神が来りてホラを吹く 6
先ほどの転生と同じように、どこかに吸い込まれていくような嫌な感覚が聖を襲う。だが、二度目ともなると体も慣れてくる。
多少の気分の悪さに顔をしかめたものの、倒れることなく転生を終えた。
「……暑いな……」
眼前に広がるのは荒涼たる砂漠。見渡す限りの砂の世界。所々に、何かが崩れたような石塊が転がっている。
うっすら砂塵が舞うせいか空に浮かぶ太陽は霞んで見えるが、伝播する熱は自分の知る世界よりも強い気がする。
「これは、さっきとは違う世界かな」
先ほどの世界は一瞬見ただけに過ぎないが、明らかに雰囲気が違う。
どうしたものかと思案する聖に、どこからか神の声が届く。
「それでは、皆様お待ちかね、ワールドクエストの発表だ!」
「……ワールドクエスト?」
そんな聖の疑問の声が聞こえたのか、神が続けて説明を始める。
「説明しよう!ワールドクエストとは、転生先の世界毎に設定されている、その世界に因んだクエストの事である!ただ漫然と異世界を体験するのではなく、このワールドクエストに挑戦する事で、よりその世界の事を知ってもらおうという、素晴らしいシステムだ。勿論、クエストに挑戦するしないはまったくの自由。挑戦しなくてもペナルティはないので、全くのノーリスク!言うなれば、ちょっとした、お・た・の・し・み!但し、見事クリアすることが出来たならば、報酬をゲット出来るので、是非是非積極的に挑戦してもらいたい。さらには、極稀に激レアアイテムをゲット出来てしまうこともあるので要チェックだ!」
「なるほどねぇ……」
「それでは、改めてこの世界のクエストを発表しよう。
一つ。クプヌヌのマプージョンをクポヌカせよ。報酬、ケピロロー。
一つ。マプージョンをヒジャッパしコモフェンにせよ。報酬、クピンガ。
一つ。コモフェンを現地人とシェアせよ。報酬、ケピロヴァ。
以上だ。君の健闘を祈る!」
「……うむ、全く分からん」
全く知らない単語の羅列。全く理解できる気がしない聖だったが、それでも唯一分かった単語を元に動き出す。
「まあ、現地人って言ってたということは、誰かいるんだろうな。とりあえず、人を探すか」
一方、現世では京平は天を仰いでいた。
聖が消えた後、神が一人で何やら語っていたのは、おそらく聖に語り掛けているのだろうとは想像がつく。だが、その内容が途中からクプヌヌだのコモフェンだの、全く理解できない物になってしまってはどうしようもない。
「あれ?どうかしましたか?」
京平の様子に気が付いた神が不思議そうに声をかけてくる。
「いや、思った以上に最悪な状況だなと思って」
「何がです?聖さんは無事に転生しましたよ?」
「そう。そこなんだよ。俺は正直さ、これが聖とあんたで仕組まれたドッキリだと思いたかったんだよ」
天を仰いだまま神には目もくれず独り言ちる。
「ドッキリだと考えると、まあ、『ぱらでぃんおう』というフリも無茶苦茶ではあるけど、無しではないと思ってたんだよ。だから、あんたがマジシャンで、マジックで聖を消してみせて、よきところでドッキリでしたー、みたいな感じで終わりになる事を祈ってたんだが……」
そこでようやく神に目を向ける。
「クポヌヌだのクプヌカだの……」
「クプヌヌとクポヌカですね」
真顔で即座に訂正を入れてくる神。さっきまでならイラっとしたのだろうが、今の京平にそこまでの気力はなかった。
「クプヌヌだのクポヌカだの訳の分からないことまで言い出して、あー、これは目の前にいる奴は真剣にヤバい奴かモノホンかどっちかなんだろうな、と。どっちにしろ、いい状況じゃあないよな」
「何ですか、あなた。わたくしの事、信じてなかったんですか?」
心外だという感じを全面に出してくる神。
「この世界、自分の事を神だという奴にロクな奴はいない」
「信じないと奇跡は起きませんよ」
「あんたを信じて起きた奇跡なんて信じられん」
即座に切って捨てられ、流石の神も次の言葉に詰まってしまう。
「仮にモノホンだとしたら、一発目の世界がワンターンキルで二発目は意味不明。この先、まともな世界へ行ける気がしねぇ」
「そこはそれ、聖さんの引きの強さの結果ですから」
「引きが強い結果がロクでもない世界というのは、引きが弱けりゃもっと酷い結果になっていたのか、そもそもレア度の設定がおかしいのか。どっちにしろいい状況ではない事は確かだ。そもそも」
グイっと神の方に身を乗り出し睨みつける。
「基本的な会話での意思疎通が出来るって言ってたのに、何だよ、クプヌヌって」
「意思疎通は出来てるじゃないですか。クプヌヌのマプージョンをクポヌカしないといけないって事は理解出来てるでしょ?」
「いや、だから、そのクプヌヌが……」
「それは、この世界にクプヌヌが存在しないからですよ。この世界にクプヌヌを表す言葉が無い以上、クプヌヌとしか表現しようがない。マプージョンやクポヌカも同様」
「……なるほど」
つまり、聖は今、訳の分からないもので溢れている世界にいるという事なのだろう。可哀そうに、と思わずにはいられない京平だった。
「だから、話せばちゃんと現地の人とは意思疎通出来ますよ。まあ、現地語でしか表現出来ない単語ばかりの可能性もありますが」
「……ひどい話だ」
「そうですか?しかし、考えてもみてください。そもそも、ほぼノーリスクで数々の異世界を体験できるわけですよ?それだけでも十分すごい事だと思いますが、いかがです?」
確かに、と頷きを返す京平。後は目的を果たせそうな世界があって、それを引き当てられるかどうかだ。
「先は長いな……」
「それはそうでしょう。何せ、まだチュートリアルが始まったばかりですからね」
どこまで行っても砂、砂、砂。たまに石塊。
変わり映えのしない風景に、焼けつくような暑さ。砂塵にまみれた空気は、ひと呼吸ごとに喉を傷つける。
人の姿を求めてひたすら歩みを進める聖ではあったが、刻一刻と消耗していた。
体力には自信がある方だが、その自信も揺らぎつつある。
何より辛いのが足元からくる熱さだ。
転生前は京平の部屋にいた。転生後は砂漠のような場所。
つまり……
「靴が、ないんだ……」
チリチリと焼ける砂から足を守っているのは靴下のみ。
「くっそ、チュートリアルだったら、こういう事もアドバイスするもんじゃないのかなー」
恨みがましく言ってみるが、聞こえているのかいないのか神からの反応はない。
「……裸足だったら、即リタイアだろ、これ」
足元の熱から逃れるには足を動かし続ける他はなく、最早立ち止まって息を整える事すら許されない。
「……どっかの砂漠にそんな生き物いたな」
思い出そうとするが、暑さのせいか頭がうまく働かない。
リタイアしたい気持ちはあるが、まだこの世界で何もしていない。流石に二度続けて何の成果もなく帰るのは面白くない。後どれくらいもつのだろう、と自分の体力について考えを巡らせていた聖は、ある事に思い至る。
「ところで、神様?」
今度は明確に問いかけてみた。通じるかどうか半信半疑ではあったが、ワールドクエストの説明の際は声が聞こえていたわけだし、お気軽にご相談くださいとも言っていた以上、何かしら連絡する方法はあるはずである。それが、声に出すのが正解かどうかは分からないが、試してみない事には始まらない。
「どうかしましたか?」
思った以上に早く返事が来る。呼びかけるのが正解なのか、それとも……
「都合の悪い事は聞こえないふりか……」
「え?何です?」
「……いや、大したことじゃないんだけど、俺のステータスとかって見れたりしない?」
「ステータス、ですか?」
しばらく考え込むような間があったが、どうやら承認されたらしい。
「分かりました。そちらに送りましょう。チュートリアル中ですから、特別ですよ」
「あざっす」
現在のステータスが分かれば、後どれくらい活動できるか目星をつけられるという算段だ。
「では、ステータス、オープン!」
神のその宣言と共に、聖の前に一枚の紙がヒラヒラと舞い降りてくる。
その紙を手にした聖は、素早く目を通す。
「直江聖。身長183cm体重77kg。視力、右2.0、左2.0。お、両目ともいいですね」
聖が手にした紙に書かれている、そして神が現在読み上げているその内容は、聖が今春受けた健康診断の内容だ。と言うか、手にした紙はその時の診断結果のレポートその物である。
「聴力異常なし。血圧異常なし。その他諸々も問題なしのA判定。これは非常に健康的ですね」
「いや、そうじゃなくて」
ツッコむ際も足を止める事が出来ない聖。
「筋力!知力!魅力!みたいなやつ。そういったのは無いの?」
「筋力ですか……筋力だと、ああ、これですね。右手握力60kg。左手55kg。これはなかなか。知力は……センター試験の点数563点。これはどうなんです?いいんですかね?で、魅力、魅力っと。魅力はこれかな。小学校五年生の学級委員選挙の得票数20票」
「そういうことを聞きたいんじゃなくて。それこそ、さっき神様が言ったみたいにステータスオープンとか言ったら、目の前にバーンとステータス出せたりとか!」
「えっ?そんな事出来るんですか?」
「えっ?いや、出来ないけど」
「じゃあ、無理に決まってるじゃないですか。異世界を何だと思っているんです?」
確かに言われればその通りなのかもしれないが、この神に言われると釈然としないものが残る。
「じゃあ、何かスキルは?特殊能力的な何かとかないの?」
「スキル……ですか?」
またしても少し考え込むような間。
「まあ、スキルと言えそうなのは、150キロのボールを投げられる、ですかね」
「……つまり、特にないというわけか」
色々察したかのような聖の声。
「そんな事ありません。150キロのボールを投げられる人間なんてそんなには居ませんよ」
「……そもそも、もう、投げられねーよ」
数年前ならともかく、今の肩の状態では、とちらっと自分の右肩に目をやる。
「投げられますよ」
神のその声は事実を告げていますよ、というかのように淡々としている。
「まあ、仮に150キロの球が投げられるとする。それはクプなんとかをどうとかってのに、役に立つのかよ」
「クプヌヌのマプージョンをクポヌカする、ですか?いやいや、それは無理ですよ。だってクエストはクポヌカする、ですよ。150キロのボールを投げる、とは全然違います」
呆れたような神の声。
「ですよねー。じゃ、150キロ投げられようが投げられまいが関係ないじゃん」
「そう言われましても、私は聞かれたから答えただけですので」
全く悪びれる様子の無い神の声。聖はそれ以上の会話を諦め、歩くことに専念する事にした。京平ならもう少し上手くやれたのかもしれないが、自分ではこれが限界だろう。
「また、何かありましたらご連絡を。あ、そうそう。私の声は聖さんにしか聞こえていませんから、
余り大きな声で話されますと、変な人に思われるのでご注意を」
「あんたも変な人にしか見えないんだよなー」
聖の声が聞こえない京平には、神と名乗る男が真顔で独り言を喋っているようにしか見えない。
「と言うか、転生した人間と話出来るんだな……」
「それはもう、神ですから」
胸を張って見せる。
「まあ、運営であり、ツアコンであり、みたいなもんですよ。おはようからおやすみまで、あなたに寄り添う転生の神」
「それはそれで一日中、気が安まらねえよ」
「あ、でも十一月は出雲へ行くんで、即レスが難しくなったりしますけど」
「……あんたも行くんだ、出雲」
驚きを隠せない京平に、神は心外だといった表情で答える。
「勿論、わたくしも八百万に名を連ねる一柱ですからね」
「……天照大御神もあんたも同じ八百万分の一ってのは納得しかねる話だけどな。と言うか、即レスが難しくなるって事は意外にも何か重要な役割でも担ってるのか?」
「意外とは心外ですが……まあ、料理の方を少々。シェフ転生の神、とはわたくしの事です!」
「転生以外に料理も司ってるのかよ。どんな組み合わせだ」
「はっ?何言ってるんです?わたくし、転生の神ですよ。転生以外の権能があるとでも?」
なぜかドヤ顔の神。
「えっ?だって今、料理って言ってたじゃねーか」
「分かってませんねぇ。食事関係なんて料理の神である磐鹿六鴈様を始めとして、宇迦之御魂様ほか錚々たる面子が揃っているんですよ。わたくし如きが食い込む余地などある訳ないじゃありませんか」
「なんで自慢げに言えるんだよ」
呆れ返る京平。
「じゃあ、そんな転生の神がなんで神在月の出雲で料理作ってんだよ」
「それはもう、宇迦之御魂様達も羽を伸ばされるわけですから、このシェフ転生の神の出番と相成る訳です!」
「……それ、労働力として呼ばれてるだけじゃ……」
大きなため息をつく。
「しかし、お二人とも元球児とは少々意外ですね」
神はいつの間にか新たな紙の束を取り出し、パラパラと目を通している。
「聖さんはいかにもスポーツマン!肉体派!脳筋!て感じで納得ですが」
「最後のは明らかに悪口だろ」
「京平さんはてっきりインドア派かと」
心から不思議そうに京平に問いかける。
「……全部知ってるんじゃないのかよ」
「そうですね。中学三年間帰宅部だったあなたが、突然高校から野球部に入った事は知っています。でも、何故入ったかまでは分かりません。あなたにまつわる事象は知ることが出来ますが、その因果関係までは分からないんですよ。いかに神とは言え、全ての人の心の内を知ることなど、とてもとても出来ません」
「そういうもんか」
そう言って会話を打ち切ろうとした京平だったが、神は次の言葉を待つかのようにまじまじと京平を見つめ続けている。
暫く何とかその視線をかわそうとしていた京平だったが、結局はそのプレッシャーに負けてしまった。
「……野球ゲームで常に聖をボコってたからだよ」
聖相手だといつも完封していた。調子に乗ってノーノーや完全試合をやってのけた事もある。
「そんな事でですか?」
「恐ろしい事に、そんな事でただのゲーオタを野球部に誘う奴がこの世には存在するんだよ」
そうなのだ。聖は毎試合負ける度に自分の配球に感心し、褒め、最終的にはリアルの野球に誘うという暴挙にさえ出た。
「まあ、合同チームになるかならないかって弱小高校だったからってのもあるんだろうけど」
「ほう。それで地方大会ベスト4は凄い事なんじゃないですか?」
大げさに驚いて見せる神。
「まあ、結果だけ見ればそうかもな。でも、あの時、その先を勝ち上がれる力はもう無かったよ」
三年の夏を思い返す。
京平とバッテリーを組んだ聖は、快刀乱麻のピッチングで予選を勝ち上がっていった。
そして準決勝。その年甲子園で優勝する事になる高校を相手に、聖は最少失点に抑えた。だが、そんな聖を打線は援護できず、チームは敗退。二人の夏が終わった。
それだけではない。三年間一人で投げ続けた聖は肩を痛めており、その試合を最後にグラウンドを去った。
だからこそ京平は思わざるを得ない。
聖が強豪校で投げていれば、どうだったかと。いや、せめてもっとまともな捕手とバッテリーを組めていたならと。
何か一つ、後一つパーツが揃っていれば、きっと聖は全国に名を轟かせていたに違いない。
「幼馴染に『甲子園に連れて行って』って言われて行ける程、甘い世界ではなかったという事さ」
中学の卒業式、高校進学を諦めていた結希子は、どういう思いでそう言ったのだろうか。
もしかしたら冗談だったのかもしれない。だが、二人の少年の高校生活を決めるには十分な言葉だった。
「もう少し俺に才能があればな……」
そんな思いから零れ出た京平の言葉を、神は聞き逃さなかった。
「確かに高校通算打率が1割5分ではね」
「お、神のくせに人の傷口抉ってくるのか」
「でも、得点圏打率は6割あるじゃないですか。何ですかこの差は」
「チャンス自体が少なかったからな。それはもう必死にもなるさ」
「なるほど、なるほど。と言うことは、京平さんのスキルは……」
「おい、待て待て」
何か言いかけた神を、京平は慌てて止めた。
「聞きたくない。聞きたくないぞ。意味があるかないか分からないようなスキルを持っているとか言う話は、絶対に聞きたくない」
そのあまりに必死な様子に、流石の神も少し引き気味だ。
「そうなんですか、残念」
名残惜しそうに手元の資料をパラパラめくっている。
「ステータス云々を言い出したのは聖だからな。流れ弾には当たりたくない」
「……21票」
神がボソッと呟く。
「小学校五年生の学級委員選挙の得票数21票」
「あー、あえて思い出さないようにしていたのに、何で言うんだよ」
「いいじゃないですか。聖さんに勝って学級委員になってるじゃないですか」
「そういう事じゃないんだよ」
小学生の無記名投票など何の意味もない。休み時間になれば誰が誰に投票したかだいたい分かってしまう。
そして本当に欲しかった一票が自分に入っていなかったことも。
「あー、もう、やってらんねー」
目に見えてやる気をなくす京平。
「他にも色々あるんですが……」
そんな事を呟きつつ資料をめくる手は止めようとしない神だったが、暫くするとふとその手を止めた。
「あ、聖さんが戻るそうです」