あるいはクプヌヌという名の狼 5
完全に制御を失ったククネプが体から流れ落ち、大地を黒く染めていく。初めて露になったその全身は、まるで鱗の生えた狼のようだった。
「……やっぱり、狼?」
力無く崩れ落ちるその姿を見たレリーが呟く。
「さあ?まあ、こうやってぶっ殺せたんですし、何でもいいんじゃないですか?」
大きく開いた傷口から出てきたジェノが答える。存分にクプヌヌを切り刻んだからか、その表情は満足そうだ。
「結局、どれがマプージョンかも分からずじまいですしね」
辺りに散らばった内臓を爪先でつつきながら言う。
「知らないし。ジェノが手当たり次第に斬るから分からなくなるんでしょ」
鎧を解いたレリーは素っ気なく答えた。
「ま、殺せりゃ何でもいいんですよ」
クプヌヌに対しすっかり興味を失った様子のジェノに対し、暫くはその正体が気になる様子を見せていたレリーだったが、やがて諦めたように一つため息をついた。
ジェノの言う通り、殺せれば何でもいいに違いない。
「あー、疲れた。もう何もしない。何もしないから」
そう言ってその場に倒れ込んでしまう。慌ててマリエラが駆け寄り抱きかかえるが、鎧が痛いだのなんだのとジェノに文句を言われる羽目になった。
「どうする?ここで休む?」
結局マリエラが鎧を脱ぐ手伝いをし始めたジェノにレリーが尋ねる。
「いいんじゃないですか。クプヌヌ倒したし、安全だと思いますよ。何より、もう私は何もしたくありません」
きっぱりと言い切る。
「よし、じゃ、そうしよう」
レリーも同意するが、直後に何かに気付きアッと声を上げた。
「野営の準備持って来てる?」
「日帰るつもり満々で来てるんで、持って来てないですよ」
「だよね」
暫く考え込むレリー。
「あの館まで帰る?」
「私、さっき言いましたよね。もう、何も、したく、ありません、と。歩いて戻るとか論外ですよ、論外」
「ま、いっか。ここで」
軽く同意しかけたレリーだったが、すぐに次の問題に気付く。
「あ、でも、食料……」
「勿論持って来てませんよ」
訊かれる前に答えるジェノ。
「だよね」
そう言って眉をギュッと寄せて考え込むレリー。自分達だけなら一晩程度我慢も出来ようが、子供達はそうもいかないだろう。
とは言え、流石にパラディンとは言え無い食料はどうすることも出来ない。
「あっ、そうだ」
京平がある事を思い出し声を上げる。
「クプヌヌって食べられるらしいですよ」
その言葉に、聖以外の全員が京平に疑いの目を向けた。
「美味いって、その世界の人が言ってたん……ですが……」
京平の声はだんだんと小さくなっていった。いつの間にか目の前にクプヌヌの内臓を掴んだジェノが立っていたからだ。
「よし、まずお前が食え」
そう言って差し出された内臓は、未だに不気味に脈打っていた。ある意味新鮮と言える状態だったが、だからと言って食べる気になるかと言えばそうでもない。
「いやいやいやいや、なんで内臓なんですか!せめて肉!肉でしょ、普通!」
そう言って内蔵を押し返そうとした京平に、ジェノはニヤリと笑いかけた。
「そうか、肉か。肉なら食うんだな。マリエラ、切ってやれ」
しまった、と思うが時既に遅し。余りに単純な手に引っかかった自分が恨めしい。
マリエラはやれやれと言った感じで肩を竦める。その姿に一瞬ジェノを諫めてくれるかと淡い期待を抱いた京平だったが、ジェノの忠実な僕たるマリエラはダガーを抜いてクプヌヌの方へと歩き出した。
「すいません。勘弁してください」
「こういうもんは言い出しっぺが食うもんだろ、なあ?」
全力で拒否する京平に、ジェノは心の底から楽しそうに絡んでいる。さっきまで何もしたくないと言っていたのが嘘のように生き生きとした姿だ。
助けを求めるように聖へと目を向けるが、当の聖はとばっちりを食わないよう極力気配を消して明後日の方を向いていた。その姿に恨みがましい視線をぶつけていると、気付いた聖がこっちを向く。だが、すまんとばかりに顔の前で手を合わせかと思うと、すぐさま元の体勢に戻ってしまった。
ジェノの笑みを間近に感じながら、絶望で天を仰ぐ。
「んー、どこが美味しいのでしょうか……」
マリエラはマリエラで真剣な表情でクプヌヌの肉と向き合っていた。時折ダガーで鱗を軽く叩く音が聞こえるが、どこを切り取るかは決めかねているようだ。
「そりゃ、シャトーブリアン一択だろ。こんだけデカいんだから、腹一杯食えるぞ」
「承知致しました」
ジェノの言葉に頷いたマリエラだったが、すぐにある事に気付いた。それでも、とりあえずはクプヌヌの背によじ登り、そして予想通りの光景を目の当たりにした。
「ジェノ様……これ、背中から開きましたよね?」
「えっ?あ、ああ」
マリエラの問いかけに怪訝そうに答えるジェノ。
「……シャトーブリアンどころか、ロースの辺り全部グッチャグチャですわ」
「あー……」
背中から内臓めがけて切り開いていったのだから当然と言えば当然である。
「調子に乗って斬るから」
レリーの小さなツッコみに、ジェノはムキになって反論した。
「だってしょうがないじゃないですか!内臓引きずり出されてる最中に攻撃してくるような奴ですよ。全力で殺しにかかるのは当然でしょう?」
「それにしたって限度ってものがあるんじゃない?」
そう言ったレリーは変わり果てた姿となったクプヌヌに目を向ける。背中から大きく切り開かれた傷口を晒すその遺骸は、改めて見るとやり過ぎと言えなくもない。
「食べられるって知ってたら、もうちょっと綺麗に斬ってましたよ、きっと。……いや、多分。だいたい、最初に言っておかないこいつが悪いんですよ」
そう言って手にしていた内臓を京平に押し付けるジェノ。京平はその生々しい感触から何とか逃れようと必死で身をよじる。
「どうしましょう。どこか違う部位を切り取ります?それともミンチになったロースでハンバーグでも作りましょうか?」
マリエラはマリエラで真剣な表情でクプヌヌの肉を見つめている。どうやら本気で料理をしようとしているらしい。
ジェノが何か答えようとしたした瞬間、今度は聖が何かに気付き声を上げた。
「あっ、そうだ」
出発前にワールドクエストを一つ達成している。そして、その報酬が輝く瞬間は今だ。
「初めての冒険セット受け取り」
「はい、喜んでー」
「うざっ」
予想外にテンションの高い神の返事に、イラっとした聖が反射的に呟いてしまう。
「チッ」
明らかに神の舌打ちが聞こえてきたが、無事に初めての冒険セットも届いた。聖が予想した通りのテントの他に、携帯食料等もある。
「やるね。それ、クエストの報酬?」
レリーの言葉に頷く聖。
「ん?お前がクリアしたのって、パーティーを組んで冒険に出よう、とか何とかじゃなかったか?」
京平をからかうのに飽きたジェノが寄ってきて、怪訝そうに冒険セットを見る。
「はい、そうですけど」
「普通、冒険に出る時は一式用意しているんじゃないのか?」
「……確かに」
言われてみればその通りではあるが、実際に準備もせず冒険に出ているパーティーもこうして存在しているのも事実である。
「私達みたいな雑なパーティーの為なんじゃない?あ、忘れた、みたいな」
「……忘れたんじゃなくて、そもそも持ってくるつもりがなかったんですよ」
「普通は用意するよ」
「じゃ、今度からは主が用意してください」
「従者なんだから、言う事を聞いてよ」
「聞いてるじゃないですか……まあ、だいたいの場合は」
醜い言い争いを始めた二人を尻目に、聖は京平とテントの設営を始めた。
「な」
同意を求める聖に、京平は曖昧な笑顔で頷いた。
「あ-、うん。せっかく出会った異世界美人が、全員残念美人だったって話だな……」




