第十五集:五色
「目が覚めましたか」
朱草が目を開くと、身体はなにか柔らかなものの上に寝かせられており、視界には光るゆらゆらとした硝子玉のようなものが浮いている。
ひとつひとつがやわらかな光を放ち、とても幻想的だ。
自分の身体に目を向けると、薄荷色の上質な深衣に着替えさせられているのがわかった。
「あ、あの……」
声のした方を振り向くと、そこにいたのは、浅黒い健康的な肌に金色で文様が描かれた神々しい女性だった。
文様は血液が巡るように内側からゆらりと仄かに光っている。
髪は朝焼けを反射する湖のような煌めきを持った純白で、目は熟れた果実のように華やかな桃色。
朱草が仕える禪貴妃とはまた違った、最上の美を見た衝撃。
思わず見とれてしまった。
「無理に起きなくても良いのです。初めまして、朱草。わたくしは素采の姉。九天玄女と申します」
状況を理解するのに、多くの時間がかかりそうだ。
「すみません! あの、廊下を血塗れにしてしまったり、その、あ、自己紹介もせずに……」
「慌てないで。あなたは武芸と薬術に秀でていると素采からは聞いています。どんな状況でも、心は平静を保つよう、訓練が必要ですね」
「く、訓練……」
「ええ。わたくしがあなたの指導教官となりましょう。なにやら、人間界の後宮で武功を立てたいのだとか。いい心がけです」
九天玄女は凛と微笑むと、「では、医女たちを呼んできますね」と、部屋から出て行こうとしたので、朱草は寝台から立ち上がり、その背を追った。
「あ、あの! お師匠……、えっと、素采様は……」
「自室で反省させています。好いた女子一人守れぬなど、言語道断」
「あの、でも、命を助けてくださったのは素采様なのです」
朱草の必死の訴えに、九天玄女はふっと笑った。
「……弟を好いてくれているのですね。では、貴方に免じて軟禁を解きましょう。ここへも入れるよう、手配します」
朱草はホッとし、笑みがこぼれた。
「あ、この部屋って……」
「今日からあなたが一月過ごす居室です。人間界と同じ、後宮だと思ってください」
「後宮……。後宮、ですか?」
朱草は混乱した。
後宮というのは、皇帝の妃嬪や女官、それらに仕える侍女たちが住まう場所。
しかし、九天玄女は、どこからどう見ても女神。
ということは、後宮にいるのは男性なのだろうか。
「あら、素采は本当に何も説明していないのですね。では、少しだけお見せいたしましょう」
そう言うと、九天玄女は空から一枚の鏡を取り出し、仙術をかけた。
「……あっ」
もともと背の高かった身体に筋肉がみるみるうちに可視化され、女性的な体つきだった柔らかな丸みがなくなり、男性の特徴が次々に現れ始めた。
「どうでしょう。人間にとっても好感が持てる容姿でしょうか」
甘く低い、耳に響く声。
もし、耳元でささやかれたら、全身が痺れてしまいそう。
「は、はい……」
その姿は、素采を筋骨隆々にしたような、美丈夫だった。
思わず頬が熱くなる。
「その反応は好ましいですね。ですが、弟の想い人に手を付ける趣味はありませんので、ご安心を」
「え、あ、そ、そんな……」
「神仙は、こうして性別がなく、好きな時に好きな性を選べるのです。ただ、わたくしは女性の姿が特に気に入っていますので、睦事の時以外は基本的に女神の姿でおります。たまに、閨でも女神の姿を求める妃はおりますが。ひとそれぞれといったところでしょうか」
「ひゃぁ……」
もし話しているのが素采ならば、「詳しく説明しなくて結構です」と突っぱねているところだが、相手は九天玄女。
あまりにも凄艶なその姿に、不覚にも、朱草は腰から力が抜けそうになってしまった。
「ふふふ。可愛いですね。では、あなたは今日一日ゆっくりしていらしてね。明日からは、本格的な治療と訓練が始まりますから」
「は、はい! よろしくお願いいたします!」
朱草はこれまでにないほど素直に頷き、九天玄女が見えなくなるまでその背を見つめた。
扉を閉め、寝台へと戻ると、近くの机に香りのいいお茶か何かが入った急須が用意されていた。
「飲んでみよう」
枇杷のような甘い爽やかな香り。
そっと茶碗に注ぎ、一口飲むと、豊かな香りが全身を駆け巡るような、心地の好い感覚。
「美味しい……」
朱草は近くに置いてあった筒を開け、「やっぱり、茶葉だ」と一つまみし、舌の上に乗せた。
「……知らない薬草が入ってる。なんだろう、この甘いの……」
その時、扉が乱暴に開かれ、足音がこちらへと向かってきた。
「無事だったんだな! さすがは姉上!」
「お、お師匠様!」
入って来たのは、普段よりもしっかりとした装束に身を包んだ素采だった。
「軟禁を解いてもらったのだ。いやぁ、姉上の顔は本当に怖かった……。でも、原因は私。朱草、本当にすまない」
頭を下げる素采に「大丈夫ですから、さぁ、座ってください」と椅子を勧めた。
「ふう。あのとき、治療をさせてもらえないことで姉上にかなりの暴言を吐いてしまった。私もまだまだ未熟だな……」
「そのことなのですが、わたし、何も覚えていないんです。血を吐き出したあと、気づいたらこの部屋でした」
「姉上が駆けつけ、すぐに仙術で君を眠らせたのだ。無駄に体力を消耗しないようにね」
「そうだったのですか……」
「後宮の医女たちは本当に優秀だ。任せておけば、君はすぐに良くなる」
「お師匠様は診察してくださらないのですか?」
「君は正式に姉上の賓客となったからねぇ。……朱草が望むなら全身くまなく診てあげるけど」
「結構です」
やはり、素采が言うとどうしても破廉恥に聞こえる。
九天玄女の色香が醸し出す説得力には敵わないようだ。
「明日から、訓練してくださるそうです。とても楽しみでわくわくしています」
「厳しいぞぉ、あのひとは……。でも、ずるいのは、とても褒めてくれるから、どうにもやる気がでてしまって、つい頑張ってしまうんだよ。無理だけはするんじゃないぞ。まぁ、そのへんは調整してくれるだろうけど」
「大丈夫です。はやく煌仙子として強くなり、貴妃様の部隊に入れていただきたいので」
「本当に、面白い子だね、朱草は」
「普通ですよ、普通」
二人は見つめ合い微笑むと、「じゃぁ、私は自室に戻るとするよ。あとで夕食のときに、また」と、素采は立ち上がり、部屋を後にした。
「夕食……、え、もうそんな時間なの?」
御簾を上げ、庇に出ると、それは見事な夕景が広がっていた。
「わあ! すごい!」
まるで空を飛んでいるかのような景色。
どうやら、相当高い位置にある部屋にいるようだ。
「空を飛べるようになれば、禮国でも見られるのかな……」
朱草は勾欄に近づき、座り込んだ。
視界いっぱいに広がる優しい橙色の光。
雲は五色に染まり、真珠のように煌めいている。
胸が高鳴った。
明日から始まる、自分の力を知るための訓練に。




