ゴールデン・マウンテン 10
「お嬢様、穂波様をお連れしました」
早々に着替えを済ませた穂波は、キーラに連れられ少女の待つ応接室へと連れられてきていた。
「待ってたわ。どうぞ」
少女の返事を待って、キーラが扉を開ける。そして一歩下がると、穂波に中へ入るよう促した。
「お邪魔します」
穂波が部屋へとそっと足を踏み入れる。広い部屋だが華美な装飾品などは見当たらず、寂しげな印象を受ける。
「体調はどう?良くなっ……」
窓の外を眺めていた少女は、穂波の足音で振り返り、その姿に絶句した。
「おはようございます、お嬢様」
キーラに習った通りの作法で挨拶する穂波。様になったその姿は、本職のように見える。
「お陰様で体調の方もすっかり良くなりました」
「それは良かったわ……ねえ、ちょっと、キーラっ!」
少女は我関せずを貫こうと部屋に入ってこないキーラに対し、非難混じりの声音で呼びかけた。
「……」
キーラは明後日の方向を向いて聞こえないふりを決め込むが、その程度で少女の追及が止まる訳もない。小走りでキーラの前へ立つと、小柄な体を精一杯反らして下から睨みつける。
「ねえ、どうして、穂波がメイドの格好をしてるのよ!」
「どうしてと言われましても……」
キーラは困った様子で少女の視線から逃れようとしている。だが、少女はぴょこぴょこ飛び跳ねてキーラの視界に収まろうとする。
「そんなにキーラを責めないで。私が着たいって言って着せてもらったんだし」
その様子が可愛くもありおかしくもあった穂波が、笑いながら止めに入った。
「……ホントに?」
本人の言葉にも疑念が晴れない少女は、疑いの目をキーラに向けている。
「はい。それはもう本物だー、と見事なはしゃぎっぷりで」
「本物?何がよ」
少女もキーラと同じ疑問を抱く。
「メイド服、ひいてはメイドが、だそうです」
そう答えたキーラも穂波の言葉を理解出来ていないようで、その口調はどことなく疑わしげだった。
「メイドに本物も偽物もないでしょ?……無いわよね?」
おかしなことを言っていると思う少女だったが、口に出してみると妙な不安に襲われた。慌ててキーラに確認する。
「だと思うのですが……」
キーラが眉を寄せて首を傾げると、少女も同じように首を傾げた。
「まあ、いいじゃん。私が着たいって言ったのは本当なんだし」
メイド喫茶について説明したところで理解を得られる気がしない穂波は、笑って話題を流そうとする。
「……そうね。そういう事にしておくわ」
不承不承ながらも頷く少女。
「それじゃ、改めて。ロックハイム家へようこそ、穂波。私は当主のナタリー・ロックハイム」
少女は優雅に一礼しつつ、そう名乗る。
「あ、えっと、私は穂波。松永穂波です。こちらこそ、よろしくお願いします」
「よろしく、穂波。存分に寛いで、と言いたいけど、うちの状況はあなたも知ってるでしょ。出来る限りはするけど、あまり期待はしないでくれると助かるわ」
「いえいえ、どうぞお構いなく」
「そうはいかないわ。恩人をもてなさないなんてロックハイム家の名折れだもの」
そこは譲れないポイントらしく、ナタリーは胸を張って宣言した。
「……じゃあ、お世話になります」
気を使わせて悪いなと思う穂波だったが、固辞する方が余計に気を使わせそうなので早々に受け入れる。
「それに穂波はキーラのいい人なんでしょ。だったら尚更ね」
ナタリーの誤解はいまだに解けてないらしい。説明してくれてないのかと穂波がキーラへと振り返るが、明後日の方向を向いている彼女とは一切視線が合わない。
「……あの、その事なんだけど……」
そろそろ誤解は解いておかねばと、穂波は困っていたキーラを助けようとついた嘘だと説明した。最初は怪訝そうに穂波の話に耳を傾けていたナタリーだったが、話が進むにつれ呆れた表情へと変化していく。
「全っ然、分かんないんだけど」
穂波の説明が一段落したところで、ナタリーは大きく頭を振った。
「だよね」
穂波はため息をつくと、どう説明したものかと首を捻りつつも再び話し始めた。だが、ナタリーがすぐにそれを遮る。
「話は分かったのよ。分かったんだけど、じゃあ、なんでそんな事したのってのが全く分からない」
「そんな事って……」
「だって、そうでしょ。赤の他人の為に自分を賭けるなんて、よっぽどの馬鹿か、よっぽどのお人よしか……」
ナタリーの表情が少し険しくなる。
「何か裏があるかじゃない」
鋭さを帯びたその言葉にキーラが口を挟もうとしたが、ナタリーに目で黙らされてしまう。
「うーん、よっぽどの馬鹿でお人よし、ではあると思うんだよね……」
『おねリン』という裏が無かったとしても、あの状況でキーラを放っておけるかといえば否だ。その点は間違いないと自信を持てる穂波だが、『おねリン』という説明しがたい裏があるのも事実である。
「そうね。それはそうだと思うわ」
あっさり納得するナタリーだったが、表情は厳しいままだ。
「でも、その言い方だと裏もあるんでしょ」
その通り、と心の中で呟いた穂波は、すぐに覚悟を決め話し出した。内容は勿論、自分の目的と『おねリン』についてだ。
「全っ然、分かんないんだけど」
穂波の説明を最初こそ呆れた様子で聞いていたナタリーだったが、段々と呆れ具合が大きくなっていき話が終わる事には無へと行きついていた。
「だよね」
穂波がため息をつく。『おねリン』について誰かに説明するたびに思う事だが、正気を疑われても仕方がない話だ。
「話は分かった……分かったと思うんだけど……」
キーラとの件についての説明を聞いた時とは違い、ナタリーの理解度も低いらしい。
「ううん、やっぱり全然分かんない」
最終的にがっくりと肩を落として匙を投げた。
「神様とか、その辺のややこしい話は抜きにすると……ユキコさんだっけ?その人の病気を治す為に、私達を助けたって話よね?」
「うん、だいたいそんな感じ」
『おねリン』を抜きにしたおかげか、大筋は伝わっているらしい。
「……そこも全然分かんないのよ。なんで私達を助けたら、その人が助かる訳?」
助かればいいんだけどね、と穂波が苦笑する。暗中模索の今は、自分が最善と思う手を打つしかない。
「そこは私も分かんないんだけど」
「分かんないの?」
驚くナタリーに、穂波は肩を竦めた。
「結局、私も何が正解か分からないからさ。とにかく行った先で徳を積むしかないのかなって」
「徳を積む?」
「うん。私がここへ来た意味があるんだとすれば、それはきっとあなた達を助けられるって事じゃないかなって。そうやって目の前の誰か、何かに手を差し伸べていれば、いつか望みのものに手が届く……といいんだけどさ」
穂波の言葉を理解しようと考え込んでいたナタリーが、やがてポンと手を打った。
「それはつまり、恩送りって事かしら?」
「恩なんて大層な。徳なんてものは自己満足で積むもんだもん。……でもまあ、そうか……いつか私の元へもって思ってるんだから、恩送りなのかもね」
「そっか」
ナタリーは納得したのか満足そうに頷いた。
「お父様がよく言ってたわ。恩は返すのは当たり前。更に別の誰かに渡してこそ恩だって。つまり、そういう事よね?」
「そう、なのかな?」
そんな大層な話のつもりではなかった穂波は、力強くナタリーに問われて困惑してしまう。だが、ナタリーは構わず話を続ける。
「そうなのよ。だから安心して。ロックハイム家の名に懸けて、受けた恩は返すし、誰かに送るわ。それこそ、いつか穂波の元へ返ってくるように」
「ありがとう」
素直に感謝を述べる穂波に対し、ナタリーは飛び切りの笑顔でとんでもない事を言い出す。
「だから、これからも私達を助けてちょうだい」
「えっ」
突然の要望に穂波が絶句するが、ナタリーは悪びれる様子もなく話を続けた。
「受けた恩が大きくなればなるほど、返す恩も送る恩も大きくなる。そうすれば、あなたの元へと届くのも早くなるでしょ」
一理あるとも思えるし、暴論にも聞こえる。
「助けるって言ったって、何をすれば……」
ナタリー達を助けることには異論が無い穂波だが、だからと言ってこれ以上自分に何か出来る事があるかと言うと、無いように思う。
「何って、そんなの好きにしてくれればいいわ」
「好きにって……何かこうして欲しいとか、少しくらいあるんじゃない?」
あっけらかんと言い放ったナタリーに穂波が縋るような目つきで尋ねるが、あっさり笑い飛ばされてしまう。
「そんなのある訳ないじゃない。ノープランよ、ノープラン!」
「あー……」
酒場でも同じセリフを聞いたな、と穂波は天を仰いだ。
「全部、穂波に任せる。オールベットよ、オールベット」
笑顔で見つめてくるナタリーに対し、いい度胸してると穂波も微笑を返す。そこまで期待されたらやるしかない、そう思わせてくれる笑顔だ。
「それに、そんな格好してるんだから、私の命令を嫌とは言わさないわ」
その笑顔が少し悪戯っぽいものに変わる。
「今のあなたは私のメイドなんだからね」
「ははは。そう来たかー」
自分のメイド服を一瞥した穂波はおかしそうに笑った。
「承知いたしました、お嬢様」
そう言って一礼した穂波だったが、すぐに真剣な口調で一言付け加えた。
「ただ、少し考える時間をいただきたく存じます」
「勿論よ。さっきの話だと暫くはここに居られるんでしょ。じゃあ、まずは私が恩を返すターンよ。ね、キーラ」
ナタリーの言葉にキーラが頷く。
「覚悟してよ、穂波。嫌と言ったって存分に恩を返してやるんだからね」
「それは楽しみ」
不敵に笑うナタリーに対し、穂波も笑顔で応える。そんな二人を穏やかな笑顔で見つつ、恩返しの準備を始めるキーラだった。




