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第二十七集:隠し玉

 暑さの中に秋の香りが混ざり始めた良く晴れた日。

 禮国の港に貿易船、陸路からも多くの商品を携えた商人の一団がやってきた。

 皇宮のある首都、輝安(きあん)への到着は二日後。

「どうだ、準備はできているのか?」

 素采(そさい)は暇なのだろうか。

 今日も太医の診療所へ遊びに来ている。

 朱草(しゅそう)は吐き気を緩和する薬の調合を手伝いながら、ちょうど商談について考えていたところだった。

「貴妃様には『戦い』だと言われました」

「あちらも商売だからな。少しでも多く利益が出るように多少は吹っ掛けてくるだろう」

「街で薬草の買い付けなどはしていますが、特に値段と釣り合わないことを言われたことはないので、少しだけ不安です」

 めずらしく朱草(しゅそう)が弱気なことを言うので、素采(そさい)は優しく肩に手を添えながら言った。

「それは、朱草(しゅそう)が『自分で選びたいので引出しの中身を全部見せてください』とか言うからだろう。普通は生薬の名を告げて薬舗の従業員が重さを量り、包んでくれるんだよ。わざわざ品質を確かめるような玄人客には、値段を釣り上げるなんてしないだろうさ」

 何か助言をくれるものだと思っていた朱草(しゅそう)は、素采(そさい)の言葉にはっとした。

「え、べ、別に品質を疑って確かめているわけではないのですが……」

「大丈夫。そこは君の可愛らしい態度から伝わっていると思うよ」

「さ、左様ですか」

 乾燥具合や弾力、香りなどを確かめたいだけで、それが薬舗の人にとって若干の圧力になっていたとは全く思っていなかった朱草(しゅそう)

「生薬は試食や試飲もさせてくれると思うぞ」

「へぇ……。お師匠様は商談の経験があるのですね」

「神仙の聖域外城塞都市でな。商売に関しては人間も神仙も獣化種族も変わらない。貴妃様の言う通り、ある種戦いと言える。応援してるよ」

「ありがとうございます。頑張ります」

 素采は「じゃ、仕方がないから仕事をしてくるよ」と禁軍の詰め所へ向かい歩いて行った。

 照り付ける陽射しの中でも爽やかで優雅。

 最近、目で追ってしまう時間が増えたように感じる。

「なんであんな目で見てくるんだろう」

 夏のせいではない、頬の熱さに戸惑う。

 本当はとても忙しいことはわかっている。

 禮国は中原大陸の中でも大国で、戦争をすれば常勝と言っても差し支えないほど。

 軍医など、いくら居ても足りないくらいだ。

 その教育を一手に引き受けた素采(そさい)

 神仙なのだから、人間のために手を貸す必要などないのは当然のこと。

 それでもここにいるのは、朱草(しゅそう)の為。

 どんなに仕事が立て込んでいても、疲れていても、涼しい顔をして会いに来る。

 大事にされているという事実に、胸が苦しくなる。

 夢を叶えたいと強く望む心が、それを押しのけようと葛藤するからだ。

(もっと器用な女の子になれたらいいのに)

 自分の気持ちが願いに変わる前に、そっと溜息で吐き出した。





 皇宮の朝堂では、ひどく冷たい空気が張りつめていた。

「私の息子の遺体が無くなったというのは、どういうことでしょうか」

 (げん)侯は声を荒げるでもなく、ただただ皇帝をまっすぐと見つめながら立っている。

「葬儀までには返していただけると伺っておりましたが」

 長年実直に国、そして皇帝家に尽くしてきた男の眼力、貫禄は伊達ではない。

「言侯が長年示してくれた忠義に対し、仇で返すようなことになり、申し訳ないと思っている。調査には最大の人員をさき、急がせているゆえ……」

 その時、言侯は手を上げ、皇帝の言葉を遮った。

 普段ならば咎められる行為だが、誰も口を開くことが出来なかった。

「英宰相殿、私がなぜ先代皇帝陛下より侯爵という爵位を承ったかご存知ですか」

 武央は突然水を向けられるも、冷静に答えた。

「異民族の領地で人質となっていた皇弟殿下を、戦闘を行うことなく、言葉だけで取り戻したからです。まことに勇敢で、聡明。今でもあなたに問答で敵う者はいないと思っております」

 言侯は頷くと、袖から一つの銀細工を出した。

 狼の形のそれは、異民族の工芸品のように見えた。

「これはその時に異民族の頭領からもらい受けたもの。もし、私に万が一のことが起こった場合、敵が誰であれ、呼びかけに応じてくれるという証です」

 武官文官のみならず、太監も声を漏らした。

「……それは脅しですかな? 言侯」

 武央は表情を変えないよう気を静めながら、言侯を睨みつけた。

「いえ。ただ、私にも隠し玉はあるということです、宰相殿。我が息子は人としては最低でしたが、それでも、愛していました。かけがえのない、宝だったのです」

 言侯は銀の狼をしまうと、「良い報告をお待ち申し上げております。なるべく、はやく」とだけ言い残し、皇帝に作揖(さくゆう)した後、朝堂から出て行ってしまった。

「陛下、言侯に監視を付けますか」

 兵部尚書(へいぶしょうしょ)が提案するも、皇帝は首を横に振った。

「もし……、万が一、(ちん)の息子が同じ目にあったら、あのように冷静な会話は出来ないだろう。同じ父親として、理解できる。遺体の捜索を急がせろ。央廠(おうしょう)錦鏡衛(きんきょうえい)を動員することを許可する」

 兵部尚書は「御意」と言うと、その場から下がっていった。

 その後、いつものように忙しなく時間は流れ、武央は自身の執務室へと戻って行った。

 中へ入ると、そこにはちょうどよく当事者が立っていた。

玄天(げんてん)……。遺体はどこだ」

「仰せの通りに山に捨てて来ましたが?」

「持って帰ってこい。可能な限り修復し、言侯へ返却するのだ。内乱など起こしている時間はない」

「いいですけど……」

 玄天(げんてん)は武央からもっと嫌味を言われるものだと思っていたが、それどころではなさそうな空気を察した。

「何か好いことでも?」

 武央は口元を歪め(わら)うと、「使い捨ての良い軍隊が手に入りそうでな。それも、お前の食事付きで」と、楽しそうに告げた。

「ほほう、それは僥倖ですねぇ」

「好いものを見せてくれたよ、言侯は。あの銀の狼……。インヤン族のものだ。今でこそ禮国とは交易する関係ではあるが、お互いに好意は無い。だからこそ、奴らが傷つこうが死のうがどうでもいい。さて、どう手に入れようか……」

 夕闇に吹く風に冷たさが混じる。

 微かに感じる血のにおい。

 また玄天(げんてん)が誰か殺したのだろう。

 たまにはその衝動も役に立つのだと、武央は余計に愉快になったのか、高らかに笑った。

 月にまで届きそうな、悪意を込めて。


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