた大人たちはようやく、穏やかに微笑むことが出来た。

 涼しい風が血のにおいを外へと連れ去っていく。

 朱草(しゅそう)の武人としての一歩が、今、始まった。


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