限りなく水に近いポーション 4
「こんにちは」
ナースステーションに居た顔馴染みのナースに挨拶した穂波は、まっすぐに結希子の病室へと向かう。
廊下を進んだ突き当り。一番奥まった部屋が結希子の病室だ。
扉を軽くノックする。
「……どうぞ」
小さいがしっかりとした声で返事がきた。
「お邪魔します」
そっと扉を開けて中に入る。
「あら、ナミちゃん!」
ベッドの上で上半身を起こし本を読んでいた結希子だったが、入ってきたのが穂波だと分かると満面の笑みで迎えた。
「やっ!どう?元気?」
穂波が努めて軽い感じで尋ねた。この前来た時よりも、少しやつれたようにも見える。
「うん?そうね。まあまあかな」
結希子も軽い感じで答える。
「そっか」
穂波もそれ以上は訊かなかった。結希子とは長い付き合いだ。言葉ほど調子が良くない事くらいすぐに分かる。そしてその事に気付かれたくないと思っている事も。
「ねぇ、何読んでたの?」
荷物を置きながら、さりげなく話題を変えてしまう。
「『だらエル』の最新刊。ナミちゃんは読んだ?」
そう言って手にしていた本を見せる。
「まだ。ユキはホントそれ好きだよね」
「うん。だって、世の中にはこんなにも面白い事があるんだって教えてくれるのよ。これ読むとさ、私も見てみたい、聞いてみたい、やってみたいって思えるんだよね」
そう言って愛おしそうに本の表紙を撫でる。
「そっかー。じゃあさ、元気になったら一緒にやろ?約束」
「うん。絶対だよ」
子供の頃から何度も交わした約束。果たされる事の方が少ない、果たせるかどうか分からない約束だが、二人はいつも必ずこうやって約束を交わす。
「そうそう、商店街の和菓子屋さんで桜餅買ってきたんだけど、食べられる?」
「少しなら大丈夫かな」
結希子の答えに、穂波は少し困ったような表情を見せた。
「やっぱ、少しよねぇ……」
「うん?だから、少しなら食べられるよ?」
穂波が何に困っているか分からない結希子が首を傾げる。
「いやね、商店街をウロウロしてたらさ、ケーキ屋さんに新作あったのよ。で、美味しそうだなって思ってさー」
そう言いながらケーキが入った箱を取り出したかと思うと、続けてパン屋の袋も取り出す。
「で、パン屋さんはパン屋さんで新作出してるでしょ。お肉屋さんの前通ったらコロッケ揚げたてだし、クレープ屋さんはクーポンくれた」
穂波が次々と食べ物を取り出す様子を、結希子は呆れたように見ている。
「このクレープはね、せっかくだからお前が焼いてけって言われたから、私が焼いたんだよ」
そんな結希子の様子に気付いていないのか、穂波はひたすら買い物の成果を話し続ける。
「ねえ、ナミちゃん」
結希子が穏やかな声で話を遮る。
「……何?」
「どうかした?何かあった?」
「……ううん、何もないよ」
そう答えた穂波だったが、結希子に視線を合わせようとはしない。
「えっと、で、これはね、この前『だらエル』で紹介されてたガールズバンドのCD。ユキ、聞きたいって言ってたでしょ?私も聞いたんだけどさ、やっぱ『だらエル』で絶賛されてただけあって、凄いんだよ。ソウルフルなヴォーカルにパワフルなドラム、テクニカルなギターにハートフルなキーボード。でも私はDJの人のクールなラップが一番好きかなー。で、こっちの漫画はね……」
「ナミちゃん!」
結希子はさっきより少しだけ強い調子で話を遮った。慣れぬ声量にそのまま少し咳き込んでしまう。
「ユキっ……」
顔色を変えた穂波に大丈夫だと笑って見せた結希子は、手にしていた本を脇に避ける。そして少し体をずらしてベッドにスペースを作ったかと思うと、そのスペースをポンポンと軽く叩いた。
「おいで」
穏やかな声で促された穂波は、のろのろとベッドに近付き、空いたスペースにペタリと座り込んだ。その体を結希子がそっと抱き寄せると、耳元で優しく囁いた。
「いつもありがとう、ナミちゃん。でも、無理はしちゃダメだよ」
穂波にとって結希子と長い付き合いだという事は、取りも直さず結希子にとっては穂波と長い付き合いだという事だ。穂波が結希子の変調に気付けるならば、結希子だって穂波の変調に気付ける。
「……うん、大丈夫だよ。無理なんかしてないし……」
穂波は自分の肩に回された結希子の手にそっと自分の手を添えた。その華奢な手からは、気が付けば消えてしまっていそうな印象を受ける。
「そう?でも、何かあったらちゃんと言うんだよ?」
覗き込むようにして穂波の額に自分の額をくっつけた結希子は、そう言って優しく微笑んだ。
「うん」
そう言えばどういう訳かユキもお姉さんぶりたがるよね、と思いながら穂波も微笑みを返す。




