ダンス・ウィズ・ウーズ 7
「ヌヌネネー!」
京平が叫ぶと同時に、クプヌヌは表情のない顔をジェノ達に向け口をゆっくりと開けた。泡立った液体がその端から滴り落ちる。
「ぬぬねねー?何だ、それは?」
聞きなれぬ単語を聞き返すジェノ。
「えーっと、ブレスです!ブレスみたいなもんです!」
多分、と心の中で付け加える。京平にはブレスにしか見えなかったが、ブレスとは翻訳されなかった。
「ちっ、レリーの側まで走れ」
ジェノはアンを抱え上げると、レリーの方へと走りだす。京平もついていこうとしたが、足が言う事を聞かない。
「ニワ?」
全力で走った影響か、膝が笑ってしまっている。
「しっかりしろ」
慌てて戻ってきたジェノが腕を引っ張るが、京平は立ち上がる事すらままならない。
「ったく、しょうがねーな。ちょっと、我慢しなよ」
ジェノは抱え上げていたアンにそう声をかけると、肩に担ぎ上げてしまう。空いた手で京平の首根っこを掴まえると、そのまま引きずって再び走り出した。
クプヌヌの顔はそんな二人をゆっくりと追う。口の中では今にも噴き出さんとしている黄色い液体がごぼごぼと音を立てていた。
レリーはレリーで聖を伴って京平達の方へと走ってきており、マリエラも二人の子供を連れレリーと合流を図ろうとしていた。
クプヌヌの口がなお一層大きく開く。液体が泡立つ音がひと際大きくなったかと思うと、ジェノ達へ向けて黄色い奔流が吐き出された。
レリーがヌヌネネーを吐いたクプヌヌに対して手を翳す。合流が間に合ったマリエラは子供を背に隠しつつ、レリーの横で同じように盾を翳した。
そして間一髪ジェノ達がレリーの元に辿り着くや否や、ヌヌネネーが一行に降り注いだ。だが、レリーを中心に張り巡らされた不思議な力が、ヌヌネネーを阻む。
「これは……」
驚く聖達。
「これがパラディンの謎パワーの一つ、守護ってやつ」
ジェノが教えてくれた。確かに得も言われぬ力を二人のパラディンから感じる。
「とは言え、厳しいか」
ジェノが言うように完璧に守れるものではないらしい。見えない壁に阻まれるかのようなヌヌネネーだったが、徐々にその壁を乗り越えるかのように内側へと侵入してきていた。
「頭を下げな」
アンを庇うように抱え込んだジェノは、そう言って京平の頭を抑えた。そこへヌヌネネーが降り注ぐ。
「!」
強力な酸に触れたかのように皮膚が溶けだす。それでもジェノは身動き一つせず、二人を庇い続けた。
やがてヌヌネネーの噴射が止まる。レリーとマリエラもヌヌネネーを浴びてはいるが、大きな怪我はない。だが、京平達を庇ったジェノの左半身はひどく焼け爛れていた。
「大丈夫ですか!」
自分達を庇い続けた結果の怪我に動揺を隠せない京平。アンもまた、その傷の酷さに気付き顔を真っ青にしている。
「問題ない」
当のジェノは怪我を気にする素振りもない。煩わしそうに腕に残ったヌヌネネーの残滓を振り払う。
「この程度なら再生する」
京平達がその言葉の意味を理解するよりも早く、ジェノの焼け爛れた肌は言葉通りに元の白い肌へと戻り始めた。
その様子に驚きを隠せない京平達だが、ジェノに説明する気は無いようだった。
「ニワ、お前、あれを知ってるのか?」
唖然と自分の再生する様子を見つめている京平に問いかける。
「えっ?あ、はい、多分、クプヌヌだと思います」
「くぷ、ぬぬ?」
「はい。クプヌヌです。異世界の……ゴーレムとかキマイラ的な、何かそんな人工的な化け物です」
それを聞いた全員が改めてクプヌヌへと目を向ける。見た目はどちらにも程遠い。
そのクプヌヌは顔を下に向け、黄色い液体を地面に吐き出している。
「何、あれ?」
レリーが不思議そうに言う。
「あ、ゲロ吐いてる」
聖が思わず呟いてしまう。それに敏感に反応したのはジェノだ。
「何て言った?」
「あ、いや、アハハハ」
慌てて言い繕うとした聖だったが、鋭い目で睨まれてしまっては笑ってごまかすしかない。
「あ、えーっと、現地の人は敵に向かって吐くのをヌヌネネーって呼んで、下に吐くのをゲロって呼んでるだけなんですよ」
慌てて京平がフォローしようとするが、無駄に終わりそうだ。
「つまり、ゲロなんだな」
恐ろしく冷たい声で京平に確認する。一番ヌヌネネーを浴びたのはジェノだ。その心中は察してあまりある。
「……多分」
京平にも確証はない。次弾のチャージの為に吐き残したヌヌネネーを排出する様がたまたまゲロを吐く姿に似ていたからそう呼んでいるだけかもしれないし、もしかしたら本当にゲロを吐いて攻撃してきているのかもしれない。真実を知っているのは彼の世界の住人のみ、あるいは誰も知らないか、だ。
「お前、ブレスって言ったよな」
殺される、咄嗟にそう思う程、冷たい目で見据えられている。
「あ、いや、それはその……」
どう誤魔化そうか必死で考える京平だったが、意外な所から助け舟はやって来た。
「でもさ、前から思ってたけど、酸とか毒のブレスって、結局体液だよね」
レリーだ。
「火とか氷だとまだ爽やかだけど、酸とかはホント最悪じゃない?」
同意を求めるようにジェノの方を向く。
「あれ、きっと胃酸だよね?じゃあ、それはもうゲロだよ、ゲロ」
あっさりと言う。
「ヌヌネネーはゲロで、ゲロ飛ばしてくる攻撃は酸ブレス……つまり、ヌヌネネーは酸ブレス。ほら、キョウヘイは何も間違ってない」
乱暴な話ではあるが、京平はその理論に乗っかるしかない。全力で頷いて見せる。
「……分かりました、分かりましたよ。私が食らったのは酸ブレス。そういう事ですね」
ジェノの言葉に頷くレリー。
「……あの……」
話が落ち着きそうなので出来れば口を挟みたくない京平だったが、黙っている訳にもいかず口を開く。
「あの下向きに吐いてる奴、前の時に吐き損なった分なんです。で、それを吐ききってしまうと、また次、吐けるんですよね……」
京平の言葉通り、クプヌヌはレリー達に向き直り、口を大きく開けていた。
「てめぇ、何でそれをさっさと言わない!」
「いや、ヌヌネネーがゲロかどうかで盛り上がっていたので、つい……」
「酸ブレスだって事にしただろうが!」
ジェノの怒声が辺りに響き渡るが、それをかき消すかのような音を立ててヌヌネネーが激しく降り注ぐ。レリーとマリエラが守護の力を展開するが、先と同じように全ては防ぎきれない。
「あー、もう」
毒づきながらも再び京平達を庇うジェノ。
「くっそ、これが終わったらブラックドラゴンは滅ぼす。龍の巫女の名に懸けて絶対に滅ぼす」
「あ、それはきっと龍神様も喜ぶ」
酸ブレスを吐くというだけで目の敵にされたブラックドラゴンはたまったものではないだろう。
再生しかけていたジェノの肌が、ヌヌネネーを浴びまた焼けていく。




