走れヒメス 1
こうしてヒメの戻りを待つことになった穂波。本来ならばこの世界について探ってみたいところではあったのだが、《走れメロス》の設定では捕らわれの身である。一応その展開は踏襲しておいた方がいいだろうと、大人しく大蛇に軟禁されている体で五日間を過ごした。
一つ収穫があるとすれば、大蛇と酒談議で盛り上がった事だろう。おかげで仮に今回が失敗に終わったとしても、新たに酒を持って転生してくるなら食べない、という言質が取れたのだ。
そして五日目の夕方。
大蛇に呼び出された村人達の手によって穂波は磔にされた。
「ヒメ、帰ってくるよね」
日は随分と落ちているが、まだ帰ってくる様子はない。確かに原作通りなら日没ギリギリまで帰ってこないのが正解なので何もおかしくはない。だが、いざ磔にされてしまうと殺されないと分かっていても、落ち着かないものである。
「……私はヒメを信じているからね」
そう言った大蛇だったが、やはりどこか落ち着かない様子だ。
「何せ、この展開は私も初めてだからねぇ……」
どうにも頼りない大蛇の言葉に、穂波の表情が渋くなる。それを見た大蛇は、慌てて言葉を続けた。
「帰ってこない事のメリットなんて有りやしないんだし、帰ってくるのは間違いないさ。……ただ、問題があるとすれば、五日という見積りだろうねぇ」
「自信満々で五日後に会おうって言ってたと思うんだけど」
出発間際のヒメの姿を思い出す穂波。その堂々とした態度からは、見積もりの甘さなど微塵も感じられなかった。
「……ヒメとて八百万の神々に連なる一柱だから大丈夫だとは思うんだよ。ただ……」
大蛇がどこか遠くを見るように首を伸ばす。
「出雲を出るのは今回が初めてだから……」
「なるほど」
だとすると、五日という見積りはそもそもどこから算出されたのかと思う穂波だったが、大きく頭を振ってその疑問を遠くに追いやってしまう。
「とは言え、ヒメが並々ならぬ熱意をもって始めた《走れメロス》ごっこだからね。何としてでも帰ってくるさ……多分ね」
「付き合いの長いオロニスが言い切れない辺り、本当に怖い」
穂波は、目を細めて刻一刻と沈みゆく西日を追う。
「ま、まあ、仮に、仮にだよ。ヒメが間に合わなかったとしてもだ。お前さんが食われる事はないんだからいいじゃないか」
「それはそうなんだけど」
だからと言って《走れメロス》ごっこを成功させられないのは癪なんだよね、と穂波が口を尖らす。どうせなら、ヒメ達の閉じられた時の環を断ち切ってあげたい。
大蛇は、そんな風に全身で不満を表明する穂波の姿がどこかヒメに似ている事に気付いた。
「なるほどねぇ」
そう独り言ちて首を揺らす大蛇を、穂波は怪訝そうに見つめる。
「何がよ」
「何でもないさ」
この娘ならもしかしたら、と言う想いが大蛇の胸をよぎるが、口には出さない。
「今更何を言ったところでどうしようもないからね。大人しく、日没を待とうじゃないか」
楽しげにそう言った大蛇は、八つの首を思い思いに夕日へと向ける。
運命の瞬間は、間近に迫っていた。




