走れヒメス 4
「ホナミー……じゃなかった。ホナミンティウス!」
その呼びかけで我に返った穂波が空の様子を確認すると、まだ微かに明るさを残していた。間に合ったとホッとしたのも束の間、ある疑念が生まれる。
「これってありなの?」
元の大きさに戻った大蛇が首を伸ばしたのである。ショートカットした距離は相当な数字になるに違いない。
そんな穂波の問いかけに、ヒメ達はだんまりを決め込んでいた。
「……まあ、いいけどね」
この期に及んでありもなしも無いということだろう。そもそもショートカットがなければ、日暮に間に合わず話自体が成立しない。
「ホナミンティウス」
穂波が納得したと見るや、ヒメが再び物語へと誘う。
「ボクを殴れ。力一杯に頬を殴れ。ボクは、途中で一度、悪い夢を見た。キミがもしボクを殴ってくれなかったら、ボクはキミと抱擁する資格さえ無いのだ。殴れ」
原作通りのヒメの台詞に穂波はわざとらしく頷いて応じると、辺り一帯に鳴り響くほど音高くその右頬を殴った。想像以上の衝撃によろめいたヒメは、思わずヒメスを演じる事すら忘れ素に戻ってしまう。
「えっ?ホナミー、力強くない?」
「ごめん。スポーツ少女でごめん。一応、原作通り右を殴れるよう、左を使ったんだけど……」
「……あれで、利き手じゃないのかい……」
大蛇が呆れ半分賞賛半分で呟いてしまう程、スナップの利いた、いいビンタだった。
「ううん、大丈夫。ちょーっと、ビックリしただけだし。さっ、続きをやろっ!」
ヒメは気を取り直すと、穂波に続きを演じるよう促す。
「ヒメス、私を殴れ。同じくらい音高く私の頬を殴れ。一度、とは言わない。割とずっと大丈夫かどうか疑っていたし。でも、生まれて初めてなのは間違いないよ。初めて神様って存在に疑いを持ったもん」
「えっ?それはちょっとヒドくない?」
穂波の余りと言えば余りな告白に、ヒメは再び素で文句を言ってしまう。
「しょうがないじゃん。いきなりソウルメイトだー、とか言ってくるんだよ、自称神様が。怪しいにも程があるって」
「それこそ、しょうがないじゃん。キミの素戔嗚魂とボクの櫛名田魂が共鳴したんだからさー」
ヒメが口を尖らせる。
「未だにそれについては分からないんだけど」
そうは言った穂波だったが、小柄な体を目一杯使い全身全霊で抗議するヒメの姿を見ていると、そんな些細な事はどうでもいい気がしてくる。大蛇が骨抜きにされているのも、よく分かる。
「まあ、いっか。ほらほら、続けるよ。えっと……君が私を殴ってくれなければ、私は君と抱擁できない」
その台詞を合図に、ヒメは腕に唸りをつけて穂波の頬を殴った。穂波に負けず劣らずの綺麗なビンタだ。バランスを崩しかけた穂波だったが、何とかたたらを踏んで耐える。薄っすら赤くなった頬をさすりながら、少々恨みがましくヒメを見る。
「ヒメも力強いじゃん……」
「こう見えて田んぼ専門農耕神なんで」
屈託のない満面の笑顔を浮かべたヒメにVサインを返されては、穂波も全面降伏するしかない。




