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第二集:あなたはどこに?

 皇宮からやってきた使者の馬車に乗り、途中、目隠しをされた。

 たいして窓も大きくない馬車の中で目隠しをされる理由はただ一つ。

 例え女官であっても、後宮への道筋を覚えないようにするため。

 ただ、そんな工作は朱草(しゅそう)には無駄だった。

(二回曲がった。また曲がるの? ああ、わざとか。こんなので方向が分からなくなるとでも思っているのかしら。わたしのこと馬鹿にし過ぎじゃない? ああ、車輪が道を掴む感覚が変化した。はいはい。そういう道順なのね。それに、この香りは……)

 思わず口元がにやける朱草(しゅそう)の姿に、一緒に乗っている太監は何か不気味なバケモノでも見るように顔をしかめた。

「降りてください」

 石畳に触れる靴の音。

 目隠しが外される。

「わあ……」

 まさに豪華絢爛。

 その門構えは極彩色の意匠で彩られ、期待は高まっていく。

 美しいものは好きだ。

 朱草(しゅそう)は太監に睨まれない程度に当たりを観察した。

(……微かな生薬の香り。少し物足りないけど、自分で集めれば問題なさそう)

「では、朱草(しゅそう)殿。行きますよ」

「はい。よろしくお願いいたします」

 案内されたのは、窓もすべて閉じられた閉鎖的な空間。

「ここで着ているものをすべて脱ぎ、武器などを隠し持っていないか確認いたします。ご実家からお持ちになった家財はすでに点検済みですので……。あの……」

 太監がとても困ったような顔で朱草(しゅそう)を見た。

「何でしょう?」

朱草(しゅそう)殿は薬術師なのですか? その、持ち運ばれた百味箪笥に大量の生薬が入っていたのですが……」

「ああ、趣味です。……え、もしかして処分されてしまいましたか?」

「いえ、とんでもない。むしろ、太医が大変褒めていましたよ。なので、すべてそのままにしてあります」

「ありがとうございます。ということは……、わたしの役職は尚食(しょうしょく)になるのでしょうか」

「いや、それはまだ……」

「わかりました。楽しみにしています」

 家財がそのままということは、どうやら小さくとも部屋が与えられる地位にはつけるようだ。

 父が頑張ったのだろう。

 ありがたい。

 朱草(しゅそう)は意気揚々と用意された場所で深衣(しんい)を脱ぎ、下着姿になった。

「では、拝見いたします」

 無表情の宦官が少し怖かったが、彼の表情を観察するに、あまり楽しい仕事ではないのだろう。

 とても嫌ではあったが、文字通り、身体の隅々まで調べられた。

「完了です。どうぞ、新しい深衣にお着替えになってください」

 着てきた深衣は綺麗に畳んで返され、代わりに、少しだけ華やかな深衣を着るようにと渡された。

「お姉ちゃんの服みたい……」

 ひらひらとした質感。

 防御力など考えていないのだろう。

 まったくもって動きづらそうだ。

「では、あなたはご希望通り、貴妃様の元へと配属になりました。おめでとうございます」

「ありがとうございます」

「さっそくお会いになるとのこと。粗相など無いよう、お気を付けください」

「承知いたしました」

 太監に案内され、後宮内を移動すること十五分。

「お……」

 つい、感嘆の声が漏れてしまった。

 皇后に次ぐ地位とはいえ、ここまで荘厳だとは。

 庭には宝飾品がちりばめられた調度品が溢れ、すべてが品よく並べられている。

 季節の花々も美しく、建物自体もよく手入れが行き届き艶やか。

 ただ、一つ違和感があるとすれば、庭の少し向こうに訓練場と思わしき広場があることだ。

 無機質で武人然とした構え。

 朱草(しゅそう)はそちらの方に興味津々だった。

「貴妃様、()氏を連れてまいりました」

「入りなさい」

 艶やかでありつつも、強さが滲む声。

 現在皇帝の寵愛を一心に受けている禮国随一の寵妃。

 流れている噂の大部分は本当のようだ。

「貴妃様に拝謁いたします」

 靴を脱いで(ひさし)へ上がると、顔を直視しないよう気をつけながら中へと入り、頭を深く床へとつけ稽首(けいしゅ)した。

「顔を上げなさい」

 言われた通り、上体を起こし、瞳にその姿をとらえた。

「そなたが朱草(しゅそう)ですね」

 この世の中に、こんなにも美しい宝玉が存在するのかと、脳が認識を拒むほどの美貌。

 先ほど見た庭の花々など、添え物に過ぎないとすら感じる、内包された輝き。

 息をのむとはこのことなのだろう。

 朱草(しゅそう)は自身の頬が紅潮するのを感じた。

 まさに殿上人、貴妃(ぜん)氏。

「はい、貴妃様。賀氏の次女でございます、朱草(しゅそう)と申します」

「なにやら噂が立っていますよ。愉快なものから、不愉快なものまで」

 空気が張りつめた。

 声に冷たさが宿っている。

「どのような噂でしょうか」

「薬術に精通し、武術も達人級。頼りになる一方で……、陛下の命を狙う女刺客だとか」

 朱草(しゅそう)は空気が抜けるように噴き出した。

「ふふ。あはははは」

 後ろに控えている太監が慌てて朱草(しゅそう)の背に触れようとするが、それを(ぜん)貴妃が制した。

「もし陛下に仇なそうと考えるのならば……、わたしはすでに事を終えているでしょう」

 太監が後ろで「な、ななな!」と動揺している声がするが、朱草(しゅそう)は気にせず話し続けた。

「ここに来る間に何度も馬車を抜け出す機会がありました。それも、陛下のお食事を作る光禄寺(こうろくじ)の近くで、です。簡単に毒物を紛れ込ませることが出来たでしょう。それも、遅延して効果の出るものを」

 太監が後ろで倒れる音がした。

「ほう。朱草(しゅそう)は目隠しをされても尚、その時に自分がいる場所を把握することが出来るというのですね」

「はい。わたしの力は、もともと家族を護るために磨いてまいりました。是非、貴妃様の皇宮守護部隊、春雷(しゅんらい)隊に入れてください!」

 朱草(しゅそう)は再び稽首(けいしゅ)した。

 (ぜん)貴妃の返事を待つ。

「なりません」

 朱草(しゅそう)は勢いよく顔を上げると、落胆した表情で(ぜん)貴妃を見つめた。

「あなたは若い。まだまだ学ぶことが多くあるように見受けられます。まずは……、そうですね。宮正(ぐうせい)として経験を積むと良いでしょう」

「ぐ、ぐうせい……。申し訳ありません。恐れ入りますが、無知なわたしにその役職がどういったものなのか、御教え願えますでしょうか」

 朱草(しゅそう)はうつむき、再び低頭して教えを乞うた。

「いいでしょう。宮正(ぐうせい)とは、言うなれば後宮の自治組織のことです。皇宮で言うならば……、陛下がお持ちの央廠(おうしょう)が近いでしょう。あなたはここ後宮で行われるあらゆる不正や陰謀を暴き、秩序を正すのです。その類稀(たぐいまれ)なる能力と、可愛らしさでね」

 弾けるように顔を上げた朱草(しゅそう)の目に映った(ぜん)貴妃は、先ほどまでとは違い、まるで少女のような笑顔を浮かべていた。

「ふぅ。疲れるのよね、こういう、高貴な立場って。あなたもご実家ではそうだったでしょう? ここではその必要はないわ。自由にやってごらんなさい。期待しているわ」

 朱草(しゅそう)は目を輝かせながら大きく頷いた。

「頑張ります!」

 (ぜん)貴妃は朱草(しゅそう)の煌めく若さとその笑顔に、頷きながら優しく微笑んだ。

 春風に乗って舞ってきた花の香りが部屋を満たし、同時に、雨が降り始めた。

 どんどんと雲が集まり、あたりが暗くなっていく。

 その時、これから始まる新生活の波乱を予感させる、春雷がこだました。


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