no time to help 5
翌朝。
病院へ向かおうとホテルを出た三人は、たちまち街を覆う不穏な空気に気付く。
「何だ?」
ボリスが不審げに辺りを見回す。目に入るのは遠くを走るパトカーに空を飛ぶヘリコプター。何かが起きているのは間違いがなさそうだ。
「事件かな」
穂波が不安げにヴィルを見る。厳しい表情で何か考え込んでいたヴィルだったが、その視線に気づくと大丈夫と言うように笑いかけた。
「……とりあえず、病院へ急ぎましょう」
その言葉に穂波達も頷く。
だが、病院が近づくにつれ、辺りの雰囲気は物々しくなっていった。どうやら何かの原因は病院にあるらしい。
「ちっ」
やがて目の前に広がった光景にボリスが思わず舌打ちした。病院まであと数ブロックと言う所で規制線が張られているのだ。
「参ったわね」
ヴィルの呟きも苦々しい。辺りを行き来する警官の数も尋常ではなく、明らかにただ事ではない。
「……とりあえず、あそこでどうするか考えましょう」
ヴィルが近くのカフェを指す。勿論、穂波達に異論があろうはずがない。頷いて店を目指すが、その足取りは重い。
「三人なんだけど」
「ああ、空いてるよ」
忙しそうに働いているウェイトレスの声に促された三人は、冴えない表情のまま店内に入る。こんな状況だが、それなりの客入りだ。
空いたボックス席に座り、コーヒーを注文する。そして、事態を把握しようと周りの会話に耳をそばだてるが、聞こえてくるのは不安げなざわめきばかりだ。
困った様子で顔を見合わせる三人に、コーヒーを運んできたウェイトレスが話しかけてきた。
「あんた達、製薬会社の人かい?」
「ええ」
ヴィルがすぐさま愛想のいい笑顔を浮かべて対応する。だがその目は相手の真意を測るかのように、油断なくその姿を捉えていた。
「だと思った。ここいらでスーツ着てうろうろしてるのはあんたら位だからね」
手際良く三人の前にカップを並べ、コーヒーを注いでいく。どうやら世間話のつもりらしい。
「いつもの人はどうしたんだい?」
「今日は新しく入った彼女の紹介なのよ。それで、うちがお世話になっている病院を回ってるところなんだけど……」
ヴィルの堂々とした受け答えを見た穂波は、流石女優だと改めて感心する。
「そうかい、新人さんかい。頑張りなよ」
「あっ、はい」
疑われないかと少し心配しながら軽く頷いた穂波だったが、ウェイトレスにそんな様子はなかった。
「あんた達の薬は安くてよく効くから助かってるんだよ。ここいらの人間でお世話になってない奴なんていないんじゃないかねぇ。かく言う私もだしね」
そう言って膝を叩いて見せている。
「ところで、病院で何があったかご存じかしら?」
真剣な表情を作ったヴィルに訊かれたウェイトレスは申し訳なさそうに首を振った。
「いや、私達もさっぱり分からないんだよ。おかげで病院に行けない連中で、今日は朝から大忙しさ」
そう言って辺りを見渡す。
「あんた達も大変だね。折角来たのにこんな状況じゃあ……」
「ええ」
「まあ、こんなところで良ければゆっくりしていきな。もしかしたら、もうじき何とかなるかもしれないしさ」
「そうさせてもらいますわ」
ウェイトレスが別のテーブルへと移るのを見送ると、誰からともなくため息をついた。そう楽観的にはいかないだろうとは誰もが思っていた。
ヴィルとボリスはコーヒーにも手を付けず、難しい顔で何か考え込んでいる。おそらく次の行動を考えているのだろうが、いいアイデアが出る様子はない。
「えっと……」
自分に出来ることはないかと穂波が二人に声をかけようとするが、その声は店内に走ったどよめきにかき消されてしまった。
「えっ?」
驚いて辺りを見回すと、客達の視線はカウンターの端の一点に集まっている。嘘だろ、マジかよ、と言った呟きもあちこちから上がる。
「!」
視線の先を確認したヴィルの表情が一層厳しくなる。そこに置かれたテレビには、子供達を抱き締めるようにしながらインタビューを受ける女性の姿が映っていた。
「何?」
テロップも表示されているが、勿論穂波には読めない。
「Dr.ホルツマンが攫われた」
苛立ちを隠そうともせず、ボリスがそう吐き捨てるように言った。その言葉に驚いた穂波がヴィルに顔を向けると、彼女は事実よと言うかのように頷く。
「そんな……」
肩を落とす穂波。
期待が無かったと言えば嘘になる。この世界でスーパードクターとまで言われた腕の持ち主ならば或いは、と言う思いはあった。だが、その希望がこんな結末を迎えようとは想像していなかった。
「どうする、お嬢」
「聞くまでもないでしょう?人間同士の争いに私達が首を突っ込む訳にはいかないわ」
冷静を装うヴィルだったが、左の人差し指はコツコツとテーブルを叩き続けている。内心の苛立ちが隠しきれていない。
「そうは言うがよ、嬢ちゃんの……」
なおも言い募ろうとしたボリスを睨んで黙らせると、ヴィルは再びテレビに目を向けた。画面はDr.の家族であろう憔悴しきった様子の親子の姿を映し続けている。
「……ごめんなさい、穂波。そう言う訳だから……」
「いえ……」
小さく頭を振る穂波。画面から目を離さず謝るヴィルの口調から、本意でないことは伝わってくる。だからこそ、申し訳ない気持ちで一杯になる。もし自分が来なければ、こんな思いをする事も無かったのではないかと。
いや、とそこで穂波は一つの考えに行き当たった。そもそも自分が来なければ、Dr.が誘拐される事も無かったのではないか、と。
自分の想像に身を震わせた穂波は、気を落ち着けようとコーヒーに手を伸ばす。だが、自分の考えの恐ろしさに手が震えてカップを上手く持てない。
普段なら穂波の異変に気付いたであろうヴィルだが、テレビから目を離す事なく何事か考え込んでいる。
「嬢ちゃん、大丈夫か?」
結局、声をかけたのはボリスだった。力なく頷いた穂波はコーヒーを諦め、テーブルの下で両手を握り締める。
三人の間に重苦しい沈黙が訪れ、それはいつしか店内中に広まっていった。ウェイトレスの言う通りなのだろう。世話になっている病院を襲った惨事に、誰もが言葉を失っていた。




