パニック・ハウス 3
慌てて二階へ駆けあがり、バルコニーへと走る。そこで目にしたのは、必死で逃げる三人の人影と、それを追う一頭の怪物だった。
逃げているのは修道服を来た女性と二人の子供だ。この館を目指しているようだが、このままではたどり着く前に追いつかれるのは明白だった。
手の中のクロスボウに目をやる。そこそこの威力はあったが、怪物を相手にした場合どの程度有効かは想像がつかない。
「くっそ、60フィートとかリアルだと遠すぎるわ」
そう毒づいたが、そもそも手の中のクロスボウの射程が60フィートかどうかも分からない。少なくとも自分の腕では、相当近づかない事には当てられる気がしないのは事実だ。
急いでバルコニーから飛び降りる。一瞬でも迷ったら間に合わないだろう。二度三度と地面を転がった京平は、立ち上がると三人に向かって走り始めた。
インドア派ではあるが意外に足は速い。ベースランニングなら聖にも勝てる程だ。だから、この距離なら余裕をもって三人の元へたどり着けると思っていた。
女性の方も駆け寄ってくる京平に気付く。絶望一色だった表情に、微かな希望が宿る。だが次の瞬間、女性の足はもつれ、その場に激しく倒れ込んでしまう。何とか立ち上がろうとする女性だったが、もう体は言う事を聞いてくれる状態ではなかった。
「先生!」
当然子供達の足も止まってしまう。女性は必死で先へ行かそうとするがするが、子供達は離れようとしない。
「マジかよ」
既に全力で走っていた京平だったが、歯を食いしばりもう一段ギアを上げようとする。
気合いだ。
試合前の聖の声が聞こえた気がした。
「そうだな、気合いだよな」
気合いだけではどうにもならない事くらい知っている。だが、時には気合いが執念となって力になる事もあるはずだ。
必死で走りながら怪物との間合いを図る。この距離なら撃てる。だが、効果が薄かった場合、この速度で走りながら再装填しての二射目は不可能だろう。そう考えると最も効果的な一射は今ではない。
怪物は三人のすぐ側まで迫っていた。女性の必死の説得と、そして何より怪物が間近に迫った事で、子供達はようやくその場を離れる。
その事にほっとした表情を見せた女性は、京平に後を託そうとする。
子供達をお願い、と。
だが、京平は逃げてくる子供の横をトップスピードで駆け抜けていく。怪物は女性の元にたどり着き、まさにその爪を振り下ろさんとしているところだ。
スライディングの要領で女性の横へ斜めに滑り込んだ京平は、そのまま女性に覆い被さり、そのままの勢いで地面を転げ怪物から逃れようと試みた。
「!!」
爪は京平の左腕を抉る。思わず叫びだしそうになる程の激痛だったが、意識はある。まだこの世界では死んでいない。
歯を食いしばりクロスボウを構える。怪物は目の前だ。
「アウルベアか」
今になってようやく怪物の正体に気付く。それほどまでに必死で走って来たのだ。
梟の目がぎょろりと京平を見る。その眼前にクロスボウが突き付けられた。
「調子に乗って鳥の頭なんか付けてるからだよ」
引き金を引く。ボルトは狙い違わず熊の目より遥かに大きい、梟の右目に突き刺さった。
激しい方向と共にアウルベアが仰け反る。いかな怪物とは言え、目を潰されれば唯では済まないだろう。
「立って下さい」
館の中まで逃げ切れるとしたら今しかない。
女性に手を貸し立ち上がらせようとするが、左手が使えない事もありなかなか上手くいかない。
「私はいいから……子供達を」
女性がそう頼んだが、京平に聞く気はなかった。
「あなたが子供を大事なように、子供もあなたが大事なんですよ」
二人の子供は少し離れた所で京平達を見ていた。結局、子供達も女性を置いて逃げる事は出来なかったのだ。
「とにかくあそこまで逃げましょう。あそこになら隠れられます」
玄関扉は丈夫だったし、一階の石造りの外壁にも目立った損傷はない。扉さえ閉めてしまえば、アウルベアとてそう簡単には入って来れないだろう。
幸いそのアウルベアは、まだのたうち回っている。
「さ、行きましょう」
肩を貸すような形で何とか女性を立ち上がらせた京平は、そのまま館へ向かってと歩き出す。心配そうに二人を見ていた子供達も後を追うようについてくる。
半ば女性を引きずるように歩き続ける京平。いつ背後からアウルベアが来るか気が気でないのだが、その歩みは遅々として進まない。それでも、うわごとのように小声で謝り続ける女性を元気づけながら館を目指した。
幸いにも、アウルベアに追いつかれる事無く館に辿り着く事が出来た。開け放していた扉の隙間から中へ潜り込む。
ホッとしてへたり込んでしまった三人に、カーペットの下の落とし穴について伝えた京平は、玄関扉を閉めようと、全身に力を籠めて扉を引いた。
左腕に激痛が走り思わず呻き声が出るが、何とか閉める事が出来た。そのまま扉にもたれかかるようにへたり込む。
「あ、ごめんなさい、その怪我……」
少し落ち着いたのか、状況を把握し始めた女性は京平の怪我に気付き、這うように近づいてきた。
「大丈夫ですよ」
実際は死ぬほど痛いが、こういう時に大丈夫以外の答えがあるのだろうか。少なくとも京平は知らなかった。
女性はスカートの裾を破ると、京平の傷の手当てを始めた。手際良く左腕を縛っていき、少しでも出血を和らげようとする。
「ごめんなさい、こんな事しか出来なくて」
「十分です。ありがとうございます」
京平がやせ我慢で笑って見せると、女性も微かに笑顔を見せた。
子供達に先生と呼ばれていたのでそこそこの年だと思っていたが、随分若い。現世で言えばせいぜい高校生くらいだろうか。まだ少女と呼べる子が、子供を連れて怪物から逃げ回っていたのだ。どれほど心細かった事だろう。
「もう少しだけ歩けますか?念の為、もうちょっと奥へ行きましょう」
京平の言葉に頷いた少女は、子供達を促す。四人は二階の広めの部屋へと移動した。ここなら万が一玄関を突破されても多少の余裕はあるだろう。
「あの……」
落ち着いたところで、少女がおずおずと声をかけてくる。
「水はありませんか?この子達、昨日から飲まず食わずで……」
確かに子供達の顔色は悪そうに見える。それでも泣き言一つ言わないのは、先生を心配させまいと二人も必死なのだろう。
「水、ですか……」
探せばこの館にも食堂はあるに違いないが、到底機能しているとは思えない。
「あ、いえ。大丈夫です。ごめんなさい……」
京平が難しい顔をして考え込むのを見た少女は、消え入りそうな声でそう言った。
「あ、そういう訳じゃ……」
自分の表情が少女を不安にさせた事に気付き、慌てる京平。水の代わり、と言えば思い当たるのは一つしかなかった。
「果物ルンルンセットの受け取り」
神に告げる。そんな京平を少女が不思議そうに見ている。一々発語しないと神と連絡取れないこのシステムは、いまだに解せない。
「……了解」
ややあって、神の声が聞こえた。少し間があったのはテレビでも見ていたのだろう。若干イラっとしたが、今更気にしても始まらない。
京平の目の前に果物の山が現れる。桃、梨、蜜柑、バナナ等、種類も量も豊富だ。これなら飢えも渇きも癒せるに違いない。
「すごーい」
子供達が目を輝かせる。
「好きなだけ食べていいよ」
京平の言葉に子供達は喜びの声を上げ、我先にと果物に手を伸ばした。
「さ、どうぞ」
そう促しつつ、腰のダガーを少女の方に滑らせた。
「こんなものしかないですけど、皮を剥いたりするのに必要であれば」
「先生!これ剥いて!」
子供達が早速せがんでいる。少女はそれに応えながらも、チラチラと京平の顔色を窺うような視線を向けてきた。
果物はまずかったか。
高級品が混ざっているか、そもそも果物が全体的に高級品なのか。こればかりは判断のしようがないが、今はこれが最善の手だろう。
「ちょっと外の様子を見て来るんで、ゆっくり食べててください」
クロスボウを手に立ち上がる。目の前に居なければ、少女も気を遣わずに済むだろう。それに外の様子が気になるのも事実だ。




