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荒野の妖精 4

「バーボン!バーボンだとよ!」

「ギャハハ!久しぶりに聞いたぜ、バーボンなんてよ!」


 大きな笑いと共に聞こえてくる男達の言葉からは、明らかな侮蔑が感じられる。どうやら選択を間違ったらしいと項垂れる京平の前に、スッとグラスが差し出された。バーボンのロックだ。


「あ、どうも」


 顔を上げて礼を言う京平には目もくれず、マスターはグラス磨きの作業に戻った。相変わらずの無表情で全く心の内は読めない。それでもバーボンが提供されたという事は、今すぐ出て行けと思われている訳ではないらしい。少しばかりホッとした京平だったが、店内は未だ嘲笑に包まれていた。バーボンを注文した事を揶揄する話し声も、そこかしこから聞こえてきている。次に取るべき行動の選択は、相当難しいと言わざるを得ない。

 まずは目の前のバーボンをどうするかである。出された手前、飲まない訳にはいかないだろうが、飲んだら飲んだで男達に何か言われるのは明白だ。

 少しの間グラスを見つめ続けていた京平だったが、やがて覚悟を決めて手に取る。すると、予想通り揶揄いの声が背後から飛んできた。


「おいおい!あいつマジでバーボン飲む気だぜ」

「バーボンなんてもんは、ママのオッパイと一緒に卒業するもんだろうがよ」

「いやいや、もしかしたら、未だにママのオッパイ吸ってるんじゃねぇか。ママー、オッパイ欲しいでちゅーってな」

「ハハ、違いねぇ」


 再び店内がどっと沸く。バーボンの地位は想像以上に低いらしい。じゃあ、何を注文すれば正解だったのか。隣の男が飲んでいる琥珀色の液体は何なのか。疑問が京平の頭の中で渦巻く。


「男ならジンジャーエール一択だろうが」


 そんな京平の心中を推し量った訳ではないだろうが、一人の男がグラスを高々と掲げながら言った。それに応じるかのように他の男達もグラスを掲げる。


「……ジンジャーエール……」


 分かるはずもない、と呆然とする京平の背後では、荒々しい乾杯の音が響き渡る。そしてそのままグラスの中身を一気に呷った男達は、それぞれのテーブルに置かれたボトルに手を伸ばす。色も形もバラバラなボトルだが、中身はどれもジンジャーエールなのだろう。二杯三杯と杯を重ねる者もいれば、誰彼ともなく乾杯を繰り返している者もいる。いつしか店内は、ジンジャーエール片手に騒ぐ男達で大盛り上がりを見せていた。


「……ノンアルコールだろ……ショウガだろ……」


 店内のノリに全くついていけていない京平が呆然としたまま呟く。この世界のショウガには、何か危ない成分でも入っているとしか思えない乱痴気騒ぎっぷりだ。


「何だい、兄ちゃん。せっかくのバーボン、飲まねえのか?」


 そんな京平に、一人の男が下卑た笑いを浮かべながら近付いてきた。さっきまで熱心に野次を飛ばしていた男だ。どうやら言葉で揶揄うだけでは飽き足らぬ、というところらしい。


「あ、いや……」


 気付いた京平が反応するよりも早く、男は馴れ馴れしく肩を組んできた。泥と汗の入り混じったすえた臭いが鼻を衝く。身を捩って離れようとする京平だが、男は見た目通りの力強さでそれを許さない。


「兄ちゃんだって実はこれが無いと始まらねえって思ってんだろ」


 そう言って男がポケットから取り出したのは泥にまみれた黄金色の物体だ。京平の知る物より大振りな気はするが、間違いなくショウガだろう。


「分かる、分かるぜ、兄ちゃん。人間誰しも初めてってのはビビるもんさ。でもよ、いつまでもママのオッパイ吸ってちゃイケねぇよ」


 京平にしてみれば反論したい事しかない男の言葉だが、何を言っても伝わる気はしない。


「そうだぜ、兄ちゃん。いい加減、オッパイは卒業しねぇとな」

「バーボンなんてやめときな」


 この先の展開を知っているであろう周囲は、意味ありげに含み笑いを浮かべつつ野次を飛ばしてくる。これはダメだと悟った京平は、なるようになれとばかりに、流れに身を任せる事にした。これも『おねリン』。どうせなるようにかならない事は、身に染みて分かっている。


「なぁに、心配すんなって。忘れられない初めてにしてやるからよ!」


 男は不穏な台詞を吐くと、京平のグラスへ手を伸ばした。手の中には例のショウガを持ったままだ。


「へ?」


 事態を把握しきれなかった京平の目の前で、男はショウガを握り潰す。


「!?」


 ショウガの汁がバーボンへと滴り落ちる。その様子を満足げに見た男は、ニヤニヤ笑いながら京平の肩を叩いた。


「さっ、グッといきな!」


 そう言われても、京平は色々と踏ん切りがつかないでいた。物自体はジンジャーハイボールのような物と思えば飲めなくはない。潰れたショウガが浮かんでいるのも、生絞りサワーのようなものだと自分に言い聞かせれば何とかなる。泥が混ざってしまっているのも、この際ご愛嬌だ。

 何より不安に感じるのは、この世界のショウガが自分の知っているショウガとは違う成分を含んでいる気がしてならない点だ。どう考えてもジンジャーエールでこれだけハイになれるのは、良からぬものが混ざっているとしか思えない。


「遠慮するこたぁねぇ。これは俺達からの奢りさ!兄ちゃんの初めてにしては勿体ねぇくらいの上物だぜ?」


 ショウガに不似合いな褒め言葉が、京平の不安を増大させる。

 飲まなかった場合の次の展開は嫌という程予想が出来ているが、それでも飲む勇気は出ない。

 グラスを手に逡巡を続ける京平の姿に、男は焦れたようにお決まりの台詞を吐いた。


「おいおい、俺様のショウガが飲めないってのかよ」

「普通ショウガは飲めないんじゃないですかね」


 思わず反論してしまった京平は、店中の空気が変わるのを感じ慌てて言葉を足す。


「いや、その、ショウガの生絞りとか聞いた事無……」


 だが、最後まで言い切る事は出来なかった。剣呑な表情を浮かべた男が、グッと顔を近づけてきたからだ。


「ショウガが、何だって?」


 揶揄うような今までのトーンとは違い、明らかに怒気を孕んでいる。しまったと思うが、手遅れだ。

 京平の肩に回された男の腕に力が籠る。


「なあ、兄ちゃん。もう一度訊く。ショウガが、なんだって?」


 ヤバいと思いつつも、このショウガに対する情念は何なのだろうと、どこか他人事のように考える京平。なかなかに、訳の分からない世界だ。


「なあ、兄ちゃんよぉ」


 輩の脅し文句は異世界でも一緒なんだな、等と考えつつ打開策を探る京平だったが、何も思いつかない。

 今更、グラスのジンジャーハイボールもどきを飲んだところで好転しないだろう。ならば、最後まで飲まずに押し通す方法を考えるしかない。

 無駄だと思いつつマスターに助けを求めるかのような視線を向けると、そこには予想通り無表情でグラスを磨き続ける姿があった。


 これは……殴られるしかないか……


 その姿に早々に考える事を放棄した京平は、ある種の覚悟を決める。だが、幸いにもそうはならなかった。

 だんまりを決め込んだ京平に苛立ちを隠せないでいた男は、一度舌打ちをすると胸倉に手をかける。そして更に凄もうとした瞬間、酒場の隅から声がかけられた。


「いい加減にしときなよ、おっさん。いい大人が子供相手にみっともないぜ」


 ハスキーな女性の声だ。

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