荒野の妖精 5
「……あん?」
予想外の展開に、男の反応は僅かに遅れた。その隙に声の主はゆらりと立ち上がった。カウボーイハットを目深に被り、ざっくりとした麻のポンチョを身に纏っている為、どのような人物かは分からない。僅かに帽子の陰から覗く口元は鮮やかな紅が引かれている。褐色の肌とのコントラストが京平の目には印象的だった。
「なんだ、テメェ。テメェもよそもんだな」
だが、男にしてみればそうでもなかったらしい。女性へと目を向けた男は、そう凄むと京平をカウンターめがけて突き飛ばした。
「っ痛」
激しく背中をぶつけて蹲る京平に目をくれることなく、男は女性へとガンを飛ばし続けている。
「よそもの、だったら何だって言うんだい?」
揶揄うような女性の口調に、男のボルテージが一気に上がった。
「せっかく、この兄ちゃんがショウガをキめようってところなんだ。お呼びでない奴は引っ込んでな」
睨みつける視線が更に鋭くなるが、女性は気にした様子もなく京平へと近づいていく。
「ショウガねぇ……」
どこか馬鹿にしたようにそう呟くと、京平の隣でカウンターに凭れ掛かる。
「まあ、別に誰がショウガをキめようが、ワタシは構わないんだけどさ。空のグラスでどうやったらキめられるのかは、興味があるねぇ」
「なんだとっ、こらッ」
肩を小さく震わせ笑う女性を思わず怒鳴りつけた男だったが、京平のグラスを見ると確かに空になっていた。どうやら突き飛ばされた衝撃で零れてしまったらしく、辺りの床を濡らしていた
「ちっ」
忌々し気に舌打ちした男は、ゴソゴソとポケットを探ったかと思うと新しいショウガを取り出す。さっきの物に勝るとも劣らない立派なショウガだ。
「まあいい。まだまだ上物はあるからよ。ほら、兄ちゃん、さっさと飲み物頼みな!」
状況が好転していない事にため息をつきつつ、京平がノロノロと立ち上がる。ジンジャーエールを注文してみたい誘惑にかられるが、今のところ場をかき乱しただけの女性の狙いが分からないだけに、迂闊な行動は避けるべきだと思い直す。
マスターは相変わらずグラス磨きに余念がない。自分の店でこれだけの騒動が起こっているというのに無関心でいられるのは、それはそれで凄いと思わざるを得ない。
「マスター……」
渋々といった感じでマスターに声をかける。チラッと視線が返ってくるのを感じた京平は、もう一度ため息をつき覚悟を決めた。
「バーボン、ロックで」
またもや店内が湧く。だが。それはさっきの嘲ったような盛り上がりではない。意外な展開に対する驚きの声だった。何故なら、注文したのは京平ではなく女性だったからだ。
「おいおい、どういうつもりだ?」
男が困惑しつつも凄む。
「どうって……別に、そのバーボンとやらを飲んでみたいと思っただけさ」
飄々と答える女性に、男は一層苛立ちを募らせる。だが、マスターはその状況を一切意に介さず、グラスにバーボンを注ぐとサッと女性の元へと滑らせた。琥珀色の小波を立たグラスは、狙い違わず女性の前でその動きを止める。その見事な腕前にひゅうっと口笛で応えた女性は、グラスを手に取る。ポンチョから伸びた嫋やかなその手は、指先までびっしりと複雑怪奇な紋様で彩られていた。
「!」
驚きを隠せない京平の様子に女性も気付いたようだが、特に何も言わずグラスを手に取る。バーボンの香りを軽く楽しむと、口元に不敵な笑みを浮かべて男へとグラスを突き出した。




