異世界人の大蛇退治 1
いつも通り一瞬意識が遠くなったかと思うと、そこはもう異世界だ。
少しばかり痛む頭を押さえながら目を開けた穂波は、ゆっくりと辺りを見回し、大きなため息をついた。
「なるほど……そう来たか……」
そう呟いて、諦めたように現状を確認しだす。
この世界が果たしてピックアップされていたのかどうかは分からないが、目の前には巨大な生物の姿がある。初見ではあるが穂波にとっては馴染み深いその生物は、ある意味《霊獣》と言えなくもなかった。
「八岐大蛇……」
流石に八つの峰、八つの谷に渡る程は大きくはないが、それでも昨日見たワイヴァーンや猪の比ではない。
「もう、全然モフモフじゃないし、何よりまた日本風じゃない!」
思わず声を荒げて毒づいた穂波。その呟きを聞きつけたのか、大蛇の首の一つが鎌首をもたげ紅蓮に輝く瞳を穂波へと向けた。
「ハハ……ちょっとデカすぎでしょ……」
余りの迫力に恐怖を通り越した穂波は、思わず笑ってしまう。そのままゆっくりと後退って逃げようとした穂波だったが、はたと思い直して足を止めた。
目の前に八岐大蛇がいるという事は、どこかのタイミングで素戔嗚尊が退治しに来るに違いない。異世界の、とは言え御祭神の姿を目にするチャンスなのである。日本風と毒づいてはみたものの、今までの日本風の世界に比べれば、穂波的には遥かに当たりだ。勿論、畏れ多いという意識が働かないでもなかったが、興味がそれを上回った。
問題は、それがいつなのか、という事である。残念ながら穂波には、そんな激レアな瞬間を自分がピンポイントで引き当てられるとは思えなかった。
「なら、それまでどうするか、だよね」
大蛇の首は相変わらず穂波を見つめているが、何かをしてくる様子はない。そんな首の動向に注意を払いつつ、今後の方針について思い悩む穂波の耳に、思いもしない声が飛び込んできた。
「ねえ、ちょっと、キミ!そんなトコでボーっとしてないで、ボクを助けてよ!」
「へっ?」
慌てて声がした方へと視線を向けると、八岐大蛇の目と鼻の先に置かれた岩に縛り付けられている一人の女性の姿があった。
「えーっと……」
状況が呑み込めず困惑する穂波に、女性は焦れたように声をかけ続ける。
「ねえ、ねえってばー。早くしてくんないと、ボク食べられちゃうよ」
「あっ、はい」
とりあえず返事をした穂波だったが、何をどうすればいいのかさっぱり分からない。だいたい大蛇がその気になれば彼女もろとも一瞬で食べられて終わってしまう。
「どうしよう」
そもそも彼女は誰なのか。穂波の知る限り、八岐大蛇の物語にこんなシーンは存在しない。
「絵面的にはアンドロメダみたいよね」
海か山かの違いがあるが、化け鯨に襲われるアンドロメダと言った方がまだしっくりくる。
「っ!」
女性は穂波のアンドロメダという言葉に一瞬反応したが、すぐに元の焦っているかのような表情を取り戻す。現実逃避気味に何やら考え込んでいる穂波に、その変化に気付いた様子はない。
「ペルセウスは確か……メデューサの首持ってたんだよね。メデューサか……そう言えば、聖が異世界で出会ったんだっけ。ここにいてくれたらなー。あっ、でも、ドラゴンは無理とか言ってたんだっけ。じゃあ、八岐大蛇も無理か」
そのままギリシャ神話から、聖の話してくれた異世界へと思いを馳せる。
「ちょっと!何のんびりしてるのさ!このままだと、ホントにボク食べられちゃうんだよ!」
そんな穂波の気を惹こうと女性は盛んに声をかけ続けていた。それにしても元気な子だな、と再び彼女に意識を向ける。見たところ、せいぜい中学生くらいだろうか。年端も行かない少女という言葉がまさにしっくりくる。考えられるのはクシナダヒメ以前に生贄になった娘だが、だとすると素戔嗚尊がやってくるのは遥か先の話になってしまう。




