no time to help 6
暫くして、その沈黙を破ったのは扉を乱暴に開けて入ってきた一人の警官だった。その音で我に返ったかのように、客達の間に会話が戻り始める。
「ちょっとちょっと、壊さないでおくれよ」
ウェイトレスの抗議を軽く手で制した警官は、穂波達の隣のボックス席に腰掛けた。制帽を脱ぎ去ると、押し込められていた豊かな金髪が流れ出る。
「メアリーさん?」
そこに現れた知り合いの姿に、驚きの声を上げる穂波。昨日は出かける素振りすら見せていなかったはずのメアリーが、どうして目の前で警官の姿でいるのか不思議でならない。
だが、ヴィルやボリスに驚いた様子はない。それどころか、突然現れたことに対する反応すら見せない。もっとも、メアリーもそんな二人の反応は織り込み済みなのか、穂波の驚いた様子を見て会心の笑みを浮かべている。
「全く、随分と辛気臭い顔をしているじゃないか。まあ、そんな事じゃないだろうかとは思っていたがね」
「仕方ないでしょう。私達が関われない話ですもの」
ヴィルの声はどこか悔しそうだ。
「まあ、普通ならな。ああ、コーヒーと、そうだな、チェリーパイを貰おうか」
そう言って注文を取りに来たウェイトレスを追い払ったメアリーだったが、もったいぶっているのかその後は黙ってニヤニヤしながらヴィル達を見ている。
「……どういう事かしら?」
ヴィルの問いには答えず、運ばれてきたパイを一口食べたメアリーは、満足げに頷いた。
「うむうむ。やはり、ここはワタシ好みのパイを出す。九十五点というところだな。個人的にはもうちょっとクリーム多めでもいいと思うんだが」
「お嬢が、どういう事だって聞いてるんだがよ」
不機嫌そうなボリスだったがメアリーはまるで取り合わず、今度はコーヒーを一口飲み、顔を顰めた。
「それに比べて、このコーヒーはどうだ。安い豆を適当に混ぜているから味も香りも最低だよ。せいぜい三十点と言うところだね」
「……ブレンドに何を求めてるのよ」
「何、せめて及第点のコーヒーが飲みたいというだけだよ」
そう言うと残りのパイをぺろりと平らげてしまう。
「で、どういう事かしら?」
その様子を見たヴィルは、さっきより強い調子で問い質す。
「ふむ。ヴィル、キミ達は人間同士の争いには関わらないと言うがね。一方が混沌に与している可能性があるとすればどうする?」
ヴィルは僅かに眉を動かすが、何も答えない。
「今回で言うと、当然Dr.を攫った側だがね」
そう言ってある企業の名前を挙げる。
「バリバリの軍需企業じゃねぇか」
ボリスの驚きに満足そうにメアリーは満足げに頷くが、ヴィルは納得していない。
「だとしてもよ。人間同士の争いだということに変わりはないわ」
「全く、キミは本当に頭が固いねぇ。連中の動きが世界の秩序を乱すことに繋がる、そうは考えられないのかね」
「……詭弁よ」
そう言ったヴィルだったが、口調は少し弱くなっていた。
「本当にそう思っているのかい?だとしたら愚かにも程があるよ」
メアリーがからかってくるが、ヴィルは動じない。一瞬つまらなさそうな表情を見せたメアリーだったが、気を取り直し話を続けた。
「拳銃から衛星までをモットーにしていた連中だが、数年前からある分野に手を広げているんだよ。所謂、強化人間って奴さ。まあ、ワタシに言わせれば、機械兵でも作った方が安上がりで倫理的にもいいと思うのだが、戦争屋というのはとにかく人間を戦わせたいらしい」
「お前が倫理的とか、笑えねぇ冗談だな」
ボリスの皮肉もメアリーには通じない。
「これに真っ向から反対していたのがスーパードクターこと、Dr.ホルツマンさ。政府に売り込まれた計画をおじゃんにしたのはカレの功績と言っていい。政府関係者にしてみれば、お世話になった身内の一人や二人は居るだろうし、将来的には自分がお世話になる事だって考えられる。成功するかどうか、成功したところで使い物になるかどうか、全く未知数の計画に乗るよりかは、Dr.の覚えを良くする方を選択するのは当然の事だろう」
意地の悪そうな笑みを浮かべる。
「表面上はそれで話は終わっているんだが、企業側にしてみれば当然面白くない。そもそも、計画の初期段階でDr.に協力を断られてすらいるらしいからね。そりゃ、嫌がらせにも力が入る事だろう」
「なるほど、そういう事か」
ボリスが納得したとばかりに頷く。身の危険を感じて自ら身を引いたのか、追放されたのか。医療の最前線にいられなくなったのはそういう理由があったのだろう。
「それからも研究は続けていたようだが、ワタシの調べた限りでは成果が上がっていない。研究の初期段階で必要なDr.の研究データが無いのだから、当然だろうがね」
研究が上手くいかない現場を想像しているのか、肩を震わせるメアリー。
「いい加減業を煮やしたんだろう。昨日、遂に強硬手段に出たという訳さ」
「……随分詳しいのね」
「それはそうだろう。キミ達をバックアップするのがワタシの仕事だからね」
そう言ったメアリーは、急に真剣な目つきでヴィルを見据える。
「さて、ワタシからは以上だ。殺されるか、取り込まれるか。何にせよDr.にまともな未来は待っていないだろう。そして混沌は新しい玩具を手に入れ、勢力を拡大するって話さ。キミはこれでもDr.を見捨てる、と言うのかい?」
「……」
即答しないヴィルに対し、メアリーは心の底から呆れたとばかりに大きなため息をついた。
「全く、キミ達は本当に度し難いな。もう少し心のままに動くという事を学ぶべきだよ」
「……そんな事、今更……」
ヴィルの反論は既に弱々しい。
「それに、今回はホナミの件もあるじゃないか。カノジョの期待に応えたいとは思わないのかね?」
「あの……」
穂波が声を上げかけるが、すぐにメアリーに制されてしまう。
「何もしないというなら、それもいいさ。キミがそれを望むなら、ワタシもボリスも永遠に付き合ってやる」
俯くヴィルに、メアリーがグッと顔を近付け睨めつける。
「だが、今だ。今、一歩踏み出さないと、オマエは一生死者の街で死者と戯れ続ける事になるぞ」
「そんな事!」
顔を上げたヴィルがメアリーを睨みつけるが、メアリーは不敵な笑みを浮かべその視線を受け止める。暫く睨み合っていた二人だったが、先に視線を逸らしたのはヴィルだった。
「……そうね。きっと、そう……」
天を仰ぎ見て呟く。それでも暫く迷った様子を見せていたヴィルだったが、やがてゆっくりと立ち上がった。
「……分かった。やるわ」
その答えにメアリーは満足そうに頷いた。
「そうこなくてはな」
「穂波、貴方はホテルで待っていなさい。Dr.は私が連れて行くから」
そう言って先に店を出て行こうとするヴィルを、穂波が呼び止める。




