・「マンダム、男の世界」とおじさん、の巻
「…いま、社内は社長派と、専務派に分かれている。…俺は無所属だ。それは、知ってるな?」
わたしは、知っているという風にゆっくり頷く。笠原の言葉は、質問ではなくわたしに対する確認である。
笠原は営業部の部長であり、笠原の動き方如何で、社長派・専務派のパワーバランスが一気に崩れる。社を真っ二つに割らないためには、笠原はどちらにも付かず無所属を通すしかない。それは、一昨年に亡くなった先代社長に対する笠原なりの義理の通し方なのだろう。
ちなみに、わたしも無所属だ。ただし、笠原とは意味が違う。わたしは社長派、専務派のどちらの陣営からも必要とされておらず、故に無所属を通すことが出来る気楽な身分である。
「大変だな…」
わたしは、思わずつぶやく。笠原の置かれた立場の責任と重圧は、わたしには想像ができない。
わたしの言葉に、クッ…、と笠原が嗤った。長い付き合いだが、初めて見る笑い方だった。お気楽なわたしのことを笑ったのか、板挟みの笠原自身を嘲笑ったのか、あるいはその両方か。
笠原は言葉を続けた。
「…それでな。それで、岡の奴を総務部の課長にしようという動きがあるらしい。専務の描いた絵でな。…岡の後任を営業部に新しく入れる予定はないらしい」
そう言って、笠原はカウンターの上に置いていたお湯割りのグラスを掴んでグビリと一口飲んだ。まるで自傷行為のような飲み方だ。
低く抑えた声で話す笠原の説明に違和感を感じて、わたしは口を挟む。
「今の鳥谷君はどうなる?」
岡が総務部の新課長なら、現課長の鳥谷はどうなるのか?
「鳥谷は、近々関連会社への出向を命じられる」
笠原は、チラッとわたしの方を見たあとでお湯割りのグラスを置き、右拳で左手のひらを叩きながら言った。野球のキャッチャーミットを叩くような仕草。
ナルホドね。
笠原の言いたいことが呑み込めてきた。
現在、営業部課長代理の岡を総務部の課長にして、現総務部課長の鳥谷を飛ばす。社長派の鳥谷を除いて、専務派の岡をその後釜に付ける。そして、営業部から岡を奪うことで、ついでに無所属の笠原営業部長を牽制しようって狙いか。…専務も、わたしより若いくせに随分いやらしく露骨な奴だ。
実質的に会社の業務は専務が牛耳っている。今の社長は、長年の間お飾りみたいなものだった。先代社長の遺言に従って、現社長をもり立ててきたはずの専務が、ここに来て急に自分自身が天下を取りたくなったらしい。
「そうまでして社長になりたいもんかね…」
わたしには分からない。そんなことができるくらいなら、もう実質的に社長みたいなもんだろうに。
「…なりたいんだろうさ」
怒ったように、笠原が自分のお湯割りをあおる。笠原はまるで、わたしにも怒っているように思えた。
続
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