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第二十三集:火傷事件・参

 皇后が住まう(ぐう)へ行くと、案の定、春碧(しゅんへき)が出てきた。

「あら、朱草(しゅそう)。どうしたの?」

「お姉ちゃ……、いえ、姉上には申し訳ありませんが、火傷事件の犯人を引き取りにまいりました」

 朱草(しゅそう)の言葉に、春碧(しゅんへき)は眉をピクリと動かし、微笑んだ。

「貴妃様に良くしていただいているからって、皇后陛下の侍女に難癖を付けるのはいかがなものかと……」

「共犯を捕まえたので、証拠はあります。では、中へ通していただきますね」

 朱草(しゅそう)春碧(しゅんへき)の表情を読み取る前に、その横を通り過ぎ、中へと入って行った。

 背中に視線が突き刺さるのを感じる。

 痛い。悲しい。苦しい。

 それでも、仕事だから。

 朱草(しゅそう)春碧(しゅんへき)への気持ちを押し殺し、侍女たちが控えている部屋へと向かった。

「失礼します」

 開いていた扉の中へ、声をかける。

 すると、一人の侍女が泣いていた。

「……あなたはたしか、宮正の方ね? 今、取り込み中なのよ。この子のお兄様が捕まってしまって……」

「ええ。だから、そこで泣いている侍女のことも捕まえに参りました」

 一瞬の沈黙。

「な、なんですって? ちょっと、春碧(しゅんへき)、あなたの妹どうかして……」

「お砂糖、お兄さんからもらいましたよね」

 泣いている侍女は衰弱した様子で朱草(しゅそう)を振り返ると、小さな声で話し出した。

「そんなことしておりません。どうしてわたしが他の侍女を傷つけなければならないのです?」

「理由なんてどうでもいい。今日すれ違った時、あなたからは砂糖が焦げるようなにおいがしました。そして、今も。そのにおいは、袖から落ちた砂糖が灼熱になった花瓶に落ちた時に溶けたからでしょう?」

 侍女の肩が小さく跳ねた。

「そんな、においなんかで犯人にされたんじゃぁ……」

「お兄さんを拷問して問い詰めましょうか。央廠(おうしょう)のやり方は、侍女の間でも有名でしょう。それとも、わたしに折檻されたいですか? 宮正なので、一応、そういった権限もありますけれど」

 そう言うと、侍女は少し微笑んだ。

「兄は何も言いませんわ」

「じゃぁ、あなたの荷物を調べ、ここの砂糖の量を帳簿と照らし合わせましょうか」

 侍女は立ち上がると、(わら)いだした。

「帳簿とずれていたからって何? そんなの私がやったことにはならないでしょう。荷物を調べてもいいけれど、そこに砂糖の粒があったって、つまみ食いした甜点心(おかし)からこぼれたのよ」

 あれこれと言い訳を並べ立てる侍女だが、言っていることは間違っていない。

 朱草(しゅそう)はゆっくりと侍女へ近づくと、持っていた甕の蓋を開け、中身を相手の頭にかけた。

「ちょ、ちょっと! 何すんのよ!」

「これ、高級な純度の高い米の清酒で、火をつければ濡れた部分がすべて燃え上がるんですよ」

 侍女の顔がこわばり、青ざめ始めた。

 周囲にいた侍女たちは朱草(しゅそう)の行動を恐れて方々に散っていく。

 春碧(しゅんへき)だけは、睨みつけるように入口近くでこの寸劇を見つめている。

「こ、こんなことして、何のつもりよ!」

「被害に遭った侍女のみなさんは今も火傷の後遺症で苦しんでいます。あなたも同じ思いをすればわかるのでは?」

「ひぇっ……」

 朱草(しゅそう)は袖から出すふりをしながら(くう)から火打石と打金(うちがね)を取り出し、目の前で火花を散らして見せた。

「や、やめて! そうよ、私がやったの! だって、私は上級女官になるために後宮へ来たのに、私よりも後から来た宮女や、私よりも不細工な女がどんどん地位を上げていく……。許せなかったのよ!」

 侍女は怒りで真っ赤になりながら朱草(しゅそう)を指さすと、「次はあんたの番だったのに」とつぶやき、胸元から小刀を取り出した。

「私は名家の子女よ。このままじゃ、奴婢(ぬひ)として九泉廷(きゅうせんてい)に送られる。父の爵位も下げられるでしょうね。最悪、私は死罪だわ。陛下の女たち(もの)を傷つけたのだから。それなら、どれだけ罪を重ねたところで同じよね?」

 周囲で見ていた侍女たちが慌てだし、「皇后陛下に緊急事態だと伝えるのよ!」と叫んでいる。

「あんた、後宮(ここ)へ来たその日に宮正になったそうね? 下積みもせずに、生意気なのよ!」

 小刀が朱草(しゅそう)の胸に向かって真っすぐ突き出された。

 朱草(しゅそう)はそれを避けるでもなく、小刀の刃を掴んで侍女の手から奪った。

「そ、そんな……」

 朱草(しゅそう)の手からは鮮血が流れ、深衣(しんい)を赤く染めていく。

「殺す気なら、もっと本気でこなきゃ。宮正を舐めないでもらえます?」

 侍女はその場に膝から崩れ落ちると、呆然とへたり込んだ。

 そこへ、皇后の代わりに侍女頭が到着し、すべての事情を知った後、犯人である侍女の代わりに朱草(しゅそう)へ頭を下げた。

「どうぞ、連れて行ってください。そのような不埒な者を、陛下のお側に置くわけにはいきませんから」

 朱草(しゅそう)は「ご理解いただき、ありがとうございます」と言うと、小刀を布に包み、自身の手に軽く包帯を巻くと、犯人である侍女を立たせ、皇后の宮を後にした。

 連れて行くのは、皇宮内にある、罪を犯した宮女を一時的に入れておく簡易牢。

 反省させるために使うこともある牢なので、そこまで酷い作りではない。

「死罪じゃないと良いですね。陛下の心に、慈悲があるよう祈りなさい」

 朱草(しゅそう)はそれだけを言うと、禁軍兵に侍女と小刀を引き渡し、その場を立ち去った。

 誰もいない道まで来ると、すぐに物陰に隠れた。

「あっぶなかった! 液化薬、飲み忘れてたんだった……」

 神仙の類は血を流さない。

 その代わり、傷口からは血煙(けつえん)という、煙が出る。

 それは自分を「(わたくし)は人間じゃありませんよ」と宣伝して歩いているようなものなので、神仙の中でも人間と関わることのある、仙子(せんし)族や煌仙子(こうせんし)は地位に関係なく、日ごろから液化薬という、血を液体にする薬を服用するのだ。

「朝飲んだ分の効果が続いていてよかった……」

 飲むのは一日三回。

 朱草(しゅそう)煌仙子(こうせんし)に成ったばかりなので、副作用がほとんどない代わりに効果が薄いものを飲んでいる。

「ああ……。煙出てる」

 包帯を外してみると、手の傷からは(わず)かだが桃色の煙が出ている。

「止血しとこ」

 朱草(しゅそう)(くう)から液化薬と止血用の軟膏を取り出すと、自身を手当てした。

「……お姉ちゃん、本当に、全く知らない人みたいだったな」

 子供のころは、朱草(しゅそう)が近所の悪ガキと喧嘩していると、すぐに仲裁に来てくれた。

 でも、今回はずっと背後にいて、睨んでいるだけだった。

「取り戻せるかな……」

 朱草(しゅそう)は膝を抱えてうつむくと、溜息をついた。

「……あ、そうだ。玄天(げんてん)のこと、お師匠様に伝えに行かなきゃ」

 立ち上がり、服についた埃を払う。

 袖を染めている鮮血は仙術で綺麗に拭い、周囲に人がいないことを確認してから歩き出した。





「大丈夫?」

春碧(しゅんへき)お姉様!」

 簡易牢の中、「かつての同僚に差し入れがしたいのです」と、春碧(しゅんへき)は禁軍兵に頼み、入れてもらった。

「私、お姉様の名前は一切出しませんでした!」

「偉いわ。大丈夫よ。皇后陛下に頼んで、あなたは実家に帰れるようにしてもらうからね。でも、もう二度と後宮へは来られないわ。悲しいけれど、お別れよ」

 春碧(しゅんへき)は格子の隙間から牢の内側へ手を差し入れると、侍女の手を握った。

「うう……。でも、お姉様の役に立てたのなら、私は本望ですわ」

「本当に好い子。あなたが妹ならよかったのに」

「お姉様……」

 もう一方の手で、春碧(しゅんへき)は侍女の頬を撫でた。

「お手紙を送るわ。じゃぁ、そろそろ戻るわね」

「お元気で、お姉様……」

 春碧(しゅんへき)は寂しそうな笑顔を残し、その場を後にした。

 月明かりの中、後宮へと戻っていく。

 笑顔が消え、その顔には優しさの欠片も無かった。

「馬鹿な子。残念だけど、死罪ね。私のことをしゃべられたら困るもの」

 本当は、朱草(しゅそう)を襲わせて、仕事が出来なくなるようにしたかった。

 偽装のために他の宮女を襲えと指示したら、私怨に走り、結局こんなことに。

「頼んだことも出来ない能無しは必要ないのよね」

 春碧(しゅんへき)は凍り付くような冷たい目で口元を歪めながら笑うと、先ほど目撃したものについて考え始めた。

「それにしても、あれは見間違いなのかしら。朱草(しゅそう)の手から出ていた煙みたいなもの……。また何か薬草の実験でもしているのね。本当に、変な子」

 頭に、子供のころの朱草(しゅそう)の笑顔が浮かぶ。

 つい微笑みそうになるが、次の瞬間にはそれが憎悪によってかき消されていく。

「宰相様に会いたいわ……」

 春碧(しゅんへき)は艶のある声でつぶやき、まっすぐと皇后の宮へと戻って行った。

 月灯りだけが知っている。

 姉妹の心に落ちる、哀しい影を。


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