第十七集:呪術
「な、なにこれ⁉」
朱草は自身の左腕に、輝く鮮やかな曼殊沙華の文様が浮かび上がったことに驚き、困惑、動揺した。
「飲み込んだ金剛石は聖人の左腕のものだったのですね。美しいわ」
九天玄女はとても暢気に微笑んでいる。
が、当の本人、朱草はそれどころではない。
暗闇を切り裂くほどの光が目に痛い。
「熱い! え、こ、これ、大丈夫なのでしょうか⁉」
「大丈夫よ。そろそろ、馴染むんじゃないかしら」
九天玄女の言う通り、腕から熱が消え、光が収まり始めた。
だが、腕に浮かび上がった赤い曼殊沙華の文様はそのままだ。
「か、家族が見たら驚いてしまいますね……」
「ふふ。今日はもう遅いから、明日、どんな力が使えるのか試してみましょう」
「よ、よろしくお願いします……」
朱草はよろめきながら、九天玄女とともに後宮へ戻り、自室へ向かった。
「……あ、肺が全く痛くない」
歩きながら、胸に何の違和感もないことに気付いた。
「本当に、呪がこの左腕に馴染んじゃったってこと……?」
神仙が使う不可思議な術やこの状況に驚きつつも、未知の力が自分にもたらされたという興奮が勝り、朱草はにやけそうになる顔を両手で包んだ。
すぐにでも試したかったが、すでに体力は限界。
用意されていた銅と陶器で造られている湯船に入り、汗を流してから着替え、布団に入った。
意識が後方へ遠のき、眼前に広大な大地が広がった。
(夢だ。初めて見る景色だな)
青々とした草木の香りが鼻をくすぐる。
足元に揺れる花も太陽に微笑みかけており、とても可愛らしい。
(……ん?)
目の前を馬が横切った。
とたんに、場面が変わる。
次に見えてきたのは、夕闇に浮かぶ立派な産屋。
若い女性が苦しんでいる。
少し古風ではあるが、着ているものと装飾品から見て、とても高貴な身分なのだとわかる。
(……誰かに似てる。誰だろう)
凄まじい量の血。
女性の足の間から、産婆に引っ張り出されるように、赤子が出てきた。
母親の胸に渡される真っ赤な子供。
柔らかな布で拭うと、その可愛らしい顔が見えてきた。
(え、皇帝陛下の面影……?)
産声が上がる。
侍女たちなのか、手際よく作業をしている女性たちが喜んでいる。
だが、産婆の顔は厳しい。
数秒後、もう一人出てきた。
「やはり、忌子じゃ……」
二人目の赤子の背には、赤い痣があった。
まるで、曼殊沙華のような、不吉な文様。
赤子は産声を一度上げたあと、すぐに目を見開き、産婆を睨みつけた。
「鬼穴に落とすのじゃ。一刻も早く」
母親は朦朧とする意識の中、手を伸ばすが、産婆にさえぎられ、赤子に触れることは出来なかった。
赤子は産婆から侍女に渡され、産屋の外で黒い法衣の男に託された。
男は馬に乗ると駆け出し、山へ向かった。
夜も更け、月灯りだけを頼りに進むも霧が立ち込め、視界が悪い。
湿った土の匂いが漂う。
(これは、誰かの記憶……?)
山の中に入ると、赤い布が巻かれた木があちこちに見え始めた。
男はその目印に沿って進んでいく。
風に禍々しい邪気を孕んだ瘴気が混ざり始めた。
(な、何あれ……)
目の前に、巨木が現れた。
数えきれないほどの札と、結界を示す縄が結ばれている。
高く長く伸びる枝には、赤い布がひらひらと舞い、まるで剥がれかけた人間の皮膚のよう。
男は左腕に抱いていた赤子を両手で持ち上げると、木の根元、底の見えない穴に放り込んだ。
(え、あっ)
朱草の視界を支配している何かが、その穴の中へと赤子と共に落ちていった。
深い深い穴の底。
たくさんの小さな骨の中に、赤子は落ち、その小さな命の灯火が消えかけたその時、声がした。
――これでまた一つ、完成だ。
黒い靄のような数多の塊が、赤子の口や鼻、耳から体内へと入って行く。
「わあ!」
身体中に汗をかきながら朱草が目覚めると、そこには心配そうに見つめる九天玄女と素采がいた。
「大丈夫か? 廊下に響くほど魘されていたんだぞ」
悲痛な顔。
手を強く握って祈っていたのか、手が赤い。
「あ……。すみません」
「謝ることはないのですよ。きっと、呪を生み出した最初の存在と意識が繋がってしまったのでしょう。心配はありません。つながりは斬りました」
九天玄女の手には、銀色の持ち手に鉄の刃がついた小刀が握られていた。
「どんな夢だったか、覚えていますか?」
「えっと……」
おかしい。
先ほどまで観ていた夢なのに、記憶からどんどんと逃げていくように思い出せなくなっていく。
朱草は出来る限り映像を繋ぎ止めながら、二人に話した。
「……赤子に禮国皇帝の面影、ですか」
九天玄女は顔をしかめ、近くにあった椅子に腰かけた。
「ただあなたが呪の力を操れるようになれれば、と思って、術を施しましたが……。どうやら、それだけでは済まされないことが起こっているようですね」
「姉上、朱草の呪や腕はこのままで大丈夫なのですか」
「ええ。瘴気も何も感じないですし、意識のつながりも断ち切りました。ですが、その、朱草が見たという記憶は引っかかります。こちらで調べてみましょう。素采、明日からはあなたが朱草を訓練しなさい」
「わかりました。姉上、くれぐれもお気を付けください」
「大丈夫ですよ。心得ています」
九天玄女はいつものように微笑み、立ち上がると、「では、まだ夜も遅いですから、二人ともゆっくりと休むのですよ」と、自室へと戻っていった。
「お師匠様も、もう戻られて大丈夫ですよ。お騒がせして……」
「絶対に手を出さないと誓うから今日はここで寝る」
「え、え?」
「心配でどうせ眠れないからな。だめかな」
朱草は困ったように微笑むと、「修業時代も同じところで寝ていましたし。信じていますよ、お師匠様」と言い、提案を受け入れることにした。
「ふふ。久しぶりだな」
素采は空から布団一式を取り出すと、床に敷き、素直に中へ入った。
「朱草も布団をかぶって寝ろ。明日はとことん訓練するからな」
「よろしくおねがいします」
朱草は微笑むと、再び布団をかぶり、眠りについた。
次に見た夢は、絶対に素采には教えられないもの。
ただただ幸せな、そんな夢だった。
明朝、朱草が起きると少し雨が降っていたが、それもすぐ上がり、気持ちのいい天気となった。
「お、よく眠れたか?」
素采は先に起きていたようだ。
自室に戻ってすでに身支度を済ませてきたのか、いつもとは違う武人のような深衣に身を包んでいる。
「君に手紙が届いているぞ。貴妃様と棠梨殿下からだな」
思いもしなかった人物の名を聞き、朱草は喜ぶと同時に驚いた。
「聖域にも人間界の手紙が届くのですか!」
「来るときは寄らなかったが、聖域の近くには、聖域外城塞都市というものがあるのだ。そこで身分を隠して仙子も人間と同じように暮らしている。人間界からの手紙は一度そこへ届き、こちらへ運ばれてくるんだよ」
「へぇ……」
寝台から降り、手紙を受け取ると、朱草は中を開けて読もうとしたが、その手を止めて素采を見た。
「……そういえば、入ってくるとき、わたしに入っていいか聞きましたっけ?」
「……聞いてない」
「ですよね。では、朝食で会いましょう」
「ぐぬぬ」
素采は不満そうに頬を膨らませながら退室していった。
そのあとすぐに侍女たちが身支度の手伝いに訪れ、朱草も動きやすい深衣に着替えた。
朝食の席に九天玄女はおらず、侍女たちに聞いたところによると、未明にどこかへ出立したのだという。
「呪を使いこなす訓練は大変だぞ。しっかり食べておけ、朱草」
「はい。どれも美味しくて、食べ過ぎてしまいそうです」
「わかる」
用意された粥と、様々な薬味が乗った小鉢。
香りのいいあたたかな茶はガラス製の急須の中で花開き、見るのも楽しい。
「手紙には何と書いてあったんだ?」
「ああ、えっと『元気にしてる?』とか『早く戻ってきてほしい』とか……。嬉しい言葉ばかりでした」
「朱草は人気者だな」
「へへへ」
手紙は朱色の漆塗りの美しい文箱に入れ、空の中へと大切にしまった。
訓練が終わったら返事を書こうと、便箋の用意も忘れずに。
朱草と素采は他愛ない会話を楽しみながら食事を終え、さっそく訓練場へと向かった。
「……檻みたいですね」
呪、もとい、呪術の訓練場は仙術の訓練場とは違い、檻のような木の柵に囲われている。
空は見えるが、格子状。
鳥籠の中の小鳥の気分だ。
「さぁ、まずは朱草の呪術の性質から知ろうか」
「性質? 呪は呪じゃないのですか」
「呪術にはいくつか種類があって、まぁ、基本的にすべて使えるのだが、性質によって強く力を発揮できるものが違うのだ」
そう言うと、素采は空から木人形を取り出した。
「私の場合は物体に呪をかけることが得意だ。いわゆる〈呪物操〉だな」
地面に放られた木人形に素采が何やらつぶやくと、木人形は素采そっくりに変化した。
「こんな感じだ」
「おお……。自由に動かせるのですか?」
「ああ。木人形に指令を書き込んでおけば、その通りに動くぞ」
朱草は思っていたよりも陰湿ではない呪術の使い道に、胸が高鳴った。
「どうやって自分の特性を調べるんですか?」
「ふふふん。簡単だ。『操る』ことを思い浮かべ強く念じながら、柏手を三回打つんだ」
「え、手を三回たたけばいいんですか?」
「その通り。音は周波数となり、あらゆるものにぶつかる。その中で、最も震えているものが君の特性を大きく引き出す物質ということになる」
「おお……。じゃぁ、さっそく」
朱草は目を瞑り、ゆっくり三度柏手を打った。
「……あ、うあ」
激しい眩暈。
朱草は前後不覚になり、後ろに倒れてしまった。
「朱草!」
尻もちを搗き、まだ揺れている視界に吐き気がした。
「まさか、〈血〉とはね」
素采に支えられながら、朱草は「ち、血?」と深呼吸をしながら呟いた。
「まだ呪術の初期段階だから、すべてが自分自身に作用してしまい、眩暈で倒れたのだろう。君はどうやら〈血〉を操ることが出来る〈呪血操〉みたいだな」
「へ、へぇ……? あんまり嬉しくない特性のようですね……」
「いや、とても有用だぞ。訓練すれば、他人の血も操れるようになる。頼むから私で試すのはやめてくれ」
「お、おお……」
朱草はおさまり始めた眩暈の中で、自身の特性、〈呪血操〉で出来そうなことをぼんやりと考えた。
ただ、どう考えても、前途多難だということだけはわかった。
気持ちのいい風が意識を現実へと引き戻してくれる。
朱草は素采の手を借りながら立ち上がると、もう一度深呼吸をして、姿勢を正した。
「お師匠様、訓練、よろしくお願いします」
「おう、頑張ろうな」
煌めく太陽の下、格子状に落ちる影の中で、訓練は始まった。
もっともっと強くなるために。




