ゴールデン・マウンテン 9
「……また酔い潰れちゃった……」
少女が自室に案内してくれた事は覚えている。彼女の寝台で休ませてくれようとするのを固辞していた記憶もあるのだが、目を覚ました穂波が目にしているのは豪華な天蓋だ。押し切られたか力尽きたか。何にせよ、少女の厚意に甘える格好になったのは間違いなさそうだ。
「……なんやかんやで飲んでばっかだもんねぇ……気を付けないと」
とりあえず反省する。今のところ事態の好転に寄与していると言える飲みだが、酔い潰れてばかりいればいつか失敗しないとも限らない。
「さて……まずはお嬢様と話しないとだね……」
そう独り言ちて起き上がる。そこでふと覚えた違和感で、寝る前までの服装と違う事に気付いた。今着ているのは、肌触りの良い絹の寝間着だ。
「……醜態さらしてないといいけど……」
自ら着替えた記憶は全くない。おそらくキーラかお嬢様に着替えさせてもらったのだろう。変に抵抗したりしていない事を祈るばかりだ。落ち着かないので元の服に着替えようかと思った穂波だったが、辺りには見当たらない。きっちりと整頓された部屋の様子が目に入るばかりだ。
「ま、いっか」
お嬢様はロバートしか執事がいないと言っていた。だとすると、この格好でウロウロしたところで早々誰かと出会うという事もないだろう。そう考えた穂波は、すたすたと歩いて部屋を出てしまう。
廊下は手入れこそ行き届いているが、人の気配は全くなかった。しんと静まり返った空気の中、穂波は右、左、と廊下の先の様子を窺うが、物音ひとつ聞こえてこない。
「これで誰もいなくなってたらホラーの始まりよね」
窓からは柔らかな日の光が差し込んできている。悲壮な展開が待っているとは思えない長閑な雰囲気だが、まだこの世界の実情は把握出来ていない。次の瞬間、誰かの悲鳴が聞こえてくることだってあり得る。少しの間どうしたものかと考え込む穂波。もしかしたら客人である以上部屋で待つのが正解なのかもしれないが、お嬢様の私室と思われる場所に居座るというのも落ち着かない。それよりかは屋敷の中を歩き回って誰かを探す方が気が楽だ。お嬢様かキーラかロバートか。屋敷の広さがどれくらいかは分からないが、そのうち誰かしらと出会えるだろう。そう考えた穂波は、とりあえず歩き出した。
穂波の予想通り、屋敷の住人とはすぐに出会えた。最初の曲がり角でメイド服の女性とぶつかりかけたのだ。
「ああっ!ごめんなさい」
「穂波?」
慌てて頭を下げた穂波の耳に聞き覚えのある声が届いた。
「キーラ!?」
穂波が顔を上げると、笑顔のキーラと目が合った。昨日とは違う薄いメイクのせいか、随分と印象が違って見える。
「ちょっと、なんて格好でウロウロしているのよ」
呆れるキーラに、穂波は困ったような笑顔で答えた。
「いや、私の服見当たらなかったし……」
「側に呼び出し用のベルがあったでしょう?」
「……ベル?」
部屋の様子を思い返してみる。あったと言われればあったような気もするが定かではない。仮に目にしていたとしても、ベルで人を呼び出す習慣のない穂波にとってはインテリアの一部くらいにしか認識出来ていないだろう。
「記憶にない」
正直な穂波の答えに、キーラはやれやれといった感じに首を振ってみせた。
「……まあ、穂波がいいならいいけど……」
そう言いながら大きくため息をつく。
「着替えを用意するから、ついてきてくれる?」
「それはもう、もちろん」
来た廊下を引き返すキーラの後を穂波が追う。
「ねえ、どうして今日はそんな恰好なの?」
横に並んで歩きながら、穂波は気になった事を早速尋ねた。
「どうしてって……私がメイドだからよ」
「えっ?つまり、キーラって本物のメイドって事?」
「メイドに本物も偽物も無いと思うけど……まあ、少し前にお暇を貰ってるから、そういう意味では偽物かもね」
「なるほど」
キーラの言葉に穂波は納得したように頷く。少女をずっとお嬢様と呼んでいたのも納得の関係性だ。
「なら、どうして今日はメイドやってるの?」
「お客様をお迎えする事になったからよ」
「それって、私?」
「ええ、勿論」
「そっかー。なんかごめんね。面倒かけちゃって」
借金を抱え、執事やメイドの数を減らしているのだ。お嬢様の懐具合はかなり苦しいだろうと想像出来る。余計な気を遣わせることになったかと、穂波は顔を顰めた。
「そんな事ないわ。寧ろ、久しぶりにお客様をお迎え出来て、お嬢様も喜んでるもの」
「そう?ならいいんだけど」
お嬢様にはお嬢様の面子もあるだろうし、変に遠慮するのも考え物だ。とは言え、苦境に立つ少女にもてなされるというのも気が引ける。難しい顔で思案に耽る穂波。その様子に気付いたキーラは足を止めると穂波に向き合う。
「あなたは恩人なのよ、穂波。あなたがいなければ私達は全てを失っていた。あなたにはどれだけ感謝してもしたりないわ」
そう言ってニッコリと笑う。
「せめて出来る限りのおもてなしをしなければロックハイム家の名折れよ、とお嬢様が仰るわ」
キーラが真面目な表情で披露した物真似に穂波は思わず吹き出してしまう。その様子に一瞬満足そうに笑ったキーラだったが、すぐに涼しげな表情を浮かべ再び歩き出した。大人しくその後を追う穂波だったが、意外にも目的地は近く、キーラはすぐに足を止めた。
「で、せっかくだからお洒落してもらおうと思ってるんだけど……」
キーラはそう言いながら穂波を上から下まで眺める。
「処分できる物は処分してしまったから、お嬢様と私の物以外は殆ど残ってないのよね……」
「ああ、なるほど……」
キーラの浮かない声で穂波は全てを察した。小柄な少女の服は小さいだろうし、グラマラスなキーラの服はどことは言わないが大きすぎるのだろう。
「……どっちも合わないわよね……」
「ですよねー……なんかごめん」
「穂波が謝る事じゃないわ……とは言え、何か気に入るものがあればいいのだけど……どうぞ」
そう言いつつキーラは目の前の扉を開け、穂波に中に入るように促す。
「お邪魔しまーす」
穂波が部屋の中に足を踏み入れる。どうやら衣裳部屋のようだが、キーラの言葉通りワードローブに掛けられている服は少ない。
「……へぇ……」
とは言え流石はお嬢様の持ち物である。そのどれもこれもが良い仕立ての品である事が穂波にも見て取れた。思わず感嘆の声が漏れる。
「これは着れないのが残念」
「でしょ」
そう言いつつキーラは別の一角で服を見繕っていた。
「うーん、やっぱりサイズ感がねぇ……」
何着か選び出した服を手にしたキーラだったが、穂波と交互に見比べては首を捻る。
「……私は別に自分の服でもいいんだけど」
結局、一番落ち着くのは普段の格好だし、と苦笑する穂波。その目にとある服が留まる。
「ねえ、あれは?」
数着並べて掛けられているそれらは、サイズ違いも揃っているように見える。
「えっ?」
思いもしなかった穂波の提案に、キーラは困惑する。穂波が尋ねてきたのは、キーラの中には無かった選択肢だ。
「まだ着た事ないんだよね、メイド服って」
商店街のジャンヌ・ダルクと呼ばれているだけあって加盟店の殆どでバイト経験がある穂波だったが、古き良き商店街にメイド喫茶は無い。
「単なる私達の仕事着よ?」
穂波が何に惹かれているか分からないキーラが訝し気に訊き返す。
「だからいいんじゃん、本物って事でしょ。着ていいなら着てみたいに決まってるって」
「本物だから何なのよ……」
穂波が力説するが、キーラは首を傾げるばかりだ。現代日本人のメイドに対する憧憬を、すぐに理解しろというのは難しい。
「勿論、キーラが嫌だっていうならやめるし」
「別に私は構わないし、穂波が着たいならいいと思うけど……お嬢様が何と言うか……」
ぶつぶつと呟きながら悩むキーラの姿に、穂波は後一押しとばかり畳みかける。
「ほら、おもてなしって相手が喜んでこそでしょ?着られたらめっちゃ喜ぶよ、私」
「……はぁ……そこまで言うのなら着てみる?」
呆れたようにため息をつくキーラ。穂波のこだわりが理解出来た訳ではないが、確かに喜んでもらえるならそれに越したことはないだろう。
「いいの?やった!」
穂波は手をたたいて喜ぶと、早速着替え始める。再び呆れたようなため息をついたキーラだったが、すぐに笑みを浮かべ穂波の着替えを手伝い始めた。




