・「世界の秘密」とおじさん、の巻
笠原と一緒に飲み始めてから40分。
笠原は、わたしからの一方的なバカ話を黙って聞いてくれていた。しかし、わたしの方がもう限界だった。笠原はこの店に入ってから、まだ一度もわたしの目を見ていない。この男の、こんな悲しげな横顔をこれ以上見ていられなかった。
「…岡の奴が、なんか言ってきたのか?」
わたしは、カウンターの上で組んだ手の上に顎を乗せ、カウンターの方を見ながら笠原に訊ねた。こんなこと、笠原の方を見ながら聞けるか。
わたしの言葉を聞いて、少し腰を浮かせてこちらを見た笠原の目が驚きに見開かれ、次いで寂しげな疲れたような笑顔に変わった。今にも泣きそうな笑顔だった。
岡は、笠原の部下で営業部の課長である。
まだ29歳だが、元高校球児らしいハツラツとした態度とわりと整った甘いマスクで取引先からも好かれ、同社の女子社員達からの評判もいい。…ただ、それは上辺だけのことだ。分かるものには分かっている。
仕事も卒なくこなす、社内では『期待のホープ』と呼ばれるような奴だ。まあ、ロングホープかショートホープかは、わたしは知らないが。
…そして最近、55歳でうだつの上がらないわたしのことを岡が専務の前で批判している、というのを社内の風の噂で聞いていた。
笠原は椅子に座り直し、両手をカウンターの上に置いた。懺悔するような姿に、わたしには見えた。笠原の様子がおかしいのは、実は飲みに誘われた時から分かっていたのだ。
「…隠しても、始まらんか」
一瞬、カウンターの上に置かれたままの焼酎のお湯割りのグラスを眺めてから、まるで70、80の老人のように背中を丸めて笠原はつぶやいた。わたしと同じ55歳とは思えないほど、まるで一瞬で歳をとったみたいだった。
「実は会社の方から俺の方に、内々に話が来ててな。まあ、その、なんだ…」
こちらから水を向けたというのに、妙に笠原の歯切れが悪い。カウンターに肘をつけて祈るように両手を組み、目の前の虚空を睨みつけながら話している。こんな話し方をする奴じゃないことは、わたしはよく知っている。
わたしはカウンターに頬杖を付いて前を向いたまま、笠原の次の言葉を待った。カウンターのプラスチックの仕切り板の向こうでは、店主が鮮やかな手付きで焼き鳥を焼いている。この店の焼き鳥自体は出来合いのものだろうが、焼く者が違えば味も全く違うものだ。
笠原は、何も言わない。
「オレの更迭でも進言されたか」
わたしの方から、再び水を向けた。
わたしの言葉に、笠原は一瞬ピクッ、と肩を震わせ、そして静かな怒気をはらんだ口調でわたしに語り始めた。
続
『ショートホープ』と聞くと、
地雷震の飯田さんを思い出します。