パニック・ハウス 4
バルコニーへと向かい、そっと外の様子を伺う。日はほぼ沈み、辺りが夕闇に沈みつつある中、館の近くをうろうろしているアウルベアが見える。
「やっぱりか」
あの一撃で逃げてくれることを期待していたのだが、それほど甘くはなかった。
「鳥なんだから三歩で忘れてくれればいいのに」
京平に対する怒りか、食欲か。何にせよ、目の前から逃げた人間達を忘れてくれる様子はない。
「……どうしたもんかな」
プレゼントボックスには、まだ聖の労働の賜物である野菜わくわくセットと菌糸類ドキドキセットが残っている。数日なら籠城も不可能ではないと思われるが、数日粘ったところで状況が好転する保証もない。だからと言ってあの三人を連れて逃げられるかと言うと、それも難しいだろう。
「やっぱ、待ちしかないか」
少女は子供達から先生と呼ばれていた。何かしらの学校的な組織に所属しているなら、そこから誰か探しに来るかもしれない。
とりあえず、とクロスボウをアウルベアに向ける。威嚇の意味を込めて数発ボルトを撃ちこむ。何発かは命中するが、あまり深くは刺さらない。それでもさっきの目の痛みを思い起こさせる程度には痛かったらしく、怒りの唸り声を上げつつも館から離れていった。
「しばらく帰ってくるなよ」
これ以上暗くなると、その姿を見つける事すら難しくなるだろう。そうなると、こうやって追い返すことすら出来なくなる。
「出来る事だけやっとくか」
そう言って京平が向かったのは三階にあった工作室だ。放置されていたベアトラップを次々に一階へと運んでいくと、敷かれていたカーペットを剥がした廊下に並べていく。最後にカーペットを敷き直し、罠を隠す。ここでも不自然な凸凹が見えるが、アウルベア相手なら誤魔化せるかもしれない。一個でも掛かってくれれば、その移動力を大きく削いでくれるだろう。
「落とし穴に落ちてくれれば一番いいんだがな」
知力的には落ちてくれるはず、とゲームの知識で予想はしているが、知っているゲーム通りのアウルベアとは限らない。
扉を開けて誘い込み穴に落とすという作戦も考えないではなかったが、失敗した時のリスクを考えると、やはり実行には踏み切れなかった。
罠を並べ終えた京平は、三人の待つ部屋へと戻る。
子供達は既にぐっすり眠っていた。少女も眠そうだったが、京平が戻ってくるのを待っていたようだ。
「助けていただいてありがとうございます」
そう言って頭を下げる。
「いや、無事で何よりです。えっと……」
「アンです。この近くの孤児院でシスターをしています。この子達はシャルとレン」
「俺は京平です。丹羽京平」
今更ながら自己紹介をする二人。その流れで、京平はアン達の境遇を確認する事にした。
「アンさんはどうしてこんな所に?」
アンは森へ出かけて帰ってこないシャルとレンを探しに森に入り、その帰りにアウルベアを見つけたのだという。見つからないようにと用心深く移動していたのだが、一頭から逃げきれればまた別の一頭を見つける、と言った感じで丸一日以上逃げ隠れする羽目になったらしい。
アウルベアが一頭ではないというのは衝撃的な事実だったが、考えてみれば群れを作っている事は十分にあり得る話だ。
気丈に話すアンだったが、話の終盤にはうつらうつらと舟を漕ぎだしていた。京平のゆっくり休んでくださいとの言葉に、小さな声で謝りながら横になるとすぐに寝息をたて始めた。
しばらく三人の寝顔を眺めていた京平だったが、やがて天を仰いだ。ここから脱出する妙案が全く思い浮かばない。
ともあれ、差し当っての問題は近くのアウルベアである。日が昇るまではここで耐えるしかない。
京平の長い夜が始まろうとしていた。
咆哮はまだ聞こえている。
油断したつもりはなかったが、やはり左腕の傷が体力を奪っていたのだろう。気がつけば眠ってしまっていた。
早く気付いたところで有効な手が打てたかどうかは疑問だが、ミスから来るピンチは焦りを生み、更なるミスの呼び水になってしまう。
逸る気持ちを抑えるように一度立ち止まった京平は、大きく深呼吸した。
まだ大丈夫。扉が破られた訳ではない。
幸いバルコニーは玄関ホールの上部に位置してた。入口にいるなら、上から撃ち下ろす事が出来るはず。
そう思い、再びバルコニーへと走り出そうとした京平の耳に、ひと際大きな咆哮が聞こえてきた。
今までとは違う、それはまさに断末魔の絶叫と呼べる代物だった。
苦痛に満ちた咆哮が途切れると、辺りは静寂に包まれる。次に聞こえてきたのは、微かな岩が擦れる音だ。
「扉が!?」
アウルベアではない何か、恐らくアウルベアを倒したであろうその何かは、扉を開けて入って来ようとしている。
もうバルコニーへ出ても間に合わない。
「くそっ」
慌てて階段へと走る。
アウルベア相手なら、万が一館に入られても落とし穴とベアトラップで逃げる隙くらいは作れると思っていた。だが、アウルベアを越える存在がやってくるとは想像すらしていなかった。
アン達に声をかける余裕もない。こうなれば自分に引き付け、アン達には気が付かない事を祈るしかない。
階段手前の壁の陰に身を潜めた京平は、クロスボウを構え何かがやってくるのを待つ。
自分の呼吸の音だけが聞こえる。落ち着ているつもりだったが、息は荒い。
次の瞬間、階下で激しい音がした。何かが爆発したかのような、聞いた事のない音だ。それが、二度、三度と続く。
想像していなかった事態に動揺する京平。落ち着かなければ、と思ったその瞬間、何かの気配を感じた気がした。
咄嗟にクロスボウをその方向に向けようとする。
「おいおい、あぶねーな」
いつの間にか目の前にローブ姿の女性が立っていた。左手でクロスボウを掴み、自分の方に向かないようしっかり抑えている。
「お前がニワか?」
「えっ?」
突然名を呼ばれ、困惑する京平。女性はスッと目を細め、もう一度問いかけた。
「ニワ・キョウヘイか?」
「あ、はい、そうです。でも、どうして名前を?」
危険な空気を感じ慌てて答える。女性はクロスボウから手を放すと、辺りを見渡しながら答えた。
「ナオエに頼まれた」
「ナオエ?……聖に?」
だが、女性はそれには答えない。鋭い視線を周囲に走らせている。
「シスターと子供は見てないか?」
「えっ?あ、はい、知ってます」
その答えに女性の表情が少しだけ緩んだ気がした。
「よし。じゃあ、さっさと連れて帰ろう。どこだ?」
「奥の部屋で休んでます。こっちです」
京平は先に立って案内しようとするが、女性に左腕を掴まれ思わず呻く。
「お前、怪我してるのか?」
「ええ、まあ、でも大丈夫です、行きましょう」
顔を顰めながらも虚勢を張る。女性はそんな京平の言葉に耳を貸した様子もなく、何事か呟いた。
掴まれている場所から暖かな力の波が拡がっていく。その拡がり共に傷の痛みが消えていくのが分かった。心なしか失った体力も戻ってきた気さえする。
「魔法、ですか?ありがとうございます」
「気にするな。足手まといになられたら困るだけだ」
京平の礼にも、女性は素っ気ない。




