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第十三集:新生

 それはあたたかなまどろみの中だった。

 最後に感じた冷たさと痛み、そして暗さ。

 そのすべてがやわらかな光の中に溶けて消え、甘く心地の良いものに変わっていく。

 浮かぶ身体は胸に穴が開いていて、やけに悲しそうだ。

 両親や姉弟(きょうだい)のことを考えると、無いはずの何かがきゅっと締め付けられた。

 そして、あの人の笑顔も。

 その時だった。

 淡く煌めく宝玉が、胸の穴にすっと入り込んだ。

「あたたかい……」

 耳が、音を拾い始めた。

 次に、誰かの手の感触。

 頬に雫が落ちた。

 おそるおそる目を開けると、そこにいたのは素采(そさい)だった。

朱草(しゅそう)! ああ、よかった……。本当によかった……」

 どうやら、眠っていたようだ。

 視界に映る診療所の天上と素采(そさい)の艶やかな髪。

 身体が乗っているのは診療台のようだ。

 少し硬い。

 朱草(しゅそう)はまだ思考が定まらないのか、普段ならば絶対にしないことをした。

 手を伸ばし、素采(そさい)の頬に触れ、「泣かないで。大好きですから」と、口が動いていた。

「しゅ、朱草(しゅそう)?」

 手を握られ、突然、すべてが鮮明に見えだした。

「え、あ、あの」

「ふふふ。今のは聞かなかったことにしておいてやろう。今度は意識がはっきりしているときに寝所で言ってくれ」

「ぜ、絶対にそんなこと言わないし寝所になんて行きません!」

 素采(そさい)は微笑んでいるが、目が腫れている。

 悲しませてしまったのだろうか。

 愛おしさがこみあげてくる。

 手を借り、朱草(しゅそう)は上半身を起こすと、自分の深衣(しんい)を見てぞっとした。

「あ、穴が……。それに、血も……」

 胸から足まで血に染まり、酷い有様だ。

「あの、わたし……」

「君は心臓を抜かれ殺されたんだよ。禍人(まがびと)に」

 ひゅっと息を吸い込んだ。

 あのときの感触が、瞬時に蘇ってきた。

 胸を貫く爪、指、手。

 掴まれた心臓。

 引き抜かれ、ぶちぶちと切れる血管。

 痛みよりも、命が消えていく冷たさが、身体を震わせた。

「わたしは……、殺された……。そうですよね。そうだ。殺されたんだ……。でも、えっと、ま、禍人(まがびと)?」

 やはり、自分は一度死んだのだと、朱草(しゅそう)は理解した。

 まだ慌てられるほど体力が回復していないのか、驚いてはいるものの、身体が上手く動かせない。

「だから……、すまない。勝手な事をした。君を失いたくなかったのでね」

「勝手なこと? わたしの命を救ってくださったことが、どうして……」

「君はもう、人間ではないのだ」

「……え?」

 素采(そさい)の言葉に、胸のあたりがふわっと光った。

 あたたかい。

 心臓ではない、あのまどろみの中で見た宝玉が、(ここ)にあるということなのだろうか。

「死んだ者を生き返らせることは出来ない。でも、作り替えることは出来る。だから、私は君を煌仙子(こうせんし)としてその命を繋いだのだ。本当に、すまない。同意も得ずに……」

「……長命な、その、お師匠様と同じような種族、ということでしょうか」

「そうだ。君の家族から、君の穏やかな寿命を奪ってしまった。この罪は……」

 朱草(しゅそう)は身体の向きを変え、素采(そさい)の身体を抱きしめた。

「わたしの家族から奪ったのは、悲しみです。もとより、武功を立てることが目的で後宮へとまいりました。家族よりも長生きできるなどとは考えてなかったので、そこはちょっと計算外ですが、でも、両親と姉弟を悲しませずに済んだのは、お師匠様のおかげです。感謝します」

 素采(そさい)朱草(しゅそう)の身体を強く抱きしめ、その肩に顔をうずめて嗚咽を漏らした。

「君がどう思おうと、私は君を愛している。これからもずっと」

「わかっています。そのうち、勇気が出たら受け入れることにします」

「待ってる。どんなに時間が必要でも」

 朱草(しゅそう)は少し照れながら、素采(そさい)の頭を撫でた。

「泣き止んでください。わたしはもう元気ですし、生きていますから」

「……ああ。わかっている」

「あの、さっき言っていた禍人(まがびと)について教えていただけませんか?」

 素采(そさい)は名残惜しそうに朱草(しゅそう)から身体を離すと、「そういえば、他にも話さなければならないことが……」と、診療所の扉と窓をすべて開けた。

朱草(しゅそう)!」

「……き、貴妃様!」

 診療所の外には、禪貴妃や侍女頭の桜蓮(おうれん)をはじめとした悠禪宮の女官たち。

 そして太医やよくお世話になっている太監、その後ろには、肩で息をしている到着したばかりの棠梨(とうり)までいる。

「え、え? 棠梨(とうり)様まで……」

「無事だったのね! さすが素采(そさい)先生!」

 駆け寄ってきた禪貴妃と棠梨(とうり)に抱きしめられた。

「血だらけで、本当に……。よかった……」

「今皇宮中を探させているからね。朱草(しゅそう)を傷つけた奴は私が許さない」

 棠梨(とうり)朱草(しゅそう)の頭をなでると、再び外へと戻り、禁軍に指示を出しながら犯人探しに戻っていった。

「あの子ったら。あんなに怒った姿を見たのは私も初めてだったほどよ。すぐに禁軍大統領を呼び出して、警備を固めるよう動いたの。さすがは親友よね」

「え、えへへ……。あ、ああ! 貴妃様の装束が……」

 朱草(しゅそう)深衣(しんい)についていた生乾きの血が、禪貴妃の深衣(しんい)にもうつってしまった。

「これくらい平気よ。私、昨日の夜鼻血出したし」

「え、大丈夫ですか⁉」

「湯浴みでのぼせただけよ。私のことなんか心配している場合じゃないでしょう? ほら、着替えも持ってきたのよ」

「わ、わざわざすみません。ありがとうございます」

 桜蓮がホッとしたような笑みを浮かべながら、深衣(しんい)が入った(つつみ)を渡してくれた。

「それに着替える前に、太医が用意してくれている湯で身体を拭くのよ。お仕事はしばらく休みなさい」

「え、働きます! あの、なんと説明すればいいのかわからないのですが、元気なのです!」

「だめ。素采(そさい)先生の許可が出るまでは働かせません」

「え、ええ……」

 朱草(しゅそう)素采(そさい)を見上げると、「一月(ひとつき)は療養してもらいたいですね」と困ったように笑った。

「ほらね? それじゃぁ、私たちは行くわね。顔が見られて本当に安心したわ」

「ありがとうございました」

「療養中も、寂しかったらいつでも私のところに遊びに来るのよ。あなたの部屋は定期的に侍女たちが掃除をしてくれるから心配ないわ」

「え、部屋の掃除……?」

「あなたは今日から一ヶ月、素采(そさい)先生の診療所で療養するのよ」

 聞き捨てならない言葉に、朱草(しゅそう)は食いついた。

「な、何でですか⁉」

「ただでさえ妊婦が多い状況だから、太医たちがあなたをずっと診ているわけにはいかないのよ。だから、素采(そさい)先生にお願いしたってわけ」

 朱草(しゅそう)は壊れた人形のように、再びゆっくりと素采(そさい)の方を見ると、にこりと微笑まれた。

「荷造りしないとねぇ……。ま、それもやっておくわ。任せて頂戴。あとで届けるから、寝ておくのよ」

「き、貴妃様……」

 禪貴妃たちは「それじゃぁ、またあとで」と言うと、優雅に立ち去ってしまった。

 太医も「安心したので回診に行ってきますね」と、湯が入った桶を置いて出て行ってしまった。

 太監たちすら「ふぅ、これで安心して仕事に戻れる」と皇宮へ帰って行ってしまった。

 診療所には二人だけ。

「え? お師匠様の診療所って……、あの、わたしが修行していた……」

「違うよ。今度行くところは神仙の領域。つまりは、聖域にある私の家だ」

「え。どうしてですか」

「君は煌仙子(こうせんし)になったからね。力の使い方を覚える必要がある。そうじゃないと、周りを傷つけかねないから」

「あ、そ、そうか……。それなら仕方がありませんね」

「新婚ごっこが出来るね」

「しません」

 溜息をつくと同時に、外の景色を見ると、すでに夕焼け。

 随分と長い時間、あのまどろみの中にいたようだ。

 朱草(しゅそう)は診療台の横に置かれた湯の入った桶に指先を入れ、そのあたたかさに触れ、生きていることを実感した。

 非現実的なことが二度も起こった日。

 そのどちらも、ほとんど意識はなかったけれど、まぎれもなく、当事者であり、被害者であり、生還者。

 朱草(しゅそう)は自分の身体を抱きしめた。

 長い長い寿命の始まり。

 またよろしくね、と、思いを込めて。


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