神が来りてホラを吹く 2
「うわぁ、これは酷い……」
部屋に通された訪問者は、テーブルの前に座り込むとさっさと靴下を脱ぎ捨て、扉に挟まれた左足の状態を確認する。どす黒く変色したその痕は、例え神だとしても痛々しい。
「誰?」
珍しいものを見るような目で訪問者を見ていた聖が、台所から出てきた京平に声をかける。
「神だって」
京平は感情の籠らない声で返事をし、持ってきたペットボトルのお茶を聖に投げてよこす。
「神も内出血するんだ……」
興味深げに訪問者の怪我を見ている聖の、その視線に気づいた訪問者は得意気な表情を見せる。
「キリスト像やマリア像ですら血を流すんです。神たるわたくしも内出血の一つや二つしてもおかしくないでしょう?」
「そういうもんか……」
「そういうものですよ」
そう言いつつ鬱血部分に必死で息を吹きかけて冷やそうとしているその姿は、到底神には見えない。
京平はそんな訪問者の前にもお茶を置いてやる。これはどうも、とお茶を受け取った訪問者は、それを使って足を冷やし始めた。
そんな訪問者を尻目に聖は京平を部屋の隅へと連れていき、小声で尋ねた。
「あれ、大丈夫なのか?」
「大丈夫か大丈夫じゃないかで言えば、間違いなく大丈夫じゃない」
「なら、何故部屋に上げた」
「何故って、そりゃお前……」
お前が『ぱらでぃんおう』になるって言ったからだよ、と言いそうになるのをぐっと飲みこむ。
「あなたが『聖騎士王』になると仰ってたので、お力になろうかと思いまして」
「お前が言うのかよ」
京平が訪問者を睨みつけるが、訪問者は全く意に介していないかのような笑みを浮かべている。
「違うっ!」
強い口調で訪問者の言葉を否定する聖。その余りの語気に、二人の視線が聖に集まる。
「『パラディンキング』じゃない、『聖騎士王』、だ」
その言葉に思わず天を仰ぐ京平。だが、そこに神はいない。神は目の前にいて、そしてあろうことか親友と低レベルな口論を始めようとしている。
「そうは仰いますが、前半が『パラディン』とカタカナなのに後半が『おう』とひらがななのは、日本語的におかしいのではないかと」
「大事なのは語感だよ語感。『聖騎士王』だからこそ、俺はなるって気になるんじゃないか」
「『おう』と言いたいのでしたら、前半も『せいきし』とするべきではないですか?」
「『せいきしおう』だと、歴史上の人物っぽくてイマイチ乗り切れない」
「しかし、この世界において『せいきしおう』として名を上げた人物はおらず……」
二人の口論は放っておくといつまでも終わりそうにない。
嫌々ながら割って入ることにする京平。
「まあ、『ぱらでぃんおう』でも『パラディンキング』でも、何でもいいんだけど」
その言葉に、聖が裏切り者を見るような視線を向けるが、京平は気づかないふりで話を続ける。
「お力になれるってのは、どう言う意味なんだ?」
「お、そうでしたそうでした」
わざとらしく膝を打ち、居ずまいを整える訪問者。
胸元から名刺入れを取り出すと、腹立たしいくらい完璧な所作で京平に名刺を差し出す。
「ご挨拶が遅くなり申し訳ありません。わたくし、こういう者でして」
名刺には達筆な文字で『転生の神』とだけ、書かれている。
「手書き?」
「ええ、ええ、勿論。ある意味直筆サインですからね。レアアイテムですよ」
そう言いながら、聖にも差し出す。
「ご丁寧にどうも……」
「で、その転生の神様が、どうお力を貸してくださるので?」
京平の言葉に潜む嫌味に気付いているのかいないのか、神は笑みを崩さない。
「まあまず、お座りください。あ、楽にしてもらって結構ですので」
神が率先してテーブルの前で胡坐をかき、自分の対面に二人を促す。促されるままに二人が座るのを確認すると、神はテーブルに身を乗り出し、話を始めた。
「皆さん、転生にどんなイメージをお持ちです?」
「どうって……」
聞かれた二人が顔を見合わす。
「死んで、生まれ変わる」
「そのままですね」
さすがの聖も神の身も蓋もないツッコミにはムっとした表情を見せた。
「……元々は死んだ後に、この世に還ってくる事を意味していたけど、最近は異世界に行ってしまう事をイメージするな」
「そうそう。その死ぬのもさ、交通事故だったり、過労だったり。割と悲惨だよな」
「そう、そこなんです!」
我が意を得たりとばかりにバンッとテーブルを一叩きし、さらに二人の方に身を乗り出す神。気圧される二人。
「転生する方はいいでしょう。転生先で新しい人生を始めるのですから。でも、この現世でその転生に巻き込まれた人はどうなります?転生者を撥ねたトラックの運ちゃんは、職を失い、家族にも縁を切られ、再就職もままならず首を吊ってしまう。過労死を出してしまった会社は、労基の指導が入り、評判も悪化、仕事が無くなり倒産、社員全員無職待ったなし。孤独死は孤独死で発見が遅れ、室内は大惨事、大家は号泣、特殊清掃の人達大忙し。たった一人が転生するだけで、大勢の人が大変な目に逢ってしまうんです。もうね、立つ鳥跡を濁しまくり。ヘドロですよヘドロ」
一気にまくしたてる。
「転生する方はする方で、転生してみたら思ってたのと違うと文句たれまくり。こんな種族になりたくなかった、地位が低い、元の記憶を取り戻すタイミングが悪い、そもそも現世よりハードモード、とか。この世の殆どの人間は転生する事無く死んでいっているんです。そんな中で転生できたんですから、多少の事は目を瞑って自分の幸運をありがたがってもらわないと」
「……お、おう……」
神の迫力に、人間達は頷くしかできない。
「異世界は異世界で、勇者が来ると思ったが全然違ったとか、ヒロインを取られたとか、治安が悪化したとか、まあ、こっちはこっちで文句が出る出る。異世界からの転生者を受け入れるなら、それなりのリスクは想定して準備しておかないと駄目でしょう?」
そこで一息つくと、ペットボトルのお茶を一気に呷る。
「まあ、勿論万事上手くいく転生もあるんですが、そうでない転生が多いのもまた事実」
真剣な表情で二人を見据える神。
「そこで、そんな三者三様のミスマッチをなくすべく立ち上げられたのが、こちらの企画!」
手元の鞄からなにやら資料の束を取り出す。
「……紙なんだ……」
「神だけにねって、いちいちうるさいですよ」
聖の言葉を受け流しながら、二人に資料を差し出す。
「名付けて『おねがいリンカーネーション ~希望の世界を探してみませんか~』です」
差し出されるがままに資料を受け取った二人は、表紙のデザインに目を丸くする。
蓮の花をバックに妙に可愛いフォントで描かれたタイトルと、その周囲に散りばめられたハートや花弁。とにかく可愛さを全面に押し出してきているデザインだ。
「違う場所へ、違う場所へ、行ってみたいと思いませんか?……おや?ここは盛り上がるところだと思うんですが、違いますかね?」
資料を受け取ったまま固まっている二人に、ノリノリな神が心の底から不思議そうに問いかける。
「……いや、ちょっと思ってたのと違う雰囲気だったんでな……」
京平が表紙を見つめながらつぶやく。もっとお堅いイメージの資料が出てくると思っていただけに、このインパクトには面食らってしまっていた。
「そうですか?『おねがいリンカーネーション』!って感じが出てていいと思うんですが」
そう言った神だったが、急に難しい顔になると何やら呟き始めた。どうやら自分の発音にしっくりこなかったらしく、トーンを変えながら『おねがいリンカーネーション』を連呼している。
「あー、もう、うるせーよ。『おねがいリンカーネーション』は分かったから、もうちょっと分かりやすく説明してくれねーかな。何せ、こちとら人間なもんでね。神様の考える事とか理解できないのよ」
京平の言葉に、神は分かってませんねとばかりに首を振る。
「いやいや、わたくしの『おねがいリンカーネーション』具合によって、皆様のテンションも変わってくるでしょう?」
「変わらねーよ。何でそれでテンション変わると思うんだよ」
京平の言葉に納得いかなさそうな表情を見せる神だったが、渋々といった感じで話を進めだした。
「それでは、お手元の資料をご覧ください」
そう促されて改めて表紙に目をやる二人。一体どんな層をターゲットにしているのか、全く分からない。
「……古いアニメみたいだな」
聖の呟きに、神は大袈裟に嘆いて見せる。
「何てこと言うんですか!わたくしのナウでヤングな感性で作り上げた力作ですよっ!」
「……お前はいつの時代を生きているんだよ」
「令和ですが、何か?」
京平のツッコミにもまるで動じず、神は話を進めていく。
「では、早速この『おねがいリンカーネーション』についてご説明させていただきます。まずは、お手元の資料の二枚目をご覧ください」
そう促されて表紙をめくる二人。
「お試しで異世界に転生出来ます。続きは口頭で……」
さらっと読み上げる聖。京平は無言でページをめくっていくが、残りは見事に白紙だ。
「……おい」
「ハハハ、いやぁ、表紙作ってたら夜が明けちゃいましてねぇ」
「表紙だけ凝ってるとか、企画書として最低だろ」
京平に睨まれても、一向に悪びれた様子の無い神。
「そうは仰いますけどね。これ、パソコンで見るとちゃんとアニメーションするんですよ?」
「じゃあ、何で紙にしたんだよ」
「まあ、わたくし神ですし……ハハ、冗談ですよ冗談」
京平の怒りを通り越え呆れ返ったような視線に、慌てて取り繕う神。
「あっ、せっかくなんで見ます?アニメーション」
神は鞄から何やら取り出そうとするが、京平に止められてしまう。
「いや、そういうのいいから。さっさと説明してくれないかな」
京平の冷たい言葉にも、神はめげた様子はない。
「そうですか?乾坤一擲の作品だったんですけどねぇ。残念です」
名残惜しさをアピールする神だったが、京平達に取り付く島はない。
「……では、改めまして『おねがいリンカーネーション』の説明の方、始めさせてもらって宜しいですか?」
「……ここまで来て、聞かない選択肢はないからな」
「うんうん」
京平の言葉に聖が同意する。それを見た神は、敏腕営業マンの如く説明を始めた。
「先ほども申し上げましたように、突然の転生では転生者、現世、異世界の皆様全てに御満足いただける、これぞまさに三方良し、な転生はなかなか難しいものがございます。そこで、そのギャップを埋めるべく、まずはお試しで異世界へ仮転生していただいて、異世界を体験してもらおう、と言うのが本企画『おねがいリンカーネーション』の趣旨になります」
「……仮転生……」
「ええ、ええ。あくまで体験と言うことで、仮の転生、仮転生とさせていただいています。仮ですから本当に死ぬ必要はございません。非常に安全な転生となっておりますので、安心して転生ください。この仮転生にて、わたくし共が提携しています異世界の方を体験していただき、希望の世界を探していただこう、という訳です。本来、転生の際には種族等の変更も可能となっておりますが、この仮転生におきましては、あくまで仮という事で、ご自身のまま転生していただくことになっておりますので、この点はご了承ください。そして体験していただいた中で気に入った世界がございましたら、本契約の後に本転生していただき『おねがいリンカーネーション』終了、という流れになります」
「……本転生……」
「ええ、ええ。本番の転生、と言うことで本転生とさせていただいています。まず、本契約にて転生先での種族、性別、地位、転生時の年齢、その他諸々オプションを決めていただきます。そしてその情報を元に、受け入れ先との協議を行い、承認を得ることが出来ましたら、晴れて本転生が可能となります。また、本契約では現世からの退場方法も選択いただけるようになっていますので、誰にも迷惑をかけずに転生する事が可能です」
「なるほど……」
そう呟いた聖だが、とても理解できている表情には見えない。
「仮転生ってのは、どれくらい体験出来るんだ?」
何か思案しながら京平が尋ねる。
「体験回数につきましては、合計三十回とさせていただいています。しかしながら、出来るだけ多くの世界を体験いただきたいという思いから、同じ世界の体験は三回までとさせていただいています。また、一度の体験期間に関しましては、最大で約十日程となっております。ですが、もっと深くこの世界を体験したい、等とお感じになった場合は、延長チケット等オプションも用意しておりますので、こちらの方、是非ご活用ください」
「……オプションねぇ」
「なお、初期サポートといたしまして、基本的な会話による意思疎通は可能となっておりますのでご安心を。まあ、意思疎通できませんと体験もクソもありませんからね」
ハハハと笑って見せた神だったが、二人は無反応。一つ咳払いをして気を取り直し、話を続ける。
「その他、仮転生の際にお困りごと等ございましたら、お気軽にご相談ください。真摯に対応させていただく所存です」
説明を終えた神は、真剣そのものと言った表情で二人を見つめる。
「とまあ、以上が『おねがいリンカーネーション』のご説明となりますが、いかがです?もしかしたら『聖騎士王』になれるような世界を見つけられるかもしれませんよ?やってみませんか?」
「……どうする?」
何やら考え込んでる京平に、聖が尋ねる。
「どうするって……」
チラッと神に目を向けた京平は、聖を台所へ引っ張って行こうとする。
「少し相談してきてもいいかな?」
「どうぞどうぞ」