嘘つきの復讐。
ある家の中で、リビングルームで二人の男女がソファーベッドにすわりだきあっている。いちゃこらして、他の人間の入る余地などない水入らずの空間。そこへ突然、男の方のスマホに電話がかかってきた。座敷のある寝室へと席を外す。しかしすぐにもどってきて、着信音をならせたまま女にはなしかける。
『着信番号……いや、相手の名前が』
『どうしたの?』
『あいつだ!!あいつだよ!!』
『だれなの?』
男は座敷からリビングに戻り、声をあげた。
『真人だよ、そんなはずないのに、君の妹が出所した記念日だっていうのに』
女のほうもあわてたようにたちあがり、わけもなくソファーベッドをととのえた。
『私の妹は、そいつのせいで!!あいつのウソのせいであんなことに!!どうしよう、何かたくらみがあるのかも』
時間は朝方で、二人は今まさに妹を迎えにいく話をしているところだった。それは、妹の罪は、ある男を惨殺した罪。しかしその男は、強盗犯だった。奇妙なめぐりあわせだが、正当防衛は成立しなかった。妹の付けたと思われる傷跡があまりにも深く、数十か所にも及んだために、何らかの深い恨みを思わせた。しかし妹は口を割らなかった。
『怖いわ、悟』
『レイナ……あいつは、あいつのせいで、君の妹はつかまった、あいつが事実を話さなかったばかりに』
『そうよ、あいつは、本当はあいつが邪魔をしたから“殺人”は行われた、あいつは真犯人を知っているのに黙っていた、警察は錯乱した、あいつのせいで……妹が疑われた!!あるいは、もしかしたら私が牢屋に入れられていたかもしれないのよ、あいつも無関係ではないのに!!』
男女二人は、汚れた塀の中にいる独房の中の彼女の事を連想した。もし、少し違っていればあそこに入っていたのはレイナだったかもしれない。悟はいう。
『あいつは“悪いやつ”だ、話も合わせられない、あいつこそが犯罪者だ』
『……私、あの事件の少し前まで彼に付きまとわれていたの、ずっと隠していたけれど、幼馴染だから被害届をだなかったけれど、彼はストーカー気質のところがあったわ』
『え?なんでそんな大事なことを』
悟とレイナはだきあう。
『だって心配するじゃない、あいつは異常だった、誰より異常で暴力的だった、本当はあいつをうまくして……』
少し二人はおちつくようにだきあって棒立ちしていたがその静寂を遮るように、ボロアパートの玄関のチャイムがなった。
《ピンポーン》
ガタガタ、ガタガタ
悟『うわあ!!』
レイナ『ヒイッ』
『あけてくれ、いるんだろ!!あけてくれ!!』
耳なじみのある声、今電話をかけてきた相手の昔の声にそっくりだ。いくらか声がかわった感じはうけたがやはり、過去の亡霊がやってきたのだ。
『くそ!!チェーンをしめてくる』
『だめ!!いかないで』
おびえるレイナの肩を、悟は抱きしめる。
『大丈夫だ、安心してくれ』
すぐさま廊下をたどり、いくつかの部屋を通りすぎ玄関へむかい、覗き口を覗くと、悟はチェーンを急いでしめた。
『どうして!!あの人はいきていたの!!』
『わからない!!クソッ、あの時、取り調べの後の数週間後、俺たちは口喧嘩で走行中の車の中で喧嘩をして、あげく事故にあって、あいつはあの事故でぺちゃんこになって爆発した車の中から逃げ去り、あわよくば、死んでいればいいと思っていたのに!!』
『本当に彼は生きているの!!』
『わからない、だが、今の俺たちに恨みを抱かないはずがない、そうだ、レイナ、お前はベランダにでていてくれ、俺が話をつけるから』
『いや!!』
そういっている間に玄関は、奇怪な金属音がきこえてくる。奴が、真人がノコギリをとりだし、チェーンに切れ端をいれている真っ最中だった。そこで、おびえるレイナの肩を二回たたき、悟はレイナに再びアイコンタクトとアゴで玄関にでるように合図をしたのだった。
悟はある部屋に入り万全の準備をととのえた。厚手の服を3重に着込み、自分は右手に包丁をもって、……その準備をととのえるまで、5分もかからなかった。だがその間、そこへ玄関が開く、玄関の内側にいたのは、数年ぶりにみるよく見知った顔だ。眼鏡をつけて、いくらかやせこけひげもそりのこしがあり、ぼさぼさの頭をしている。そいつこそが電話をかけていた相手、二人がよく知る人物、真人だった。
『よお!!』
血走った目、人を見下したような表情、あきれたようにしかめる眉。
『元気だったかよ!!悟!!探したぜえ!!今日この日までずっと我慢していたんだ、お前のせいで、俺は!!』
『おい!!何があったっていうんだ、いきなりつかみかかってくるな!!』
二人は玄関ぐちでもみあいになり、真人におされるように悟は、先ほどまでいたリビングのほうへ後退してくる。やがて二人はもみあいになったまま、悟が上になり、さきほどまでいちゃついていたソファーベッドの上に倒れこんだ。その勢いに逆らうように、真人は声をはりあげる。
『俺は、レイナのためにかばったのに、話を合わせずに、レイナにいらぬうかがいがたてられ、結局妹ちゃんがつかまったじゃねえか、妹ちゃんは……』
『おい!!いうな!!彼女がいるんだよ、彼女が!!彼女はなあ!!いま心を病んでい……』
そこまでいいかけて、悟は手に妙な感触がふれたのを感じた。ぬるり、それは真人の顔からはがれ、悟の手にまとわりつくような感触だった。その下に、そのとき悟は、悟だけが、異様な姿をみたのだった。
『真人……その顔、お前』
みるとまるで怪物のように、変貌した男の姿がそこにあった。
『いうな、いうなよ!!彼女にはいうな』
その時、ベランダからは死角になっていて、レイナは悟の顔の変容を見ることはかなわなかった。ただそのからりに彼女のいるベランダにまで届く声で真人は大声をあげたのだった。
『彼女は、彼女はどこにいるんだ!!』
『あわせるかよ!!』
悟は真人をうしろからかかえこみ、包丁を彼の喉元につきつけ、身動きをとれなくする
『たとえお前を殺しても、お前に彼女は会わせるわけにはいかない!!お前は“悪いやつ”なんだ!!』
《ズルリ》
真人はなにかぬめぬめとしたような、あるいは柔軟性のあるようなものをとりだし、悟の顔にかぶせた。それは先ほどまで、真人の仮面をおおっていたものだった、それに悟は視界をうばわれ、うろつき、真人に蹴られて手に持っていた包丁を転がしてしまった。
その様子をみながら、静かにしていたレイナも気が気ではなかった。少しは、幼馴染である真人に何があったのか、気がかりではあったのだろうか、そこれレイナは、思わぬ光景をめにしたのだった。もみあいから姿勢をととのえ、体のホコリをはらっているおとこ、その男の顔が、異常だった。
『か、顔が……』
そこにあったのは、昔の真人の顔ではなかった。傷だらけで、まっかにやけただれた皮膚、ところどころ肉がみえ、骨も見えている人間の顔だった。
『ヒイッ』
思わずベランダで声がでた。すると真人はベランダのほうをむき、姿が壁に隠れて見えないながらも、レイナによびかけをはじめた。
『驚かないでくれ、君の話はよくしっている、君にとって俺は、ストーカーに見えたかもしれないが違うんだ』
真人がベランダのドアに手をかける。
『こないで!!警察をよぶわよ!!』
悟はようやく顔面にかぶせられた“ソレ”を自分のかおからはずし、気味が悪かったものの“それ”を反対むきにして真人にうしろからにかぶせた。それは、お面のようによくできた人間の皮膚をもしたかぶりものだった。よくできていた。真人の、以前の真人の顔そっくりに……真人はそれをかぶせられ、しかしモゴモゴとレイナとの話を続けるのだった
『なあ、ずっといってたじゃないか、小さな頃は、俺の嫁さんになるって、だから俺は……お前のためをおもって、それに俺は、俺たち家族は両親のいないお前たち姉妹を、ひっこしてきた当日からまるで家族のようにあつかっていただろう、家だってとなり同士で……』
そこで気が狂ったようなボリュームで悟が大声をあげる。
『真人!!』
それに感化されたように、真人も声を張り上げて主張する。
『本当はあの強盗を殺したのは、お前たちだろう、もっといえば“君”だ、レイナ、僕は君妹の代わりに、僕が殺したことにしたかったんだ、それで供述をねじまげた、結果どうなったのか、妹が変わりに……だが君の代わりだ!!』
『真人、やめろ!!やめておけ!!お前が傷つくだけだ!!』
『おい、親友、なぜ俺だけをおいて逃げたんだ……おまえたちは』
今度は、真人が悟に反対向きにかぶせられた仮面を自分から外した。
『ふう、これが今のおれさ』
本来の姿をあらわにし、仮面を尻ポケットにしまういまえをむくと、そこにいたのは、レイナではなく悟で、悟は真人にむけて身振り手振りで何かをうったえていた。それは、良心のために、心から親友の幸運を願ったようなかおつきだった。
『に、に……』
『え?なんだよ一体……包丁でもふんずけるっていうの……』
『まずい!!』
一瞬の出来事だった。彼の背中で《ぷすっ》風船のぬけたような音がした。ふと傍目後方をみると、ベランダがありその扉ががひらかれ、外側から乾いた風がはいってきていた。ドアは外側からひらき、先ほどまで外にいた女性は、静かにその室内のどこかへ移動したらしい。風船の抜けた音。それは真人が手に取ったシリコン状の仮面をつきぬけてきたものだった。そこで真人は、あの日以来、あの事故以来感じていなかった《恐怖》と《痛み》を連想した。
『つっ』
真人は痛みを手探りでみきわめようとしつつ、体をひねって背後を振り返る。そこにたっていたのは豹変したようにかおをゆがめ、しかめ鬼のような形相で自分をにらめつけ、髪を振り乱した女性―レイナの変貌したかのような姿だった―真人はその場に、ごとり、とくずれおちた。
『あんた……うるさいのよ、うるさいのよ!!』
女の絶叫が響く。
『何で……何で、俺を刺したのか、なんで……そんなやつなんかに、だまされ……』
とっさに真人の口からでたのは恨み言で、さきほどまで真人を必死にたすけようとしていた悟に手を伸ばすが、悟は微動だにせず頭をかかえていた。
『……さあ、あんたさあ、小さいころから幼馴染だからっていちいち、正義についてうるさいのよ!私は、あの強盗男、チンケな金なしの強盗男に家族をむちゃくちゃにされた……だから綿密に計画をたてた、私は祖母にひきとられ、そこで暮らし始めたけれど、確かにあんたたちの両親はよくしてくれたけど、私たちの復讐心はしらなかった、私たちの両親は事故でしんじゃいない、両親がしんだ事件のことをあんたに話さなかったのは昔はあんたの事が好きだったからよ』
真人はヒューヒューとその目も当てられない、むごたらしい顔で一生けん命呼吸をつづけるが呼吸のたびに出血はとまらなかった。しかし、レイナは一方的に話、その話は止まることをしらなかった。
『けれど私の復讐を受け入れなかった時点であんたとの《ままごと》はおわった、私が、人を殺したいと打ち明けたら、あんたはどうした?私に、やめておけとか、そんなことばかりいって……ストーカーに成り下がったのよ!悟とあんたがまきこまれたあの車の事故だって《私がしくんだの》それでも、彼は愛してくれたわ、今は彼と“ままごと”しているのよ』
レイナは、息も絶え絶え、腹を抑えて横たわる男―真人の顔を、右手を真っ赤にさせてなぞる―事故の痛み、痛々しい傷跡を残すそのかおをやさしくなぞった。そしてその腹をけりつけた。
『うっ!!』
『私たち姉妹はね、あんたにうんざりしているの、私たちは自分の幸福なんて、どうだっていいの、あの日から、強盗が家に立ちいり、私たちの両親を殺した日からね』
悟も、体がひえていく真人の姿をみながら、みおろしながら、苦笑いをうかべた。
『そうだ……俺たちはきれいさっぱり、忘れることにしたんだよ、全部お前のせいにして、お前だって、俺に彼女をとられたことをいまのいままで恨んでいて、これはその腹いせのサプライズだったんだろう?俺たちはでも、愛し合ってる、正義だの悪だのばかばかしいことは、大事なのは、復讐をして頭を空っぽにすることだったのさ』
場違いにも、そこへ外から階段を上る音が響いた。
《トントントントン!!》
玄関がひらかれた。
『お姉ちゃん!!知り合いにここまでおくってもらったの、びっくりさせたくて』
かわいらしい女性の声、悟が叫ぶ。何者かが、玄関から入ってこようとしていた。
『きちゃだめだ!!』
『えーなんで?』
声の主はかまわずどたどたと走り、いきおいよくリビングへかけつけてくる、大きい荷物がすれる音とビニール袋のすれる音がきこえて、ついに女性は、リビングにたどりついた。しばしの静寂、女性は驚いたように、一瞬驚いた表情をした。
『はあ…………』
ため息をついた。横に転がるそれは、絶えず赤い液体を流出させつづけていた。もはやそれは、今息絶えようとする人間の姿だった。しかし続けられたその言葉が、死に際の真人の耳に残ってはなれもしなかった。
『なーんだ、また私に隠し事かあ!!でも《また》ただ人が死んでいくだけじゃない、また牢屋に入ろうか?いつだって濡れ衣をきるわ、“復讐のためなら”』