ブラックライン 8
一方、聖の焦りは頂点に達しようとしていた。
だいたいの遅番は帰ってしまったのだろう。帰途につく者の姿も殆どなくなったにも関わらず、未だに自分の担当するラインがどこか分からない。
交代要員を待ちわびているような姿を見つけられればとも思ったのだが、立体的に展開している現場は全てを見渡せるわけではない。そして目に見える範囲では、どこもかしこも順調に引継ぎが行われていた。
万事休すとばかりに天を仰ぐ聖。辺りに怒号が響き渡ったのは、そんな時だ。
「ゴルァ!十七番ラインの担当者!まーた、遅刻しとんのか!!!」
その余りの大音量に一部のラインが止まってしまう。コンベア横で作業していた生き物達がびっくりして動きを止めてしまったらしい。慌てた担当者が右往左往するのを尻目に、聖はこっそりと声の方へと向かっていた。
相当お怒りの様子ではあるが、行かない訳にもいかない。恐る恐る十七番ラインの監督所らしきところに近づくと、青い肌をした大柄な生き物が肩を怒らせて立っていた。
オーガ、或いはオークのような種族だろうか。怒っている時に近づきたくないタイプなのは間違いない。一瞬、元の世界に帰ろうかと言う思いが頭を過るが、待て待てと思い直す。
京平にはどんな世界かちゃんと見てくるように言われているし、いきなり躓くのも面白くない。例え逃げ還るにしても、もっとのっぴきならない状況になってからでも遅くはないだろう。
「すいません。遅くなりました」
決して声を張る訳でもなく、さりとて小さすぎもせず、申し訳なさを全面に出す絶妙な声量で声を掛ける。野球部時代、監督に謝る事で培った技術の一つだ。
「おう、えらい遅いやないかい、何回遅刻したら……ん?何や自分、いつもの奴とちゃうな。新人か?」
凄みながら聖を見てきたオーガもどきだったが、初めて見る聖に少し声を和らげた。
「はい、そうです」
「おお、そうかそうか。ほな、あいつは漸くクビになったんやな。そりゃめでたい事やで」
前任者はよっぽどやらかしたのだろう。遅れてきた聖に対する怒りが霞むほどの朗報らしい。
「どうせ、ろくに場所の説明もしてもらえんと放り出されたんやろ。しゃあないしゃあない。あいつもそう言うところは、ちゃんとしとらんしな。ちゃんとしとるんは、業務目標の失敗を判定する時だけや」
あいつ、と言うのは最初の部屋であった男性の事だろう。目の前のオーガもどきはあまりいい印象を持っていないらしく、苦々し気に吐き捨てた。
「ほなまあ、交代しよか、って言ってもあれやな。自分、何も知らんのとちゃう?」
オーガもどきの言葉に頷く聖。今のままでは、開始すぐにラインが止まるまでありそうだ。
「せやろなぁ……」
そう言って考え込むオーガもどき。時々、終業時間とか品質とかチャンスとか、そんな言葉を呟いているのが聞こえてくる。
「神様、神様、ちょっと聞きたいんだけど?」
その姿を横目に、聖は小声で神に呼び掛けた。神との会話は出来る事なら人に聞かれたくはない。
「どうされました?」
少し不機嫌な感じがするが、返事自体はすぐに来た。
「この世界のちょっとしたお礼の相場ってどれくらい?」
「は?何ですか、その漠然とした質問は。わたくしがそんな事を知るわ……えっ?いや、知ってますよ、知ってます。当然でしょう?ちょっと待って下さい」
現世で京平に何か言われたのか、神の返答は途中から取り繕うような感じになった。暫くの沈黙の後、答えが返ってくる。
「五タバコか一ショーチューと言ったところですかね?」
「確か、石って現地通貨に替えられるんだよね?それって何転生石?」
「どっちも五百ですね」
「五百か。課金ガチャ一回分だな」
五タバコだの一ショーチューだのがこの世界でどれほどの価値かは分からないし、五百転生石の価値も定かではない。が、課金ガチャ一回分の石で情報が手に入るのならば安い物だろう。
「じゃ、両方で」
ゲームでは情報収集に使う金をケチらない京平の姿を、散々見てきた聖である。それを見習って、ここで自分が石を多目に使ったとしても怒られる事は無いだろう。
「はい、オッケーでーす」
神のその言葉を聞いた聖は財布の中身を確認する。見た事のない紙幣が一枚と貨幣が五枚、ちゃんと増えていた。紙幣にはコップのような絵が描かれ、貨幣には細長い棒のようなマークが刻まれている。
「マジで焼酎と煙草じゃん」
少し不安になりつつ、まるで飲み屋の引換券のようなその紙幣を、そっとオーガもどきに差し出す。
「先輩も何かとお忙しいと思うのですが、ちょっとお時間頂けないでしょうか?」
チラッと聖の手の中の紙幣を目にしたオーガもどきは、わざとらしい咳払いを二度三度とすると、サッと紙幣を取り素早く懐にしまってしまう。
「ま、まあ、後輩に仕事教えるのも先輩の仕事のうちやからな」
そう言って聖を自分の方に手招きする。聖が近寄ると、オーガもどきは目の前の機器の使い方の説明を始めた。
「まず、これ、このディスプレイな。ここにラインに流れてくる部品が表示されとる。十七番から二十番までに流れてくるのは、今流れとる四角い奴の他に、輪っかみたいな奴と、棒みたいな奴と、鎖みたいな奴や。これを、このライン切替レバーでちゃんとした所に流す、これがメインの仕事や」
幸いにも制御機器はグラフィックで表示されている為、聖にもどうなっているか分かる。
「四角は十七、輪っかが十八、棒が十九、鎖が二十な。間違えたらライン止まるから気ぃ付けや。今は交代時間やからゆっくり流れとるけど、本チャンはめっちゃ早いからな。覚悟せえよ」
そう言うと次はコンベアの横で働いている生物の方を指差す。
「もう一つの仕事はミニワのやりくりや」
「ミニワ?」
知らない単語に思わず聞き返してしまう聖だったが、一ショーチューで気をよくしているオーガもどきは気にした様子もない。
「おう、ミニワや。あそこで働いとる連中の事や。あれが何なんかはよう知らんけど、ミニワやっちゅうことだけは間違いがない」
「はぁ」
分かったような分からないような聖の気の抜けた返事を意に介した様子もなく、説明を続けるオーガもどき。
「よう見てみ。あいつら、サイズが大中小ってあるやろ?ほんでもって小にはちょっと丸っこい奴おるねん。この四種類を上手く使ってラインを動かさなあかん」
そう言われてみると確かにサイズが異なっているように見えるが、個体差じゃないか位の差しかない。
「で、あいつらにはそれぞれ得意な作業があるねん。大が四角、中が輪っか、小が棒、丸が鎖。基本はそのラインに配置すればええ。せやけど、あいつら百パーのパフォーマンス発揮できるの二十分が限界やねん」
そう言うと今度は監督所の横を見るよう、聖を促す。そこには大きな水槽が置かれており、十数体のミニワが浮かんでいた。
「限界迎えたミニワは、あの水素水に漬けとったら復活しよる。まあ、五分も漬けたら十分やな。ただ、日によって調子のええ悪いもあるからな。めっちゃもつ奴もおるし、全然もたん奴もおる。ほんでもって、流れてくる部品の量によっては得意なミニワが足りんようになることもある。そんな時は、他のミニワも回さなあかん。そんな感じでうまくやりくりするんが二番目の仕事や。因みに入れ替える方法は人力やで。指示とか出しても動きよらんから、自分で水槽から交代要員持ってって入れ替えてやらなあかん」
「なるほど」
オーガもどきの説明は意外にも分かりやすく、作業内容は理解出来た。簡単そうではあるが、上手く出来るかどうかはやってみないと分からない。
「ま、なんか分からん事あったら、そこの手順書見たらええ。見る余裕があれば、やけどな」
見る余裕も何も、オール図解でもない限り手順書を見たところで理解出来ないだろう。そう思いながら聖が曖昧な笑顔を浮かべたその時、辺りにベルが響き渡った。
「お、始まるで。まあ、せいぜい頑張りや」
そう言って聖の背中をバンと叩くオーガもどき。確かに、コンベアを動かしているであろうモーターの音が明らかに変わったのが分かった。ディスプレイに表示される部品の量が加速度的に増えていく。
「あ、これ!」
聖はライン切替レバーを動かしつつ、帰ろうとするオーガもどきに慌てて残りの五タバコを手渡した。
「お、なんや、そんな気ぃ使わんでもええのに」
そう言いつつ満更でもない様子のオーガもどきは、そっと聖に耳打ちした。
「しゃーない、とっておきの情報も教えたろ。あんな、ここは言うても一レベのラインや。多少ほっといたかてミニワは働きよる。せやから、自分はラインの切替の方に集中しとったらええ」
そう言うともう一度背中を叩いて帰ろうとする。
「ま、ほっときすぎると働かんようなりよるから、そこはええ塩梅でやりや」
そして今度こそ帰っていく。
「ありがとうございます」
その姿を見送ることなく、聖は声だけを掛けた。もはや視線をディスプレイから離す事は出来ない程の速度で部品が流れてきてる。
「おう。品質は早番遅番一蓮托生やからな。頼んだで」
その言葉に思わず天を仰ぎかける聖だったが、すぐにディスプレイに視線を戻す。既に部品の仕分けだけで手一杯になりつつある。この上ミニワを管理しつつ交代時間まで作業し続けなければならないのだ。
「これが一レベって嘘だろ……」
ボヤいたところで流れてくる部品の量は変わらない。とにかくラインを止めないよう、働き続けるしかないのだ。




