Bad Will Hunting 7
駆けに駆けた三人は何とかワイヴァーンに追いつかれるよりも早く、森へと辿り着いた。これまでの人生を振り返っても、ここまで真剣に走った記憶は三人にはない。野球部時代ですらもう少し楽だったろう、という想いが聖達の頭の片隅に浮かぶ。
そのまま速度を緩めることなく森の中へと駆け込んだ三人は、更に遮二無二奥へと走り続けた。日の光が僅かしか差し込んでこない程に鬱蒼としているが、走る分には問題がない。
「ほら!やっぱり、ババじゃない!」
弓を木に引っ掛け、ひっくり返りかけた穂波が毒づく。だが、大きすぎる武具に悩まされているのは穂波だけではなかった。
「くっそ、走りにくいな」
聖は自分の横幅より大きい盾を木にぶつけているし、京平は長い剣を穂波と同じように木に引っ掛けている。
「捨てる?捨てちゃう?」
辺りに気を配って走るとなると、どうしてもスピードは落ちる。この状況でそれは何としても避けたい。勢い込んで尋ねた穂波だったが、京平から返ってきたのはまさかの否定だった。
「……いや、捨てない」
「なんで!」
「なんでって……」
単に一度張りかけた意地をひっこめるタイミングを失っているだけなのだが、正直に答えると何を言われるか分からない。少し考えて、気の利いた答えを捻り出す。
「ババは捨てられないって決まってるからだよ」
「なんでババ抜きになってんのよ!」
穂波には響かなかったようで、結局睨まれる羽目になった。とは言え無事に森に逃げ込めた事もあり、少しばかり安心したような空気が流れる。そして少し進んだ所で、もういいだろうと誰からともなく足を止め一息つこうとした矢先、耳をつんざくような轟音が三人の背後で響き渡った。
「何よっ!」
驚いて振り返った三対の目に映ったのは、樹々を薙ぎ倒したワイヴァーンの姿だ。どうやら躊躇うことなく森に飛び込んできたらしい。勢い余ったその巨体は、地面を抉るようにして倒れている。
「……死んだ?」
聖の希望的観測を打ち砕くように、ワイヴァーンがゆっくりと長い首を持ち上げた。そのまま赤く血走った眼で三人を睨めつける。
「マジかよ……」
体のわりに貧弱な二本の脚で立ち上がったワイヴァーンは、一度大きく吠えたかと思うと、そのままよたよたと三人めがけて動き出した。
「うそうそうそうそ」
慌てた穂波達は再び森の奥へと走り出す。幸いにも地上に降り立ったワイヴァーンの動きは鈍い。森の樹木に行く手を阻まれている事もあって、簡単には追いつかれそうにない。だが、ワイヴァーンに諦める様子はなく、樹々を薙ぎ倒しながら執拗に追ってきていた。
「……色々見誤っていたな……」
「何がよ」
肩を並べて逃げる京平の反省の弁を、穂波は聞き逃さなかった。
「ワイヴァーンが思った以上にデカかった事と、俺達には森に見えてもあいつにはそうじゃないって事」
「ああ……そっか……」
肩越しに背後の様子を窺った穂波が納得の表情を見せた。自分達には深い森に見えたこの場所も、ワイヴァーンにしてみればせいぜい植え込み程度でしかないのだろう。容赦なく緑を踏み荒らしながら突き進んで来ている。
「で、俺達はいつまで逃げればいいんだよ」
「あいつが諦めるまでだろうな」
如何にワイヴァーンの動きが鈍いとはいえ、その巨体から繰り出される一歩は相当大きい。必死で走っている三人だったが、差は全く広がっていない。
「ハハ……あいつが諦めると思う?」
穂波の諦めにも似た感情のこもった疑問に答えられる者はいなかった。多少の障害をものともせず追ってくるその姿は、余りにも狂気じみていた。どこからどう見ても簡単に諦めてくれそうにはない。
「俺達の体力が尽きるのが先か、あいつの気力が尽きるのが先か、この森の深緑が尽きるのが先か」
「分が悪すぎるだろ、その勝負!」
「全然上手いこと言えてないから!」
文句を言いつつも必死で足を動かす三人。今、出来る事と言えば、逃げる事だけだ。
だが、走り続ける三人の前の緑は徐々に鮮やかさを取り戻しつつあった。




