アンドロイドは甘い夢を見るか? 8
そんなこんなで、この世界での残りの時間をクインと過ごす事となった聖。
二人ははラボで話をしたり、共に出かけたりとそれなりに親密に過ごしたが、クインが本当の自分の気持ちを知る事は出来なかった。
勢いだけで言った聖がノープランだった事もあるが、クイン自身に知ってしまう事への躊躇いがあったのも大きい。そんなクインの様子に聖も気付かない訳ではなかったが、聖は聖で異世界から来ている事を言えないでおり、それが引け目となってそれ以上踏みこめなかった。
そんな状態のまま、聖が仮転生してきて九日目を迎えた。
明日には今回の期限が来る聖は、色々と思い悩んでいた。神は延長も可能だと言っていたが、延長すべきかどうか。はたまた打ち明けて帰るか、こっそり帰るか。この世界での生活が半ばを過ぎた頃から頭を悩ませつつあった問題が、いよいよ現実のものとして襲い掛かってきた。
自分とクインにとってどの選択肢が正解なのか。どれだけ考えても答えは出そうにない。とりあえず延長して全部を先送りにしようかとも考えていたのだが、事態はこの日の朝に急展開した。
「すいません。お話があるのですが」
ここ数日は聖の目覚める時間に合わせて活動を開始していたクインが、この日は早くから動き出していたらしい。聖が起きだした時には既に身支度を整え神妙な表情を浮かべ部屋の前で待っていた。ここ一週間の女性らしい装いとは異なり、完全武装といった出で立ちだ。
「殺す、という話でなければ嬉しいんだけど」
自分一人を殺すにしては随分と大袈裟だとは思うが、全力で殺しにかかってくる可能性も否定は出来ない。
「あら、どうしてお分かりになりましたの?」
その言葉に聖がドキッとしたのを見たクインは、悪戯っぽい笑顔を浮かべて話を続けた。
「と言いましても、相手は聖様ではありませんけど」
そして神妙な表情に戻る。
「残念ながらお仕事の依頼が来てしまいました。少々厄介な案件のようで、暫くは帰って来れなさそうです。ですので、今日でお別れです」
「そっか……」
そう言えばクインの仕事については聞かなかったな、と今更ながらに思う。だいたい予想はついていたし、今の姿を見ればその予想が合っていそうな事も分かる。
「私の本当の気持ち、という物は結局分からずじまいでしたので、殺すか愛するか、の結論は保留にさせてくださいませ」
そう言って頭を下げたかと思うと、さっと身を翻す。
「それでは、いつかまた。御機嫌よう」
そう言い残して立ち去ろうとするクインの手を、聖がまた掴んだ。
「何のおつもりですか?今の私でしたら、手など空いていなかったとしても聖様を殺せますよ」
「知ってる。でも、これでさよならはあんまりだと思うし」
そのまま腕を引っ張ってクインを自分の方へ向けようとする。抵抗されたら動かしようもなかったのだろうが、クインは意外にもあっさり振り返った。
「まだ、何か?」
「何って、今言ったじゃん。これでさよならはあんまりだって」
「そう言われましても、これからお仕事ですので」
「じゃあ、せめて挨拶だけでも」
「もう済ませましたわ」
「俺がまだだから」
クインが呆れたようにため息を吐く。
「分かりました。では、手短にお願いします」
何かに苛立っているのか、クイン言葉は少し刺々しい。
その事に気付いた聖は少し怯むが、自分を落ち着かせるように大きく息を吐くと、上着から指輪を取り出した。初日に骨董屋で買った指輪だ。
「じゃあ、これを」
そう言ってクインに差し出す。
「何ですの?」
クインが聖の手の中の指輪を見つめている。その目がいつもと違う色に輝いた。鑑定されたな、と聖が思う。
「プラチナ、ですね。貴重な金属ですが、これが何か?」
「まあ何て言うか、折角こうやって出会えたんだから、その記念かな」
クインは自分の感情を推し量るかのように、手の中のリングを見つめている。
「ほら、俺も貰ったし、そのお返し的な意味も含めて」
その表情に聖は何となく言い訳っぽく付け足してしまうが、クインには聞こえていないようだった。
「聖様は本当にズルいです。何も感じないよう、あっさりお別れするつもりでしたのに……」
「えっ?」
クインは胸の辺りで指輪をギュッと握りしめる。
「残念です。今の私の感情が本物かどうか分からないのが」
「今の感情?」
「ええ。嬉しい、らしいです」
そう言うと少しはにかむように笑った。
「先生に新しい武装を付けてもらった時よりも、嬉しいらしいです」
「じゃあ、きっとそれは本物だよ。武器好きなクインさんが武器よりも嬉しいって思うんだから」
比較対象が武装と言うのがいかにもクインらしい。
「……そう、でしょうか?」
「俺はそう思う」
それでもまだ何か思い悩む様子を見せていたクインだったが、やがて意を決したように聖に指輪を差し出した。
「では、折角ですので、私につけていただけませんか?」
聖が頷いて指輪を受け取ると、クインは躊躇うことなく左手を差し出した。一瞬、聖が怯むのを見て、クインは悪戯っぽく笑う。
「折角ですから、聖様とお揃いにしようかと」
聖は自分の左の薬指に嵌っているホログラム用の指輪に目をやる。この世界では特に意味があるわけではないが、お揃いとなると何かしら意味が出てしまいそうで躊躇ってしまう。
「ああ、うん、そっか、それがいいかな……」
「……これだけはまやかしでも結構ですわ。折角だから、お願いいたします」
クインが冗談めかして言う。自分の心が分からないからと言って、他人の心までが分からない訳ではない。特に戦闘用サイボーグである彼女にとって、相手の心理を読むことはお手の物だ。聖の躊躇いに気づかない訳もないし、そもそも一週間以上も一緒に居ればその心がどこにあるかなど簡単に分かってしまう。
「ま、まあ、折角だし」
言い訳も気のきいた台詞も出てこなかった聖は、しどろもどろになりながらクインの左手を取ると、その薬指に指輪を嵌める。クインはその手を天に翳し、満足気に指輪を眺めた。
「初めてです。武器以外の物を誰かに貰ったのは」
「そっか。それは光栄だな。たまにはそれを見て、クインさんの本当の心を見つけようとした奴がいた事を思い出してよ」
「そうですね。そうします」
そう言いながら指輪に愛おし気に触れる。
「でも、よろしいのですか?そんな事をしていたら、本当の心が愛している、という事に気付くかもしれませんよ」
「それも光栄だな。だけど、あ、うん、光栄だよ、間違いなく」
色々思うところがあって言葉にならない聖の様子をひとしきり面白そうに見ていたクインだったが、やがて名残惜し気に切り出した。
「それでは、そろそろ行く事にしますわ。またいつか、お会いできることを祈ってます」
そう言って聖の手を取る。
「その時こそ、殺すか、愛するか、私の本当の気持ち、見つけてくださいね」
「……間を取って、友達、というのはどうかな」
「ありえませんね。私の世界はゼロか一で構成されていますので」
そう言うとクインは聖の頬に唇を寄せた。
「これも、私の初めてですよ」
そう囁くと、聖からそっと身を離す。
「それでは、御機嫌よう」
クインは優雅に一礼し身を翻すと、振り返ることなく去っていった。その後ろ姿を見送りつつ、頬の感触の余韻に浸っていた聖だったが、唐突に背後からかけられた先生の声で現実に引き戻された。
「良く言えば青春、悪く言えば子供よね」
「……いつからいたんですか?」
ラボでクインと二人で過ごしていると、いつの間にか背後にいた先生に絶妙に恥ずかしいシーンを目撃される、という事が度々あった。先生曰く、自分のラボだから誰がどこで何してようが分かるけど、面白いシーンは生で見ないとね、という事らしい。最初はその神出鬼没っぷりに驚いた聖だったが、すぐに慣れた。今も振り返りもせずに尋ねている。
「指輪を出してプロポーズしてたところかな」
「プロポーズはしてませんけど」
「そうなの?それは残念」
さほど残念そうにも聞こえない。
「それで、クインは居なくなったわけだけど、君はどうする?」
先生に聞かれた聖は少しだけ悩んだ。もしかしたらこの世界そのものがそうなのかもしれないが、少なくともこのラボ界隈は非常に治安が悪い。クインと一緒に出掛けてすら身の危険を感じる事があった。
残り二日。一人で外に出かけて無事でいられる気がしない。だからと言ってこのラボに居たところで何かあるとも思えない。
「じゃ、俺も還る事にします」
あっさりと還る事を決断する。
「そう。で、次はいつ来るの?」
「分かんないですね。来れるかどうかも分かんないんで」
「そう。それは残念。クインが悲しむわね」
やはり先生自体は残念そうではない。
「そうですか?」
そう答えた聖の耳にコツコツと固い物を軽く叩く音が聞こえた。ガスマスクの頬を叩いているのだとすぐに察しが付く。唇の感触が蘇り、顔が紅くなる。その感触は機械とは思えない程柔らかかった。
「そんな事もない、と思いますけど……」
「そう?じゃ、そう言う事にしておいてあげる」
ガスマスクの奥で笑った先生は、相変わらず背を向けたままの聖にヒラヒラと手を振って立ち去る。
「じゃ、君も気を付けて還りなさい。また、会えるといいわね」




