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第二十一集:火傷事件・壱

 太医が留守にしている間、調剤器具などを借りにやってきた朱草(しゅそう)

 つい目に入った診療報告書には、痛々しい内容が書かれていた。

「また……」

 朱草(しゅそう)が後宮へ帰ってきてわずか一週間、侍女たち複数人が四肢に火傷を負う事件が相次いでいる。

「花瓶に砂糖入りの熱湯を入れておくなんて……」

 水は砂糖を入れて沸騰させると百度以上になり、とても危険だ。

 今は真夏。

 外気温が高く、花も生けたまま注がれているために湯気が目立ちづらく、気づかずに持ち上げて手を火傷。

 落とした花瓶が割れ、中から飛び散った熱湯でさらに足も火傷するという、悪質極まりない犯行だ。

「いったい、誰が……」

 朱草(しゅそう)は火傷用の軟膏を作りながらため息をついた。

「可愛い顔が曇っているな」

 診療所の入り口からこちらを眺めて微笑む素采(そさい)が立っていた。

「あ、お師匠様。暇なら手伝ってください」

「残念ながら、長居は出来ないんだ。軍医の指導が忙しくてね。好きな女子(おなご)の顔をみて元気を出そうと寄っただけなんだ」

「そ、そうですか」

「あれだろ? 例の連続火傷事件」

「そうです。もう軟膏がなくなっちゃいそうで」

「この時期は軍でも使うからな……。あまり消費しないよう気を配らせるよ」

「ありがとうございます」

「君も気をつけろよ」

「はい。もちろんです」

 素采(そさい)は「じゃぁ、また明日も顔を見に来る」と言い、爽やかな香りを残して去って行った。

「お花を生け直す時間はどこの(ぐう)でもだいたい朝。……ってことは、早朝に仕込んでるってことなのかな」

 診療所内にある薬用の砂糖が帳簿と合っていることは確認済み。

 そうなると、火傷事件に使われている砂糖の入手先は皇帝の食事を作る光禄寺(こうろくじ)か、後宮にて食事を作る部署である尚食局(しょうしょくきょく)

「または、各(ぐう)で所持しているもの……。さすがに全部の宮に行って砂糖の量と帳簿の数字を確認するのは難しそうだな」

 朱草(しゅそう)は軟膏を作り終わると、陶器の器に小分けにし、懐紙で包むと籠に詰めた。

「とりあえず、まずは尚食局にでも行ってみるか。この薬も薬司(やくし)のひとに渡さなきゃいけないし」

 薬司は尚食局の中において薬術に関する物事を管理する部署。

 朱草(しゅそう)が診療所の次によく遊びに行く場所だ。

 籠に布を被せ蓋すると、側面についている紐を結び、肩にかけた。

「うう、重い」

 そこまで遠くはない道のりも、重いものを担いでいると足取りも緩慢になる。

「あら、朱草(しゅそう)じゃないの」

 聞き慣れているのに、どこか遠く聞こえる声が降ってきた。

「お、お姉ちゃん」

「ふふ。それはきっと火傷用のお薬ね? 精が出るわね」

 きらびやかな女官装束に身を包んだ春碧(しゅんへき)は、以前にも増して美しく、妖艶になった。

 その美貌は宮女の中でも評判で、すでに何人もの取り巻きがいるという。

 今も三人の皇后付き侍女たちを従えて歩いている。

 一方、朱草(しゅそう)深衣(しんい)は薬草の屑や汁でところどころ汚れており、髪もただ一つに束ねただけ。

 さしている(かんざし)も飾り気のないものが一本で、化粧も最低限しかしておらず、顔も姉とは違い童顔。

春碧(しゅんへき)お姉様と宮正(ぐうせい)はあまり似ていないのですね」

「お姉様が美しすぎるのですわ。皇后陛下がお(そば)におきたくなるのも当然です」

「もう姉妹の会話が終わったのなら行きましょう? 陛下が一緒に詩を読みたいとおっしゃっていましたもの」

 三人の侍女たちは朱草(しゅそう)を憐れみを含んだ目で見つめ、(わら)った。

「みんな、朱草(しゅそう)はとても頭が良いのよ。それに武術も達者なの。私とは違う学びの中で育ったのだから、身なりに難があるのは仕方がないのよ」

 春碧(しゅんへき)の言葉に、「お姉様は本当にお優しいわ」と、侍女たちは感嘆した。

「じゃあ、またね」

 春碧(しゅんへき)は華やかな香りと、香ばしい甘いにおいを残し、侍女たちと共に皇后の宮へと歩いて行ってしまった。

 朱草(しゅそう)は自身の深衣(しんい)を掴み、こみ上げてくる悲しさと涙をぐっとこらえ、また歩き出した。

(前は「朱草(しゅそう)が世界で一番可愛い私の妹」って、言ってくれていたのに……)

――「身なりに難がある」

 他の人が聞けば大したことの無い言葉でも、朱草(しゅそう)にとっては、春碧(しゅんへき)から言われたというだけで、大きな棘となって心に突き刺さる。

「どうしちゃったの、お姉ちゃん……」

 切なく苦しいつぶやきは、夏の蜃気楼の中へと溶けていった。

 足取りが余計に重くなり、尚食局に着くまでに、いつもの倍の時間がかかってしまった。

「こんにちは」

「あら、朱草(しゅそう)じゃないの! もしかして、薬?」

「はい。火傷用のを作ってきました」

「ありがとう!」

 ふくよかな体型がその内面の柔和さも表している、上級女官であり尚食局局長、美琳(みりん)が、弾けるような笑顔で出迎えてくれた。

 傷ついていた心が、少しだけ和らいだ気がした。

「どうしたのよ、元気ないじゃない」

「色々ありまして……」

 美琳(みりん)朱草(しゅそう)から籠を受け取ると、椅子を出し、「まぁ、座って」と促した。

 大人しく座り、美琳(みりん)が淹れてくれた茶を一口飲む。

「あいかわらず美味しいです」

「あなたの助言通りに作っているからよ。今年は誰も倒れていないのよ。あなたが考案してくれたお茶のおかげだわ」

「ふふ。よかったです」

「ねぇ、もしかしてお姉さんのこと?」

 さすがは百戦錬磨の上級女官。

 よく女官や宮女たちを観察し、束ねているだけある。

「なんというか……。姉が以前とは別人になってしまったような気がして……」

「ううん。あまり憶測は言いたくはないのだけれど……。そうね、事実だけ話すわね」

 そう言うと、美琳(みりん)は籠を薬司の女官に渡し、自身も椅子に腰かけた。

「私たち尚食って後宮だけじゃなくて皇宮内のいろんなところにお食事を出しているのだけれど、それには宰相殿も含まれるの」

 朱草(しゅそう)は話の内容がどこに繋がるのかわからず、あいまいに頷いた。

「それでね、その……。宰相の部屋で、うちの宮女が見たって言うのよ。その、春碧(しゅんへき)(かんざし)を」

「……え?」

「だいたいの女が(かんざし)を外すのは、お風呂に入るときと寝る時だけ。意味わかる?」

 美琳(みりん)の言葉が、想像したくない場面となって脳内に投影された。

「……そ、そんな!」

 朱草(しゅそう)は経験こそないものの、素采(そさい)のところで修業していたため、そういった学術書も大抵は読んでいる。

「私が思うに、春碧(しゅんへき)は変わったんじゃなくて、変えられちゃったんじゃないのかしら」

「英宰相殿と、姉が……。まさか、そんな」

「ここは後宮。何が起こってもおかしくはないわ」

 美琳(みりん)の言葉には経験に裏打ちされた説得力がある。

 長年、尚食の地位を任されているのも、その審美眼が鋭いからだ。

 食物に対しても、人に対しても。

「女官がこういうことを言うのもおかしいけれど、気になるのなら探ってみると良いと思う。私たちもまた何か見たら教えてあげるから」

 優しくあたたかな笑顔。

 朱草(しゅそう)は内側から気持ちが高まっていくのを感じた。

「ありがとうございます。なんか、元気出て来ました。姉が何かされているのなら、わたしがなんとかしなくちゃ!」

「うんうん、その意気よ!」

 朱草(しゅそう)は茶を一気に飲み干すと、立ち上がり、拳を天に突き上げた。

「火傷事件だって、解決してみせます!」

「よっ! さすがは期待の宮正! あ、じゃぁ、ついでにうちの在庫見ていく? ちょうど確認して朱草(しゅそう)に伝えようかってみんなで話していたところだったの」

 腕をおろし、元気を取り戻した朱草(しゅそう)は「一緒に確認していきます」と言い、美琳(みりん)のあとについて行った。

 米が炊かれる甘い香りがする。

 落ち込んでいて気づかなかった豊かな食材の香りが、鼻に戻ってきた。

 朱草(しゅそう)は自身の頬を両手で軽く叩くと、気合を入れた。

 後宮の平穏と共に、優しくて家族想いの姉を取り戻すために。


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